コダマの言い伝え
部屋に戻ってからも、シーノは心晴れず外を眺めていた。
その様子を、ルームメイトであるロックスが心配そうに見ていた。
「あいつ、ちゃんと逃げられるかな?」
呟くように言うシーノ。
視線の先には、連日のように入り浸っていた森が広がっている。
兵士達が寝泊りしている部屋は城の一角にあり、城下町も一望出来る。
いち兵士には勿体無いくらいの絶景だ。
部屋は二~四人部屋になっており、簡易な棚やテーブル、椅子などの必要なもの以外はほとんど置いていない。
窓には木窓がはめ込まれており、隙間風がいつも部屋を回っている。 あまり部屋にこもることが無い兵士たちには、寝られるだけで充分なのだ。
二人の間にあるテーブルには、さっきの革袋が二つ、ドン!と載っている。
それをチラッと見て、ロックスはハァッと息をついた。
「じゃ、引き渡すことなかったんじゃねーの?」
シーノはロックスを見た。
「んだよ。 これしか方法が無いって思ったんだよ」
革袋から視線を逸らせるようにまた外を見た。 するとすぐに、思い立ったように座っていた窓辺から下り、部屋を出て行こうとした。
「どこ行くんだよ?」
尋ねるロックスに、
「ちょっと」
それだけ言うと、手ぶらのまま外へ出た。
「んだよ……」
取り残されたロックスは、ドサッとベッドに寝転がり、テーブルの革袋を見て、やり場の無いように頭をかきむしった。
シーノは城を出ると町へ入った。
夕刻に差し掛かり、家々から美味しそうな匂いがする。
そういえばまだ夕飯を食べていなかったな……
だが今はそんな気分でもない。
人通りのまばらな中を歩き、一軒の前に立つと、扉をノックした。
しばらくして、五十代位の男性が出てきた。
突然の兵士の訪問に驚く男性に、シーノは尋ねた。
「コダマの事を教えて欲しいんですが、お婆さんはいますか?」
「コダマ?」
いぶかしがる男性の後ろから、小さな人影が現れた。
「コダマを捕らえてはならん」
森へ入る初日に、必死で訴えていた老婆だ。
それから何度か森へと行き来する兵士に訴えているのを、シーノは見ていて気になっていたのだ。
「コダマを捕らえると、一体どうなるんですか?」
家の中に通されたシーノは、老婆の話を聞き始めた。
老婆はしっかりとした口調で、我が子に語る昔話のように語り始めた。
森にはコダマが居る。
世界中にどれだけ居るのか、それは誰も知らない。
そもそも、コダマというのはどういうものなのかも分からない。
噂でしかなかったからだ。
ただ、森の中の平穏が乱れた時、コダマは姿を現すという。
例えば……
人の故意の性で山火事が起きた時、雨雲を呼び一瞬で火を消したという話もある。
そしてその犯人を含め、村が丸ごと森に飲み込まれたとか、恐ろしい噂も広まった時期もあった。
逆に、木々を大切にし動物達と共存をすることに協力的であれば、助けるように恵みを与えてくれる。
見えないけれども、大きな影響力を持っているコダマ。
触らぬ神に祟りなし、とはよく言ったものだ。
『歌は癒し、泣けば水晶、死して泉』
それが、コダマの姿なのだという。
話を聞き終わると、シーノは木でできた机の上にチャリンと何枚かの金貨を置き、驚いている家人に
「ありがとう」
と礼を言うと外に出た。
その後を、おぼつかない足取りで老婆が追った。
「兵士さんの名は……?」
「シーノと言います」
「シーノ様、どうか……どうか、コダマを守ってやってください。 どうか……」
拝むように何度も頭を下げる老婆の肩に手を置くと、シーノは何も言えずにその場を離れた。
外はすっかり夜である。
心地よい風がシーノを撫でる。
老婆の話を思い起こせば、サージヤ ジュニア王は確か、「声を聴きたい」と言っていた。 それ以上の事は何も言っていない。 という事は、その後の『泣けば水晶、死して泉』というくだりは知らないのか。
それに老婆の話では、『雨雲を呼び火を消した』とか『村を飲み込んだ』とか、シーノの知っているコディには到底出来そうも無い噂話ばかりだ。
『どこまで信じていいのか……』
だが、コダマの事を案じているのは確かなようだ。
老婆の小さな瞳には、必死な思いがこもっていた。
そうでなければ、何度も屈強な兵士の前に立ちはだかりはしないだろう。
翌日の朝早く、浅い眠りから覚めたシーノは何か気配を感じて窓を開けた。
森が騒いでいる気がした。
風が強いわけでもなく、木の枝がざわついているのだ。
シーノに便乗するように目覚めたロックスは、特に気にする様子もなく
「気の性だろ」
と言ったが、シーノは何故か胸騒ぎがした。
やがてサージヤ ジュニア王が広間にてコディと話すというのを聞いたシーノは、飛ぶように広間へと向かった。