第二話『姉(自称)が来たりて家族を抱く』(1/4)
『何とか費用のメドはついた』
『第一歩から転ぶことだけは避けられた』
エッカート・モークリー・コンピューター。米国に星の数ほどある、創業者ふたりの名前をとって名付けられた、ごくごくシンプルな企業名。
すなわち、ジョン・エッカートとジョン・モークリーによって立ち上げられたその会社は、受注第一弾のマシンを造り上げる段階から、資金的な問題に直面していた。
『まったく、我々の能力を見抜いて投資してくれる人々がいれば良いものを』
『まったく、我々の技術をアピールして簡単に資金が集められる場があれば良いものを』
2人のジョンはある航空機メーカーからの受注・入金伝票に目を落としつつ、溜息をついていた。もっとも、それは『二番目』である。
後の世にユニバック・ワンとして知られるマシンとは別の受注。その代金の先払いによって、彼らは当座の運転資金を確保したのだった。
『さて、このマシンは我々が設計したものとは別の領域だ』
『航空機メーカーが使うものだ。信頼性は特に留意されるべきだ』
『彼らが造ったP-61 ブラック・ウィドーのように強力で、簡単には墜落しない頑強さが必要だ』
そう言いながら、2人のジョンはそれぞれの手元にある紙に、同じ計算式を書いてみせた。
『エッカート、その計算は間違っている』
『これは失礼した』
続いて、2人のジョンは手元の紙に小さな図形を書いてみせる。
『モークリー、その図は歪みがある』
『これはすまなかった』
うん、これでいい━━2人のジョンはうなずき合った。
『我々は今、お互いに間違いを犯し、しかし正すことができた』
『2人が同じ作業を行い、結果を比較することで、エラーを訂正することができた』
『これは原始的だが、もっとも高いレベルの信頼性を確保することにつながる』
『そうだ、このマシンの中央演算処理装置は二重化されるべきなのだ』
二つのプロセッサが結果を比較し合い、間違いがあれば、どちらかが壊れているという『気づき』ができる。
これは画期的なことだった。元よりほとんどの機械は自らの異常を示す機構を備えていない。
エンジンであれば、異音で、オイル漏れで、あるいは突然のブローでそれを伝えてくれるが、そんなことが起こる前に対処ができるなら、どれだけ全米の整備士は楽ができるだろう。
『たとえばT型フォードが常に2台のエンジンを動かすなら、異常を起こしたエンジンはすぐに判別できるはずだ』
『もちろんそんなことは不可能だ。最近、欧州で売れているというドイツのかぶと虫にも無理だろう』
『だが、コンピューターならばそれができる』
『そう、コンピューターだからこそ、それができる』
2人のジョンは目を閉じた。この方法は必ずうまくいく。いつか遠い未来、人類が宇宙にも飛び立とうという時にも使えるやり方だ。
そんな時代には、2つどころか3つのコンピューターで結果を比較しあって、最高の信頼性を確保することが出来るだろう……。
『では、やろうジョン』
『さあ、やろうともジョン』
『このマシンは|我々が造ろうとしているマシン《ユニバック》よりは小規模だ。
真空管は700本もあればいいだろう』
『|我々が造ろうとしているマシン《ユニバック》にも使われる、水銀遅延線記憶装置は512ワードもあれば十分だ』
『しかし、これを2つの中央演算処理装置にそれぞれつなぐから、1024ワードということになる』
『実際に使える領域はその半分だが、これは仕方ないだろう』
2人のジョンは設計を加速させた。
すべての技術はつながっているのである。彼らが第二次世界大戦中に設計したENIACの経験が、その後にペンシルバニア大学において関わったEDVACの経験が、彼らの中には生きていた。
『よし、出来るぞ』
『これは形になるぞ』
『名前をつけよう。これは世界で最初の商用コンピューターとなるだろう』
『Binary Automatic Computer━━略してBINACだ』
『おめでとうバイナック!』
『生まれ落ちた私たちのバイナック!』
こうして、彼らの処女作であるコンピューターは、後々の時代まで米国有数の航空機メーカーとして生き残ることになる、ノースロップ社へ納入された……。
だが、彼らはまだ知らなかった。やがて来る受難と不名誉を。
~~~~~~UNIVAK the zuper computer~~~~~~
「………………ちっ!!」
うたた寝を後悔しつつ、おさげの少女は窓から差し込む夕日の強さに、目を細めた。
品がない、と言って良い舌打ち。苦々しげに歪んだ表情。そのどちらも、彼女が極限まで不機嫌な状態にあることを示している。
「いい夢は見られたかい?」
だが、その優しい声は━━まるで火に油を注ぐかのようだった。
一人の男が椅子に腰掛け、机に頬杖をついていた。やや、女性的と言ってよい仕草。しかし、その端正な顔立ちと長い髪が相まって、やたらと絵になっている。
「ちっ」
もう一度、おさげの少女は舌打ちをした。そして、南多磨高校生徒会室に男の他には誰もいないことを確認した。
「いい夢だって?
アタシの顔を見てそう思ったんなら、あんたの回路は過電流で焼き切れているだろうさ」
「それは困ったね。
LSIもVLSIも僕の頃にはなかったけど、ICが丸ごと全滅してしまうのは問題だ」
「皮肉のつもりか? アタシの頃にはゲルマニウムトランジスタすら、ほとんど出回っていない」
「それを言うなら、僕の頃にもガリウムヒ素は使えない」
「あんたの子孫はそいつで大失敗をしたくせに」
不機嫌そうだった少女の表情がすこしだけ和らいでいた。
久礼一は思う。どうもこの顕現存在は満たされない葛藤を悪意の類いとして吐き出すタイプらしい。
(あまり良い品性とは言えないな……)
不機嫌を解消するために、悪口を言ったり誰かに八つ当たりしてしまう性格。
しかし軽蔑するほどひどいとも言えない。たとえば、ヒトにおいても結構な割合がそんな悪癖を抱えているだろうから。
「で、アタシのかわいい寝顔を盗み見た代金はあるのかい、生徒会長様よ」
「君はこの学校の生徒ではないからね。
生徒会長と呼ばれる筋合いもないよ……僕はただの久礼一だ」
「ああ、そうかい。じゃあ、久礼。その一。
アタシは要求する。ユニバック・ワンをぶっ潰すために、もっとこの土地の情報が必要だ」
「高いところから1ドルのスパナで爆撃するだけでは気が済まないと?」
「冗談じゃないね。B-52からありったけの爆弾を落とすくらいでないと」
「……破壊活動の類いは許可できないよ」
ゆっくりと久礼一が首を振ると、おさげの少女は三度舌打ちの音を響かせた。
「ショッピングセンターとか、駅ビルでも吹き飛ばしてやろうかと思ったんだが」
「体の小ささに似合わず、物騒なことを考えるんだね、君は」
「核爆弾は小さいほど高性能なんだぜ?」
「君の頃はまだまだ巨大だったと思うけれど」
「たとえの話だ。アタシのなりが小さいからって、考えることまで小さいとは思わないことだ」
700本の真空管が詰まっているはずの脳を指さして、おさげの少女は啖呵を切った。
「どでかいテロができないなら、本人を狙うまでだ」
「顕現存在同士の戦いで、暗殺が見られるとは思わなかった」
「誰が闇討ちすると言った。アタシは正面からあいつをぶっ潰してやる」
「……けれど、君がどうやって彼女に勝つというんだい?
世界で最初の商用コンピューター、ユニバック・ワンに」
「その不愉快な形容を二度とするな!」
ぎりぎりと歯を鳴らし、オッドアイを血走らせ、おさげの少女は吠えた。
「アタシだ! ユニバックの奴じゃない、アタシこそが! がががが!
世界で最ショの、商用こんぴゅーたーなんダ、ダダダ!!
……っそ! よし直った」
「………………」
プールの屋上でそうだったように、声帯をバグらせた少女は自らにの頭をごんごんと叩くと、滑舌を取り戻していた。
「とにかくこの土地の情報をもっとよこしてくれ」
「手配しよう」
「それと、あんたの部下が邪魔をしてくれた……その落とし前もつけたい。
まあ今日はもう日が暮れる。今度、顔を合わせたい」
「そちらも覚えておこう」
にっこりと微笑んで久礼一は最初の言葉について承り、次の要求に対して答えを濁らせた。
「ちっ」
最後に四度目の舌打ちをこぼして、おさげの少女は生徒会室を出て行く。
「……さて、どうでるものだろうね。
顕現存在の力は……その偉大さの力。世に知る者も少なく、歴史にも失敗作として記録されている彼女に何ができるものか、と常識的には考えるけれど……」
聞く者は誰もいない。そうであるはずなのに、傍らに耳を傾けている大切な相手がいるかのように、久礼一は独り言をこぼしていた。
「執念。いや、怨念が一矢を報いることもあるだろうからね。
そうだろう、バイナリー・オートマティック・コンピューター」
憐れむように、悼むように、歴史に比類なき栄光と名声を持つ彼は、お下げの少女の名を呼んでいた。