第一話『もっとも効率的な熱対策、つまり水冷』(3/4)
「一つ聞きたいのだが」
「どうした」
その男女もまた、津瀬現人たちと同じように『東京サンランド』内の屋内プールエリアにいた。
しかし、彼と彼女はプールサイドを歩くでもなく、水の中ではしゃぎ回るわけでもない。ましてや、屋内にも設置されているアトラクションに乗っているわけでもなかった。
「さきほどから、同じあたりだけを監視しているのはなぜだ、我がイトコ殿」
「お前のような出世頭には関係の無いことだ」
その男女は、ハシゴで上がるタイプの高い椅子━━要するにプールサイドの監視台に腰掛けている。
男は倍率の低い耐水双眼鏡を持って、ある一点を見つめている。
水着はありきたりなものだったが、それなりに引き締まった悪くない体だった。甘いマスクという陳腐な表現が恥ずかしくなるほどに整った顔立ちは、女性の方から声をかけずにいられないだろうと思わせる。
「出世と視線は関係ないだろう……こら、そこの子供! 走らずもっとゆっくり歩くように!」
女の方は大きく胸元を強調したワンピースタイプの水着だった。
美女、と言ってまったく差し支えない。足のつま先からポニーテールにまとめた髪の毛まで非の打ち所がないプロポーションである。先ほどから声を掛けてくる男を追い払うのに忙しいことだけが、目下の問題と言えた。
「我々が今、果たすべき役目はなんだ、イトコ殿」
「重要監視対象の動向を指先一つの動きに至るまで把握することだ」
「違う。このプールで危険な兆候がないかチェックすることだ。溺れている子供がいれば助けなければならない。走る者は歩けと命じなければならない。
イトコ殿、お前はプール監視員のアルバイトというものを、何か勘違いしているのではないか?」
「美しい……」
「………………こいつ」
男が自分の話をまったく聞いていないことに気づき、ようやく女は視線の先を追った。
「っ! あ、あいつらは……!」
「本当に美しい……」
女の反応は驚愕であり、男は相変わらずうっとりとした表情で賛美の言葉を繰り返していた。
そう、賛美である。美を讃える。ゆえに賛美である。
「おい、イトコ殿! あいつらがここに来るなど聞いてないぞ!?」
「美しい」
「人の話を聞け、古毛仁直!!」
「……芸術鑑賞の邪魔をするな、弥勒零」
がしゃり、と監視台を揺すった女に対して、男は心底迷惑そうに言った。
「聞いていない? それはそうだろう。単なる偶然だからな。
いや、あるいは神の思し召しか」
「……偉大なる青のメインフレームである我らが神を語るなど、恐ろしいほど滑稽なことだと思わんか?」
「美に神学論争はそぐわん」
IβM 704の顕現存在はきっぱりそう言って、System/360の顕現存在との議論を打ち切った。
(全くこの男は……このままはち合わせたりしたら、どうするつもりだ……?)
屋内では使うこともないだろうと思っていたサングラスを装着しながら、弥勒零は津瀬現人たちの足取りを追った。
古毛仁直はなおも双眼鏡へかじりついたままだ。
(ふむ……あのまままっすぐ来ると、近くを通るが……)
自分はサングラスをかけている。直は双眼鏡が顔面の一部と化している。
(……これなら我らと気づかれることもないか?)
つまり、彼ら男女を見分ける術は顔の一部分と体つきしかないわけだ。
(…………っ)
そう、体つきである。弥勒零はその事実に気づいてしまった瞬間、うぶな少女のように顔を赤らめた。
浜岡での無残な敗北。その際、15才の少年に見られてしまったボディラインすべて。それがこの水着にはありありと浮かび上がっているはずなのだ。
(いや……まさか、な。そ、そこまで物覚えもよくはあるまい……)
突然、水着姿でいることが恥ずかしくなってくる。裸身に等しいとすら思えてくる。
ああ、そうだ。更衣室へ行こう。上着を一枚、それに帽子の一つもかぶれば、ずいぶんとこの羞恥心もマシになることだろう。
もちろん、自らがIβM System/360の顕現存在、弥勒零であることをカムフラージュする。それが第一目的である。
「イトコ殿、少し外すぞ」
「なんだトイレか」
「更衣室だ。……いいか、イトコ殿。
我々は報酬をもらって仕事をしているのだ。給料分の働きはしなければならん。
プールの一般客にもきちんと目を配っておけ」
「了解した」
一切、視線を動かすことなく男は応えた。
「ふう……それにしても美しい」
「………………」
System/360こと弥勒零は古毛仁直を見る。
「……度しがたい奴め」
ユニバック・ワンの水着姿をガン見し続けるIβM 704を、諦めにも近い表情で見る。
~~~~~~UNIVAK the zuper computer~~~~~~
「ウツヒト、なんだか視線を感じる」
「視線って言われても」
きゃーと言う声をあげて、志保が人工の波打ち際に走り出している。
はっはっはっという高笑いをあげながら、京が飛び込み台の上にいる。
自分もその仲間に加わろう。まさにそんなタイミングで、不安そうな声をあげたユニバック・ワンに、津瀬現人は首をかしげていた。
(そりゃあユニくらい……か、可愛かったら、誰だって見ちゃうだろうけど)
お世辞にも高低差が大きいとはいえないユニの上半身曲線に、競泳用水着は不思議なほど似合っている。
ほっそりとした肩から膨らみかけの双丘を経て、柔らかそうな腹部へとそれは至る。
Vラインは処理の必要がまったくないだろうと思われるほど、体毛の気配に乏しく、しなやかで肉付きの薄いふくらはぎと、慎ましく折れ曲がった膝の裏にあるくぼみが危険な魅力を放っている。
(……綺麗だなあ)
顔から足の指まで、ゆっくりと。
津瀬現人はユニバック・ワンの肢体を視線でなぞり回すと、こんどは志保を見た。
「うっつひ~と! 早くこっちに来なさいよー!! 冷たくて気持ちいいんだから~!」
「ああ、わかってるよ」
軽く手をあげて応えながら、少年は幼なじみの少女の体を見る。
肩や首周りの細さはユニに比べてほとんどかわらないが、骨格の上についている脂肪の厚さは明確に異なっている。
とはいっても、肥満とはあまりにもほど遠く、上質なクッションのような柔らかさを伴ったものであることを、朝に夕なにスキンシップを受けている現人は知っている。
(……おまけに)
それを比べるべきではないのだろう。スポーツカーとダンプを比べるような無意味な比較なのだろう。
だが━━それにしてもユニに比べて、志保の胸元はよく実っていると言える。身長の低さを考えれば、明らかに過剰なレベルである。
彼女自身、それを気にしている様子はないものの、あんなにぽよんぽよんと揺れては重くて大変なのではないかと現人は思ってしまう。
そして、そんなにぷよんぷよんと揺れるところを、公衆の面前に晒してほしくないと思ってしまう。
(……なんでだろうな)
志保は志保であるのに。現人は現人であるのに。
つまりは他人なのに。
「ユニ、行こう。視線なんて気のせいだからさ」
「うん、ウツヒト」
少年はユニの手を引いて歩き出した。背中に焼けつくような嫉妬の視線を感じる。
だが、これは気のせいだ。あるいはどこかの誰かが、羨ましがっているに過ぎない。
それはそれで個人の自由だし、いちいち気にしていたらキリがないだろう。
「えへへ~! うつひと、ユニちゃん! ほ~ら!!」
プールの中へ足を踏み入れた途端、待ち構えていたように志保が現人の手を引っ張った。どこにそんな力があるのだろうと思えるほど、ぐいぐいと力強く少女は少年の体を水の中へ引きずり込んでいく。
「ちょ、おい志保っ」
「あっ、ウ、ウツヒト」
津瀬現人はユニの手をつかんだままであり、まとめて水の中へ引きずりこまれることとなる。
「ぶわっ」
盛大な水柱が立つ。目に水が流れ込んでくる。
反射的に左目を閉じながら、右目の単眼鏡が流されはしないかと思う。耳にかけるチェーンを二重にしているものの、水の圧力は大きなものだ。もし、こんなプールの中で落としたりしたら、見つけるのに苦労するだろう。
「っと、と……!!」
「きゃっ」
片目をつむったまま、水の中でもがくように現人は両手を伸ばした。
足はつるりと滑り、体は前方へ倒れ込もうとする。
右目は開いているはずなのに、目の前が白い水泡で覆われてしまって、よく分からない。
(まあ……でも)
どうせ、ここはプールの中で。
危険もなければ、怪我につながるようなこともあり得ない。大したことはないさ━━そんな安心感と共に、ようやくプールの底に足がついた、
そして、現人が水の中から顔を上げて、状況を確認すると。
「……現人のえっち」
「え?」
その時になって、ようやく津瀬現人は自分が何かにもたれかかっていることを認識した。なるほど、倒れそうになった前方に誰かがいた。あるいは何かがあった。
これは壁か、人か。両手と顔面にはひどく柔らかい感触がある。
壁に貼られている衝撃吸収材の類いにしては、あまりにも柔軟で両手の指はずっしりと沈み込んでいる。
「………………えっち」
何より水に濡れていてもなお、顔面から伝わってくるこの暖かさは。
元より屋内プールであるだけに水温自体が高いのだが、それにしても自分はどうやら━━誰かの体にもたれかかってしまっていて。
そして、その両胸を鷲づかみにした上、顔面を埋めているらしい。
「う、うわあ!!」
「うわあ、じゃないでしょ、現人のバカ! えっち!
そ、そういうのは家でやってよね!」
「ま、待ってくれ、事故だから! いやっ、その……本当に。急に水かぶっちゃって、慌てて……た、たまたま。
本当に偶然だから!」
「ぐ、偶然っていうことなら……仕方ないけど。
……故意じゃないのね、そうなのね」
「あ、ああ。もちろんだから」
動揺の赤を通り越して、恐慌の青すら表情に浮かべながら、現人は必死で釈明する。
「……ぶー」
「本当に悪かったよ。許してくれ、志保」
志保は膨らませた頬に怒りを示し。ぎゅっと睨み付ける瞳に羞恥をたたえつつ。
そして、頬を赤くして、自分の双丘を隠すように、腕組みしていた。