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旧イラク共和国バグダッド近郊を多国籍軍兵士達の放つ銃声が蹂躙する。
しかし、彼らが銃口を向けているのは多国籍軍の敵――アラビア兵では無い。
「はあッ、はあッ、はあッ! チクショウッ! 何なんだよ、コレはッ!? アラビア軍が『こんなモン』持ってるなんて聞いてねえぞ!」
山中吾郎一等兵は顔から大量の冷や汗を流しながら切羽詰った様子で吐き捨てた。
その時だった。
「うわああああああああああああッッッッッ!! だ、誰か! 誰か助けてくれええええええええええええええええええええッッッッッッッッ!!!」遠方で悲鳴。
「くそッ! またか!」
山中は舌打ちしながら叫び声のした方向に銃を向ける。
彼の視線の先には――巨大な『蟻』が一人の兵士に大量に群がっている光景が広がっていた。
『蟻』――そう、昆虫の蟻だ。だが、先述の通り、大きさが通常のモノとは違う。体長は一メートル近くあり、ついでに言っておくと『生物』ですら無かった。
つまり、ロボットだ。軍事用に、兵器として最適化された無人兵器だった。
「くそッたれ! この虫共がああああぁぁぁッッッッ!!!」
山中は群がった蟻達に向けてありったけのライフル弾を叩き込んだ。
黒光りする蟻の装甲から火花が散り、ベキベキとひしゃげ、次々に行動停止していく。山中はライフルの引き金を引いたまま蟻の群れに突撃、残り少ない蟻を兵士から引き剥がし、地面に叩きつけ、ライフル弾でぶち抜く。
周囲の蟻を排除した山中は地面に倒れる兵士に駆け寄る。
「大丈夫かッ!?」
しかし、
「う……あが……」
倒れた兵士の身体は、さながらチェーンソーで切り裂かれた様に目も当てられない程ズタズタになっていた。歪な形の傷口からはドクドクと鮮血が溢れ出し、すでに手遅れになっている事を物語っている。
「クソッ!」
山中は吐き捨て、すぐさま瀕死の兵士から目を逸らし、その場から離れる。これ以上ここにいれば今度は自分が蟻達の餌食になりかねない。
自分を猛追する数十匹の蟻から距離をとり、懐から手榴弾を取り出すと、歯でピンを抜き、投げつける。
蟻達の中心に落ちた手榴弾が起爆し、爆炎と共に蟻をまとめて吹き飛ばす。
だが、
「――ッ!!」
ゴアッ!! と、爆炎を切り裂いて跳躍してきた一匹の蟻が山中の左肩に噛み付いた。
太く鋭い牙がギリギリと肉を食い破り、傷ついた神経が悲鳴を上げる。
「がッああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
叫びながらも蟻を肩から引き剥がそうとするが、凄まじい顎の力がそれを許さない。山中の直感が危険信号を発する。このままでは蟻に群がられ、先程の兵士と同じ運命を辿る事になる。
「くそッ! 離れやがれええええッッ!!」
片手では扱えないライフルを投げ捨て、拳銃を抜くと、至近距離で発砲する。しかし拳銃の九ミリ弾は蟻の装甲を僅かに凹ませただけで、破壊するにはいたらなかった。
(ダメだ……! 火力が足りねえッ……!)
こうしてる間にも、複数の蟻がこちらに迫ってくる。
身体をズタズタに切り裂かれるイメージが脳裏をよぎる。
――殺される。
そう思った瞬間だった。
「動かないでッ!!」
「!?」
突然の声に身体が硬直した直後、連続した銃声と共に蟻の装甲が砕け、残骸が崩れ落ちた。
弾の飛んできた方向に振り向くと、一人の女性兵士がライフルを構えてこちらを見据えていた。
「こっちです! 早く!」
「ワリィ! 助かった!」
未だに肩に噛み付いた状態のままぶら下がる蟻の頭部を引き剥がして投げ捨て、地面に転がっていた自分のライフルを拾うと、女性兵士の方に駆け出した。
石造りの住宅街が並ぶ一角に逃げ込んだ山中と女性兵士は、半壊した住宅の一つに身を隠した。
「何とか撒いたが……すぐにまたセンサーで気づかれちまうぞ……」
「見つかる前に対策を考えるしかないでしょう……」
負傷した左肩に包帯を巻いている山中の隣で女性兵士が言う。
「つっても、あの数だぞ……おまけに拳銃程度じゃ撃ち抜けない。しかも――」
言いながら、懐から無線機を取り出す。
「あの蟻共の機能なのかは分からねえが、この一体に電波障害が起きてやがる……。このせいで助けを呼ぶ事もできねえ……。クソッ! こんなの聞いてねえぞ!」
そう、元々山中達、工兵部隊の任務はバグダッド近郊のティグリス川に進軍用の橋を建造する事であり、あの意味の分からない蟻と戦う事では無い。
実際、バグダッドに着いた時にはあんな物など無かった。順調に橋を建造していた所で突如、あの今までに見た事も無いような謎の兵器が現れ、兵士達を惨殺し始めたのだ。
「あの時、橋はすでに八割がた完成していました……私達の邪魔をするつもりならもっと早くに蟻を投入していたハズです……となると……」
「連中の目的は別にあるって言いたいんだろ?」
女性兵士が呟いた所で、不機嫌そうな山中の声が飛ぶ。
「はい……しかし、それが何なのか……」
「アンタ、一つ勘違いしてるぞ」
「え?」
山中の言葉に女性兵士が疑問の声を発する。山中は軍服の内ポケットから何かを取り出すと、それを女性兵士に投げ渡した。割れてヒビが入っている薄いプレートである。
「ブッ壊れた蟻の中から出てきたモンだ。見てみろ」
言われた通り、彼女はそれの表面を覗き込む。そして眉をひそめた。
「え……『コレ』って……」
「分かったか? この襲撃は――」
山中が続きを口にしようとした瞬間、
ドバッッ!! と。
住宅の壁が押しかけてきた蟻の大群の重みによって押し潰された。
「なッ……!?」
石造りの壁がガラガラと音を立てて崩れていく。砂塵と共に五十匹程の蟻が姿を現す。
家そのものが破壊される事は無いだろうと思って、半壊してできていた穴の方しか警戒していなかった二人は完全に意表を突かれた。
反応が一瞬遅れる。
それが命取りになった。
「きゃああああああああああああああああッッッッッッッッ!?」
「ッ!? しまッ……!」
一瞬で蟻が女性兵士の方に群がり、軍服の上から柔肌を喰らう。女性兵士が顔を苦痛に歪め、蟻から逃れようともがく。
「待ってろ! すぐに助ける!」
「来ないでッ!」
「!?」
女性兵士に群がる蟻にライフルを構えた瞬間、彼女が叫んだ。
「コレを!」
そう言って、山中の足許に先程のプレートを投げ込む。
「もしアナタの予想通りなら、多国籍軍が危ない! アナタはそれを持ってベースゾーンまで逃げて!」
「じゃ、じゃあアンタはどうすんだよ!?」
「わ、私は……あぐッ、もう……助からないッ……! だからアナタだけでグギュエッ!」
彼女が言い終わる前に、蟻の一匹が彼女の顔面に噛み付いた。血が吹き出し、次いで耳をつんざく様な絶叫が辺りを木霊する。
山中はその光景を恐怖した表情で眺めていたが、
「クソおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
叫び、足許のプレートを拾い上げると一目散に駆け出した。
半壊した住宅の壁を飛び越え、追随してきた蟻をライフル弾で撃ち抜く。
住宅街はすでに大量の蟻達によって占拠されていた。あまりにも統率された蟻達の動きに悪寒を覚える。
(機械ッつうだけで、本質は本物の蟻と変わんねえッ……! こんな高度なAIを一体誰が作ったってんだ……!)
横合いの路地裏に飛び込み、バックパックから取り出したプラスチック爆弾のC4に電気信管を突き刺す。電波障害が起きているので、無線による任意起爆はできない。十秒後に起爆するようタイマーをセットし、複数のC4を細い路地にばら撒きながら走る。
路地から飛び出た瞬間、近くの建物の中に転がり込み、耳を塞ぎ、身体を伏せる。
直後、
ボッゴオオオオオオオオオオオォォォォォォォッッッッッッ!!! と。
全てのC4が連鎖的に爆発し、路地に入り込んでいた蟻がまとめて吹き飛ばされた。
「ぐァああああああああああああああああああああああああああああッッッッッッッッッッッ!!!」
充分な距離を取れていないまま起爆させたせいで、強烈な爆音と爆風が山中の身体を蹂躙する。
しかし、これで終わりでは無い。潜んでいる蟻の数はまだまだこんなものでは無いハズだ。
痛む身体を無理矢理起こし、おぼつかない足取りで走り出す。
何としても生き残らねばならない。
ここで意味も分からず殺されていってしまった兵士達の為にも。必ず、生きてこの情報を伝えなければならない。
と、そこで不意に身体の左側に奇妙な感覚が走った。
直後、ゴリンッという異質な音。
ボトリと。
粘質な音が地面に響き渡る。
身体の左側に視線を落とす。
――山中の左腕が肘の辺りから噛みちぎられていた。
背後には無数の蟻が集まってきていた。
頭部に備え付けられた眼球状のカメラレンズが山中を捉えて離さない。
「…………、」
ゴトッ、と右手に握っていたライフルが落ちる。
「……すまねえ……皆…………」
――その瞬間、彼は一体どんな表情をしていただろうか。