↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
貞操逆転世界のメンズエステで働くことになった  作者: カラスあげます


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/17

金のない大学生、メンズエステを知る

金がない。


大学二年生、一人暮らし二年目。

俺――佐伯恒一(さえきこういち)の現状を簡潔かつ正確に表現するなら、その四文字に行き着く。


「……三千八百円か」


ボロアパートの自室で、使い古した財布を逆さにするようにして覗き込む。

出てきたのは、くたびれた千円札が三枚と、数枚の小銭。

給料日までは、あと丸々五日。銀行口座の残高も、これと大差ない惨状だった。


別に浪費家というわけじゃない。

パチンコも競馬もやらないし、ソシャゲに重課金しているわけでもない。

大学に通い、週に数日は居酒屋で汗を流し、たまに友人と安いメシを食う。ごく普通のキャンパスライフを送っているだけだ。

それなのに、家賃、光熱費、スマホ代、サークルの付き合いという名の生活費という名の底なし沼に、稼いだ先から金が飲み込まれていく。


「納豆と卵はある。……よし、五日間これだけで凌げば死にはしない」


冷蔵庫を閉め、俺はそのままベッドへダイブした。

ギシと嫌な音を立てるスプリング。天井のシミを見つめながら、溜息を吐く。


金が欲しい。切実に、心から。


そして、俺にはもうひとつ――この世界の「前提」に関する、小さな違和感があった。


俺はこの世界に生まれた普通の人間だ。異世界転生をしたわけでも、前世の記憶を持って生まれ変わったわけでもない。


俺自身の持つ貞操観念や「普通」の感覚は、昔から何ひとつ変わっていないはずだった。

だが、高校生から大学へと進むにつれ、俺以外の周りの連中の価値観だけが、まるで最初からそうだったかのように、いつの間にかすり替わっていったのだ。


取り残された俺の前に、それは拭い去れない決定的な違和感として立ちはだかっていた。


――この世界は、男女の価値観が根底から逆転している。


男性が女性に声をかけるのは「積極的で好ましいアプローチ」であり、女性が男性に声をかけると「ナンパか?」と警戒して身をすくめる。

恋愛においても、告白するのは基本女性。デートの店を選び、車で迎えに来て、奢るのも女性の役割だ。


性的な価値観だってそうだ。


大学の講義室の後ろで「先週末、新しく引っ掛けてさ」「やるじゃん、お前何人目よ?」なんて経験人数を誇らしげに語り合うのは女子グループだし、逆に男子同士は「俺、実はまだ経験なくて……」なんて顔を赤らめて囁き合っている。


最初は戸惑った。天地がひっくり返ったのかと思った。

だが、人間というのは恐ろしいもので、住めば都、慣れれば日常である。

大学生にもなった今では「まあ、そういう世界なんだろ」と受け入れて生きていた。


ただ、男女逆転世界だからといって、男であれば無条件でチヤホヤされてイージーモードになるかと言われれば――答えはNOだ。


「……俺じゃな」


スマホの暗い画面に映る自分の顔を眺める。

髪型はごく普通。顔立ちも、特別イケメンというわけでもなければブサイクでもない。大学の男子の中で並べれば、中の下か、せいぜい真ん中あたり。身長167センチ。


ただ、大学に入ってから密かに続けている自重トレのおかげで、脱げばそこそこ引き締まっている程度だ。


この世界でも、当然「イケメン」や「あざとい系男子」がモテの頂点に君臨する。俺のような「中身も見た目も普通の男」に、都合よく金持ちの美少女が寄ってくるなんてうまい話はない。


「はぁ……もっと手っ取り早く稼げるバイト、ないかな」


俺は寝転がったまま、スマホで求人サイトをスクロールし始めた。


居酒屋、コンビニ、家庭教師、倉庫作業。

提示されている時給はどれも1,200円〜1,300円程度。大学の講義と両立しながらこれだけで生活を激変させるのは、どう考えても無理だ。


その時、開けたままの窓の外から、妙に重低音の効いた賑やかな音楽が聞こえてきた。

身を起こして窓の外を見下ろすと、夜の街をド派手なトラックが走り抜けていくところだった。

ネオンのようなLEDで彩られたトラックの荷台には、デカデカと文字が躍っている。


『高収入! 女性を癒やす極上のナイトワーク!』


「……夜職か」


この世界では、男性が女性客を相手にするナイトワークは別に珍しくない。むしろ、肉食系な女性たちの需要を受けて、かなり巨大な市場を形成している。

ホスト、レンタル彼氏、あるいはもっと過激な風俗店。


トラックの明かりが遠ざかっていくのを見送りながら、ふと、悪魔のような考えが頭をよぎった。


「……この世界なら、俺でもワンチャン稼げたりすんのかな」


口に出してから、自分で失笑する。

何を考えているんだ。俺が夜職? 冗談じゃない。

風俗なんてトラブルが怖すぎるし、ホストだって客の女たちと酒を浴びるように飲まされ、太客の執着に怯える羽目になるに決まっている。


だが、一度芽生えた欲望の芽は、貧困という肥沃な土壌でグングンと育っていく。

俺は吸い寄せられるように、検索フォームに指を走らせた。


『男性 高収入 夜 未経験』


検索結果には、怪しげなスカウトやホストクラブの求人がズラリと並ぶ。

その中で、ひとつの求人ページが俺の目を捉えた。


『メンズエステ』


「……メンズエステ?」


指が止まる。

メンズエステ。俺の知っているうっすらとした知識では、女性セラピストが男性客を癒やす店のはずだが――求人ページを読み進めて、思わず目を見張った。


『男性セラピスト大募集!』

『お客様は100%女性!』

『完全個室アロマトリートメント』

『未経験歓迎・しっかり研修あり』


「マジか……男性が施術する側がメインなのか」


やはりこの世界、女性客が男性セラピストに癒やし(あるいはそれ以上)を求めるメンズエステの方が市場として圧倒的にでかいらしい。

そして、その横に躍る太文字のキャッチコピー。


『日給6万円可能!』


「ろ、六万……!?」


思わず声が出た。

一日で六万。今の居酒屋バイトなら、十日間フルで入ってようやく届く金額だ。たった一日で、それが稼げる?


「いやいや、どうせ誇大広告だろ。トップ指名の奴がたまたま稼いだ最高額を書いてるだけだ……」


頭ではそう理解しつつも、スクロールする指が止まらない。


『風俗店ではありません。あくまでリラクゼーションを目的としたサロンです』

『アロマオイルを使用した全身トリートメント』

『完全予約制・マンション型店舗』


風俗ではない。酒も飲まなくていい。

個室で、女性客にマッサージをするだけ。

しかも、この世界では「男性から施術を受ける」ということ自体に価値を感じる女性客が山ほどいる。


「……それに、俺、身体は多少鍛えてるしな」


お腹をさする。腹筋はうっすらと割れている。

プロフィール写真くらいなら、それっぽく見せられるかもしれない。


それに――男として、本当にごくわずかな下心がなかったと言えば嘘になる。

この男女逆転の世界で、女性から「求められる」側の仕事。

ちょっとだけ、興味があった。


店名は『GOD SELENE SPA(ゴッドセレーネスパ)』。

白とゴールドを基調としたWebサイトは妙に高級感があり、怪しげな雰囲気を上手く消している。


「……まあ、話を聞くだけならタダだしな」


俺は半ば自棄っぱちに、応募フォームへ個人情報を打ち込んでいった。

名前、年齢、大学、連絡先。

志望動機の欄には、『接客経験を活かし、新たな分野で挑戦したい』と、就活生のような無難な嘘を添えて。


送信ボタンをタップ。


「ふぅ……さて、返事は明日か明後日か――」


ベッドにスマホを放り投げようとした、その瞬間。


ブブッ、と手元でバイブが震えた。


「うおっ、早っ!?」


送信からわずか二分。

画面には、店舗側からのメッセージが届いていた。


『ご応募ありがとうございます! ぜひ一度お会いしたく思います。つきましては、明日の夕方、○○駅前の喫茶店でお話できませんか?』


とんとん拍子すぎる展開に、一気に心臓が跳ね上がった。


「マジかよ……本当に面接行っちゃうのか、俺……?」


だが、ポケットの中の三千八百円が、冷たく俺の背中を押していた。



◇



翌日。指定された駅前の老舗喫茶店。


俺は一応、派手すぎない無地のシャツに黒のチノパンという、清潔感を意識した服装で店に入った。

店内に視線を走らせると、奥のボックス席に座っている一人の女性と目が合った。


(……え)


思わず、足が止まる。


そこにいたのは、めちゃくちゃ綺麗な大人の女性だった。

年齢は三十代半ばくらいだろうか。

派手なメイクや夜職っぽいギラついた雰囲気は一切なく、落ち着いた雰囲気を纏っている。肩にかかる黒髪と、すっと通った鼻筋、そして柔らかく笑う薄い唇。


だが――何より目を引いたのは、その「肉体」だった。


薄手のニットを着ているのだが、そこから浮き出る身体のラインが、とにかく艶めかしい。

細身というわけではない。胸元から腰、そして太腿にかけて、豊満でむっちりとした丸みがある。服の上からでもわかる柔らかそうな肉感。

普通の普段着のはずなのに、溢れ出るフェロモンが隠しきれていない。


(な、なんだこの人……凄まじいな……)


慌てて視線を胸元から顔へ戻す。


「佐伯くん?」


彼女が、優しく鈴を転がすような声で俺を呼んだ。


「あ、はい! 佐伯恒一です」


「はじめまして。GOD SELENE SPAの店長をやっている、神崎(かんざき)です。座って」


「あ、失礼します」


対面に腰を下ろすと、ふわりと甘いアロマのような良い香りが漂ってきた。


「飲み物、好きなの頼んでね。奢るから」


「あ、じゃあアイスコーヒーで……ありがとうございます」


注文を終えると、神崎さんは頬杖をつき、じっと俺の顔を観察するように見つめてきた。その瞳に射抜かれ、俺は思わず背筋を伸ばす。


「ふふ、そんなに緊張しなくて大丈夫だよ。固い面接じゃないから」


「あ、はい……」


「大学二年生だよね? 一人暮らし?」


「そうです。居酒屋でバイトしてるんですけど、ちょっと生活費が厳しくて……」


「大変だよねぇ、今の学生さんは。うちに応募してくれたのは、やっぱり……『日給6万円』に惹かれたから?」


クスッと悪戯っぽく笑う神崎さん。

隠しても仕方がない。俺は腹を括って頷いた。


「……ぶっちゃけ、そうです。背に腹は代えられなくて」


「いいよ、正直で。そういう男の子、嫌いじゃないな」


神崎さんはアイスコーヒーにストローを挿しながら、身を乗り出してきた。胸元のニットが少し引っ張られ、豊かな隆起が目の前に迫る。毒毒しいまでの色気だ。


「うちの仕事、どんなことするか分かってる?」


「えっと、女性のお客様にオイルマッサージをする……んですよね? 求人には風俗店じゃないって書いてありましたけど」


「うん、基本的にはリラクゼーションサロン。でもね、オイルを使って密室で一対一で施術するわけだから……やっぱり、距離感はすごく近くなるよ」


「距離感、ですか」


「そう。お客さんによっては、ちょっと過激なスキンシップを求めてきたり、距離感がバグってる人もいる。そういう時、上手くあしらったり、逆に喜ばせたりできる度胸が必要かな」


神崎さんは、ふっと意味深な笑みを浮かべた。


「じゃあ……その、どこまでが『OK』なんですか? 風俗的なサービスとかは……」


俺が恐る恐る尋ねると、神崎さんはくすりと微笑み、人差し指を自分の唇に当てた。


「ふふ……まあ、そのへんはねぇ」


「……そのへんは?」


「働き始めれば、そのうち分かるよ」


「……」


煙に巻くような答え。だが、その瞳の奥には、素人男を罠に誘い込むような妖しい光が宿っていた。


「とりあえず、うちは人気が出れば一日10万以上稼ぐセラピストも普通にいるから。佐伯くん、身体も引き締まってるし、顔立ちも清潔感あるから……鍛えればかなり化けると思うよ?」


「じ、十万……」


一日で十万。そんな世界があるのか。

喉の奥がカラカラに乾くのを感じた。


「どうする? やってみる?」


「……やりたいです。よろしくお願いします!」


「はい、採用! じゃあ、今から早速、お店(ルーム)見に行こっか。軽い研修もやっちゃおう」


「え、今からですか!?」


「百聞は一見に如かず、でしょ? 行こう」


神崎さんは優雅に立ち上がると、伝票を持ってレジへと向かった。その安産型のみっちりとしたヒップラインを目の当たりにし、俺はごくりと唾を飲み込んだ。



◇




喫茶店を出て、駅から徒歩五分ほど。

大通りを外れた静かな住宅街の中に立つ、築年数の経ったごく普通のマンションの前に到着した。


「……ここですか?」


「そう、302号室。うちの店舗のひとつ」


「あの……これ、普通の賃貸マンションですよね? ここで営業して警察とか近隣から文句言われないんですか……?」


俺が懸念を口にすると、神崎さんはあっけらかんと言い放った。


「まあ、そのへんは上手くやってるから大丈夫大丈夫♪」


(ほんとうに大丈夫なのかな……)


一抹の不安が頭をよぎるが、引き返すタイミングは完全に逃していた。

エレベーターで三階へ上がり、302号室のドアを開ける。


カチャリ。


「どうぞー」


足を踏み入れると、中はシンプルなワンルームだった。

余計な家具はなく、部屋の中央にはドカンと厚手の防水施術マットが敷かれている。棚には大量のタオルと、アロマオイルのボトル。


「うちはマンション型の省スペース店だからね。無駄な経費をかけてない分、セラピストへのバック率が高いの」


「なるほど……」


「よし、じゃあ佐伯くん。まずはシャワー浴びてきて」


神崎さんは部屋の隅にある棚から、用意されていた着替えの袋を取り出した。


「えっ、シャワーですか? 今から?」


「当たり前でしょ。研修でオイル使うんだから。服に付いたら落ちないよ? はい、これに着替えて」


渡された袋を受け取り、中身を確認する。

上が、かなり生地の薄い半袖Tシャツ。

写真や文面から想像していた以上に、薄い。

そして、下は――


「…………は?」


俺の動きが固まった。

手の中にあったのは、黒い、明らかに布面積の異常に少ない布きれ。


「あの、神崎さん」


「ん?」


「これ……なんですか? パンツ……ですか?」


「そうだよ? メンズエステ用の施術パンツ。ブーメランタイプ」


神崎さんはニコニコと、当然のように頷いた。


「え、これ……ほぼ紐じゃないですか!? 履いたら横とか丸見えというか、股間が強調されまくりますけど!?」


「男子セラピストはみんなこれ履いて施術するの。お客さんにオイルがつかないようにね。あと……やっぱり、女性客も目の保養に来てるんだから、スタイルが見えた方が喜ぶでしょ?」


「喜ぶって……そんな、こんな細くて頼りないパンツ……」


「ほらほら、モジモジしない! シャワー浴びて、それ履いて出ておいで。お姉さんがミッチリ、オイルマッサージの基礎を『身体で』教えてあげるから」


神崎さんは妖艶な笑みを浮かべ、俺の背中をポンと叩いた。


薄手のTシャツと、絶望的に細くて頼りない黒のブーメランパンツ。

手の中の布きれを見つめながら、俺は冷や汗を流していた。


金のために飛び込んだ、高収入メンズエステの世界。

……俺は、とんでもない世界に足を踏み入れてしまったのかもしれない。


「……マジかよ」


絞り出すような小さな呟きと共に、俺のメンズエステ研修は幕を開けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。