第二話『姉(自称)が来たりて家族を抱く』(2/4)
「疲れた……」
「私もとても疲れた」
「疲れたね~! でも楽しかったね!!」
「夏休みの過ごし方としてはなかなかであったな」
ぐったりと肩を落とした単眼鏡の少年と、白髪の少女と。
そして言葉とは裏腹に元気いっぱいな少女と、ひらひらと扇子を揺らす少年と。
ほぼ沈みかけている夕日と外灯に照らされて、大小4つの影が住宅街に伸びている。
(まあ、楽しかった……のは事実かな)
水の心地よい感覚が、まだ手に、足に、背中に。全身に残っているような気がする。
屋内プールをたっぷり満喫したあと、現人達は『東京サンランド』の屋外プールエリアにも足を伸ばしていた。
そこには大型スライダーのようなアトラクションや、潜水プール……さらには大きく円をえがく流れるプールもあり、おおむね至れり尽くせりと言うべき充実ぶりだった。
(ところが、それだけじゃない)
そこまで。あくまでもプールだけだったならば、ここまで疲労感はなかっただろう。
少し日が傾いてきた頃。照りつける猛暑が、じっとりとまとわりつく夕暮れの熱へと変わってきた頃、水着から着替えた志保が、京が、そしてユニまでもが言い出したのは、『まだ物足りない』の言葉だった。
「……今日だけで『東京サンランド』のアトラクション、ぜんぶ回ったんじゃないか?」
「何を言うか、現人よ。温泉とサウナには入っておらんぞ」
「あっちも行きたかったわね! 今度は絶対行こうね。ねっ、現人。ユニちゃん」
「温泉……そういえば未体験。志保が付き添ってくれるなら、体験してみたい」
「もちろんよ!」
「ならば、現人はこの俺がエスコートするとしよう」
「僕はいいよ。温泉もサウナも好きじゃないし。シャワーがあれば十分だろ」
なぜかくねくねと体を気持ち悪く動かす京に、『黙れ』の意をこめた視線を送りながら、現人は肩を落とす。
『東京サンランド』はプールを備えたアミューズメント施設がおおむねそうであるように、アトラクションの類いも多数存在している。
いわゆるコースターや観覧車、フリーフォール……ちょっとした専門遊園地並みの数で、プールが稼働しない時期はそれらが集客のメインだ。
(それを全部回ろうなんて、一日に2つの遊園地に行くようなものだろう?)
自分は座っているから。外で待っているから。そう言って、同行を拒否できるほどに意志が強かったら、あるいはまだマシだったかもしれない。
しかし、津瀬現人はそこまで強くなかった。我を通すほど強情ではなかった。
何より親友たちの引く手を、誘う言葉を拒む理由がなかった。
「……まあ、いいか」
「そうそう、それで良いではないか」
疲労感を隠さずにそう呟くと、何もかも知ったような顔で京が笑っている。
前方ではユニと志保が談笑していた。2x2の平和な隊列。まるで夏休みではなく、いつもの学校帰りのようだ。そんな錯覚すらおぼえる。
「ところで、京の家はあっちの方じゃないのか?」
「なんだ、バスの中で話していたではないか。
夕飯はお前の家に邪魔させてもらうと」
「そんな話してたっけ……」
「うむ、記憶にないのも無理はない。
現人の家における飯の話イコール志保殿がつくる食事……それはあまりにも繰り返された日常……なんとも当たり前すぎる光景……。
それだけに、脳が右から左へスルーしていたのではないか?」
「あり得ない━━と言い切れないのが悔しいな」
自信たっぷりの表情で京に告げられると、現人はまるで催眠にかかったようにそんなこともあったのでは、と思えてきてしまう。
(疲れてぼーっとしていたからな……)
一歩、二歩。進む足が踏みしめる大地の感覚も、あまりはっきりとはしていない。
夏の暑さのせいもあるのだろうか。あるいは、熱射病とはこんな状態の極限にあるのかもしれない。
「さて、ご到着だな」
「ああ」
前方ではまるで自分の家のように、志保が津瀬宅の鍵を開けようとしている。
合い鍵を渡しているのだから当たり前だが、居候とはいえ、住人であるはずのユニがすぐ後ろでかしこまっているのは、なんだかおかしな光景だった。
━━だが。
「あれっ? うーつーひーと、家の鍵が開いてるんだけど」
「えっ」
どこかモヤのかかったような思考のままで、その言葉を聞くと━━現人の意識は覚醒した。
それはあまり良いニュースとは言えないからだ。
鍵をかけ忘れたのだろうか? あるいは、空き巣が入ったかもしれないではないか。
(いや、今現在、家の中にいるのかも……)
ちらりと京を見た。緊張に口を真一文字に結んでいるのは、おそらく現人と同じことを考えているからだろう。
パチン、と夕闇に響く音を立てて、京は扇子を仕舞った。
なぜかそれだけで現人はほっとする。この男がいてくれて良かった。心底からそう思う。
「現人よ! そして、志保殿にお姫様」
「な、なんだよ」
「け、京くん」
「ケイ、どうしたの?」
「俺は……逃げる!」
「「「えっ」」」
京の言葉に、三人はおなじ驚きの声を、同時に漏らした。
逃げる。俺は。
つまり、京個人だけがこの場から逃走すると言っているのである。
(どういうことだ……こいつ、何を言ってるんだ!?)
現人にはその意味が想像できなかった。
志保も困った顔で━━ただし、鍵が開いている状況から、空き巣や強盗の可能性はまったく想定していない平和な表情で、首を捻っている。
ユニは淡々として現人を見ていた。彼女は求めている。京の言葉を受けて、現人が示す意志を。
(僕に決めろ、ってことか)
刹那、少年の頭が回転する。
自分と京は、家の鍵が開いているという状況から、既に犯罪の可能性に辿り着いている。
志保はそうでない。ユニはどちらか分からない。
(この状況で……京は自分だけ逃げるつもりなのか?)
不義理とか、それでも親友か、とか。
そういった感情はさておいて、何らかの差し迫った理由があるのだろうか。
(じゃあ、僕はどうする?)
警察を呼ぶのはイージーなことだった。
しかし、そもそも空き巣も強盗もおらず、鍵をかけ忘れただけだったら、どうしよう。
いくらなんでも間抜けすぎるし、そもそも通報された警官はムダに仕事を増やされて、あきれかえるだろう。
現人自身もひどく恥ずかしい思いをするはずだ。
(だったら……)
そうだ、今ここで。状況を確定させてしまえば。
京が逃げだす前に、鍵のかけ忘れなのか、空き巣の類いが入り込んでいるのか、その状況を確定させてしまえば良いではないか。
なに、こちらは外にいる。
京はきっと荒事になっても強盗一人くらい手玉に取るだろうし、ユニに至っては顕現存在なのだ。
「開けるぞ」
「なっ、ち、ちょっと待て、現人よ!」
ノブに手を掛けると、激しく京が動揺したが、構わず現人は玄関のドアを開け放った。
(そうだ、せめて……)
どんな最悪があろうと、せめて志保だけでも守ることができれば。
それくらいのことは、自分が成し遂げてみせるならば。
「おかえりなさ~~~~~~~~~~~~い!!」
しかし、直後に響き渡った声は、甘く平和な匂いに充ち満ちたものだった。
~~~~~~UNIVAK the zuper computer~~~~~~
「いやいや、なかなかの働きだった。今度も機会があったよろしく頼むよ」
「それはどうも」
ところ変わって、営業終了後の『東京サンランド』。
水着を脱いで深窓の令嬢といった風体の白いワンピースに着替えた弥勒零は、従業員用の事務所で勤怠責任者から一日のアルバイト代を受け取っていた。
「しかし今時珍しいね、日払い希望なんて」
「いえ、すぐに買いたいものがありまして」
当たり障りのない微笑みを浮かべながら、幾枚かのお札が入った封筒を受け取る。
時が流れ、2085年の現代では電子決済が当たり前になっているが、『金』としての基本は、まだ物理的なコインやお札が保たれている。
(いつかは株式がそうなったように、この『札』という形も捨て去るのだろうが……)
人類には今しばらくの時が必要なようだ。
金、すなわち通貨は社会システムの根幹である。
それを変更するためには、そこに産まれ・生き・死んでいく世代━━すなわち、若者と現役と老人と。
最低でも三つの世代に等しく受け入れられなければならないのだ。
(500年先になったとしても……1000年先になったとしても驚くには値するまい)
なぜなら、500年前。そして1000年前には通貨は使われていたのだから。
それほどの歴史を持つシステムを一挙に変更させるほどの革新は、革命は、遠い昔から一度も起こらなかったのだから。
「……で、そちらはどんな具合だ、イトコ殿?」
「全くここの責任者は無理解な奴だ。ずいぶんと絞られたぞ」
360が監視員のアルバイトとしては比較的、多い額の現金をしまい込みながら振り向くと、ひどく不機嫌そうな古毛仁直が立っていた。
「この私が仕事をサボっていただと!? そんなことがあるものか!」
「ユニバック・ワンが外に出るや、持ち場を放棄して追いかけたのはどこのどいつだ」
「私は最重要監視対象から目を離さなかっただけだ」
炎天下でも双眼鏡を目に当てたまま離さなかった直の顔面には、ひどく滑稽な日焼けの跡が出来ている。
しかし、弥勒零がそれを笑う気になれないのは、滑稽さ以上にどうしようもないほどの呆れと諦めに、心が包まれているからだった。
「今更ながらお前に訊いておきたいのだが……なぜそんなにユニバック・ワンに執着する?」
「知れたこと。私の時代において、ユニバックこそは好敵手。そして、我が姉の仇だからだ」
「なるほど、分かりやすいタテマエだ。
イトコ殿は私よりも日本が長いからな。タテマエとホンネを使い分ける術は、とうに心得ていると見える」
「何が言いたいのだ……?」
驚くべきことに、IβM 704はSystem/360が言わんとしていることをまったく理解していないようだった。
(仇? 好敵手?)
弥勒零からみれば、直がユニバック・ワンに抱いている感情はそんなものではない。
(愛と憎しみは表裏一体……正反対ならば無関心……とは言うが)
自覚のない彼にそれを事細かに指摘したところで、何になるだろうか。
彼女はそう思う。混乱。効率の低下。下手をすれば、ユニバック・ワンの味方に回る可能性すらもゼロではないだろう。
「……いや、何でもない。忘れるがいい」
「我々、偉大なる青のメインフレームにしては、ずいぶんと処理時間をかけたようだな」
「いくつかのプロセスがデッドロックにはまっていたようだ。
強制開放したので、問題はない」
「それならよかろう。ところで、先ほどハジメ様から連絡があった」
「久礼の一から?」
ネガティヴな感情を隠さず、弥勒零は顔をゆがめた。
彼女は久礼一が好きではない。顕現存在として相性が悪い、あるいは歴史的な経緯として商売上のライバルであったという以上に、彼のパーソナリティがどうしても好きになれなかった。
(全てを見透かしているように……何もかも知っているように……)
久礼一は語る。振る舞う。
そして、往々にして事態は彼が想定しているようになる。
(顕現存在ならば、その出自に応じた得意分野がある……久礼の一族がシミュレーション能力に秀でていることは、何の疑問もないが)
だからといって、やはり自分よりも優れているかのように振る舞う久礼一は好きになれないのだ。
「来週、生徒会室に集合してほしいとのことだが。
もちろん来てくれるんだろうな、生徒会庶務殿?」
「その役職で私を呼ぶな」
やはり嫌なことだった。やはり嫌な連絡だった。そんな感情を込めて、弥勒零は視線を逸らした。
「そう言われても、ハジメ様が庶務に任命したのはお前だ」
「正当な選挙を経ずに生徒会長の権限でむりやりに、な」
「お前も承諾はしたはずだ……先の敗北で迷惑をかけた代償。そうではなかったか?」
「来週は予定が入っている……という建前では理由として不足か?」
「ダメだ。なぜならお前にそんな予定がないことは私が知っているからだ」
一切の妥協を許さぬ口調で南多磨高校生徒会書記はそう言った。
「興味の無いことに時間を割く。
これほど、くだらぬ行為はないのだがな」
「ハジメ様のために働けるのだ。光栄なことと思え。
……それに、用件も無関係ではない。今日もユニバック・ワンに手を出そうとしていた、あの女のことらしい」
「……まあ、それならば。成り行きくらいは見守ってやろう」
あくまでもやる気の感じられない声でそう言って、弥勒零は『東京サンランド』の従業員口から外に出た。
「それにしても日本の夏というのはどうしてこうも不愉快なのだ」
「そう悪いことばかりでもない。夕方に一雨降ったあとは、なかなか心地よいものだぞ」
「周辺温度は完璧にコントロールされて然るべき我々が……このような原始的な空冷手段に頼らねばならんとは、な」
せわしげに手をあおって、自らの首元に風を送り込みながら、弥勒零は溜息をつくのだった。