第三話『圧倒する"始祖の力"』(4/6)
「なんだこれ……英語か?
英語の文章が書かれてる……何かの説明文……なのか?」
「ははあ……現人さんにそう見えるとすると、確定ですかねえ……」
現人の戸惑いを予測していたようにニューニが口元をゆがめた。
そこには幾ばくかの諦めがある。
(……これは逃げた方がいいな)
その諦めが意味するものはシンプルだった。
少なくとも今の状況ではあのエドサックという顕現存在に勝てない。ニューニはそう判断しているのだ。
「庶民の日本人。無駄な手助けはしないことです。
黙っていれば、あなたまで殺しはしない」
後方からエドサックの声が聞こえる。
(何を!)
聞いてなどやるものか。現人は背中で無視という態度を表現しつつ、ニューニの肉体を緊縛している『線』に指をかける。
(……よし)
そして、『線』が保持する情報量が驚くほど少ないことを確認すると━━力任せに引きちぎった。
「な……!!」
愕然とした声を確認してから、ようやく現人は振り向いた。
そこには驚きに言葉を失っているエドサックがいる。その反応を楽しむかのように、傍らではうっすらとフェランティ・マーク・ワンが笑っていた。
「すまないけど、この続きはまた今度で」
「馬、鹿な……なぜ!?」
現人は引きちぎった『線』を指先で弾く。
すると、鋼のような色をしていた『線』は、地面にぶつかった角砂糖のようにバラバラに砕けて散った。
(なんだ、これ……?)
自分で引きちぎり、そして砕いてみても、なお。
現人にはその『線』の正体がわからなかった。金属の触感を予想していたが、実際にさわってみると、それは鋼線でも毛糸とも似ていなかった。
(これは……まるで……)
現人の知っている物体で、もっともこの感触に近いのは。
「蜘蛛の糸に掴まるどころか、縛られてちゃ世話ないですねえ……」
「……ニューニ。走れるか?」
痛みが残っているかのように顔をしかめるニューニ。
そう、蜘蛛の糸。この感触はまるで蜘蛛の糸だ。そんな思いを反芻しながら、現人は問いかける。
走れるか、と。走って逃げられるか、と。
「ちょっと体が軋みますけど、まったくもって余裕です」
「じゃあ、行くぞ!!」
「はいさ!」
屋上から校舎内へ下りる階段へ向けて、現人とニューニは走り出す。
ちらりと振り返ると、フェランティ・マーク・ワンがひらひらとハンカチを振っていた。その隣では怒りに形相をゆがめるエドサックがいる。
「あのジャップ……!!」
「言葉が汚いよ、エドサック」
「っ……おのれ!」
耐えかねたように、エドサックは踵で屋上の床を踏みつけていた。だが、動く様子はない。走り出すそぶりも、跳躍するようにも見えない。
(……追ってこないのか? どういうことだ?)
小学生の頃はこんなことをしたな━━そんな懐旧を抱きながら、現人は一段飛ばしで階段を飛び降りていく。
その前方では、ニューニが人間業ではない跳躍で、階段という構造そのものを飛び越えている。
(……やっぱり追ってこない)
階段の折り返し。いわゆる踊り場で、現人は一瞬だけ立ち止まって耳を澄ませた。
足音は聞こえない。不思議だった。これがかつて戦ったバイナックなら、校舎ごと爆破でもするだろう。
しかし、あのエドサックにはそんなつもりはないらしい。
(あいつ……夜制・『委員会』の副委員長とか言っていたな。だから、校舎内までは追ってこないってことか?)
校舎内はあくまで学問の空間なのだろうか。あるいは、単純に夜制の生徒が巻き込まれることを危惧しているのだろうか……。
そんなことを考えながらも現人は走り続ける。階段を降り続ける。
一階まで降りた地点では、先を行くニューニが大きく手を振っていた。どうやら生徒用玄関ではなく、職員通用口へ向かうつもりらしい。
(……ん、誰かいるのか?)
そのとき、微かに人の気配を感じた。
だが、疑問を感じるほどもないと現人は思い直す。『夜制』の生徒がいてもおかしくないし、職員もいるだろう。
(なるほど……こんな状況じゃ、校舎内では戦えないわけだ……)
そして、職員通用口から走り出ると、現人はいきなりニューニに抱き抱えられた。
「跳びますよー」
「……浜岡の時を思い出すな」
「はじめて会った時ですね。やー、あの時も危なかったですよねー!」
原子力発電所施設内でのSystem/360との攻防を現人は思い出す。あわや絶体絶命という局面をニューニに助けられたのである。
ほんの数ヶ月前のはずだが、今となっては何年も前のように感じる。
「ま、今回はワタシが助けてもらいましたけどね!!」
そして、その時と同じようにニューニは跳んだ。
同じ逃走のための跳躍。だが、然るのち反撃するのための跳躍であることも同じだった。
「なかなかかっこよかったですよ、現人さん! もう少しダンディなクールガイだったら、惚れてたかも!」
「……それだけ口が達者なら、ダメージは心配なさそうだな」
「まー、その時は愛人2号さんということでよろしくー!! やっはー!」
なぜか異常にハイテンションなニューニの叫びは、夜の八王子に消えていった。
~~~~~~UNIVAK the zuper computer~~~~~~
「ちっ、逃がしたか」
動物並みの耳を持っていたならば、その奇声が聞こえるであろうという程度の距離まで、15才の少年とユニバック・Ⅱの顕現存在が遠ざかった頃。
南多磨高校の屋上では、忌々しげに八王子駅方向の街並みを睨みながらエドサックが毒づいていた。
「何を笑っているのですか」
「いや、さすがは英国紳士。
神聖な学び舎で他者を巻き込むような戦いはしないんだな、と思ってね」
そして、フェランティ・マーク・ワンは相変わらずうっすらと口元を笑わせている。
「何を当然のことを……あくまで仮の籍とはいえ、ここは我が学び舎。
まして、私は夜制・『委員会』の副委員長です。いかなる意味でも、生徒や職員を巻き込むような行動はしませんとも」
「校庭に出てくるかと思ったけど、違う方向からだったようだね……もし、ここから姿が見えたなら追いかけていたのかい?」
「むろんです。
まあ……地面を這い回って、ネズミのように逃げる相手まで追いかけるのは、美しい狩り人ではありません。
私が憐憫の情でも覚えたのなら、そのまま見逃したでしょうね」
「それは実に紳士的だね」
心にもない賛辞を述べながら、フェランティ・マーク・ワンの意識はエドサックが見ている方向とは真逆、つまり校舎の裏手に向いている。
(たぶん、職員用通用口かな……)
そして、その想像は当たっていた。
「まあ、いいでしょう。今日のところは引き上げるとします」
「おや? 津瀬現人くんの自宅を襲うつもりはないと」
「私は。そして、我々夜制・『委員会』はテロリストではありません。
戦う時は常に正々堂々と戦います。
だからこそ、今日もここに来た。いかなる援助も伴わずにです」
「素晴らしいじゃないか。紳士どころか、騎士の決闘みたいだ。相手は2人だったのに」
「いいや、3人かもしれません」
不信の目がフェランティに向けられた。
転落防止用の柵にもたれかかりながら、英国で最初の商用コンピューター、その顕現存在は弄ぶようにクスリと笑う。
「僕はどちらの側に立つ気もないよ、少なくとも今のところはね」
「そのような日和見は英国的ではありません」
「でも、二枚舌や三枚舌は英国的だ」
「あなたはどうにも信じられない……いつでも裏切ると言っているようなものではないですか?」
「あはははは、そんなことはないさ。
まだ、どちらの味方とも言ってないんだから、裏切りは成立しないよ」
「………………フムン」
花を愛でる幼子のように、けらけらと笑うフェランティ・マーク・ワン。
出来の悪いモルトを飲まされた時のような渋い顔になる、エドサック。
「君はいつもそうだね、エドサック」
「何がですか」
「余裕がないんだよ。もっとリラックスすることさ。
心にフリースペースを、アイドルタイムをたくさん持った方がいい。
何事に誠実で、真剣で真面目であることは紳士的かもしれない。けれど、常に100%でいようとすることは、コンピューターにとって賢い運用とは言えない」
「……忠告は受け取りましょう。
ですが、我々はあなたを信用しているわけではない。それだけは覚えておくことです、フェランティ・マーク・ワン」
ぞっとするような低い声色からすると、エドサックは脅しのつもりでその言葉を放ったらしかった。
「ああ、それでいいよ、モーリス・ホイーラー・エドサック」
だが、返ってきたのはごく日常の応答。明日9時に駅前で。自分の注文はコーヒーで。
そんな程度の口調だった。
「ッ……」
誇りは━━時として厄介なものである。
「ほら、余裕がない」
「黙りなさい」
「もう行くといい。僕はどうあれ、穏便に事が済むことを願っている……コロッサスに会ったらそう伝えてくれ」
「ええ……ええ、いいですとも!
そうしましょうとも!! あなたが味方になる見込みはない、さっさと『切った』方がよいと伝えましょうとも!!」
無声映画のように全身で怒りと憤懣を表現しながら、エドサックは屋上を出て行った。
階段を降りる足音がすっかり聞こえなくなると、フェランティ・マーク・ワンもまた、階段へ向かう━━と見せかけて、方向転換。
彼は屋上の隅に設置されている、設備の検査室へと向かう。
「もう、出てきてもいいよ」
検査室と言っても何のことはない。屋上の給水タンクや電気設備の計器が備え付けられている、小さな部屋である。
つまり、基本的には無人のはず━━だが、そんな検査室ドアの内側から、鍵を外す音が聞こえた。
「つまり、現状はこういうことさ。
感想は? 偉大なる青のお2人さん」
「率直に言って、厄介だ」
まず、そこから出てきたのは昼制の制服を着た美男子。
すなわち、IβM 704の顕現存在、古毛仁直。
「むう……あのような力があるとはな。驚くべきことだ」
そして、続いて現れたのは同じ昼制の制服を来た美少女。
あるいは、美女。世界でもっとも成功したメインフレームの一族たるIβM System/360の顕現存在、弥勒零。
「だろう?」
だが、そんな2人の迎えたフェランティ・マーク・ワンは。
厄介。驚くべき。偉大なる青のメインフレーム達が漏らした感想とは、正反対の明るい顔で笑っていた。




