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阿修羅  作者: sanpo


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 (かい)は机の上に積んであった美術書を持って来た。

 栞を挟んであるページを開く。

 

   ピエール・オーギュスト・ルノアール作 《金髪の浴女》


「ああ! 蒼真(そうま)さんの技術は大したしたものだな! まるきり……一緒だ! 雰囲気は」

 熱っぽく少年は喋り続けた。

「僕はホントのところ、好きじゃないんだけど、こういう絵。綺麗過ぎるよ!」

 自分の裸体画の前に並べて置く。

「ほら、全然邪気がない。ねえ、ルノアールに裸婦像は向かない、って思わない? この画家はバラ色の頬の無邪気な少女や青いリボンのブラウスを来た少女を描くべきだよ。おまけに」

 何とも表現し難い笑い方を少年はした。

 皮肉ってる? それとも嘲笑ってる?

「極めつけは――このモデルは彼の奥さんになったんだ! 丸裸にした娘と結婚するなんて、健全の極みだな!」

 そこまで聞いて、杏子(きょうこ)(きびす)を返した。

「あれ? もう帰るの?」

 先回りしてドアの前に立つ帆。

 行く手を塞ぎながら少年は訊いた。

「何を期待したんだよ、杏子さん?」

 少年は繰り返した。

「なあ? 何を想像したんだ? 昨日、裸の僕を見て。ひょっとして蒼眞さんと僕があそこで――」

 肩に置かれた少年の手を振り払う杏子。

「放して、触らないでよ!」

「蒼真さんなら、いいのか?」

「え?」

「フン、皆、蒼眞さんに惹かれるんだな?」

 聞き捨てならない。果敢にも杏子は問い質した。

()って……誰よ?」

「杏子さんや、(ゆかり)さん、それに――」

 ちょっと口篭る帆だった。

「それに?」

「……淡紅子(ときこ)さんとか、さ」

 杏子は笑い出した。

「また! そんな口からでまかせを言って! 他に名前を思いつかないからってそんなこと言っちゃダメよ、帆君」

 こういうところはまだ中学生だ。バーでクリームソーダーを注文(オーダー)するような?

 形勢が逆転したようで杏子は少し溜飲を下げた。

「何でも言えばいいってもんじゃないわよ。馬鹿らしい。だいたい……淡紅子さんは蒼真さんのお母様じゃない」

「だけど、僕、見たんだぜ」

「何を?」

「そ、それは、いろんなもの。つまり、例えば」

 少年は酷く言い難そうだった。可愛らしい顔を歪めて、

「……一緒にお風呂に入ってるとこ、とか」

「それなら聞いたわよ」

 写生している丘の上で蒼真自身が言っていたではないか。体の不自由な母の介助をした、と。

 心の優しい、親孝行な息子なら誰でもやる行為だ。別に不思議でもなんでもない。

「僕を哂ったな? 本当だぜ。それだけじゃない、僕は他にも……いろんなもの……いっぱい見てるんだ」

 

 とても口に出せないようなこと。

 

 そもそも、書生と密会する母を見たのが、人生の始まりだった。

 だから、僕は女が嫌いなんだ。

 男に(まと)わりつく女が。

 女どものああ言う姿、僕は大嫌いだ。

 あいつらときたら、皆、汚れきってる。

 (きたな)らしい。

 だから、本当はあんな姿見たくない(・・・・・・・・・)のに。

 それなのに 最近では……立て続けに……

 例えばあのホテルの一室で……

 あれが一番強烈だったな?

 だって、あの時……あの女……


 ―― 連れて行って? ねえ? 連れて行ってよ! アナタのお家へ。

    今更、私は何処へも帰れない。

    帰りたくない。


 


 ―― 女ってヤツは、皆、貪欲だな?


 (ああ、これは蒼真さんの台詞だった。)

 本当にさ! 女ってやつはどいつもこいつも……


「帆君?」

 

 少年の息遣いが明らかにおかしい。

 流石に不安になって、ドアに背を預けたまま俯いている少年の顔を杏子は覗き込んだ。

「ちょっと、大丈夫? 貧血じゃないの? サキさんを呼んで来ようか?」

 腕が伸びて手を掴まれた。

 その、見かけによらず強い力に杏子は喘いだ。

「う」

「僕は本当にいろんなものを見て来たんだ。だから、僕を子供扱いするのはやめろよ?」

「わ、わかったわよ」

 全く、この年頃の男の子は扱い難いったらありゃしない。

 机の方へ戻る帆。解放されてホウっと息を吐いたのも束の間、杏子はギョッとして目を瞠った。

「何よ?」

 少年がズボンのポケットから海軍小刀――いわゆるジャックナイフを取り出した。

「御祖父様からもらったんだよ。素敵だろう?」

 お手玉のように投げ上げながら、帆は言う。

「杏子さんさ、親友の(ゆかり)さんを連れ去った真犯人(・・・)を探してるんだったよね?」

 

 カチリ。

 

 ナイフの刃を出す帆。

「だから、僕に蒼真さんのこと監視させた……」

「あ、あれは間違いだったわ!」

 真っ赤になって杏子は遮った。

「私の見当違いだった。だから、もう結構よ! あの話はなし。取り下げるわ。忘れてちょうだい」

「へえ? 何故?」

「だって、あなた、蒼真さんの子分……犬じゃない」

 つい本音が出てしまった。だがもうこうなったら本当のことを言うより他ない。杏子は正直に思っていることを吐露した。

「そんなあなたに『蒼眞さんを見張れ』なんて頼んだ私がバカだった。人選を間違えたってことよ」

 少年はひどく傷ついた顔つきになった。

「酷い言い方だな、それ。杏子さん犬を侮辱したんだぞ、ハチ公に謝れよ」

「は?」

 ハチ公は最近帝都の渋谷駅前に銅像が立ったほどの忠犬である。

「知らないの? 飼われてれていたのは一年足らずなのに、その後十年以上も、急死したご主人の帰りを駅で待ち続けたんだよ。凄いよなあ!」

 犬の話をする少年は年相応に無邪気に見えた。

 が、また口調が変わる。

 瞳が青く燦いた。

「でもさ、ホントのところ、うちのゴルトムントなんて、飼い主である僕の言うことを全然聞かない時がある。つまりさ、犬だって反抗するんだぜ? ご主人の命令に背くこともある――」

 暫く黙った後で、帆は言った。

「ねえ? 実は……僕は、紫さんを連れ去った〈真犯人〉が誰か、知ってるって言ったら……杏子さんは信じる?」

「え?」

 やおら、身を翻すと、帆はナイフを振るった。

「きゃー……!」





 


☆本編中のルノアール《金髪の浴女》は米クラーク美術館蔵。

こちらを検索してみてください。展示作品の中、右下がそれです。

  http://mimt.jp/clark/kiseki.php

  

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