第二話『姉(自称)が来たりて家族を抱く』(3/4)
「おかえりなさ~~~~~~~~~~~~い!!
うーくん! しーちゃん! あなたたちのお姉ちゃんですよ~!!」
「わっ……ち、ちょっと安澄姉!?」
「あ、安澄お姉ちゃん!?」
そこにいるのは空き巣か、強盗か。なぜか鍵が開いていた津瀬宅の玄関ドア。
1人だけ逃げだそうとする京が行動を起こす前に、そうはさせじと現人がノブを引くと、中からは甘い声と共に、笑顔の女性が飛び出してきた。
「ぎゅ! ほら、もっとぎゅ~するわよ、2人とも!
きゃ~っ! 前よりちゃんと成長してるわね! 久しぶりね~!!」
「あ、安澄姉……いきなり過ぎるよ」
右腕に現人を。左腕に志保を。ぬいぐるみを抱える時の強さで抱きしめると、『あんす』と呼ばれたその女性は幸せそうに瞳をキラキラ輝かせる。
(でも、この髪の匂い……確かに安澄姉だ)
現人は懐かしいものを胸の奥に感じながら、ようやく自宅の鍵が開いていたわけを理解していた。
そして、なぜ京が1人だけ逃げだそうとしていたか、その理由も。
「しーちゃんも背、伸びたよね? おっぱいも大きくなったでしょ!?」
「にゃっ……あっ、安澄お姉ちゃん、こんなところで触っちゃダメ~!」
「なーに言ってるの、お姉ちゃんとあなた達の間で隠すことなんてないじゃない!
プールに行ってたんでしょ? 体あらった? プールの水は塩素が強いから、後でいっしょにお風呂はいりましょ!」
安澄は志保の胸に実った果実のサイズを、むにむにと両手で確かめつつ。
「うふふ……みんなでお風呂~……久しぶりだなあ……うーくんも当然入るのよ?
って、あら?」
これからのことを何か妄想したのか、うっとりと瞳を閉じようとして、ようやく現人達の後ろに立つ少女に気がついた。
「あなたは……」
「あ……は、はじめまして。私の━━」
「まあまあまあ!!」
ぺこり、と頭を下げるユニが自己紹介の言葉をつむぎ始める前に、彼女はとてとてと駆け寄ると、その体を抱きしめる。
「えっと、私の名前は……あの」
「あなたがユニちゃんね~!! 聞いてるわよ、うーくんと一緒に暮らしてるって!
きゃ~、すごーい綺麗な髪! 肌もまっしろ! フィギュアみたい!! うらやましー!!」
「……褒めてくれてどうも。
あの、私の名前はエッカート・モークリー・ユニ。ウツヒトの家に住ませてもらっている」
「うんうん、ユニちゃん! はじめまして~!
会えて嬉しいわ!!」
ユニを抱きしめ、髪の匂いを堪能し、そして子犬をあやすようにすりすりと頬ずりした安澄は、一歩距離を取るとゆるりふんわりと一礼した。
「私は安澄よ。
うーくんとしーちゃん……んっ、現人くんと志保ちゃんのお姉ちゃん! みたいなもの!
だから、ユニちゃんも私の妹! みたいなもの! よ!」
「……それはどうも、アンス。
でも、私には妹がいて。申し訳ないけど、姉はいない」
「じゃあ、今日できたのね!」
「えっ、いやあの、それは」
あまりに当然の顔で姉であることを宣言する安澄を前に、ユニは動揺を隠さず、助けを求める視線で現人と志保を見た。
(無理無理……)
言い出したら聞かないから。そうとでも言うように、現人が右手を横に振っているのを見て、ユニは諦めたように肩を落とす。
「……よくわからないけれど、今後ともよろしく」
「よろしくね~、ユニちゃん! とりあえず中に入って! あとで一緒にお風呂入りましょう!
いろいろ聞かせてもらいたいし、あ! もちろんご飯も作ってあるわよ~!
今夜はねえ、うーくんとしーちゃんも大好きな━━」
「あ~……その」
「ん?」
現人と志保は自称・姉との再会を受け入れ。
ユニは強引ながらいきなり妹にされてしまったことを渋々了解し。
そんな状況で京がひどく居心地わるそうに声をかけると、安澄は突然、目を凶悪な形に細めた。
「ああ、愚弟。そこにいたの。
で……姉の出迎えもしなかった、最低最悪のクソ弟が何か言うことでも?」
「い、いえっ、我が姉上殿におかれてはご機嫌うるわ」
「麗しいわけない。今日、八王子に帰ってくるって言ったよね?
それなのに我が家からエスケープしてるってどういうこと?」
「そっ、それは……」
恐怖。
がたがたと震え出す京が感じているのは、紛れもなくそれだった。
「あとでたっぷり絞るから」
「は、はい……」
「さささっ! うーくん、しーちゃん、ユニちゃん! 入って入って!
ご飯にしましょうね~!」
「ううう……」
青い顔でさめざめと涙を流す京を横目でながめながら、現人は心の中で合掌した。
~~~~~~UNIVAK the zuper computer~~~~~~
「へえ~、そうなんだ! 『東京サンランド』に行ってたのね!
なつかしいなあ、私も行きたかったなあ~!!」
「あはは……僕たちは安澄姉が来るって知らなかったからさ」
「そっかーそっかー、うーくん達は知らなかったんだ~。
だったらしょうがないよねー!
誰かさんが黙っていたから……知らなかったんだもんね~!!」
ほんのり焦げたぱりぱりの皮がおいしい焼き魚。
隣の煮付けは志保が冷蔵庫にストックしていたものだが、食卓にはほかほかご飯と並んで、安澄が土産に買ってきた漬け物も並んでいる。
冷房が効かない室内も、少しは夕暮れになって気温が下がったのだろうか。
汗が噴き出てくるといった環境ではなく、冷たい麦茶を流し込むだけで十分しのげるように思えた。
(あ、なんかこれ懐かしいな……)
不意に津瀬現人の胸へ吹き込んだ風は、懐旧の匂いがした。
いつだろう。こんな光景があったような気がする。
あるいは、さっぱり日本へ戻ってこない両親がこの家にいた頃は、こんな食卓だっただろうか。
「はああっ……それにしても二人ともこんなに大きくなって……お姉ちゃんは嬉しいわっ」
「まあ、一年以上会ってないからね」
「安澄お姉ちゃんの仕事場遠いもんねー」
「本当は毎週にでも帰ってきたいんだけど、なかなか忙しくて……」
「青森のスーパーコンピューターセンター。
そんなところに勤めているなんて、アンスはなかなかエリート」
「あらあら、そうでもないのよ~ユニちゃん! でも、もっと褒めてくれてもいいのよ!」
ころころとさくらんぼが転がるような笑顔で、ユニの頭を撫でる安澄。
初対面の相手に対するスキンシップとしては、過剰もいいところだったが、特に嫌がる様子もなくユニが受け入れているのは、現人にとっても意外だった。
(ユニはわりと人見知りするタイプ……だと思うんだけどな)
もちろん正確には違う。
彼女はあくまで世界で最初の商用コンピューター、ユニバック・ワンの顕現存在であり、根本的にヒトではない。
ヒトならざる彼女は、基本的にヒトには認識できない。
ユニが志保や京……ひいては現人のクラスメイトや隣すがりの誰かにも認識されているのは、現人と魂の次元でリンクしているからである。
本来であれば安澄もまた、ユニがそこにいると認識できないはずなのだ。
(そう、だからこそ)
ユニはあまりヒトに興味がない。
自分に本来、関わりの無かったであろう存在には興味がない。
クラスメイトとも積極的に交流をとっているわけでもなければ、交友関係を広げようという意識は微塵もみられない。
(それが人見知りに見えるんだ)
ユニが持つヒトに対する興味は、すべて津瀬現人という少年を第一中継点としている。
現人の親友だからこそ、志保や京には親近感を覚えるし、おそらく安澄に対してもそうなのだろう。
(大丈夫……だよな)
そんな現状に危惧を覚えないわけではない。
ユニはもっと他人に興味を持った方がいいのではないかと、おせっかいな心配が生まれないわけではない。
しかし、他人に興味が薄いのは現人自身もそうなのだ。
ユニが津瀬現人というヒトの魂とリンクし、強く影響されているというなら、彼女の人見知りは他ならぬ自分のせいではないか。
(……だから)
将来的には、ユニも変わるかもしれないと思う。
将来的には、自分も変われるかもしれないと思う。
「……はは」
そんなことを思うと、不思議と微笑みがこぼれた。
「えへへ」
そして、そんな現人を見て志保も笑っている。
彼女は現人の心を読んだわけではない。
だが、きっと暖かいことを考えているんだろうな、と分かる程度には、現人の表情を知り尽くしていたし、大好きな安澄お姉ちゃん(・・・・・)とユニが仲良くしているのも嬉しい光景だった。
「……で。
お前は一体そこで何をやってるんだ、京?」
「聞くな、現人よ……これは俺が受けねばならぬ罰なのだ」
四人掛けのテーブルには並んで現人、志保。対面には安澄、そして頭をナデナデされているユニ。
椅子を引っ張ってくれば、もう一人くらい角に座ることができる。
しかしながら、今の京はおいしいご飯が並ぶ食卓からは一歩離れた場所で正座をさせられ、お供え物かというほどに小さなお椀に盛られた白米と味噌汁だけを与えられている。
「うっうっうっ……冷たい米の味が切ないぞ……」
「……炊きたてご飯のはずなんだけど」
「ウツヒト。それはアンスが冷蔵庫で冷やしていたからだと思う」
「うーくん、助けちゃダメよ。姉に尽くすことを忘れた愚弟には、冷や飯とコールドの味噌汁で十分なのよ」
自称ではない姉は義理ではない弟にむかって、にっこりと微笑みかける。
ユニは困惑顔で現人を見た。これは止めなくていいのか、そんなことを問いかけているように思えた。
(いや、ほっとこう)
現人はゆっくりと首を振る。
志保はまるで都合の悪いことは見ていないような顔で、現人の頬についたご飯粒を自分の口へ運んでいる。
現人にも、志保にも、京が安澄に何らかのひどい仕打ちを受けている光景は、当たり前のことであり、日常の延長である。
それに異議を唱えた記憶もあったような気がするが、特に印象深いものが残っていないということは、これでよいのだと納得したのだろう。
(……それに)
いつもやりたい放題な京が、徹底的にやり込められている様はまったくもって素晴らしいことに思えるし、このどうしようもない奔放人は時々、痛い目を見るのが世界のためだと、現人は信じていた。
「……ウツヒトがそう言うなら」
「はあ~、ユニちゃんは何をしてもかわいいし、絵になるわね~。
青森まで持って帰っちゃおうかしら。うーくん、ダメ?」
「僕が許可することじゃないし、たぶんユニの妹さんが怒ると思う」
「残念ねえ。かわいい弟的存在か妹的存在が側にいれば、毎日のお仕事も辛くないんだけど」
ふう、と大きな溜息をついて、安澄はほくほくと湯気の立つ白米を口へ運んだ。
床をみると京がぷるぷると震える手で、あまりにも分量の少なすぎる冷や飯を完食したところだった。
「ケイをこんな目にあわせるなんて、アンスは凄い……」
戦慄すら覚えながらユニは言った。
それにしても現人はともかくとして、志保ですら助け船を出さないあたりは、ユニにとって意外だった。
楽しい時間が過ぎ、夜が更けていった。
夕食を終えると、入浴の時間だった。両脇にがっしりとユニと志保を抱え込んだ安澄が、現人をも餌食にしようとにじり寄ってくると、慌てて現人は自室へ逃げ込んだ。
「え~、うーくん、昔はよく一緒に入ったじゃない~」
「それはそうかもしれないけど、ユニと志保もいるだろ!!」
メキメキときしむような音を立てる自室のドアノブを必死で押さえながら、現人は叫ぶ。
何かぼそぼそと女三人が会話する音が聞こえて、残念そうな溜息が聞こえた。
「う~ん、それじゃあしょうがないけど、後でちゃんと入るのよ?」
「わ、わかってるって」
「それじゃあ、しーちゃん、ユニちゃん♪ お姉ちゃんとお風呂に入りましょうね~♪」
ぱた、ぱた、ぱたぱたと足音が一階へ消えていく。
ドア越しに聞き耳を立て、微かなシャワーの音を捉えると、現人はようやく廊下に出た。
待ち伏せを警戒していたわけではないが、安澄は京の姉である。目的のために、手段を選ばない場合もあることは、たびたび思い知らされている現人だった。
「おーい、京。生きてるか?」
「う……つ、ひと……しび……れ……俺は……もう、ダメ……だ……」
正座のまま固まった下半身。京の上半身はぽっきりと折れたように、前方へ倒れ込み、焦点の定まらない瞳が壁を見ている。
「……まあ、いいか」
助ける理由はなかった。
京がお仕置きを受けているなら、安澄がいいと言うまで、何もしないのが実弟に対する弟的存在の流儀だと思えた。
バスルームからは安澄と志保、そしてユニの声が聞こえてくる。思春期の少年ならば録音でもしたくなるような、体の確かめ合いをしているようだが、今の現人には遠くで聞こえる妖精の歌のようにも思える。
(……っ、と)
ばたり、とソファへ倒れ込んだ。
眠い。ひどく眠い。
右眼の単眼鏡がズレそうになり、重い右手で位置を直す。
「今日は……疲れたもんな」
嵐のように色々なことが押し寄せてきたように思う。しかし、その全ては疑いなく楽しいことばかりだった。
きっと自分は幸せ者なのだろう。そんなことをぼーっとした頭で考える。
(……このまま、寝ちゃおうかな)
あるいは、永遠に目が覚めなくてもいいか、などと。
そんな虚無感というには、あまりにも甘い願望すら押し寄せてくる。
(こんな毎日が……ずっと)
いつまでも。そう、いつまでも続いてほしいと。
そんな願いが、まだ叶うはずだと信じながら、津瀬現人は眠りの闇に転落した。