第三話『圧倒する"始祖の力"』(2/6)
「それじゃあ話を続けますが……ユニ姉様、問題ないですか」
「ん、だいじょぶ。聞いてるから」
こくりこくりと頷きながらも、ユニは続く動作で現人の肩に頭を預けると、気持ちよさそうに目を閉じる。
「起きてるからだいじょぶ。続けて、ニューニ」
「くぅぅぅ、なんとうらやましい!! おのれ、現人さん!」
「僕が恨まれるのかよ」
「まあ、そんな愛と憎しみの一大ストーリーはさておいてですね。
さっきフェランティ・マーク・ワンから連絡が来たわけです。今夜会いたいと。
で、実はもう一通メール届いてまして……会う相手に指定があるんです。
1人はもちろん、メールを受け取った相手━━つまりこのワタシ、ユニバック・Ⅱですが、もう1人いまして」
「もう1人、か」
そのとき、現人は自然とユニを見ていた。
(まあ、妥当だよな……)
ニューニと並んで指名される相手といえば、ユニしかいない。
世界で最初の商用コンピューター、ユニバック・ワンしかいない。
そう思いこんでいた。
「現人さんです」
「………………は?」
「ワタシと現人さんに会いたいそうです」
津瀬現人は一瞬、ニューニがまた自分をからかっているのかと思った。しかし、妙に真剣なその口調とまっすぐにこちらの目を見る瞳は、冗談ではないことを示している。
「フェランティ・マーク・ワンがウツヒトを指名する……それはすこし意外」
「ええ、ユニ姉様。ワタシもそう思います。
別に彼とは敵対しているわけでもありませんし、罠というわけではないでしょうが━━」
ニューニの『罠』という言葉には、どこか相手を気遣うようなニュアンスが込められていた。
(っ……)
現人の胸の奥で嫌なものがドクン、と音を立てる。
大切な人が落下してきた重量物に押しつぶされる光景が、フラッシュバックする。
(……いや、違う)
だが、フェランティ・マーク・ワンはそんな悲劇から、志保を守ってくれた恩人そのものだ。
彼がいたからこそ、志保は命に関わる怪我をすることもなく━━そしてこの前、ようやく通院も終わったように、後遺症の類がのこることもなかったのだ。
「どうしますか、現人さん。場所は南多磨高校の屋上です」
「……体育館じゃないんだな」
「気が進まないならワタシが1人で行きますよ」
「いや、僕も行くよ」
「ウツヒト……」
ユニの声には。
「……大丈夫」
「……………………でも」
そして、今にも泣き出しそうなユニバック・ワンの表情には、制止のニュアンスが込められている。
行かないで良いのだと、言っている。
(……ユニにとっても嫌な記憶だもんな)
初敷志保という大切な人を守れなかった悔恨。それは現人のみならずユニとっても共通の感情である。
それを止めることができていたなら。
もっと強烈に、即時に。ためらうことなく、圧倒し、トドメを刺していたなら━━
(あの後、ユニはやられ放題だったもんな……)
結局のところ、バイナックを打ち倒したのは現人だったが、ユニからすれば後悔だけが残る一戦だったとしても不思議はない。
(だから……今でも気にしてるのか)
もっと、うまくやれなかったのか、と。
もっと、強く挑めなかったのか、と。
もっと、迅速に動けなかったのか、と。
それはコンピューターに関わる問題を解決するサポートチームが、重大なトラブルと向き合いつつも、力及ばず、第三者の手で解決されてしまったときの無力感にも似ている。
「心配しないでくれ。危険なことはしないから」
「で、でも、ウツヒトにまで何かあったら……私は……」
「平気だって。
それにさ。今回はまあ……性格はともかく、護衛としては頼れる相手も一緒だし、さ」
「んっんん、ん~、遠慮ないですねえ。
まあ……ワタシも男性としてはともかく、顕現存在相手には頼れる相手かもしれないなー、とか。
そんなふうに思っていますよ、現人さん」
「そりゃどうも……ニューニさん」
穏やかならざる視線を交わしあう、15才の少年とその教師。
しかし、どこか認め合うような空気に、不思議そうな顔をする教師の姉たる少女。
「決まりですね。
フェランティ・マーク・ワンと会う時間は今夜9時です。
今日は夜制の課外実習をやっていますから、その後で……ということでしょうかね。
ワタシは先に校舎に入っておかしなことがないか、少し調べておきます。現人さんは職員用通用口から入ってきてください」
「わかった」
「それでは後で~」
ひらひらと手を振ると、仕事に出かけるような足取りで玄関から出て行くニューニ。
その背中には何の迷いもなく、気負いも見られなかった。
(頼れる……か。でも、ほんとにそうだよな)
全面肯定はできない。しかし、核心のところでは強く信頼できる。
(僕にとってのニューニはそういう相手だ……)
だが……今、津瀬現人の胸にある感情はそれだけではない。
(だからって……世話になりっぱなしでたまるかよ)
ニューニには借りがある。
志保が怪我をしたあの照明の落下を、誰にも迷惑がかからない形で処理してくれたこと。
現人にもユニにも知らせることなく、無数の面倒な調整を黙々とやってくれたであろうこと。
(そうやってニューニが走り回ってくれたからこそ……僕もユニも……もちろん志保も。
いつも通り、生活できているんだ)
ご都合主義よろしく、何か見えない力によって、彼の日常は保たれたわけではないのだ。
(それがニューニに対する借りなんだ)
━━そして、その借りを返すためならば。
「構うもんか」
少年は決意を込めて呟く。
しかし、その先はユニが心配するかもしれないので、心の中だけで呟く。
(これが罠だったとしても、さ)
~~~~~~UNIVAK the zuper computer~~~~~~
「へえ、時間ぴったりじゃないか。
日本人は15分前に現地へ到着して、5分前にノックをするものだと思っていたけど、すこし違うようだね」
その夜、21時。
教師であるニューニがついているとはいえ、いささか悪いことをしているような思いで、津瀬現人が南多磨高校屋上のドアをあけると、フェランティ・マーク・ワンはボトルの紅茶を口にしながら、転落防止用の柵にもたれかかっていた。
「やあ、津瀬現人くん。そして、ユニバック・Ⅱ。
よく来てくれたね。ナチスの爆撃機がロンドンにやってきても、許せそうなくらい心地よい夜だね」
「その……減らず口とまでは言わないけど、独特の物言いは相変わらずだな、フェランティ・マーク・ワン」
「はははは、国民性というものさ。
気にしないでくれていい」
気にしないでいい、ではなく、気にしないでくれていい、と。
(相変わらず上から目線って言うか……)
それが当然であるといでも言わんばかりの口調で、英国の顕現存在は言った。
現人としては心の中が刺激されないわけではなかったが、いちいち感情を波立てても仕方ないと思う。
(それに……)
傍らにいるニューニを見る。
困惑している現人がおもしろいのか、ニヤニヤと笑っている。
あるいは、生徒同士の喧嘩を見物する時も、こんな顔をしているのだろうか。
(ひどい教師に、ひどい夜制の生徒、か)
苦手なタイプ2人に挟まれてしまったな、と現人は思う。
だが、同時に━━
(ここにいるのは……2人とも僕にとって恩人なんだよな……)
照明の落下という事態から、身を呈して志保を守ってくれたフェランティ・マーク・ワン。
そして、そんな大事故を現人達にいかなる迷惑もかからないように、裏側で収拾してくれたニューニ。
どちらも、津瀬現人にとっては紛れもない恩人と言える。
「その……志保なんだけど」
「うん? なんだい、津瀬現人くん」
「いや、フェランティがかばってくれた子がさ。
この前、やっと通院が終わったんだ。ちょっとだけ傷跡は残ったけど、後遺症もなかった。
お礼を言いたい。ありがとう」
「そうか……それは本当によかったね」
「そっちは体とか大丈夫なのか?」
「ははははははは」
本当によかった、と。言葉通りの安心したような笑顔を見せて。
ははははははは、と。舌の根も乾かないうちに、からかうような笑い声をあげて。
「君は面白いよ、津瀬現人くん。そんなだから、放っておけなくなる」
「……言ってる意味がわからない」
「そもそも、僕たちは顕現存在だ。
ヒトじゃあない。怪我をしようがしまいか━━もっといえば、そこに存在していようが、消えようが。
あるいは、生きていようが、死のうが。
君にとってはどうでもいいことじゃないかい?」
「っ━━そ、そうは言っても、志保をかばって大けがをしたんだろ!?
ニューニからも聞いてる。しばらく動けなかったくらいだって。
そのことを僕が心配するのはおかしなことなのか?」
「おかしいさ。
バイナックを━━顕現存在を1人、屠っている君が。そんな小さいなことを気にするのは、おかしなことさ」
「………………っ」
胸の奥にあったフェランティへの感謝が、急速にしぼんでいくのを現人は感じていた。
(なんだよ……)
せっかく感謝を告げのに。見返りに何かしてもいいと思ったのに。
(そんなに……おかしなことかよ)
ヒトと顕現存在の区別をしないことが。
(そんなにおかしなことかよ……!!)
顕現存在を1人、屠っていることが━━
つまり、ヒトと区別しないのであれば、殺人に等しい行為を犯していることが。
(顕現存在殺しは、やっぱりおかしなことなのか……)
15才の少年の右目の奥から、じわりと液状の何かが滲みそうになった、そのときだった。
「ちょーーーーーーーーーーーーーーっと、フェランティ?
いくらなんでも意地悪すぎじゃないですかぁ?」
やれやれとため息をつきながら、横やりを入れてきたのはニューニである。
右腕を伸ばして文字通り現人の肩を持つと、半眼で彼女はフェランティ・マーク・ワンを見る。
「ほーら、現人さんショック受けちゃってますよぉ?
あーあーやだやだ。どうしてイギリス人っていうのは回りくどいんだか。
『自分のことは気にしなくていい』って言うだけなのに、遠回りしすぎでしょう」
「ふふふ、それは失礼。
何しろ現人くんの理解が……あまり迅速ではなかったものでね」
「僕の……理解?」
くすりと笑うフェランティに、津瀬現人は首をひねる。
そして、答えを求めるようにニューニを見る。
「つまり、こういうことです。
現人さんはバイナックを殺━━消去しましたよね。
でも、それは殺人でもないし、犯罪行為でもありません。
なぜなら、ヒトと顕現存在は本質からして違うモノだからです。
ということは。
志保さんの怪我とフェランティの怪我は同列に扱えないわけです」
「あ……ああ……な、なるほ……ど?」
「まだわかっていないという顔だね。
つまり、僕には愉快だったのさ、現人くん。君がヒトと顕現存在を同列視していることが。
だから笑った。だからいじった。
君自身がきちんと考えながら、僕の言葉を受け止めてくれていたなら━━あるいは、厳しい指摘が飛んでくるかもしれないとわくわくしながら、ね。
ところがそうはならなかった。これはますますおかしいことさ。あははははは」
「そのう……す、すまないが、もっと単純化して言ってくれないか……」
「ヒトの怪我と顕現存在の怪我は同列に語れない。僕たち顕現存在の怪我は、放っておけば基本的に治る。
ヒトの殺人と顕現存在の消去もまた同じ。まして、敵対関係あったのならそれは正当な行為だ。
君は僕が怪我をしたことに負い目を感じる必要なんてないし、バイナックを滅ぼしたことについても同じさ……これで分かったかな?」
「わ、わかった……よくわかった……ありがとう」
「あはははははは」
ぺこりと頭を下げる現人がフェランティ・マーク・ワンはよほどおかしかったらしく、体を『く』の字に折りながら笑い転げる。
「現人さんは真面目ですからねー。
ついつい、いじりたくなるんですよー。うりうりー」
不満そうに眉をひそめていると、ニューニの拳がぐりぐりと頬に押し当てられる。
15才の少年はますますどんな顔をしていいのか分からなくなる。
(苦手だ……こいつら……)
よくわからないが、とにかく自分は反撃の余地がないほどやりこめられているらしい。
よくわからないが、言葉の対決をふっかけたとしてもこの2人にはカケラほどの勝機も見つけられないらしい。
理解に余る圧倒━━という15才の少年には厳しすぎる状況を強いられながら、現人にできるのはぐったりと肩を落とすことだけだった。
「さて、ウォーミングアップはこのくらいにして」
「……これでウォーミングアップ……」
「ははは、ここからは真面目な話だよ。
現人くんも知っていると思うけど━━ここのところ、世界中の金融市場で大混乱が起こっているね?」
まだいじられるのだろうか。そう早合点して落胆しかけた現人は、思わず息をのんだ。
(その話か……!!)
ニューニは察しがついていたのか、あるいは察しがついていたふりをしているだけなのか、うむうむと頷いている。
「混乱の原因とその影響は知っているかな?」
「その……友達に教えてもらって、うっすらと」
「そうか。それなら話が早い。
原因は金融市場の取引を司るコンピューターの不具合。簡単にいえば、ハードウェア障害が多発したことだ。
そして、その影響は……世界的にとてつもない富が失われたこと。
概算だけれど━━」
フェランティは事も無げに宇宙旅行の100回や1000回くらいはできるだろうという額を述べてみせた。
「聞いただけで、頭がクラクラする話だね……」
「そうかもしれないね。
もっとも、金融の世界で言う『富』なんてものは、ひとたび状況が上向くだけで、一桁も二桁も増えたり減ったりするものさ。
気にしないでくれていい」
「……今回ばかりはそういう上から目線の方が気楽だよ」
「あはは、今度はきちんと考えながら聞いているじゃないか。
そういうところは好きだよ、現人くん」
よほど楽しいのか。さもなくば、嬉しいのか。
ぱちぱちと手を叩きながら、フェランティ・マーク・ワンは言う。
「考えながら聞いている、ね……」
「そうさ。とても重要なことさ」
「あんまり慣れていなくてね。
わざわざ僕にそんな話をするってことは……世界的な金融市場の混乱は顕現存在のせいなんだな?」
「ご名答。ひょっとして最初から予想していたのかな?」
米国人なら口笛を吹きそうな声で、フェランティ・マーク・ワンは言った。
だが、現人は黙って首を振る。
(そもそも……顕現存在のせいだって考える以前の問題だ……)
現人にとって、金融市場の混乱など遠い空の向こう側の出来事だったのだ。
(どんな影響があるかなんて知らないし……億とか兆って言われても……)
その意味が。実感がまともにわかない。
それが15才の少年の感覚である。
ユニをはじめ、数々の歴史的な商用コンピューター、その顕現存在と出会った上で、なお現人の持てる感覚はその程度なのである。
「とにかく、放っておいちゃいけない事態が起こっていることはわかったよ」
「正しい認識だね。
そうさ。難しいことは分からなくてもいい。けれど、これは放っておいちゃいけないんだ。
善か悪か……正義かそうでないかは、正直、僕にもわからない。おそらく誰にもイエス・ノーとは言えないだろうと思う。
ただ、放っておいちゃいけない」
「……その口振りだと、何かしらの目的があって、行われているみたいだけど━━」
「そう、目的があるのですよ」
不意に、一声。
同時に夜空からひらりとビーバーハットが舞い降りてきた。
(紳士帽……?)
現人が眉をひそめると、ハットは縦に一回転する。
「どうもはじめまして、庶民の日本人」
そして、ずっと前からそこにいた時のような自然さで、闇の中から男子生徒の姿が現れた。
夜制の制服と、磨き上げられたブーツ。右手に持ったステッキ。
カツリ、と踵を鳴らしてその男は一礼してみせた。
「我が名はモーリス・ホイーラー・エドサック。
この南多磨高校で夜制『委員会』の副委員長を務めています。以後、お見知り置きを」




