第五話『ユニバック vs バイナック』(2/6)
「お前さえ!! お前さえ、いなければぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
水銀遅延線記憶装置。
原初の一次記憶装置装置にして、対抗馬であるウィリアムズ管に対して、優れた安定性を誇った黎明期のコンピューターにおける傑作である。
だが、その外見は壮大というよりは、禍々しいといった方が良いレベルだった。太く長い樽に無数のチューブが突き刺さり、電気配線がのたくっている。
トゲのついたドラム。あるいは釘を打ったバット。
そんな代物を━━小さな、と称して良い背丈しかないお下げの少女が。
すなわち、バイナックが憎しみをこめて振りかぶるのだから、その『絵』は凄惨な残虐さを連想させるものだった。
「私がいなかったとしても、あなたが失敗作であることに変わりはない!」
キン、と小気味の良い音が響いた。
その音は、バイナックが発した憎悪の発露に対して、ユニが淡々と返した言葉の冷たさにも似ている。
バイナックが全力で打ち下ろした水銀遅延線記憶装置。
巨大な釘バットにも似たその一撃を、ユニは同じ水銀遅延線記憶装置で、平然と受け止めていた。
「……軽い。それに弱い」
「なにを!」
「あなたは失敗作で欠陥品であるだけでなく、根本的な能力が私に劣っている!」
つばぜり合い。
剣と剣と撃ち合い、押し合う闘士のように『世界で最初の商用コンピューター』2人がそれぞれに水銀遅延線記憶装置を握りしめて、にらみ合っている。
「そんなことはない! アタシがお前に劣る点などあるものか!」
片や、赤く黒い憎悪の視線。
お前こそがすべての元凶であると。お前を抹殺して自らは栄光を得るのだと。破壊の色で睨み付けるバイナックの視線。
「いいえ、あなたは間違っている。あなたは全面的に私に劣る」
片や、白く青い冷憫の視線。
軸の外れた憎しみに染まった、縁戚の愚行を見つめる本家の目。憫れみつつも、しかし救済を諦めた冷たい視線。
「だったら、これを受けてみろ……ユニバック!!」
「ん━━」
軽やかに一飛びして、それなりに広大と言える南多磨高校体育館の壇上に立ったバイナックは、まるでライフル銃を構えるように水銀遅延線記憶装置の先端をユニへ向けた。
「いったい何を……」
その意図を計りかねるように、眉をひそめるユニ。
狙い通り、とばかりにバイナックは口元を獰猛に笑わせた。
「a!!」
吠える。叫ぶ。
しかし、それは彼女の口から発せられたものではなかった。
バイナックの構える水銀遅延線記憶装置。
その水銀が満たされたチューブのうち一本が瞬時に砕け、外界へ向かって放出された強烈な超音波が、aという音で聞こえただけなのだ。
「………………っ!!」
空気がきしむ。全てが震える。
音速で、すなわち海面高度に近いこの体育館内では、秒速340メートルでユニの耳を震わせた超音波は、爆風のような圧力として作用する。
(なんて音だ!!)
思わず現人も両耳を覆っていた。隣にいるIβM 704とSystem/360も同じである。
多少、距離を取っているとはいえ、その圧力は凄まじい。窓ガラスもビリビリと震えているように見える。
「やってくれるな……バイナック!!」
顔をしかめながら古毛仁直が呟く声が聞こえる。弥勒零が同意してうなずくのが見える。
「水銀遅延線記憶装置の記憶原理は、チューブ内に満たされた水銀へ超音波を発信し、循環させ続けること……!」
「その通りだ、イトコ殿。それを外部へ解放することで、このような攻撃手段になるとは!」
バイナックの水銀遅延線記憶装置から放たれているのは、超音波である。
鼓膜に直接聞こえる『音』あるいは『声』ではない。
しかし、音とはすなわちエネルギーそのものである。
水中を伝う超音波がメガネの洗浄に使えるように、極大化して大気中へ放てば、物体に対して作用するのに十分なエネルギー量となる。
(一種の音波兵器ってことか……!!)
津瀬現人の胸中に不安が生まれる。
図らずもこの現象を解説してくれた、偉大なる青のメインフレーム達など見ている場合ではないと焦る。
(こんなものを正面から受けたら……)
その危惧は、しかし全くの杞憂だった。
「な」
「賢しい」
あんぐりとバイナックが口を開けていた。ユニはその眼前にいた。
耳を押さえることもない。表情を歪ませることもない。
今もなお、膨大なエネルギー量を持った超音波を発し続けるバイナックの水銀遅延線記憶装置を前にして、世界で最初の商用コンピューター、その1は処刑人が罪人を見下ろすように、傲然と立っていた。
「ああ━━━━━━━━!!」
「がふっ!?」
お下げの少女、すなわちバイナックの胴回りほどもある、ユニの水銀遅延線記憶装置が鈍い音を立ててめり込む。
直撃である。思わず現人は目を背けたほどだった。
「ぐっ……ぶ……は! はあっ……は、はああ……!!」
大馬に蹴り飛ばされた子猫のように吹き飛ぶバイナック。
「が! くはっ……はあ……あ!」
荒く息をつきながら、水銀遅延線記憶装置を杖代わりにして立ち上がろうとする。
「あがっ……が、ががが! がぁ……」
膝ががくがくと震える。舌が出る。涎と汗がぽたぽたと落ちる。
体が思うように動かない。驚愕と恐怖を胸に、視線を巡らせると悠然とこちらへ歩いてくるユニバック・ワンの姿が見える。
「っ、つ……な、め……なめやがって……なめやがって……!!」
「バイナック。あなたでは決して私にかなわない」
「そんなことがあるものか!!」
気力を振り絞って、バイナックは体を起こした。
ぷらん、とお下げが垂れ、死刑執行時計の振り子にも似た速度で左右に振れはじめた。
「アタシが……アタシがお前に負けるはずがない!!」
「何を根拠にそう言うの?」
「アタシの設計は優れていた! お前にも無い特徴があった!
それは時代に先駆けていたものだ! 後世のコンピューターがようやく追いついた発想だった! 機構だった!
ただの……ただの真空管式シングルコンピューターに過ぎないお前なんかに、アタシが劣るはずないんだ!!」
「そう━━それがあなたの心の拠り所なの」
刹那、ユニはぞっとするほど冷たい目でバイナックを見た。
(………………っ!!)
今、僅かでも気を抜いたなら。
おそらくバイナックは立っていられないだろう。足腰から力が抜け、ぺたんと尻から座り込んでしまうだろう。
(な、なんて……なんて圧力だ……ユニバック……!!)
それほどにバイナックは、ユニバック・ワンの一撃でダメージを受けていた。
そして、彼女が抹殺の確かな意志を持って、見つめる視線に恐れを抱いていた。
「その拠り所を打ち砕いたら、あなたは素直に打ち倒されてくれる?」
「………………ッ!!」
お下げの少女がそうしたように、ユニは水銀遅延線記憶装置をバイナックへ向けた。
というよりも、突きつけた。
それは遠い昔の一次記憶装置であるが、今のバイナックにとっては処刑刀にも等しい武器だった。
(恐ろしい……!!)
まず、彼女はそう思った。
あれほど胸の中に燃えていた敵意と憎悪と殺意が萎えてしまいそうになる。逃げ出したい。あらゆる条件を上書きする分岐命令がそう思わせる。
(いや、違う……!!)
しかし、と割り込み処理が発生する。
まだ自分はすべての手札を切っていない。それなのにユニバック・ワンは負けないと信じ込んでいる。自らが優れていると慢心している。
(叩きつけろ……!!)
そこにつけ込むべきだ。彼女はそう判断した。
これほどに基本的な戦闘能力に差があるとは予想外だったが、それでもまだバイナックの戦いは終わっていないのだ。
バイナックはどんな手段を使ってでも、ユニバック・ワンを殺すつもりでいる。殺すつもりでここにいる。
━━それだけの準備はしてあるのだ。
「だったら、見てみろよ!!」
「!」
その瞬間、ユニがたたえる超越の色をした瞳が、警戒に揺らいだ。
(幻覚……?)
世界で最初の商用コンピューターは疑う。自らの見ているものが真実ではないのでは、と。
そして、あらゆる処理を尽くして計算し、確認し、判断する。幻覚ではない。目の前にあるものは真実、確かなものである、と。
「これは……分身?」
「「違うね!!」」
体育館の入り口からやや離れた階段をのぼり、2階の回廊で観戦する偉大なる青のメインフレームたちが驚愕に目を見開いているのが見える。
「ユニ!!」
不安そうに。そして、心配そうに叫ぶ少年の姿が見える。彼もまた驚いている。
しかし、それ以上にその表情はユニの身を案じている。
(嬉しい……)
ユニの胸に暖かいものが生まれる。
現人が自分を思ってくれている。その事実だけで、どんな脅威にも立ち向かうことができるように思う。
「もともと私にかなわないあなたが、二人になったところで結果は同じこと」
ユニの瞳に怜悧な落ち着きが戻った。
目の前にあるものは、慌てるに値しない。淡々と処し、叩き潰すだけだというように、右手で軽々と構えた水銀遅延線記憶装置を、彼女はバイナック達へと向けた。
「「二人じゃあない! これは二重化だ!」」
━━だが、バイナック達もまた動揺することはなかった。
「「このバイナックこそが、コンピューティング史上初めて実現した、二重化処理の顕現だ!!」」
そう、そこにはバイナック達がいた。
ユニと同じく世界で最初の商用コンピューターを名乗るお下げの少女。
その顕現存在が、一人から二人になっていたのである。




