第三話『圧倒する"始祖の力"』(6/6)
「最初の世代……コンピューターは、回路が計算式そのものでした。
回路に示されている通りに電気信号は走りました。
それは固定された手順に過ぎず、予定外の結果が出たからといって変更はできません。
つまり、この時代はプログラムだったんです」
ニューニの指がテーブルの上を蛇のように這う。
それがプリント基盤の回路図であると現人が理解するまでには、数秒の時間が必要だった。
「まあ、古い意味での『Program』そのものと言ってもいいかもしれませんね」
「原始的だったんだな……だけどそれって、機械式の計算機と変わらないんじゃないか? 昔は歯車を使って計算していたんだろ?」
「驚いた」
そう言ったのはニューニではなく、ユニの方だった。
先ほどの深刻な悩みの表情はどこかへ消えてしまったかのように、くりくりの目を見開いた驚きの表情がそこにあった。
(……かわいい)
純粋に現人がそう思ってしまうほど、彼女が見せた『意外』を示す表情には愛くるしさがある。
「ウツヒトはとても正しいことを言っている」
「そうなんです、現人さん。
回路イコール計算式では、いくら電子計算機といっても、その本質は機械式の計算機と変わりません。
階差機関と同じといってもいいかもしれませんね」
「階差機関……ニューニがうちの高校に来る前、里沙先生から習ったな……あれだろ、コンピューターよりずっと古い時代にあったやつだろ」
「原初の機械式計算機ですね。
まあ、当時は完成しませんでしたけどね」
ニューニは手首を支点にする形で、手のひらを上下に動かしてみせる。
「くにくにかこーん」
「いや、効果音はいいから……ユニもやらなくていい」
それが伝説的な計算機械である、バベッジの階差機関における歯車の回転を表していると察するまでには、やはりそれなりの時間が必要だった。
「コンピューターというのは本来、『計算を行う人』という意味なんです。まあ、めんどくさい計算式を専門にやってた職業といいますか。
それをやってくれる機械もまた、コンピューターと呼ばれたわけですね」
「ということは、その……階差機関もコンピューターと言えばコンピューターなんだな」
「だけど、ウツヒト。
伝統的な意味でのコンピューターと、私達、電子計算機としてのコンピューターが異なるのは、その汎用性」
ユニは『汎用性』という言葉を強調して言った。
「この世の計算は四則演算━━つまり、足し算と引き算と掛け算と割り算ができれば、例外なく実現できる」
「いえーす、ユニ姉様のおっしゃる通りです。
どんな複雑な方程式もバラバラにすれば、それは四則演算に過ぎません。さらにいえば、ワタシ達コンピューターはその四則演算をさらにシンプルにして、足し算と掛け算だけで計算しています。
現人さん、理由はわかりますか?」
「小学校の算数で習ったよ。
足し算と引き算は増やすか減らすかで同じようなものだし、掛け算と割り算もそうだ」
6割る2の答えは3である。
しかしそれは3掛ける2の答えが6であるということでもある。
(懐かしいな……)
小学校何年生のことだったか、朧気な記憶の彼方を津瀬現人は思い起こす。
(あの頃はなんで九九なんて覚えるのか、よく分からなかったけど……)
今ならとても合理的なことだと分かる。九九ができるようになる、ということは掛け算も割り算もできるようにことなのだ。。
「分数とか微分積分だって、一つ一つの計算は四則演算だもんな……」
「いえすいえーす、現人さん。ワタシ達コンピューターはそうした一つ一つの計算を超高速にこなすわけですね。
そういうわけで、コンピューターに必要なのは足し算と掛け算だけなんです」
「……それでも今のコンピューターは違うんだろ?
その……ユニとかニューニの時代から、ずっと後の方のコンピューターは」
「本質的には今も変わらない」
ぷるぷると首を振りながら。
そして、澄んだ瞳で現人を見つめながら。
ユニが告げた言葉は津瀬現人にとって意外だった。計算という本質において、少なくとも100年以上、方式が変わっていないことは衝撃的ですらあった。
(本当に……足し算と掛け算だけでいいんだな)
『ノイマン型』の概念を生み出したフォン・ノイマンも凄いが━━
(本当に凄いのは四則演算を……加減乗除を発見した人なんじゃないか?)
それは果たしていつ頃のことなのだろう。誰が発見したのだろう。
世界のどこで発見され、伝わったのだろう。
あるいは、どこで発見されたがまったく伝わらず、別の場所でも発見されたのだろう。
(……こんなふうに)
どんな技術もさかのぼっていけば、遠く、根源的な領域につながっていくのだろうか━━
そんな遙かな『智』の深淵を、15才の少年は想う。
「まあ、ちょっと脱線しましたので話を戻しますが……機械式の計算機にも四則演算は可能です。
ですが、限られたパターンでしか実現できません。20丁の歯車は15丁の役目はできませんよね?」
「丁?」
「ぎざぎざ。歯車のぎざぎざのこと」
「なるほどね……でも、ユニやニューニみたいに汎用的なコンピューターは、どんな歯車にもなれる、そういうことだろ?」
「いえすいえすいえーす、現人さん。
いいですよ。惚れそうですよ。あ、でもユニ姉様が至高ですから。現人さんは2の次3の次で、いつまでも後回しです。残念でした」
「残念でいい……とにかく話を進めてくれ」
コメカミを押さえながら現人は言う。
脱線したから戻すと言っておきながら、自分から脱線していくのは本当に自由で、しかし忌々しい。
「じゃあ、私が続ける。
初期のコンピューターは回路がイコール計算式だった。そこには固定されたプログラムとしかなかった。
けれど、原初の汎用電子計算機であるENIACは、プラグボードの回路を直接差し替えることで、汎用的なプログラムを構成することができた」
「プラグボード?」
「まあ、もの凄くたくさん穴があって、配線コードをぶすぶす差していくと思ってください。
そうすると、簡単にいろんな回路図になるわけです」
ニューニはそのプログラムの作業は女性が行っていたと言う。
「へえー。昔って、研究は男が主力だって聞いたけど」
「世界的にはそういう時代でしたねー。しかし我らがアメリカは先駆けていたわけですね。さすが合衆国」
「ゆーえすえーゆーえすえー」
「一番だけ『星条旗よ永遠なれ』歌ってもいいですか?」
「またそうやってすぐ脱線する……時間がないんだ、真面目にやれ」
「あー、そうですね……こほん。
ともあれ」
軽く咳払いを一つ。両目を閉じて。
(あ……)
そして、目を見開いたニューニの表情は、これまでにない凄絶なものだった。
「いわゆる『ノイマン型』とは、コンピューターが自由なプログラムの元で汎用計算機として動作するために不可欠なアイディアでした。
それが誕生して以来、現在に至ってもなお、置き換えられていないことからも、どれだけ決定的なものか分かると思います」
「ウツヒト。
顕現存在としての力を決めるものは何か……前にも話したと思う。覚えてる?」
「……技術的な偉大さ。どれだけヒトに知られているか。つまり、コンピューターとしての『格』……だったかな」
「そういうことです。
その点で、あのエドサックという顕現存在は……まあ、ちょっと対抗馬が見つからないほど偉大ですね」
ニューニの言葉に現人は目を剥いた。
ぎょっとした、というやつである。
「い、いや、対抗馬が見つからないって……そりゃ言い過ぎだろ」
「事実です」
「でも、ユニだって世界で最初の商用コンピューターだし、ニューニだってその妹じゃないか」
「私もニューニもノイマン型の一子孫に過ぎないことは変わりない」
現人はその言葉にも衝撃を覚えた。
我こそは世界で最初の商用コンピューターなり。そう誇るユニを何度も見てきた。
だが、その彼女からして、『一子孫に過ぎない』というのだ。
「どれだけなんだよ……そのエドサックって」
「技術の根っこにいるっていうのは、それだけ尊いことなんです」
「で、でもさ……なんていうか。らしくないじゃないか。
2人ともらしくないよ。その、ノイマンとかいう人は確かに凄いんだろうけどさ。2人の両親……あのエッカートとモークリーだって、凄い人物だったって、いつも━━」
「ウツヒト」
思わず立ち上がった15才の少年を制止する、少女の声。
それは冷たく。乾いて。
しかし、知らぬ花の無知を、ゆるゆるとなだめるような声だった。
「『ノイマン型』のアイディアは、別にフォン・ノイマンだけが考えたものじゃない」
「……って言うと?」
「いわゆる『ノイマン型』の概念は、複数の人間が関わって作ったものなんです。
でも、当時からフォン・ノイマンは超が付くほどの有名人でしたからね。宣伝効果も考えたんでしょうけど……それを発表する時に、ノイマンの名前で発表したんですよ」
「……えーっと、チームの研究成果を教授の名前で学会に出すようなものか?」
「まあ、そんなイメージで捉えてもらってOKです。発表といっても、レポートのコピーを配っただけなんですけど、ノイマンの名前だったらみんな読むというわけですね」
「そのレポート。
つまり『First Draft of a Report on the EDVAC』を元にイギリスで作られたのがあのEDSAC」
ユニの言葉に、現人の右脳でがん、と音が鳴り響いた。
「そして、ノイマンと共にいわゆる『ノイマン型』のアイディアを生み出したのは、他ならぬワタシ達の父……ジョン・エッカートとジョン・モークリーです」
さらにニューニの言葉に、現人の左脳でもごん、という音がした。
「………………はあ~~~………………」
そして、へなへなという効果音が聞こえてきそうなほどに力なく、津瀬現人は椅子へ崩れ落ちた。
「はあ……」
ため息をさらに一つ。上半身もぐんにょりと緊張を失った。
かくして、まるでこたつに入っている時のユニのように、15才の少年はべったりと顎をテーブルへくっつけながら、呟くことになった。
「2人の両親ってほんとに凄いんだな……」
「えっへん」
「そりゃあまあ、ワタシ達のパパ・エッカートとパパ・モークリーですからね!」
ユニのドヤ顔と、ニューニの弾けるような笑顔。
重苦しい空気がほんの一瞬だけ霧散したように思えたが、事態は何一つ進展していない。
(ひょっとすると、親戚筋との戦い……みたいなものかな。ユニ達にとっては)
しかもその親戚筋は自分たちより年上で、歴史に揺るぎない功績を打ち立てているというのだ。
(つまり、ユニバックの一族よりさらに格上の親戚筋か……)
世界で最初の商用コンピューター、ユニバック・ワン。
その偉大さをもってしても、太刀打ちできないほどの親戚筋である。
「……敵のやばさは分かった。それで、これからどうするんだ?」
「そぉですねえ。第1に提案したいのは逃げる。第2に逃げる。
以後、第3から第36まで逃げるを提案しまして、兵法37計は存在しないので、やっぱり逃げたいところですね」
「……ユニは?」
「私は逃げたくない」
じっと現人の目を見ながら、ユニバック・ワンはそう言った。
「でも、ウツヒトが逃げたいなら私は反対しない」
少し、ずるいなと少年は思った。
(僕に丸投げだな……)
自分はこうしたい。でも、あなたがそうしたいなら、自分もそうする。
(ずるいよ、ユニ……だけど、それは僕のことを信頼してくれているってことだよな)
折れて砕けていた気持ちが治癒の魔法でもかけられたように、再構成されていく。倒れ伏していた心の芯が、再び立ち上がる。
(やれるだけのことは……やってみなくちゃな)
そして、少年が思いついたアイディアはある意味では安易といえるものだった。
「あのさ……生徒会の2人に力を貸してもらうことって出来ないかな?」
「704と360に?」
「古毛仁直と弥勒零ですか?」
「ああ……僕たちにとっては対立している相手だけど、向こうだって『夜制』に好き勝手されるのは面白くないと思うんだ」
「敵の敵は味方というわけですね。
そりゃあまあ、バイナックの時も見届け人になってくれましたし、少なくとも」
ちらり、と。
ニューニは可愛くてたまらない自分の姉を見る。
「704については、ユニ姉様が頼めばなんでもしてくれると思います」
「……なんでも? ニューニ、それってどういう意味?」
「いえいえ、ユニ姉様!
ほら、あいつってば一度ユニ姉様に負けてますしますし! 負けたら、何でも言うこと聞く。これ日本マンガの鉄則!!」
「そんな鉄則はないけどな。
……まあ、確かに僕が話すよりは、ずっとうまく行きそうだけど」
「そして、System/360には現人さんが頼み込むんです!」
「………………僕?」
いやに自信ありげなニューニに現人は眉をひそめた。
何かトラブルを起こして楽しもうとしているのではないか、そんなことすら考えた。
「いやですねえ、そんな目で見ないでください。
おはようからおやすみまで、全校生徒をきちんと見つめているニューニ先生の判断を信じてください!」
「……何か裏がありそうな気がするんだが」
「でも、迷っている時間もなさそう」
ユニが見つめる窓の外はじわじわと日が傾いてきていた。
世界中の金融市場が再び大混乱に叩き込まれるまでに━━つまり、月曜日の朝までに、エドサックを止めなければならないとすれば、残された時間はせいぜい半日である。
「分かった。弥勒零には僕から頼んでみるよ」
「さすが現人さん。決断できる男!」
「ニューニ、あの2人と連絡はとれる?」
「お任せください、ユニ姉様! コネというのはですねえ、二重三重に作りおいてこそ、価値が━━」
「……本当に変なこと企んでないだろうな、お前」
「いえいえ、大丈夫ですよ~。
まあちょっとした見物なことは事実ですが。このワタシを信じて、どーんとぶち当たっちゃってください!!」
「見物って……」
━━ニューニは笑っているが、状況はひどく悪い。
(敵だった相手に頼ろうとしてるんだもんな……)
だが、このニューニは。この顕現存在は。
どうやらこんな状況ですら、何かを楽しもうとしているらしい。
(……まあ、乗ってみる、か)
そのくらいはまだまだ彼女へ借りを返す範囲内だろうと思っていた。
(もし……失敗したとしても)
それで命を失ったとしても、構わないと思っていた。
(だってニューニは……志保のためにがんばってくれたんだから)
津瀬現人にとって、ニューニへの恩義はそれほどのものなのだから。




