第5章 追跡
嫌な予感は、外れなかった。
夜。
街のざわめきが少しずつ静まっていく時間。
俺は部屋の中で、じっとしていた。
「……」
陽菜は、ベッドの端に座っている。
何も言わない。
ただ、空気の変化を感じ取っている。
「……出るぞ」
短く言う。
「え……?」
「ここ、もう安全じゃねえ」
それだけで十分だった。
陽菜は何も聞かず、静かに立ち上がる。
最低限のものだけ持たせる。
荷物なんていらない。
必要なのは——
動けることだけだ。
ドアに手をかける。
一瞬、止まる。
(……来てるな)
開ける。
外の空気は冷たかった。
だが、それ以上に——
“いる”。
「……こっちだ」
陽菜の手首を軽く掴み、歩き出す。
静かに、早く。
人の少ない道を選ぶ。
だが——
「……いたぞ」
低い声が、背後から聞こえた。
チッ。
振り返らない。
そのまま速度を上げる。
「走れるか」
「……はい!」
その一言で十分だった。
走る。
アスファルトを蹴る音。
後ろから、複数の足音。
増えている。
(……囲まれてるな)
角を曲がる。
細い路地。
暗い。
人はいない。
一瞬で判断する。
「……止まれ」
陽菜を壁際に寄せる。
「動くな」
次の瞬間——
背後から男が飛び込んでくる。
速い。
だが——
遅い。
体をひねり、腕を掴む。
そのまま、地面に叩きつける。
鈍い音。
一人、沈む。
すぐに次が来る。
拳。
蹴り。
ナイフの光。
「……っ」
避ける。
流す。
叩き込む。
一人、また一人と倒れていく。
だが——
「数が多いな」
低く呟く。
陽菜の方を見る。
壁に背をつけて、必死に耐えている。
(……ここじゃまずい)
長引けば終わる。
「……行くぞ!」
最後の一人を蹴り飛ばし、陽菜の手を掴む。
再び、走る。
息が荒くなる。
だが止まれない。
後ろから、また足音。
「……しつこいな」
ふと、違和感。
足音の質が変わる。
軽い連中じゃない。
もっと——
統率された動き。
(……本命か)
路地を抜け、大通りに出る。
人がいる。
明かりもある。
だが——
「無駄だ」
低い声が、前から聞こえた。
足が止まる。
そこに立っていたのは——
黒いコートの男。
顔は影で見えない。
だが、その存在だけで分かる。
今までの連中とは、違う。
「……下がってろ」
陽菜に言う。
「……はい」
男は一歩、前に出る。
「神崎蓮」
名前を呼ばれる。
「……誰だ」
答えは返ってこない。
ただ——
わずかに口元が動いた気がした。
「……変わらないな」
その一言。
胸の奥が、ざわつく。
どこかで聞いた声。
だが、思い出す前に——
男は消えた。
「……っ!」
横から衝撃。
防ぐ。
重い。
今までとは比べ物にならない。
「……チッ」
押し返す。
距離を取る。
男は、無言のまま構えている。
戦えば分かる。
(……強い)
そして——
どこか、懐かしい。
一瞬の隙。
その間に、後ろから気配。
囲まれた。
「……くそ」
陽菜を見る。
(……ここで戦い続けたら終わる)
判断は一瞬。
煙のように、思考がまとまる。
「……走れ!」
陽菜の背中を押す。
「でも——」
「いいから行け!」
強く言い切る。
陽菜は迷いながらも、走り出す。
それでいい。
男たちの視線が、俺に集中する。
「……お前が囮か」
小さく笑う声。
「……そういうことだ」
拳を握る。
逃げるためじゃない。
守るために。
(……今度は、逃がす)
男たちが動く。
夜が、再び騒がしくなる。
そして——
この追跡は、まだ終わらない。




