第一話『秋の訪れ。夜の者達の訪れ』(4/4)
「それじゃあね~、ユニちゃん」
「またあした、シホ。今日もありがとう、シホ。
シホこそ、聖母。あしたのご飯もどうかよろしくお願いします」
「んも~、大げさなんだから」
食事の後かたづけを終えた頃には、時計の針は9時を回っている。
玄関ではマリア像をあがめるようにユニがひざまづいている。靴を履いた志保は呆れながら楽しそうに笑い、その隣には同じく靴を履いた現人が立っている。
「じゃあ、送ってくるから」
「ん」
そして、仕事に出かける両親を見送る、開校記念日の子供のような顔をして、世界で最初の商用コンピューターは淡々と手を振った。
(送ってくると言っても、すぐ隣なんだけどな……)
玄関を出て、道路に立って。
ドアがばたん、と閉まる音がして。耳を澄ますと、ユニがリビングに戻っていく足音が聞こえて。
「ね、ちょっと遠回りしてもいい?」
「ああ」
左に向かえば十数メートルで目的地。しかし、彼らは右へ向かった。
(距離が伸びるのは良くないんだけど……志保がそうしたいなら、まあいいか)
学校が終わって。志保が夕食を作りにきて。後かたづけが終わって。
これまでは、そもそも玄関で別れておしまいだった。
だが、志保が危険に晒されてから━━そう、たとえそれがもう終わった危険だとしても。
(……やっぱり、心配だから)
明らかな意図を持った危険に志保が晒されたその後から、現人はすぐ隣であるはずの初敷宅まで彼女を送るようにしていた。
ところが、なぜか最近は志保から遠回りして家に帰ることを提案されるようになったのである。
(……危険回避の意味がないな。
軽い夜の散歩みたいで、気持ちいいけど)
冬が来ればすぐ屋内に逃げ込みたくなるのかもしれないが、少なくとも10月の夜風はまだまだ快適といってよい。
「それにしても、遅くなっちゃったな」
「う、うん、そうだね」
「……なに緊張してるんだ?」
「へっ? き、緊張なんてしてないよ?」
なぜかぎこちない声の志保は、ある一点をちらちらと見ていた。
現人もその視線を追ってみると、暗がりで大学生らしき若いカップルが濃厚なキスをしている。
「………………あ~」
「うわーうわー……あんなふうにするんだ……わー」
「指のスキマから見るなら、顔を隠さなくていいだろ……」
両手で顔を覆っているようでいて、凝視オブ凝視を続けている志保に現人はすこし呆れつつも、ほんのりと紅潮している頬が気になった。
(……あったかそうだな)
ほとんど無意識で、手が伸びた。ぴとり。志保の頬に触れる。
「ふぇぇぇ!?」
すると、電撃で弾かれたように志保は飛び上がって、住宅街に響きわたるほどの大声を出してしまった。
「………………志保」
「あ、ご……ごめんなさい」
「い、いや、まだこの時間なら平気だろうけど。僕も急に驚かせてごめん」
周囲の家についている部屋の明かりを確認しながら、現人は手のひらに残る熱をしまい込むように、ポケットへ両手を突っ込んだ。
「それにしても良かったよ」
「えっ? き、キスの話?」
「……そっちじゃなくて。
診察の結果だよ。何か後遺症でも出たら、どうしようかって思っていたからさ」
「あはは、そんなのあるわけないじゃない。
頭ぶつけて気絶するなんて、きっと珍しくないだろうし、あたしはこんなに元気なんだから」
照れを隠すように視線を泳がせながら、志保はぷるぷると手を振る。
だが、現人が真剣な、あるいは深刻な顔をしていることに気づくと、不意にいたわるような微笑みを見せた。
「現人のせいじゃないよ」
「いや、僕のせいだ」
ふと、2人の傍らをクルマが通り過ぎた。車線側の現人は微動だにせず。歩道側の志保はそんな少年に見惚れるように、視線を動かせずにいた。
舞台をスポットライトが照らすように、少年と少女の横顔をクルマのヘッドライトがなでていく。
「………………そっか」
はじめに白旗を上げたのは、意外にも志保の方だった。
「現人は昔から、本気で何か言い出すと、すんごい頑なだもんね」
「後遺症がなかったから、怪我が治ったからそれで終わりなんて、僕は思っていない。その責任は取るつもりでいる」
「責任、って……」
「志保はずっと僕が守るから」
少年は、何か重大な決意を込めて、その言葉を紡いだわけではなかった。
(だって、当然だろう)
自分のせいで志保は怪我をした。死んでいてもおかしくなかった。
だったら、償うには。これから絶対にそんなことを繰り返さないようにするには、どうすればいいだろうか。
(……答えは一つだけだ)
津瀬現人が初敷志保を守るのだ。あらゆる手段を。知恵を尽くして、守り抜くのだ。
どこにいるときも。自宅でも。学校でも。こうして外を歩いている時も。
いつも。いつでも。いつまでも守るのだ。
(それが当然だ)
現人にとってその認識は、単なる論理的帰結であり、特別な感情を伴うものではなかった。
あるいは━━特別な感情を伴っていたとしても、結局は同じ『志保をいつまでも守る』という結論に至っていたはずだった。
「………………えへ」
志保は笑った。そして、現人は激しく動揺した。
「ど、どうしたんだよ、志保!?
なに泣いてるんだ……どこか痛むのか? 頭とか痛むのか!? 救急車呼ぼうか?」
「もう……そんなんじゃないわよ。ばか現人」
「ばか、って……」
「でも……世界一優しいあたしの現人」
ぽろぽろと涙をこぼしながら、志保はポケットに突っ込まれていた現人の右手を引きずりだすと、自分の頬に押し当てた。
「幸せな女の子だなあ、あたし……こんなに幸せでいいのかな……」
住宅街をぐるりと一周。およそ10分。
自分の家の前にたどり着いたその時になっても、志保は目元を赤くしたままだった。
~~~~~~UNIVAK the zuper computer~~~~~~
「ただいまー」
「お帰りなさい、ウツヒト。……今日もちょっと遅かった」
「ああ……い、いや、そうだっけか」
津瀬宅の玄関をくぐると、ほんのわずかに━━そう、同じ屋根の下で暮らしていなければ分からないほどわずかに、不満げな顔をしたユニが出迎えた。
ほんの数分のつもりだったが、時計の針は30分近く進んでいる。
ユニからすれば、何かトラブルでもあったのかと心配するほどの時間かもしれない。
「その、さ」
「………………」
困ったように頭をかいた現人を、ユニは責めるような目で見ていた。
「悪かったって。そんな目、しないでくれ。
志保と散歩していた。ちょっと遠回りして」
「……ん。本当のこと言ってくれたなら、いい」
しかし、少年が降参の旗を上げて白状すると、ようやく彼女は微笑んだ。
許された━━ほっと胸をなで下ろした現人だったが、ユニはリビングへ向かうと見せかけて、くるりと振り向きながら訊ねる。
「ウツヒト。
もし、言い訳するとしたら、なんて言おうとしていたの?」
「……それはどんな嘘をユニにつこうとしていたか、ってことか?」
「まあ、そうなるかも」
「ユニでもそういう意地悪するんだな」
「私も自分で珍しいって思う。ウツヒトに長く待たされたからかもしれない」
「そう……だな」
事実を包み隠さず白状した直後に、今度はどんな嘘をつこうとしていたか、さらに突っ込んで白状させられることになるとは。
(まあ、悪いのは僕だよな……)
何か罪悪感のような思いが津瀬現人の胸をちくりと刺す。
事実を白状した? 本当に白状したのだろうか。
ただ、志保と散歩していた。そう言っただけで、白状していることになるのだろうか。
「ふう」
「ウツヒト? 気が重いのなら言わなくていい」
「いや、そういうわけじゃないよ。そうだな、嘘をつくとしたらこんな嘘かな。
『志保のやつを送っていったら、おじさんとおばさんに捕まった』って」
「おじさんとおばさん?」
「志保の両親だよ。
僕が顔出すといっつも家の中に引っ張り込まれて、大変なんだ……」
そういえば、しばらく志保の両親と会っていないな、などと引き合いに出してから現人は気づく。
(ユニのことも一応紹介した方がいいのかな……?)
意外そうな表情でこちらを眺めているユニ。その美少女にもほどがある顔を見返しながら、現人は考える。
「まあ、志保のやつがいろいろ話しているよな……」
「ウツヒト。どうしてそんな重要なことを黙っていたの」
「え?」
「お隣さんとのおつきあいは大切。とても大切」
「……また京のやつに変なこと吹き込まれたのか?」
「そんなことはない。これはアメリカでも共通。
私は志保のご両親に挨拶がしたい。なので、ウツヒトには私を紹介してくれることを求めたい」
なぜか偉そうに小さな胸を張るユニ。ふ、と口元から笑みをこぼしながら、津瀬現人はうなずいた。
「わかった。今度の休日にでも」
「うん」
そして、満足げにユニもまた、うなずいて。
「私にとって、ウツヒトもシホも、とても大切な人」
「ユニ……?」
「だから」
そう言いながら、ユニは現人の右手を優しく掴んだ。
「だから……私だけカヤの外にはしないでほしい。
私も、ウツヒトとシホの隣にいさせてほしい」
「ユニ……」
そして、彼女は少年の手を自分の頬まで持ち上げて。
「大切な人……」
「………………」
いつくしむように。いとおしむように。
そっと、押し当てた。体温を伝えてきた。
それはまったく偶然の一致だったし、少年もまた、何の疑いを抱くこともなかった。
~~~~~~UNIVAK the zuper computer~~~~~~
「なんとまあ、腐れているものです」
その日その時その夜。
つまり、津瀬現人が自宅に戻り、ユニバック・ワンと会話を交わしている頃。初敷志保が自分の両親に今日どんなことがあったか、話している頃。
さらにいえば、ユニバック・ⅡとIβM 704が世界で最初の商用コンピューターの写真を眺めて、惚けている頃。
System/360がくまさんパジャマに着替えて、そろそろ寝ようかと思っている頃。
南多磨高校の一室では、夜制に所属する1人の生徒がディスプレイを前にして、嘆きの声を漏らしていた。
「24時間眠らないのが21世紀のデフォルトとは聞いていましたが、想像以上ですね」
生徒会室で弥勒零にモーリス・ホイーラー・エドサックと呼ばれた紳士気取りの男は、皮肉げに口の端をゆがめながら、無数のチャートがうごめく相場情報の画面を見つめている。
それ自体は大したものではない。
数世紀前から行われていることを視覚化したあまりにも陳腐な━━しかし、2085年の現在もなおきわめて重要な、各国の株式や為替の情報に過ぎない。
「この眠らない動きの先に……眠らずに働くことを強いられている人々がいる……翻弄されている人々がいる……というわけです」
が、生徒が見ているのは情報の『先』である。
たとえば今、ドルが円に対して強くなっている。そのとき、何が起こるか。
輸出業者は総じて喜び、輸入業者は顔を曇らせるだろう。それは時として、驚喜や絶望にもなる。
しかし、彼の知っている時代。
その変化はせいぜい一日か半日ごとにもたらされるものだった。
朝の新聞で。昼のラジオで。夕のニュース映像で。
そこには絶対的な時間の間隔があり、人の営みに合わせられていた。
「ところが今や24時間365日。ほんのひとときとして、ヒトの心が安まることはない」
相場は眠らない。
たとえ土曜日の朝、日曜日の深夜であろうと、どこかで何かが動き続けているからだ。
ヒトは眠れない。
たとえ睡眠中、食事中であろうと、容赦なくチャートの針は資産を、命を刈り取るからだ。
(……こんな世界にするために、あなたのアイディアは生まれたわけではない)
ディスプレイの電源を落とし、彼は立ち上がる。
この時間ともなると、夜制の生徒もほとんど残ってはいない。
日付が変わる頃には、校舎自体が閉鎖され、やがて来る朝に昼制の生徒を迎え入れることになる。
そう……昼夜を通じて生徒が学ぶ、この南多磨高校ですら深夜は眠りにつくのだ。
「━━そうでしょう、フォン・ノイマン」
使命というプログラムを内蔵した彼は、ある決意を胸にいずこかへ向かった。
そして、翌朝。
世界は一大ニュースに震撼することとなる。




