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超電脳のユニバック  作者: @IngaSakimori
第三章『世界で最初、と呼ばれなかった者たち』
34/62

第五話『ユニバック vs バイナック』(6/6)

 ━━この宇宙は、一台の巨大なコンピューターによって造られている。


 宇宙のあらゆる事象は本質的に『情報』として記述可能であり、すべてはコンピューターのシミュレーションによって計算された結果に過ぎない。


 むろん、それは一つの仮定に過ぎない。推論に過ぎない。科学的に証明されたわけでもない。


 ━━だが、2085年現在、それを否定する証拠もない。


(そんなこの宇宙をこの眼で『視る』ならば!!)


 右眼の単眼鏡モノクルを外した津瀬現人の視界には、ヒトの眼球が通常捉えることのできる光学的視界、つまり当たり前の色彩空間にオーバーレイして、莫大な数字の洪水が表示されている。


 たとえるならば、数字を記した透明な紙が貼り付けられている━━わけではない。


 それは二次元的な深度と階層を持った莫大な情報の渦である。

 ヒトが眼球を通して得られる本来の情報とはまったく異質なデータであり、通常のヒトが持つ視覚ではそもそもアクセスかることができない、世界の本質でもある。


(けれど、これはあくまで情報に過ぎないんだ……)


 1であり、0である。だが、1011であり、1101101であったりもする。

 時には0と1だけで表現される2進数ではなく、ごく普通の10進数、つまり0から9の表示であったり、16進数、すなわち0123456789ABCDEFでもある。


(バイナックは……2進数のコンピューターか!)


 そして、今の津瀬現人にバイナックの姿は無数の0と1として捉えられていた。

 その0と1を単に数字として受け取るならば、無意味であり、到底理解が追いつかない、難解極まるコンピューターとして見えるだろう。


「……そうか」


 だが、今の津瀬現人には見える。

 ()えるし、()ることもできる。


「お前って、結構単純なコンピューターなんだな」

「!?」


 そして、決して理解できない存在でもなかった。


「アタシが……単純だと!?」

「ああ、そうだ。だって、僕なんかにでも理解できるんだからな」


 歯ぎしりと共に殺意を剥き出しにするバイナックを、現人は平然と見据えた。


 バイナックが内蔵する2系統の計算回路━━つまり、A-CPUとB-CPUが同じ計算処理を行い、それぞれを比較しあっているのが分かる。

 お下げの少女の姿を纏おうとも、怒りの感情を表皮(スキン)に装おうとも、津瀬現人の右眼からは逃れられない。


 すなわち、『計算する(Rechnender)宇宙(Raum)』からは。

 そう、『計算す(Calculati)(ng)宇宙(Space)』からは、隠し通すことなどできない。


弥勒零みろくれい……System/360の時とは違う)


 現人は直視しないように気をつけながら、ちらりと視線を後方へ走らせた。『アーキテクチャの大剣』を手に持つ、ポニーテールの美女がこちらを見ていた。


 偉大なる青、IβMのメインフレーム、その頂点であるSystem/360。

 これほどの顕現存在セオファナイズドともなれば、その設計や処理、何より存在の内包する歴史はあまりにも複雑で莫大であり、現人の理解など到底およばない。


 かつて直接警告された通り、そんな相手を直接見たならば、現人の脳は焼き切れてしまうだろう。


(でも━━バイナックならいける)


 口元に笑みが浮かぶ。

 考えてみれば、当たり前のことだ。現人はユニをこの右眼で視たことがあるのだから。


 その裸体を。内部を。存在し、動作する全ての本質までを見通したことがあるのだから。

 確かにはっきりと理解するには至らなかった。けれど、頭が破裂するということもなかったのだ。


 なぜなら、ユニバック・ワンは初期の商用コンピューターであり、その動作原理も演算回路も、人間の手で十分に設計・構築可能なレベルである。

 まして、バイナックはさらに単純なコンピューターなのである。


(たぶん……彼も)


 そう、後方で倒れているフェランティ・マーク・ワンをも。

 今の現人は理解することができるだろう。


 ほんの一ヶ月も前なら恐らく無理だったかもしれない。

 けれど、彼は1人の高校生として『コンピューティング史』の授業で、そして1人の少年として独学で、何よりユニと共に暮らす1人の家族として、少しずつだが知識を得た。


 教えられた。考えた。そして、ただの知識は知恵へと辿り着いた。


「………………はははっ」


 津瀬現人はバイナックを前にして、なんともさわやかに笑った。


 嘲笑ではない。明るく、知的な喜びに満ちあふれた笑顔だった。

 ささやかではあるが、自らの経験が、努力が実を結んで、これまで理解できなかったものを、今は理解できている━━その新鮮な歓喜が全身を駆け巡っていた。


「何を笑ってるんだ……アタシの前で! 今から殺される奴が、なぜ笑ってるんだ!」

「そりゃあ……お前なんかに、負ける気がしないからだよ」

「っ!! クソガキがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 バイナックの手に水銀遅延マーキュリー・ディレイ・線記憶装置ライン・レジスターが顕現した。

 ただのヒトを全力で打ち据えたなら、殺傷の鈍器としてではなく、この宇宙から情報としての消去を━━つまり、ヒトとしての死ではなく、存在の抹消すらも可能な恐るべき武装である。


「死ね!! 消去()ね!! この宇宙から削除されちまえぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」


 バイナックが跳ぶ。巨大な水銀遅延マーキュリー・ディレイ・線記憶装置ライン・レジスターが頭上から襲いかかる。


「ウツ、ヒ……ト……」

「大丈夫」


 息絶える寸前の羽虫が鳴くような声で、ユニが唇を震わせた。


 津瀬現人はそんな彼女を見た。

 後悔と自責に打ちのめされ、傷つけられ、立ち上がることも出来ないでいるユニを見た。


 ほんのミリセコンド秒の後には、己の存在を抹消する水銀遅延マーキュリー・ディレイ・線記憶装置ライン・レジスターが降ってくるというのに、15才の少年は平然とよそ見(・・・)をしていた。


「死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」

「━━━━━━」

「……な!!」


 だが、現人には何の打撃も加えられることはなかった。


「なん……なんだ! なんだこれは!?」

「お前の中でも、通じる言葉(・・)だ」


 バイナックの水銀遅延マーキュリー・ディレイ・線記憶装置ライン・レジスターが、津瀬現人の右手に触れた瞬間、ある言語が流し込まれていた。


 水銀遅延マーキュリー・ディレイ・線記憶装置ライン・レジスターとは、コンピューターの主記憶装置である。

 ユニバック・ワンにせよ、バイナックにせよ、ここから命令を━━いわゆるプログラムを取り込み、実行する。


 加算を。減算を。乗算を。除算を。

 ありとあらゆる処理は、主記憶装置から読み込んで実行される。


 コンピューターのCPUとは、究極的に言えば、主記憶装置(メイン・メモリ)との間で、プログラムとデータをやりとりしながら、一定パターンの計算を続けるだけの装置でしかない。


(……だから、こいつはてきめんに効く)


 現人が口にしたのは。

 バイナックの水銀遅延マーキュリー・ディレイ・線記憶装置ライン・レジスター━━すなわち主記憶装置(メイン・メモリ)へ、直接流し込んだのは、原初のコンピューター言語である。


 その名はShort Code。ユニバック・ショート・コード。


「バイナックとユニバックシリーズ。

 その処理に使われる、ユニバック・ショート・コードを使った」

「………………!!」


 それはひどくシンプルで、基礎とすら言えない処理の停止命令だった。


「な、な……なな……な!!」


 だが、顕現存在セオファナイズドであるバイナックに対する効果は劇的である。

 彼女が言うところの生意気なクソガキ(・・・・・・・・)をぶち殺すはずの武装が、水銀遅延マーキュリー・ディレイ・線記憶装置ライン・レジスターが。


「……バカな! こんなバカな!!」


 あっさりと消え失せていたのである。

 その両手に握られていた、巨大な円筒形の顕現武装は、跡形もなく消滅している。


 それどころか、彼女の手━━何本かの指先すらも、とてつもなく強烈な酸にでも浸されたように、溶けて無くなっているではないか。


「もうやめろ。そして、ユニに謝れ。お前は僕に勝てない」

「ふざけろっ! お前なんかにこのアタシが!!」

「ムダだ」


 次にバイナックが顕現させたのは、真空管のチューブであった。

 弾丸のように、現人へ向けて撃ちだそうとした瞬間、真空管は爆裂した。バイナックはその勢いで吹き飛ぶ。


「そのくらいなら、直接ショート・コードを流し込む必要もない」

「バカな……アタシが……アタシがただのヒトなんかに……こんなクソガキに……!!」

「僕は確かにただの高校生だけど」


 不気味なほど落ち着いた現人の足音が、南多磨高校の体育館に響き渡った。

 バイナックは何本もの指を失い、そして真空管が破裂した際に、足にもかなりのダメージを負っているようだった。


「バカな!!」

「もうお前は、そんなただの高校生からも逃げられないんだ」

「……こんな、バカな……!!」


 戦場で地雷を踏んでしまった歩兵のように、バイナックは床を這いずって、逃げ延びようとする。

 津瀬現人はそんな彼女にトドメを刺すべく、一歩一歩近づいていく。


 その周囲には無数の何か━━小さな装置が浮かび上がっていた。

 電子部品に詳しい者であれば、それがリレーと呼ばれる部品の集合体であることに気づいただろう。


 ユニが驚愕に目を見ひらき、古毛仁直こもになおし弥勒零みろくれいが絶句している。

 だが、当の現人自身は自分の周囲に顕れたものに、気づいた様子がない。


「うっ……バカな……!!」

「………………」

「うぐっ……ひぐ……バカな! バカなバカなバカな! こんなことがあってたまるか!!

 アタシはなんだったんだ! 名誉もなく! 栄光も奪われ!……ぐすっ、歴史に忘れられ!!

 復讐すらも果たせない! ユニバック・ワンをあと一歩で殺せたのに! こんな奴に! やられるなんて!!

 そんな……うぐっ……ひっく……そんな無惨な終わりがあってたまるか!!」

「当然の━━報いだろ」


 這いずり泣きじゃくるバイナックの襟首を掴むと、現人は子供を持ち上げるように、その体を吊り上げた。


「汚い手ばかり……使いやがって!」

「うるさいっ! アタシは……アタシはっ、強くない! ユニバック・ワンと正面からは戦えない! 正当なやり方だ!」

「ふざけるな! だったらなんで志保を巻き込んだ!」

「かっ!! こんな時代のヒトが1人や2人、死のうが生きようが知ったことか!!」

「っ━━そういうお前だから!」


 津瀬現人の頬には、バイナックの吐きかけた唾が付着している。


「僕みたいな奴にも……躊躇なく手を下せるんだよ!」


 そして、現人は完全なデリート命令を。

 顕現存在セオファナイズドとして、バイナックを抹消する命令を濃密に流し込んだ。


「ぎゃあああああああああああああああ! あぐっ……が、は! ぐぎゃああああああああああああああああああ!!」

「……もう二度と目覚めるな、バイナック」

「あぎ……ひっ! ぐはがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ! ああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 火刑に処される魔女が苦悶し、叫ぶように。


「くそっ! くそっくそっくそっくそぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!

 アタシはぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ! ぐあぁぁぁぁぁぁぁぁっ! アタシこそはぁぁぁぁぁぁぁぁっ! 世界で、最初の……商用……ぎゃああああああああああ!!

 あっ……ぁぁ……ぁぁ!……ぁ、ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」


 バイナックはその存在が消え去るまで、己の信じる真実を叫び続けていた。

 そして、最期には灰の1つも残らず消え失せる。


「……何が、世界で最初だよ」


 現人が吐き捨てたその時、彼の背後でリレー装置の1つが、カチリと音を立てた。


「……Zuse(ツーゼ)……」


 傷の痛みに顔をゆがめながら、背後でフェランティ・マーク・ワンが呟いた。

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