第五話『アーキテクチャの大剣』
「ホレリスの遺産! 偉大なる青は1442の番号を持って、汝を名付ける!」
夜空に渦を巻くように、無数のパンチカードが乱舞した。
記憶されている情報の渦は、原初のプログラミング言語たるFORTRANによって、ある巨大企業の業績を計算するものである。
「呑み込み━━吐き出せ!!」
膨大なパンチカードの渦が、弥勒零の傍らに出現した、灰色の四角い筐体へと吸い込まれていく。
(なんだ……!?)
津瀬現人は感じていた。弥勒零が何か強大な力を蓄えていることを。
「『告知』ですよ。現人さん」
他人事のようにニューニが言う。
パンチカードに記憶され、繰り返し繰り返し実行され続けたバッチプログラム。
ただの一個人とどまらず、社会そのものを動かすような、巨大企業の礎ともなり得る当たり前でいて、莫大な処理。
「顕現存在としてのIβM System/360。
商用コンピューターとして、はじめてファミリー化によって成功をおさめたIβM System/360。
……彼女は1でありながら、ひとつの家族そのもの。
その誰かとして。いずれかのモデルとして。
弥勒零は『告知』を受け、振る舞います。ここからが本当の彼女です」
一筋の汗がニューニの頬に流れている。
背筋にぞっとするものを津瀬現人は感じている。
「………………」
そして、ユニバック・ワンは何かに耐えるように唇をかみしめている。
「受けた━━貴様らユニバックのごときには!
『MODEL30』で十分と!!」
System/360が吠える。その声が、気迫が空気を震わせ、現人たち三人を圧倒する。
弥勒零が右手に握る『アーキテクチャの大剣』が赤銅色の輝きを放ちはじめた。無垢のの刀身に『2030 CPU』の銘が刻まれていく。
これぞSystem/360 MODEL30のCPU。すなわち、|Central Processing Unit《CPU》。
ちっぽけなソケットに差し込むわけではない。無数のトランジスタを集積しているわけでもない。
それこそは誰もが当たり前に知る、マイクロプロセッサという存在が出現する以前の、原義通り『中央演算処理装置』である。
「じぇあああああああああああああ!!」
「来ますよ、ユニ姉様、現人さん!!」
「分かっている!」
「ああ……!!」
弥勒零が疾走った。
『アーキテクチャの大剣』が全てを薙ぎ払うほどの重量感を伴って、大きく振りかぶられる。
ほんの数秒後には叩きつけられるだろう、その一撃を前にして。しかし、世界で最初の商用コンピューターとその妹は。
(負けるものか……!!)
そして、彼女らと深い絆で結ばれた15才の少年は。
逃げはしない。目をそらすこともない。
「水銀遅延線記憶装置!!」
ユニの小さな右手から光が爆裂する。
100年以上の過去に、僅かな情報を記憶するために生み出された原始的装置。
半導体メモリに比べれば、あまりにも不安定で、低速で、何よりも大規模すぎた存在。
しかし、その当時、もっとも優れた一次記憶装置。
巨大な円筒形に無数の管が突き刺さっている。満たされた水銀の中を超音波がひたすらに循環し、『1』と『0』を記憶する存在と成り果てている。
「ユニバァァァァァァァァァァァァック!!」
「System/360!!」
弥勒零の振り下ろした『アーキテクチャの大剣』とユニの『水銀遅延線記憶装置』が、重質な金属音を響かせてぶつかりあう。
その一合は互角。
しかし、否。彼らは一人ではなく三人である。
「ユニサーボ・ウィップ!!」
叫んだのは赤髪の女。ユニバック・Ⅱの29号機である。
一振りの鞭がニューニの右手に現れる。
それは武装。されど、この日の本で確かに実用へ供されていた記憶装置の顕現。
適切な装置を通せば、そのリン青銅の輝きを放つ鞭の表面からは、首都を預かる電力会社の会計計算式が、読み出せるはずだった。
「弥勒零、お覚悟!」
『アーキテクチャの大剣』と『水銀遅延線記憶装置』は、つばぜり合いの状態にある。
その背後から、もっとも装甲の薄い箇所を狙う対戦車砲手のように、『ユニサーボ・ウィップ』の一条が襲い来る。
だが、弥勒零は振り返ることなく、そして『アーキテクチャの大剣』へ込める力を緩めることもなく。
「浅い!!」
咆哮一閃。
声だけが力を為したがごとく、彼女の背後を守る盾が浮かび上がった。
『ユニサーボ・ウィップ』との衝突時、その盾はバチリ、と音を立てる。蓄えられた電荷が失われた瞬間である。
「シングルタスクのミニコンピューターならば、ともかく……偉大なる青のメインフレーム相手に多対一で優位を取ろうなど、笑止!!」
「っ!」
「非力! 罪なるほどに非力なり、ユニバック・ワン!!」
背後からの襲撃をやすやすと凌いだSystem/360。
そして、『アーキテクチャの大剣』と『水銀遅延線記憶装置』の拮抗も今、破綻しようとしている。
(なんて力……!!)
戦慄がユニバック・ワンを襲った。
まもなく押し切られる━━増大する敵のコンピューティング能力を瞬時に感じ取ったユニは、右足を後退する方向へ蹴った。
「浅いと言った!!」
だが、その退避行動は既にSystem/360のシミュレートする未来の内にある。
「2301よ、廻れ舞われ!!」
虚空へ突き出したような弥勒零の左手から、巨大な円筒ドラムが飛び出した。
その円筒ドラムには、まるで拘束するようにはめ込まれた読み取りヘッドが、一列にずらりと並んでいる。
もし、神なるほどに精確な視覚を持つ者がいるのならば、それが1分間に3500回転し、磁気によって400万文字分もの記録がなされていることを知っただろう。
円筒ドラムは猛烈に回転しながら、距離を取ろうとするユニを追う。小さな航空爆弾ほどの大きさがある円筒ドラムの威力は、あらゆる意味で破壊的なものを想像させた。
「ユニサーボ・ドライブ!」
「ユニサーボ・ウィップ!」
逃げ切れない━━そう判断したユニが叫ぶ。
虚空に無数の金属磁気テープが顕現し、円筒ドラムへと向かった。援護するように、ニューニもまたリン青銅の鞭を振り下ろす。
それは不思議な光景だった。
手で引っ張れば、簡単にちぎれそうな細さの金属磁気テープと、それを束ねた鞭が、数百キロはあるであろう円筒ドラムを絡め取るがごとく巻き付いていく。
中空で静止するように、円筒ドラムは猛進を止めた。
(あれが……磁気ドラムメモリか……!)
既に津瀬現人は、その円筒の正体をニューニから聞かされている。
それはもっとも初期的な段階で、IβM System/360に接続されていた記録装置。低廉で、信頼性が高く、きわめて多くのコンピューターで使われた記録装置である。
「無駄な足掻きを続けるか、ユニバックども!」
「そりゃあもう、|コンピューターの代名詞が、あなたみたいな|ドラムマシン《コンピューターの代名詞》に負けるわけにはいかないですからね!」
挑発的な声でそう叫びつつも、ニューニは『ユニサーボ・ウィップ』を必死で握りしめていた。
ほんの僅かでも注ぎ込む力を緩めれば、即座に圧倒されてしまう。磁気ドラムメモリは死んでいない。ただ、停止しているに過ぎないのだ。
「囀るものだ! なるほど、ドラムマシン!
すなわち、磁気ドラムメモリを持つコンピューター! 低性能の初歩的モデルたち!
だが━━この偉大なる青のSystem/360を前にして、本来そのように呼ばれるべきは、ユニバックどもよ!」
磁気ドラムメモリと、金属磁気テープのせめぎ合い。
それは21世紀の人間が当たり前に知るハードディスクドライブやソリッドステートドライブが出現する前の戦いだった。
元より、どちらもあふれんばかりの欠点と制限を抱えている。遅く、弱く、耐久性は低く、そしてひどく高価である。
だが、弥勒零の口元に浮かぶ余裕の笑みは、絶対の勝利を確信していた。
「インターリービング!!」
その瞬間、磁気ドラムメモリの中に記録されているデータは変化を遂げた。
綺麗に整列していた個々のデータが突然、バラバラの状態になって記録され、効率が低下したように見えた。
だが、そうではない。計算されたバラバラの記録は劇的な効果を生み出した。
なぜならば、回転する円筒ドラムの読み出しヘッドは固定されているのである。
ドラムの一点に目的のデータが記録されているとすれば、読み出す際はその一点が巡ってくるまで回転を待ち続けなければならない。
「その革新によって、徒労の待機時間を排除せよ!」
System/360が吠えた。
プログラムが実行される時間すらも計算した上で、次の読み出し時にぴったりその位置に読み出しヘッドが存在するよう、あらかじめデータを配置し、記録する技術。それがインターリービングである。
遠い将来、フロッピーディスクをはじめとする、あらゆるディスク式の記録装置に多用された技術でもある。
「いけない……ユニ姉様、離れてください!」
「ニューニ!?」
ニューニは知っていた。
その性質上、データを1から連続的に読み込むことしかできない金属磁気テープ。たとえば、位置1の後に位置50のデータを必要とするならば、絶対に50へ到達するまでの待ち時間が発生する。
だが、インターリーブ技術を駆使できる磁気ドラムメモリは、そのくだらない待ち時間を最小にすることができる。
その差は絶大である。性能差は顕現された両者の武装、その勝敗となって展開される。
磁気ドラムメモリへ絡みついていたユニの金属磁気テープがまず弾け飛んだ。
一見、持ちこたえるかのように見えたニューニの『ユニサーボ・ウィップ』もまた、数秒の差で断裂する。
「この宇宙から消えよ、ユニバック・Ⅱ!!」
System/360の放った磁気ドラムメモリ━━すなわち、IβM 2301記録装置を阻む者は、もはや存在しない。
「がっ……ふ……!!」
直撃。ニューニの赤い体躯が砲撃をくらったように吹き飛ぶ。
水柱が立つ音。絶対零度に近いものを背中に感じながら、津瀬現人はニューニの吹き飛ばされた方角を振り返ることしかできない。
「ニューニ!!」
ユニバック・ワンはまず叫んだ。
そして、妹のところへ駆けつけようと体を捻りながらも━━しかし、大きくかぶりを振って、System/360と対峙し直していた。
「どうした、行ってやらないのか? 冷たいな、ユニバック・ワン」
「……私の妹は、あのくらいではやられない!」
「そんなことを口走りながら、あの時もお前一人だけ逃げたのか?」
ビクリと少女の小さな肩が震えた。
(あいつ……!)
弥勒零が何か嫌な話をしようとしている。それが津瀬現人にはよく分かった。
だが、眼前で展開される顕現存在同士の恐るべき戦いは、15才の少年が容易に介入することを許さない。
「『知りたい』という顔をしているな、少年?」
弥勒零が訊ねる。
そんなことはない。現人にできるのは、首を振ることだけだ。
「ならば教えてやる」
そして、偉大なる青が生み出したメインフレームの頂点は、残酷に笑うだけだ。
「かつて!! お前達二人……ユニバック・ワンとユニバック・Ⅱは私と戦った!
だが、何もできなかった!」
「やめて……やめて! 360! そんなことをウツヒトに言わないで!」
「その時! この哀れなコンピューターは、妹を囮にして逃げたのだ!!
ただ一人、利己的な行動に走ったのだ!」
「違う、違う! そうじゃない!!」
「ユニ……」
「ウツヒト、私は……違う」
壊れかけのガラス細工のような瞳で、ユニは現人を見た。
指一本で軽く力を加えるだけで砕け散りそうな弱さが、その表情にあふれていた。
「なんたる無力! なんたる無能!!
まったく情けないことだな……ユニバック・ワン。だが、そんなお前の妹も今度こそは斃れた!
二度目はないのだ!! お前は今度こそ! この場で、消え去る運命だ!」
「ちがっ……私は……私は……そんなことは……!!」
どさり、と水銀遅延線記憶装置が砂浜へ落ちた。
光ファイバーほどに透明なその長髪が、恐怖に震えている。
月の砂ほどに煌めくその瞳が、悪夢に怯えている。。
「~~~~~~っ!!」
「ユニっ!」
震える自分の手を見つめるユニ。
彼女は今にも走り出しそうに見えた。逃走のためではない。自殺的突撃のために。全てを諦め、捨て去る行動に。
(そんなこと!!)
させるものか、と。自分がいるのだ、と。
少年の思考ばかりが先走る。肝心の声が出ない。舌が思うように動かない。足が前へ進まない。
こんなにも無力なのか。自分は本当に何もできないのか。自暴自棄の感情に、現人もまた押しつぶされそうになる。
が━━その時だった。
「な~にを……当時者なしで好き勝手言ってくれますかね、このメインフレームは」
飄々とした声が海の方向から聞こえた。
振り返れば、そこには長い赤髪からばらばらと砂粒をこぼしながら、そして、打ち寄せる波のしぶきに体中をぬらしながら、ニューニが立っていた。
「ニューニ!! 大丈夫なのか!?」
呪縛から逃れたように、津瀬現人は叫ぶ。
そして、安堵の息を漏らしているユニを視界の端に認めた。
「ナーゥ!!」
そんな二人に返ってきたのは、ふざけたようなメロイックサインだった。
握った手から人差し指と小指だけを立てて、ニューニは笑った。不快を覚えたように、弥勒零が顔をゆがめる。
「ユニ! こっちだ!」
「あっ……ウツヒト……」
その瞬間、津瀬現人は動いていた。
戦うことを忘れてしまったかのように立ち尽くす、世界で最初の商用コンピューターの手を取ると、ニューニの近くまで走る。
現人、ユニ、ニューニの三人は波打ち際に固まる形となった。まるで消波ブロックを背にして陣形を組むように固まった彼らを見て、弥勒零は侮蔑の笑みを浮かべる。
「何度でも言ってやろう。何度でも教えてやろう。何度でも思い知らせてやろう。
すべては━━無駄なことだ。
お前達ごときが必死で力を合わせたところで、この私には決して及ばない。
分散コンピューティング……クラスタリング……そうした技術はこの私の時代にすらなかった。
ならば、ユニバックのごときが1+1を為したところで、それは単なる2となるだけだ。
可用性も! 新たな付加価値も! そこには生まれない!!」
「……まあ、正しい指摘ですよね」
再び弥勒零は表情をゆがめた。気に入らない。ユニバック・Ⅱの29号機。こいつの態度がとにかく気にくわない。
「貴様……」
「ユニ姉様とワタシが力を合わせてもあなたには及ばない。
それはええ、はい。余すところなく、証明していただきました」
「何をそんなに強がっている?」
「強がりなど━━まさかまさか」
仕事の失敗を指摘された無責任社員のように、へらへらと笑って弥勒零の殺人的視線を受け流すと、ニューニはその両手でユニと現人の肩を抱いた。
「ユニ姉様! 愛しています!!」
「……ニューニ。こんなときに何を言ってるの」
「いえいえ!
ユニ姉様の愛があればこそ、アメリカで囮になりましたし~。
でも、それはあくまでもワタシの判断ですし、ちゃんと逃げ切る自信もありましたし、だから今こうしてここにいるわけですし~。
ひとえにそれはええ、もう! ユニ姉様の優秀な妹だからですよ! はいっ!」
「……ユニ。
ニューニは360の言うことなんて、気にすることはないって言ってるんだよ」
津瀬現人は努めて冷静に言ったつもりだった。
「っ……ウツヒト……」
だが、その声は。
ユニバック・ワンにとって、どんな慈悲深い神よりも優しく聞こえた。瞳に熱いものがあふれた。頬に熱を感じた。
そして、妹が不満そうに口を尖らせていた。
「ぶーぶー。ワタシの方がどう考えてもユニ姉様を愛してるのにー」
「別にそういう話をしてるわけじゃないだろ」
「ウツヒト……ううん、ニューニもごめん。
私は愚かだった。つまらない過去や思い込みにとらわれていた。
でも、もう負けない。ウツヒトが、ニューニが側にいるから」
ユニバック・ワンの白く小さな手が、まず妹の手に重ねられた。
「ええ、ユニ姉様。あんな奴、やっつけちゃいましょう!」
その声は強く、勇ましく、そして明るく響き渡った。
「ウツヒト。私はウツヒトのことを信じてるから。何よりも」
「ユニ……」
そして、少女の儚い手が、少年の胸に当てられた。
心臓の鼓動が高まる。そのすべてをユニに聞かれているのだと思うと、なぜか動揺してしまう。
(いや、でもこれは……)
きっと良き動揺だ。
戦いに臨む戦士が持つ胸の高鳴りなのだ。
「やろう、ユニ。勝とう、ニューニ」
「うん」
「はいな!」
「弥勒零━━いや、IβM System/360!!」
少年の声を聞いたとき、弥勒零は不思議そうに首をかしげた。
彼女にとって、無力に等しい未成熟なヒトの雄が、こんなに堂々とした声を発することが意外だった。
「僕は……お前を暴く!!」
津瀬現人の手が右目の単眼鏡をつかむ。
それこそは彼らの切り札。この世界にたった一つの異能。
この宇宙を巨大なコンピューターとみなした世界を、ヒトの身でありながら、視ることのできる能力だった。
~~~~~~UNIVAK the zuper computer~~~~~~
「計算する宇宙!!」
少年は叫びながら、右目の単眼鏡を外した。無力な15才の自分が。そうすることで、何か特別な物を得ることができる気がした。
(っ……!!)
刹那、視界に膨大な量の数字が覆い被さった。
脳髄がギシギシと悲鳴をあげる。平均的な人間の理解力を遙かに超えて流れ込もうとする、情報の洪水に精神が苦痛のサインを出す。
(負けるものか!)
ヒトが苦痛に打ち勝つ源は、いついかなる時も意志の力である。
津瀬現人は歯を食いしばる。津瀬現人は視界の一点に集中する。その右目が視るすべてを理解しようとはせずに、特定の領域だけに注意を向けるようにする。
(弥勒零━━System/360の持っている『アーキテクチャの大剣』!
あれだ!!)
今、津瀬現人は弥勒零という顕現存在すらも視ていなかった。
もちろん、ユニバック・ワンもユニバック・Ⅱも、そして、それ以外のすべてを視ていない。
彼はただ一振りの大剣を視ている。たった一つの顕現武装を睨んでいる。
(暴く……!)
それはたった8ビットのレジスタによって構成されている。
(理解する……!)
それはSystem/360アーキテクチャに準拠するために、無数のマイクロコードプログラムを多用している。
(見つけ出す……!)
そして、その主記憶装置は僅か64kビットしかない上に。
━━1ビット分のパリティを含んで構成されている。
「それだ!!」
現人は叫ぶ。弥勒零の体がビクンと震えた。
(なんだ、今の感覚は……!?)
彼女は戸惑っていた。
すべての未来を占い師に言い当てられた時の感覚だった。あるいは、最高の才能を持った結婚詐欺師に、挙式の当日まで弄ばれ続けたときの快楽と憤怒だった。
「ユニ! ニューニ!
あいつの磁気コアメモリを、2ビット分だけ、破壊しろ!!」
津瀬現人がその戦術を声に出したのは、念のために過ぎなかった。
なぜなら、彼とユニバック・ワンはあまりにも深い領域でつながれている。
『計算する宇宙』。その異能を発動した津瀬現人の意志は、声に出す前からすでにユニへ伝わっていた。
そして、ユニを通して彼女の妹であるニューニにも、また。
「わかった、ウツヒト!」
「アイアイサー、現人さん!!」
ユニが『水銀遅延線記憶装置』を再び顕現させた。ニューニが金属磁気テープの集合たる『ユニサーボ・ウィップ』を手にとった。
ニューニの顕現武装は一度破壊されている。
しかし、元より大量に用意され、処理によって入れ替えられるのが金属磁気テープという記録媒体である。ただ一本の矢で戦う戦士がいないように、代わりが存在しないという武装ではない。
(何を……何をする気だ……こいつらは!!)
突然、士気を取り戻した三人を前に、System/360は動揺する。
ユニバック・ワン、そしてユニバック・Ⅱ。二人の顕現存在。
System/360は、あらゆる意味で彼女らの心を砕いたはずだった。圧倒的な力の差を見せつけ、勝利などあり得ないと知らしめたはずだった。
(それなのに……)
ただ一人の少年の言葉で彼女たちは力を取り戻した。
それだけではない。積極的な攻勢に出ようとしているではないか。
「少年……貴様っ」
「僕は現人だ」
ふたたびSystem/360は戦慄に震えた。15才の無力な少年が彼女を見た。単眼鏡を外したその右眼で。
「僕は津瀬現人だ!」
「………………!!」
『計算する宇宙』。
それを視ることが出来る、この世界でたった一つの右眼が、弥勒零を見据えている。
「さあ、今度こそお覚悟いただきますよ、System/360!」
「っ……ふざけるな!!」
意気揚々。そう称してよい表情でニューニが躍りかかる。ユニ・サーボと呼ばれる金属磁気テープを武装として顕現させた一条の鞭が、弥勒零に向けて振り下ろされる。
「効かぬ!!」
一喝。System/360の前に、膨大な格子状の配列が現れた。
それこそは磁気コアメモリである。
DRAMあるいはSRAMと呼ばれる半導体メモリが出現する以前の時代、超高速な読み書きの要求に応えられる唯一の記憶装置として君臨していた、古き時代の覇者。
(その前に、ユニバックごときのテープデバイスなど問題ではない!!)
弥勒零は確信していた。まるで盾のように目の前に展開された磁気コアメモリが、バチバチと電荷を放出する。
それは読み出し操作の証。破壊読み出しという方法をとる磁気コアメモリは、リード要求が発生すれば、必ず記憶された電荷が失われる。
しかし、直ちに再書き込みを行うことで、状態を一定に保つことができるのだ。
「見よ! そして知れ!
お前たちユニバックのごときに何ができるものか!!」
「まあ……ワタシ一人では実際そうですよね」
にんまりとニューニが微笑んだ。弥勒零は嫌な感情に表情をゆがめた。
まったくこの女は気に入らない。どう叩いても屈しようとしない。
何か奥の手でも隠し持っているかのように、思わせぶりに笑って。嘲笑って。あざ笑って。
「ユニバック・Ⅱ……何を隠している!?」
「隠してなんか。ただ、ワタシの後ろにユニ姉様が」
「なにっ!?」
「━━ここまで近づいたら、直接、触れることができる」
涼しげな声が聞こえると共に、女性としては広いニューニの背中から、ひょっこりと小さな少女が姿を現した。
「ユニバック……ワン!?」
うめき声を上げながら、System/360はごく単純な己のミスを悟った。体の小さなものが、体の大きな者の影に隠れる。ごく古典的な戦術である。
(だが、それがどうした!)
こちらがそちらを見失っていたというだけのことだ。
此方が彼方を見据えていなかっただけのことだ。
「お前に……何ができるものか!!」
「そう、360。あなたは正しい。
でも私たちにはウツヒトがいる」
「何を━━言って」
「あなたを倒すには、こうすればいいと、ウツヒトは教えてくれた」
そう言いながら、ユニはその細い手を伸ばし。
小突くように、System/360の展開した磁気コアメモリを指先で弾いた。
「あぎっ!? ひっ……ぐ、あがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
その端正な美貌が苦悶と激痛に歪む。
「あぐぁぁぁぁっ! が、ひっ、ぎぃぃぃぃぃ! ぐああああああああああ!?」
全身をよじらせながら、弥勒零は絶叫する。
その苦痛の根源は外部ではない。彼女の内部にある。
「何を……ぐ、ぎ、んぐっっっっっっっ……ひっ、貴様……何をし、がああああああああああああ!!」
痛みが肌にあれば、手を当てることもできる。折れた骨ならば、添え木を探すこともできる。
しかし、今のSystem/360にはどちらもなしえない。
彼女の苦しみは臓物から来るものだから。彼女の悶絶はもっとも基本的な内部回路に押し寄せてくるものだから。
(なぜ……一体なぜだ!!)
膝を突き、荒い息を吐いた。両手を地に突き、脂汗をこぼした。
自分を襲う痛みと苦しみがなんなのか。System/360にはまったくわからなかった。だが、それは継続している。増大はしないにしても、まったく収まる気配がない。
(おのれ……!!)
原因不明のエラーによって、偉大なる青のSystem/360である自分が、こんなにも苦しめられている。
そのこと自体が、圧倒的な性能と共に、絶対的な信頼性を誇りとする『メインフレーム』コンピューターの顕現存在である彼女には、屈辱的でならなかった。
「360、あなたに教える。その痛みの理由を」
顔を上げると、ユニバック・ワンが見下ろしていた。自分よりも劣る、ただの商用コンピューターが。
世界で最初に名をなしたというだけの栄誉だけが拠り所の、劣等存在が。
性能も、信頼性も。歴史に、そして社会に与えた影響も、比較にならないほど小さい少女が。
「ユニバック・ワン、貴様……!!」
立ち上がれば自分の胸元までしかない小さな少女が、勝者のような落ち着きで彼女を見下ろしているのだ。
「私は、あなたの磁気コアメモリを1バンク、それも2ビット分だけ破壊した」
「なんだと……どういうことだ!?」
「あなたの磁気コアメモリは速い。安定性も高い。
704よりもさらに進化している。
私の『水銀遅延線記憶装置』とは、比較にならないほど優れている」
そう言いながら、ユニバック・ワンは右手に持つ水銀遅延線記憶装置を一瞥した。
巨大な円筒に無数の管が刺さったおぞましい外観の顕現武装。自らの誇るべきそれに対して、彼女は素直に『あなたには及ばない』という評価を下した。
「でも、ある状況下では私の水銀遅延線記憶装置の方が優れている」
「何を……」
「私の水銀遅延線記憶装置には、エラー検知・訂正機能がない。もし、異常が起こればそれはそのままシステムの停止を意味する。
これは仕方の無いこと。
私はユニバック・ワン。エッカートとモークリーによってつくられた、世界で最初の商用コンピューター。
けれど、私に注ぎ込まれた技術はまだまだ不完全だった」
「………………っ」
今だ続く激痛に耐えつつ、敵意の視線を向ける弥勒零に対して、ユニバック・ワンはあわれむように目を細めた。
「貴様っ……!!」
「あなたの磁気コアメモリは、1ビットのパリティを含んでいる」
「それがどうした!」
「パリティがあるから、あなたの磁気コアメモリは超高速でありながら、エラーが起こったとき、それを検知できる。状況によっては訂正もできる。
エラーは必然的に起こりえる。けれど、それを直せる。それは素晴らしいこと。
コンピューターが継続して動作し続けるために、必要不可欠なこと」
「その通りだ! 当たり前のことだ!
それが……それが『メインフレーム』というものだ!
『メインフレーム』は止まらない! 決して落ちない! だからこそ、社会の根幹をなし、歴史に、人類に貢献してきたのだ!」
「でも━━1ビットのパリティで対応できるのは、シングルビットのエラーだけ」
「!!」
ユニバック・ワンは憐れむような目のままだった。
「ま、まさか……それは……つまり……!!」
「1バンク2ビット分だけ破壊したと、私は言った」
シンプルな言葉だった。技術的な説明としても、単純だった。
「ああっ……バカなっ……そんな、バカなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
しかしそれは弥勒零に、System/360にとてつもない絶望をもたらしている。
「そう……1ビットのパリティで対応できるのは、シングルビットのエラーだけ。
つまり、複数ビットのエラーについては、対応出来ない」
「あっ……ああ……あああああああああ!!」
「エラーがそこにある。それを知ることすらもできない。
見かけ上、正しいデータとしてあなたは……エラーを含んだメモリデータをその体内に刻んでいる。無数の処理を繰り返している」
「そんなバカことが……バカなことがあってたまるかっ……」
「それは……がん細胞のようなもの」
「っっっっっっっっっ!!
私は……この、私はっ! うぐ、ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
誇りと敵意を、襲い来る痛みが上回ったのだろうか。弥勒零は悲鳴をあげながらのたうち回り始めた。
「ぐぁぁぁぁぁぁっ! ああ!! ああっ……ああああああああああっ!!」
「………………」
津瀬現人はそんな弥勒零を冷然と見つめている。
(う~ん)
その傍らに立ちながら、ニューニは見比べる。敬愛する姉、ユニバック・ワンと15才の高校生、津瀬現人の表情を。
(ちょっと……似てるかもですよね)
━━なぜそんな印象を受けたのか。
ユニバック・ワンは憐れむように。
津瀬現人はただ冷然と。
(確かに違う。でも、根っこのところは同じに見えますね~)
女が。たとえヒトでないとしても、女性の姿をした存在が、のたうち回って苦しんでいるのだ。
手をさしのべないまでも、いい気持ちになる者は少ないはずだ。
(けれど、ユニ姉様は憐れむだけ)
それは己の優越を誇り、敵対者を見下しているからだ。
(そして現人さんは……冷たい目を向けるだけ)
それは今の彼女が敵であると、はっきり認識しているからだ。
「……ちょっとだけ妬けますよ。案外お似合いかもしれませんね」
「ニューニ?」
「あ~、いえいえ! 独り言ですっ、はい!」
不思議そうに視線を向けた現人に、ユニバック・Ⅱは慌てて手を振る。
単眼鏡を外した現人の右眼と視線があったその瞬間、ぞわりと官能にも似た感覚が背中を走り抜ける。
(見られてる……全部、見られちゃってる……こっ、これはなかなか……いけない気持ちになりますね)
顕現存在としてのすべてを、否応なしにさらけ出しているのだと思うと、露出狂はこういう感情にとりつかれているのだろうかと、ニューニには思えてくる。
「ま、まあ……さておき。ユニ姉様、System/360をどうします?」
「私はウツヒトに全部任せる」
「あはは……」
愛する姉はroot権限をあっさりと投げ渡した。
それはニューニにとって、もはや嫉妬というよりただただ諦めるしかない状態だった。
「ウツヒト、決めて。そして命じて。
360をどうするのか」
「どう、って言われても━━」
「ぐ……が、あ、ぎ……ぐぎぎぎっ……ぎひっ……ひい……!!」
15才の少年は迷った。
その瞳は。殊に『計算する宇宙』すべてを見る右眼は、あくまでも冷たくSystem/360を見据えている。
(もう……大した力はないようだ)
その注意は地面に転がる『アーキテクチャの大剣』ではなく、弥勒零という顕現存在に注がれていた。
しかし、現人はなおも正面から彼女を視ていない。
視界の端へうっすらと収める程度に見つめるだけだ。そうしなければ、System/360という歴史的メインフレームの持つ莫大な情報量に、圧倒されてしまうことが分かっているからだ。
「このまま放っておくと、彼女はどうなるのかな」
「現人さんには見えていると思いますが、今のSystem/360は恒常的に主記憶装置━━つまり、磁気コアメモリですが、そこにエラーを抱え続けています」
ニューニの言葉に現人はうなずいた。
そして、注意を『System/360の記憶装置』へと注いでみる。
(うっ……)
それはおぞましい光景だった。たとえるならば、死病に冒された末期患者。
生きながらにして全身へウジがわいた戦病者。回復不能としか言い様のない代物が、宇宙を一つのコンピューターとみなした世界観のフィルタを通して━━津瀬現人の認識に飛び込んできた。
「……消去。つまり、殺すまでもないと思うけど」
「ではこのまま見逃しますか?」
「それはもっと残酷だろ。今の彼女は自力じゃ立ち上がることもできない」
「……ウツヒトは360を助けたい?」
「助けたい━━っていうほどの義理があるわけじゃないけど。
信条に違いがあったとしても、別に殺し合うほど憎いわけじゃないし。
ユニたちだってそれは同じだろ?」
ウツヒトの問いにユニはこくこくとうなずいた。ニューニはほんの少しだけ間を置いてから、軽くウインクしてみせた。
「じゃあ、消えない程度に復旧させよう」
「どうするつもりなんですか、現人さん」
「磁気コアメモリの恒常的なエラー状態は直すとしても、能力が最大限発揮できないようにする」
そう言いながら、津瀬現人は前へ一歩を踏み出した。
止めようとするように、ユニとニューニが手を伸ばす。問題ないというように、現人はゆっくりと首を振る。
「きっ……貴様……貴様ごとき……が、ああ……ああ……」
ひび割れた金剛石のような表情で睨み付けてくるSystem/360。
「今、その苦しみを取り除く」
冷たくも揺るがぬ視線を向けると、現人は右手で弥勒零の髪に触れた。
「っ!? ぎっっっっっっっっっっっ!?」
「じっとしていて」
体の中で何かが炸裂したように跳ねるSystem/360の背中。
見守るユニとニューニは額に汗を浮かべている。
「いいんですか、ユニ姉様」
「……私はウツヒトにすべて任せると決めたから」
「まあ、そうですけども」
「System/360 Model30。君のシステム構成を再構築する。
メモリ容量を8kbitに制限。CPUの駆動速度を最低限まで落とす…I/O装置の電源は停止。Channelユニットのバス速度は……いじれないか」
現人が行っているのは、System/360というコンピューターの機能をもっとも低い状態まで落とす行為だった。
「チューンナップ……高速性追求の反対。
現人さんのあれはデチューンですね」
「少し言い方が違う。
私が読んだ書籍には、そういう行為が一般にも流行した時代があると記載されていた。
ウツヒトのやっているのは、ダウンクロックと言った方がいい」
「なっるほど、さすがユニ姉様」
不安と焦燥で、ニューニの言葉もどこか力がない。
「うん……これでいい」
「……が、は……なぜだ? なぜ、ただのヒトに、こんなことができる!?」
施術を終えた医者のように、津瀬現人はゆっくりと弥勒零の髪から手を離した。
System/360の表情から苦悶が消えていた。しかし、その代わりにあらわれていたのは、恐れを伴った動揺だった。
「偉大なる青の技術者でもないお前が、私のシステム構成を改変するなど不可能なはずだ!!」
「もちろんそうだろうね。
けれど、今の僕には君というメインフレームの全てが見える。
……いや、全てを『見ようとすれば見える』と言った方が正確かな。
一度に見るのは不可能だ」
「だからと言って━━」
「コンピューターの動作原理は、基本的に変わらない。
主たる処理回路、つまりCPUがあって、主たる記憶装置、つまりメインメモリがあって、そこにI/Oデバイスや無数のバスがつながっている。
その根本さえ間違えなければ、オーバークロックや性能向上はともかく、性能を落とすことは難しくない」
「………………!!」
平然と言ってのける15才の少年に、System/360はぞっとするものを感じていた。
(なんなのだ……この右眼は……これほどのものなのか!?)
今更ながらに久礼一の言葉を思い出す。
あの男は知っていたのだ。
この右眼が。『計算する宇宙』を視ることのできる異能の右眼が、ここまで絶大な力を発揮することを。
「もちろん、僕が君を『視て』知ったとしても、それだけじゃ何もできない。
君という顕現存在のシステム構成を改変できるのは……僕がユニとつながっているからだ」
「ユニバック・ワン……!!」
結局、お前がすべての元凶なのか。
そんな感情を込めた目で、System/360はユニを見た。
「360。敗北を認めて」
そして、淡々とした視線と、厳然とした降伏勧告が返ってくる。
「あなたは負けた。私たちだけでは勝てなかった。けれど、ウツヒトがいたから負けた。
そのことを認めてほしい」
「黙れ! ユニバックのごときがこの私に命ずるというのか!?」
「あんまり吠えないでくださいよぉ。ユニ姉様は現人さんの言うことに忠実ですけど……ワタシはそうじゃないかもしれませんよ?」
脅すようにニューニが言った。右手に持った『ユニサーボ・ウィップ』がリン青銅の怪しい輝きを放っていた。
「今のあなたの能力は、ワタシ達にも及ばない……ひどい低スペなんですよね?」
「っ……」
「360。もう一度言う。敗北を認めて」
「貴様ら……!!」
「……僕たちはあなたを殺すつもりはない」
三人の意志を代表するように、津瀬現人は言った。
空に高い月が輝いていた。そろそろ日付も変わるだろう。潮風の中で振り返ると、浜岡原子力発電所の威容があった。
「ただ、あそこに手を出すのはやめてほしい。
世の中を混乱させようとするのはやめてほしい。
それが条件だ」
「命ずるなと言った! 私は偉大なる青のメインフレームだ!
誰がお前達の指示など受けるものか!
私に! この私に命ずることができるのは! 高度な技術を持った、真のコンピューティング技術者たちだ!
それを……お前達のような! 旧世代機が……ただのつまらぬヒトごときが!!」
「……あくまでそういうつもりなら、仕方ない」
ひどく残念そうに津瀬現人は首を振った。
「ユニ、ニューニ。
『ユニサーボ』で彼女を拘束できるかな?」
「できると思う」
「お任せください~」
「最後の警告だ、System/360。
諦めてくれ。負けを認めてくれ。悪巧みはやめてくれ。
さもないと、僕たちは━━」
「……命ずるなと、言ったろうがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「っ!?」
弥勒零がその瞬間取った行動は、単純にして意外なものだった。
(砂っ……!?)
自らが立つ砂浜に手を突っ込んで、一握りしたものを投げつけただけだ。
「何を……System/360、もうやめろ!!」
軽い目つぶしを食わされた現人は、いささかの洗浄液を━━つまり、涙を両目からこぼしながらそう叫んだ。
「おーおー卑怯ですねえ、誇りも何もない」
その様子を見ていたニューニは嘲笑した。偉そうな言葉はどこへいったのだと、口元があざ笑っていた。
「360。あなたは今、ウツヒトを傷つけた。許さない」
そして、ユニは右手に水銀遅延線記憶装置を顕現させた。
一切表情を変えずに、しかし言葉には確かな怒りを込めて。
「たわけ!!」
そんな三人にむけて、弥勒零は吠える。屈辱に表情をゆがめつつ、それでも折れぬ精神を誇示して、胸を張る。
「お前達はどうやら私に勝ったつもりでいるようだな……だが!」
彼女は足下にある大剣を手に取った。『アーキテクチャの大剣』。それが彼女最大の武器。
『コンピューター・アーキテクチャ』という概念を確立させた、歴史的名機。
偉大なる青のSystem/360だけが手にすることができる、究極的顕現武装。
「私は言ったはずだ。『貴様らユニバックのごときには、MODEL30で十分』と!!」
「なんだって?」
「まさか……まずっ、現人さんこっちへ!」
「ウツヒト!!」
「見立てが誤っていたことは事実! それは屈辱!
ならば━━我が全力をもって、それを晴らし、打ち消し、払い去るのみよ!!
『告知』せよ!!」
System/360は『アーキテクチャの大剣』を掲げた。刹那、あざやかな青い光の粒が放たれる。
津瀬現人は見とれるようにそれを直視しようとして、慌てて視線を逸らした。意識を散らした。
(なんだか分からないけど……)
あれは、とてつもないものだ。
(興味はある。だけど、あんなものを真っ正面から見たら)
そう、弥勒零が言ったように。
「……僕なんか、はじけ飛ぶんだろうな」
「Model91!!」
青い光が爆裂した。光の衝撃波。何の風も圧力もないはずなのに、津瀬現人はよろめいて後ずさった。
その体をニューニが受け止める。豊満な乳房の感触が背中から伝わってきた。
「ニューニ、すまない」
「現人さん、ちょっとまずいことになりましたねえ……」
「どういうことだ?」
「ウツヒト。あれを視たらいけない。片鱗だけでも危ない。
いざとなったら、私たちのことはいいから、ウツヒトだけでも逃げて。
約束して」
「ユニ、僕はそんなこと━━」
するわけがないじゃないか。出来るわけがないじゃないか。
そう返そうとしても、口に出来ないほどにユニバック・ワンの表情は真剣だった。
「あはははははははははははははははははははははは!!」
System/360の纏う装束が魔法のように変化していく。
一時代を画していることを象徴しているように、それはエキゾチックなデザインだった。印象的なのは胸元に輝く赤いブローチである。
赤いブローチにはEPOという文字が刻まれていた。その意味はわからないにしても、何かきわめて重大なものであることは明白だった。
「我はIβM System/360 Model91!
偉大なる青のメインフレームにして、もっとも古きスーパーコンピューターの一族なり!!」
「な」
スーパーコンピューター。その単語は現人に後悔と絶望をもたらした。
(だからか……!!)
唇を噛みきりたい衝動に襲われる。
だから、ユニとニューニはこんなにも慌てているのだ。動揺し、恐れ、そして最悪の結末までも想定しているのだ。
「一蹴せよ!!」
そして━━大きく剣を振りかぶるSystem/360 Model91を前にして、せめて。
「Tomasuloのアルゴリズムを以て、その命令と実行は満たされる!!」
「ウツヒト!!」
「現人さん!!」
「!!」
青い爆風が押し寄せた。『アーキテクチャの大剣』から離れた、とてつもないエネルギーが、津瀬現人をかばうように前へ立ったユニを、そしてニューニを吹き飛ばす。
「ぐぁっ……!!」
現人もまた、無事ではなかった。ほんの僅か、それを『視た』だけなのに右眼に焼けるような痛みを感じる。
(なんだ……あれ……!!)
それはぞっとするほど濃密で、そして目眩がするほどに効率的な科学技術計算そのものである。
『計算する宇宙』。
それを視ることができる、この世界で唯一の能力を異能を持ってしても、到底理解には至らない莫大な情報量である。
15歳の少年が知るはずもない。
彼が視たのは。わずかな片鱗といえども、視てしまったのは、国家機密に属する核融合爆弾の最適化計算である。
人類の歴史の中である一時、ある一点において、もっとも計算能力を要求した、頂点に位置する問題であり、処理である。
「ほう、まだ立つか、少年」
「くっ……」
弥勒零は完全に余裕を取り戻していた。傲然を通り越して、神聖さすら、その柔らかい微笑みからは感じられた。
その姿を直視しないよう、強く意識しながら現人は『アーキテクチャの大剣』から立ち上る青いエネルギーの奔流を視た。
「IβM System/360 Model91。
商用コンピューターとして。メインフレームとしてその歴史を歩んできた我が眷族の中で、唯一スーパーコンピューターに匹敵する能力を付与された、旗艦の中の旗艦モデルだ」
旗艦モデル。遠い昔の表現を口にしてから、弥勒零は自嘲するように笑った。
孫を前にして、老婆が自身の少女時代に流行っていた歌を口ずさんでしまった。そんなときのように。
「私は今からユニバック・ワンとユニバック・Ⅱを始末する」
「そんなこと……させるか!」
「よせ。前へ出るな。動くな。
戦おうとするな。
今度こそお前にも、お前『達』にも、何もできん。
一人が二人に、二人が三人になろうと、ごく僅かな誤差でしかない」
「それでも……僕は!!」
津瀬現人は両腕を広げる。その後ろで倒れて動かない、ユニとニューニを守ろうとするように。
「お前がユニ達を手にかけようとするなら……僕は戦う!」
「……ならば、せめて苦しまずに終わらせてやる」
そう言いながら、弥勒零は一枚のパンチカードを放った。
記載されているのはFORTRANプログラム。だが、その意味するところは消去。
つまり、顕現存在━━そして、顕現存在と魂の領域でリンクする津瀬現人を、この宇宙から消去するプログラムである。
「まだだ!!」
少年の細い腕がパンチカードを振り払った。青い光が、より強い金色の光に包まれて、雲散霧消する。驚愕したように、弥勒零が目を見開く。
「人間でありながら、顕現存在の行いを巻き戻しするか……IβM 704の時もそれをやったのか!!」
「僕は二人を守る!」
「傲るな! 歩むな!!」
再び数枚のパンチカードが放たれる。現人はひどい頭痛に耐えながら、そこにパンチされたプログラムを瞬時に『視た』。
度を超したオーバークロックに悲鳴をあげるCMOS回路のように、脳神経がギシギシときしむ。
僅かな知識。僅かな経験。しかし、世界で最初の商用コンピューターであるユニバック・ワンと魂の領域でつながっている現人は、それを理解し、なおかつ無効とする処理を介入させた。
「っ……僕は……僕は、お前を!!」
「ただのヒトでありながら……君は」
弥勒零は三の矢を放とうとはしなかった。
「ハァッ……ハア……ハア……アア……あああああああ!!」
「………………」
砂を一歩踏みしめるごとに、津瀬現人の右眼からは赤い血が流れた。
こめかみを手で押さえ、息を荒げ、歯を食いしばり、少年は一歩。また一歩と、System/360 Model91へ近づいていく。
「もはや━━」
「僕は!! ユニのために、僕はお前を……!!」
「手を下すまでもない、か」
全てを予測していたかのように。
そう、津瀬現人が握りしめた拳を振りかぶり、突き出すことを既に弥勒零は知っていたように、ほんの半歩。身をかわそうとする。
(こうするしかないだろう)
彼女には見えていた。今や、津瀬現人に正常な思考能力が残っていないことを。
(たった二度。しかし、奇跡のような二度。
……この少年はヒトの身でありながら、私の攻撃を凌いで見せた)
しかし、たった一度であろうともあり得るから奇跡と呼ばれるのだ。
二度続いた奇跡はもはや、奇跡ではないのだ。
(この少年は……2回の奇跡で、己の精神力を使い尽くした)
いかにユニバック・ワンと魂の次元でリンクしているとしても。
15歳の少年としては、強靱と言ってもいい精神を備えているとしても、である。
(そうだ、そのまま倒れてしまえ)
System/360 Model91には、殴りかかってくる津瀬現人の拳がまるでスローモーションのように見えた。避けるのはあまりにも簡単だった。
(このまま倒れてしまうなら、この少年だけは見逃してやってもよいか……)
そんな情けを胸中に思う余裕すら、弥勒零にはあった━━だがしかし。
「う、あ」
「な━━」
いかにSystem/360 Model91がスーパーコンピューター並みの能力を持っていたとしても、当時、及ばなかった領域はある。
(なんだこの突風は!?)
予期せぬことだった。海岸線へ突如として風速20メートル近い風が吹き付けたのである。
そう、気象予測の領域は核開発と同レベルの計算能力を必要とするのだ。
残念ながら、System/360の時代には気象分野において、コンピューターが解き明かせる問題は限定的だった。何よりまず第一に予算が注がれるのは軍事であり、そのためにこそコンピューティング技術の進歩はあったのだ。
「弥勒零……!!」
「………………!!」
突風によろめく少年の足腰には、もう何の力も残っていなかった。
風にあおられるまま、彼の五体は動いた。
空を切るはずだったひ弱な拳は、奇跡と呼ぶほどではない幸運な確率で、弥勒零が身をかわした方角を追いかける。
(馬鹿な━━)
その時点でもなお、System/360には津瀬現人の拳がスローモーションのように見えていた。予測しきっていた。
(このままいけば、少年の拳が当たるのは━━)
そう、彼女の胸元に光るEPOの文字が刻まれた赤いブローチである。
「━━━━━━」
「え?」
バチン!! と何か巨大なスイッチが降りるような音が響き渡った。そして、津瀬現人はもうろうとする意識を急速に覚まされる。
「っ……え、う、うわ……うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?
な、なんだよ、これ!?」
「━━━━━━」
System/360はまったく反応していない。現人の拳が胸元の赤いブローチへ触れたその瞬間。彼女は動きを止めた。瞳から光を失った。ただ、立ち尽くす人形と化していた。
さらに言うならば、纏っていた服はすべてはじけ飛び、遠い時代の名画もかくやという女性的極致にある裸体が、さらけだされていた。
「……EPO。
『Emergency Power off』」
しゃくり。と砂の鳴る音がして、背後から少女の声が聞こえた。苦しそうに表情を歪めながらも、何とか立ち上がったユニがそこにいた。
「ユ、ユニ。大丈夫なのか?」
「……うん。とても辛いけど、なんとか平気」
「いやあ~、もうちょっと当たり所が悪かったら、消し飛んでいましたけどね~」
服の破損はほとんどないユニに対して、ニューニの服は豪快に上半身がやぶれていた。
巨大な果実のような女性的象徴が二つ。思わず現人は目をそらす。しかし、そこには人形として化して立ち尽くすSystem/360の裸体。
「あ、ああ、ニューニも無事でよかった。でも、なんていうか……少しは気を遣ってくれ」
「ああ、はいはい。もういいですよ」
仕方なく現人が天空を仰いでいると、ニューニは自らの装束を再構成する。
視線を戻すと、ニヤニヤと笑っているユニバック・Ⅱと不満そうに頬を膨らませているユニバック・ワンがいた。
「ウツヒトのえっち」
「ち、違うんだ、ユニ。これはその、いろいろ急にあったから、ちょっと慌てて」
「違う。あまりに強い感情だったから、ウツヒトとつながっている私にも届いた。ウツヒトは心の中で、志保と比べていた」
「そ、そんなことはないって!!」
「あ~……その。え~と、そういう話は後でやってもらうとしましてですね」
呆れたように口を挟むニューニに、津瀬現人はようやく己が最優先で確認すべきことを思い出した。視線の端で、やはり裸の人形と化したまま微動だにしない、弥勒零を見つめながら、少年は訊ねる。
「ニューニ、いったい今、何が起こったんだ?
僕は何もしていないのに、勝手に弥勒零が動かなくなったんだけど」
「ええ、『何もしていない』『勝手に動かなくなった』……そうですね、歴史上、現人さんと同じことをやらかした人達は、みんなそう言いましたね」
「え……?」
「ウツヒトが触った……正確には押したのは、System/360のEPOボタン。
Emergency Power Offボタン」
ユニの白い指が、服がはじけ飛んだ人形の胸元になおも光り輝く、赤いブローチをさしている。
「エマージェンシー……緊急停止、ってことか?」
「ウツヒトの理解で正しい」
「ワタシ達、ユニバックのマシンもそうですけど、商用コンピューターっていうのは、立ち上げにも停止にも結構時間がかかるんですよ。
十分とか、ヘタしたら一時間とか」
「そんなにかかるのか」
「ウツヒトは知らないだろうけど、21世紀初頭の標準的サーバーマシンでも、全サービスが立ち上がるのは、少なくとも数分後」
「それでですね。
商用コンピューターっていうのは、たとえば、工場とか発電所とかでも使われるわけです。
火事や漏電……まあ、一刻も早くマシンを停止しないと、本気で危険な状況はあり得るんですね」
「つまりそういう時のための……緊急停止ボタン?」
「はい。あの頃のマシンには、どれもあんなふうに目立つでっかいボタンがついているんですよ」
姉にならうように、ニューニもまた、弥勒零の赤いブローチを指さす。
「ボタン以外にも引っ張るノブとか、ヒモの場合もありますね」
「最終兵器の発射スイッチみたいでかっこいいから、ついつい手を出してしまうヒトがよくいた」
「そうなんです! 魔性の魅力というわけです!!」
「……そ、それを僕は偶然押しちゃったわけか……」
「相手が顕現存在で良かったですね~。
『ほんもの』だったら、これだけで数百万……ヘタすると、億の損害が出ますからね!」
にんまりと笑うニューニに、津瀬現人はぐったりと肩を落とすことしかできない。
(偶然……幸運……奇跡……とにかく、とんでもない綱渡りだったみたいだな……っ)
忘れていたものを思い出したように激しい頭痛に顔をしかめる。
波の音が少し大きくなってきた。どうやら風が出てきたようだ。先ほどのような突風がまたいつ吹くかもしれない。
「さて、今度こそ情けをかけるのは無用だと思いますが」
「………………」
背中を押すようにニューニが言う。むろん、津瀬現人にはその言葉の意味がわかる。
今度こそ、動けない間にとどめをさしてしまえということだろう。
(でも……それでいいのかな)
少年は迷う。殺されかけた。この宇宙から消去されかけたばかりだというのに、手を下すことに迷いを感じてしまう。
「ウツヒト」
「ユニ……」
逡巡するような沈黙があった。
ふと、少年の肩に少女の手が置かれる。決して高いとは言えない体温。しかし、今の津瀬現人にはユニバック・ワンの小さな手から伝わる温度が、かけがえのないものに思えた。
「私はウツヒトの決定に従う」
「僕に決めろって言うのか」
「ウツヒトは私たちを管理するのにふさわしい存在だから」
「……まあ、まだまだ経験不足ではありますけどね」
ユニバック・Ⅱは尊敬する姉の言葉に異は唱えなかった。それでも、釘を刺すのは忘れないあたりが、彼女らしいなと津瀬現人は思った。
「わかった」
少年の答えはとうに決まっている。彼はその決定を言の葉に乗せて━━
「このまま彼女を━━System/360を見逃そう」
「………………」
「………………うん、ウツヒト」
ユニバック・ワンと津瀬現人が、暖かい微笑みを交わし合ったその時。
「甘い、な」
「っ!?」
見上げる丘の方角から何かが飛来した。それはさくりと音を立てて、現人達の眼前にある砂浜へ突き刺さる。
弥勒零の『アーキテクチャの大剣』とは異なる造りの細い剣。
(これは!?)
現人には見覚えがあった。他でもない。
これは彼を一度突き刺した剣。その名も━━
「FORTRANソード!?」
「久しぶり、と言えばいいのか?」
丘から一つの影が飛ぶ。ぞくりとした寒気が津瀬現人の背中を走り抜けた。
男が舞い降りる。男が立つ。そこにいるはずのない者が在った。
一度は津瀬現人を殺しかけた相手が、冷然として立っていた。
「IβM 704……古毛仁直!?」
「まさかSystem/360を退けるとはな。予想外だったぞ」
「……704、どうしてあなたがここにいるの?」
「それは━━」
落ち着いた、しかし強い対立の意志をこめた声で、ユニバック・ワンがそう問いかけた時、IβM 704は戸惑うように視線をさまよわせた。
そんな邪険にしないでほしい。そんな態度をとらないでほしい。そう、願うように。
「……私は確かにあのまま消え去る運命だった。
だが、ハジメ様のおかげでリストアされた。それだけのことだ」
「ハジメ様……だって?」
「360は私が回収する」
そう言いながら、古毛仁直は人形と化した弥勒零へ歩み寄ると、まるで無機物を扱うように裸体をかついだ。
肉付きのいい臀部やその他の部位がちょうど現人と正対する形になる。
僅かに頬を染めて視線をそらす現人に、ユニはむっと頬を膨らませ、ニューニは口元を笑わせた。
そして、IβM 704は何が起こっているかわからぬように、首をかしげる。
「今回もお前達の勝ちだ。見事だ、と今は讃えておく。
また会うこともあるだろう……またぶつかり合うこともあるだろう。
だが、次こそは。この奇跡も続かないと、覚悟しておけ」
「704。私たちは何度だってあなたたちを止めてみせる。
ウツヒトがいる。ニューニがいる。私はもう一人じゃない。かけがえのない大切な存在がいてくれる」
「……大切な存在、か」
どこか自嘲するように704は笑った。
津瀬現人には、男が思い浮かべている相手のことがなぜか分かった。
ユニが妹を思うように、ニューニが姉を思うように。古毛仁直もまた、姉のことを考えているのだと、分かってしまった。
「さらばだ」
「……あ」
ヒトには決して不可能な跳躍力で、古毛仁直は丘の方向へ飛んだ。
追うか? と訊ねるようにニューニが一瞥を向けてくる。津瀬現人はゆっくりと首を振った。戦いはもう終わったのだ。
「なあ、ユニ」
「なあに、ウツヒト?」
光ファイバーほどに透明なその長髪は、白く。
月の砂ほどに煌めくその瞳もまた、銀く。
小さく首をかしげて、上目遣いに現人の右眼を覗き込むその美貌は、15歳の少年の胸を高鳴らせるに十分すぎる魅力があった。
「あいつ……リストアされた、って言っていたよな」
「うん。おそらくだけど、あらかじめバックアップを取っておいて、後から存在そのものを再構成したんだと思う」
「704の姉さん……701、っていう顕現存在もそうやって復活させたりできないのかな」
その言葉はよほどユニバック・ワンにとって意外なものであるらしかった。
大きい目をさらに大きくして、丸くして、芯の抜けてしまった声でユニは言った。
「たぶん……今からでは無理だと思う」
「そうか」
月の光が浜岡原発を照らしていた。
強くなってきた海風の運ぶ砂が、少年の頬にちりちりと吹き付けていた。