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一 甘えと殺人鬼

大森パトロール社の槙野警護員が葛城警護員とペアを組みます。

阪元探偵社は浅香仁志エージェントが主役です。

 捜査員らが雨に濡れた雑木林の草むらをかき分けると、インターネットのサイトに通告されたとおりの状態で、それは出てきた。

 土曜夜の、激しい雨の中、誰もいない運動場から続く裏山の、小さく残った自然の木々の中で、湿った段ボール箱がかろうじてまだその形を保っていた。

 歪んだ紙のふたを開けると、中の様子も通告と寸分違っていなかった。

 濡れないよう加工されたメッセージカードに、美しい青年の顔写真が名刺のようにプリントされ、短い言葉が記されていた。それは今回も同じだった。

「またひとり、美しく幼い少年を、水のなかで天国へお届けしました。殺人鬼M」

 カードの下には、ビニール袋に包まれた子供の遺体があった。



 河合茂は平日昼間勤めている会社が休みの日は大森パトロール社で警護員として仕事をしているのが基本だが、日曜午後は翌日への英気を養うため可能な場合は同僚の槙野俊幸警護員の家に遊びに行くようにしている。

 この日も、広々とした一軒家の明るいサンルームで、槙野が出してくれた煎茶を飲みながら床で日向ぼっこしている三毛猫を撫でていた。

「河合さん、今度はいつミケを事務所に連れていこうかと思ってるんですが」

 槙野が笑いながらミケのしっぽを撫でる。

「そうですね。俺が一緒に前の日にお風呂に入れられるときがいいですから・・・なんなら明日とか」

「あははは。お風呂がポイントですよね。猫アレルギーの原因はやっぱりフケなので、ブラッシングはあまりしなくていいことが分かってきましたしね。」

 身長百七十センチくらいの細身の青年である茂より、身長も体重も一回り小柄な槙野は、ボディガードというよりお金持ちの上品な大学院生といった風情である。

 しかし彼は実際はさほど経済的に余裕があるわけではない点は茂と共通しており、この一軒家も何人かの同居人と共同で借りている。

「そういえばこの家、そこらじゅうに本棚がありますね」

「そうですね、本も家具もそのままで借りてます。色々なのがあって面白いですよ。河合さんは読書は?」

「文学ってよく分からなくて。最近は大衆小説というか、犯罪小説とか、それから犯罪者が出てくる漫画とかをいくつか読みました」

「仕事のためですか?」

「ええ、まあ。でもまったく無駄でした。」

「どうして?」

 茂の色素の薄い琥珀色の両目を見つめ、槙野が興味深げな顔をする。

「・・・特に漫画とか、犯罪者をヒーローみたいに描いているのが多くて、厭になって。」

「かっこいいんですか」

「そうなんです。もちろん、俺も物語に勧善懲悪なんかは求めないです。人が殺されて、犯罪者がまんまと逃げのびて一生反省せずに暮らすっていうストーリーだって全然構わない。でも、作者の視野からも、想定されてる読者の視野からも、人殺しっていうものが罪なんだっていうこと・・・悪いこと、やってはいけないことで、それは被害者だけじゃなく被害者を愛している沢山の人間を苦しめることなんだっていう、そういう基本的な認識が抜け落ちているように見えるものが、多い気がする。それが嫌なんです。」

「なるほど」

「超人みたいな殺人鬼が登場する。頭脳は天才、そしてしばしば容姿も完璧。で、訳の分からない理屈のもとに、おぞましい殺戮をする。もちろん、そういう犯罪者がいたらどんなに怖いだろうとか、そのとき周囲はどうすればいいんだろうとか、そういう疑似体験をさせてくれるという意味では、こういう設定は面白いし有益でさえあるとは思います。そして百歩譲って、日頃ストレスを感じている読者層が、超人的な犯罪者になって完全犯罪をしてみたいという願望をかなえるための物語だってあっていい。」

「うんうん」

「でも、殺人鬼のすごさに作者自身が手放しで陶酔してしまって、広げた風呂敷を閉じない怠慢な作品が目立つんですよ。」

「茂さんって、文学向きなんじゃないですか?」

「あ・・いえそれは・・・・」

「はははは。おっしゃることは分かります。殺人という犯罪の重さに作品として向き合うのをサボることも、広げまくった風呂敷をたたまないことも、それが作品に謎めいた意味深さを与えてるっていうような、勘違い。よくありますよね。前半は面白そうなのに、後半で収拾がつかなくなるような作品によく見られる。」

「そう、そうなんですよ!」

「わかります」

 ミケがニャーと鳴いて、茂のほうを見てあくびをし、立ち上がって伸びをすると廊下を歩いていった。

 太陽はさらに明るく室内を照らしている。

 茂は背筋を伸ばして槙野を見た。

「俺、作品とか芸術とかって、なにを表現しようと自由だと思います。でもこれだけは、どんな作者も逸脱してほしくないと思うんです。それは・・・・」

「ええ、どんな場合であっても」

「はい、正当防衛じゃない限り」

「そうですね、・・・・人殺しは、犯罪は、ゆるされない。”ゆるされない”というのは”行われない”、ということじゃない。起こる。今日も明日も起こる。だから描くし描くべき。でも・・・、”ゆるされる”ものじゃない。そこには如何なる言い訳も入る余地はない。そこだけは作家は間違ってはいけない。」

「そうです!」

「犯人が逮捕されるかどうかとか、反省するかどうかとか、そういう物語上の設定はいくら自由にしてもらってもいいけど」

「そうなんです。ただし、それを描いている作者が、犯罪や殺人鬼を美化するような基本的姿勢で、この法治国家日本で何かを表現するのは、ぜひやめてほしいと思うんです。」

「同意しますよ、河合さん。」

「・・・槙野さんは、でももっと高級な文学が好きそうですね」

「うーん、文学は好きです。でも、実際、やっぱり河合さんが感じるみたいなことを、感じることもありますよ。」

 庭の芝生と植え込みに目をやりながら、槙野が上品な両目を細めて笑った。

 そしてふっと槙野が立ち上がる。

「ミケ、今日お風呂にいれてもいいですか?」

「もちろん!」

 茂も立ち上がった。

「河合さん、明日の月曜は事務所に来られますか?」

「その予定です。」

「実は、・・河合さんももうお聞きかもしれませんが、次の警護案件、僕が葛城さんとペアなんです。」

「はい、平日昼間が多い案件なので俺はもともとペアになる可能性はなかったそうなんですが、波多野部長と葛城さんが教えてくれました。もう来週からに迫っているんですよね。」

「久々に葛城さんと組むので、なんだか緊張します。最終打ち合わせももう終わってるんで、明日は追加事項の確認だけではあるんですが。」

「ミケがいたらリラックスできそうですね。」

 二人は廊下へミケを探しに行った。

 奥の少し冷たい床の上で、ミケはたたずんでいた。

「ミケ。ちょっと日向ぼっこしすぎて暑かったんだね。じゃ、これからお風呂入ろう」

「ニャ」

「厭がらなくても大丈夫。」

 槙野がミケを抱っこした。

「ニャニャニャ!」

 ミケが抵抗し、茂が加勢に入った。

「ミケはもと捨て猫とは思えないくらい鷹揚な性格なのに、お風呂はなかなか好きになってくれないですね」

「お風呂っていう言葉も覚えちゃいましたしね」

 しばらくして浴室から猫の叫び声とふたりの青年の悲鳴が家じゅうに響き渡った。



 街の中心にある古い高層ビルの事務所で、ふたりの青年が応接コーナーで昼食を食べながら会話していた。

 ひとりは百八十センチくらいの長身で髪は少し長めだが、もう一人の青年ほどではない。

「ねえ、仁志。お前も弁当とかつくってみたほうがいいんじゃない?」

 浅香仁志は目の前の同僚の顔と、その手元の手作り弁当を見比べ、興味なさげに微笑んだ。

「テイクアウトでいくらでも美味しいものがあるんだから。めんどくさいことはしないよ。」

「だめだなあ。料理っていうのはね、刃物の使い方だってうまくなるし、一石何鳥でもあるんだから」

 口に弁当のおかずを運びながら、深山祐耶が説教くさく同僚を諭す。深山の肩近くまであるゆるく波打つ髪は、その異国的な容姿に似合う自然な金茶色である。

「祐耶はキャベツの千切りとかも超人的に上手いんだろうな」

「当たり前だよ。目をつぶってもできるよ。」

「本当らしいところが怖い」

「アサーシン・テストにもちろんキャベツの千切りはないけど」

「・・・・うちの・・・阪元探偵社の、殺人専門エージェント・・アサーシンっていうしくみは、そういえばいつ頃からあったんだっけな」

 深山はこれも異国的な茶色の二重瞼の両目を天井へ少し向けた。

「うーん・・・やっぱり、兄さんが社長になったときからかな。本格的には。だから前の会社のときはそういうのはなかったはずだよ。」

「殺人案件がそれほど多くなかったってことかな」

「というより、殺人というものの大変さを本格的に理解してなかったってことかもね。」

 浅香はサンドイッチを一切れ食べ切り、別の一切れを手に持とうとしたところで止まる。

「失敗例が増えてきたってことか」

「そうだね。」

 深山はこともなげに言い、弁当を全部食べ切ってしまう。

 浅香がその柔和で品のある表情でテーブルに目を落とし、長身にふさわしい長い足の両膝に両肘を置いた。

「次の案件、ちょっと気が重いんだ。」

「相手に未成年者がいるから?」

「それもあるけど、殺す価値もない気がするから」

「殺せばそれ以降の犠牲者はいなくなる。価値がないなんてことは絶対ないよ。」

「そうなんだけど。・・・殺すだけじゃ、飽き足らないっていうのが、正しい表現かな・・・。地獄の業火っていうのが本当にあるなら、永遠に焼かれればいいと思う。」

「殺すなんて手ぬるい?」

「うん。」

「まあ、仁志、お前の気持ちは僕もわかるよ。・・・」

「・・・・。」

 浅香は背後の窓からの明るい光に、両手をすかすようにした。

 深山がその手を一瞥する。

「・・・庄田さんのチームに、アサーシンはいない。その分、お前に負担がかかってるね、仁志。」

「・・・・・」

「まだ未熟な、アサーシンの卵・・・逸希くんのフォローでお前がやることもあるしね。」

「まあ、佐野もやってくれるし」

「うちのチームは、リーダーの吉田さんは最近少し殺人案件を受けておられない。まだ凌介が怪我から復帰して間もないからかもしれないけど。僕は正直、腕がなまりそうでこういうときは焦るんだ。」

「定期的に人を殺していないと焦る?」

「勘がにぶる。それは事実なんだ。もちろん、殺人案件なんて少なければ少ないほうがいい。それは会社の考え方だし、僕も同じ考えだけどね。」

「それでよくほかのチームの案件を請け負ったりしてるんだね」

「うん。」

「・・・・でも、今回のは、吉田さんに頼まなくていいよ。」

「・・・・・」

「大丈夫だから。俺がやりたいんだ。あいつらは、絶対に、ゆるさない。」

「うん。」

「それに、あの警備会社がちょっとだけだけど、関係するからね。なおのこと。俺は、庄田さんにもっともっと、安心してほしい。何にも捕らわれずに、仕事をやり遂げたいんだ。」

 深山は複雑な表情になっていた。



 茂が夜の大森パトロール社の事務所に顔を出すと、来客用出口から背の高い黒髪の美青年が出てくるのが目に入った。

 そのまま固まった茂に、美青年はその完璧な容貌に不似合いな嫌味な笑顔を向けてくる。

「河合、これからご出勤か。ごくろうさま」

「お前今日午後会社休んでたけどこんなところで遊んでたのか」

「人聞きの悪い。午後は臨時の稽古があってそれから今は日頃お世話になってる大森パトロールの警護員さんたちに親父からの届け物をお持ちしただけだ。」

「も、もしかしてまた警護の依頼か?」

 茂の不吉な予感満載の表情を、三村英一は嘲笑した。

「それはまあ、近々あるかもな。」

「げっ」

「波多野さんが、日本舞踊三村流宗家は三本の指に入るお得意様だから、いつなんどきでも御依頼は最優先でお受けしますって。嬉しいことだ。そして親父は葛城さんがお気に入りだからな。」

「お家元がどれだけ葛城さんを気に入っておられるかは知ってるけど、警護案件に応じた人選をしたほうがいいってお前からも説明しろ」

「俺には警護のことはよく分からないからな」

 茂の左ストレートを、英一はプロのボディガード顔負けの反射神経で避けた。

「くそっ」

「遅いな。そんなんで仕事は大丈夫か?」

「当分警護案件はないよ」

「葛城さんは仕事が近いようだったが?」

「ペアは俺じゃないから。」

「ふーん。珍しいな」

「土日夜間限定だからね、俺は」

「・・・・・」

 英一がふと考え込んだのを見て、茂も言葉を止めた。

「な、なんだよ」

「いや。・・・なんでもない。」

 そのまま英一は手を振り、階段から下りていった。

 怪訝な顔を元に戻し、茂が従業員用入口から事務室内へ入ると、素早く足元にミケが走ってきた。

「おお、ミケ。なんだかすっかり看板猫だなあ」

「事務の池田さんから通達が回ったからな」

 茂が前を見ると、猫の後から茂の尊敬する先輩警護員が歩いてきており、猫とともに茂を出迎えていた。

「高原さん、こんばんは。」

「おう。」

 高原晶生はすらりとした長身を曲げ、手を伸ばしてミケの頭をなでた。知的な眼鏡がよく似合うこの好青年は、大森パトロール社のみならず恐らく業界でも希少な超一流の警護員であり、またこの小さくて若い会社が設立された当時からいる四人の警護員の一人である。

「あの、通達って・・・・」

「池田さんの数々の厳しい審査をクリアしたから、今月から晴れてミケを正式な看板猫に認定するって。」

「あはははは」

「池田さんの決定には社長も逆らえないからね。」

「そうですね。」

「でもえさ代とかは出ない」

「そりゃそうですね。・・・あ、でもこの先、ほかの動物好きの警護員さんたちから、看板ウサギとか看板ハムスターとかの申請が出たらどうするんでしょう」

「そりゃあ、厳正な審査をして、ミケより優れていると判断されれば取って替わるんだろう」

「あははははは」

 茂はふと高原の肩越しに事務室内に目をやった。奥の打ち合わせコーナーで、槙野と葛城警護員とが資料を挟んで話をしている。

 槙野の顔が本当にうれしそうなので、茂は思わず微笑んでいた。

 やがて二人が話を終えて立ち上がり、葛城がこちらを振り向く。

「茂さん、こんばんは。」

 葛城怜は非常に上機嫌だった。猫が身近にいる環境で仕事ができたからに違いなかった。葛城は背格好は茂によく似ているが、髪は肩までの長さがあり、その容姿も女性と見紛うほどの繊細な美しさである。とても警護員には見えないが、高原同様この会社で最古参の警護員であり「ガーディアン」と呼ばれる一流の実力の持ち主である。

「こんばんは、葛城さん、槙野さん」

 茂と一緒に歩いてきたミケを葛城が抱き上げる。

「仕事の合間にミケと戯れると、すごく気分転換になります。槙野さん、いつも連れてきてくださりありがとうございます。茂さんも一緒にお風呂で洗ってくれてるんですよね?」

「お安い御用です。猫が大好きなのに猫アレルギーなんて、葛城さん不幸すぎますから。不幸の克服のためならなんなりとおっしゃってください」

「そういえば葛城怜不幸の話、最近新作がなくて、みんな待ち遠しいだろうな。そろそろ・・・・」

「晶生。」

 葛城の美しい切れ長の両目に睨まれ、高原は言葉を止めた。

 応接室に麦茶のピッチャーとグラスを持ち込み、二人の先輩警護員と二人の後輩警護員たちが雑談を始めると、三人目の先輩警護員がやってきた。

「あ、こんばんは、山添さん」

 槙野が嬉しそうに挨拶する。茂が葛城と頻繁にペアを組んで育成されているのと同様、槙野はかつてはよく山添とペアを組んでいたことがある。

 山添崇はトライアスロンが趣味というだけあり、いつもよく日焼けした顔は、青年というより美少年という形容が似合う愛らしい童顔である。

「槙野さん、ちゃんと準備できてますか?怜は俺と違って繊細だからよく気を使ってくださいね。」

「こら崇。なにを言ってる」

「ホントですよね、河合さん」

「あ、いえその」

「はははは」

 山添は自分で持ってきたグラスに槙野が麦茶を注ぐのを見ながら笑った。

 そして応接室のソファーに自分も座る。

 高原は山添が来た理由を理解しているように、少しだけ背筋を伸ばし、葛城のほうを見る。

「既に複数の犯罪を犯していると思われる犯人から、予告まで出ているのに、警察に保護されないというのは・・・・」

 葛城が、ゆっくりと言葉を出した。

「ふたつ理由がある。まず、非常に多くの相手に予告が出ていること。それから・・・誘拐されて行方が分からない被害者が現在いること。」

「・・・なるほどな・・・・」

 一同に重い空気が満ちた。

「警護案件は基本、担当警護員だけで情報を共有するものだけど、開始日も近づいてきたし、案件の概要を話すよ。・・・槙野さんには今回少し厳しい案件かなとは思う。茂さんであってももちろん。」

 葛城は宙に一瞬、視線を止めた。

 槙野が少し言いにくそうに、言った。

「・・・漫画かアニメに出てくるような・・・・河合さんが一番嫌いなタイプの、犯罪者です。」

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