セツナと出会った日
その日は雨がよく降る日だった。 まるで太陽があるのを拒絶するかのように。 空は真っ黒な雲に覆われていて、大粒の雨が家々の屋根や壁、道路に叩きつけていた。
時折ゴロゴロとうなる空の下で、雨風にさらされ、服も体もずぶぬれの少女は、家の軒先で雨宿りをしていた。 空を見上げることもなく、ただうつむいて微動だにしていない。 赤い髪の毛はすっかり濡れ、束の先端からは絶え間なくポタポタと雫を落としている。
不意にその家のドアが開き、住人が出てきた。
雨宿りの少女を見るや否や、何かどなりつけながらその細い体を蹴り飛ばした。
まるで雨の中を落ち葉が舞うようにその体は宙を舞い、水溜りのような道路へ投げ出された。 水しぶきが雨の中に飛び散った。
住人はまた何かどなると、ドアをドンッと勢いよく閉めた。
少女はよろよろと水溜りに膝をつき、そして、力なく座り込んだ。
クリスはその時、自分の部屋からその様子を見ていた。
勉強の合間に、ずっと続く雨にうんざりしている時に偶然見た光景は、まだ十代の心に深く突き刺さった。
思わず家を飛び出すと、少女に手を差し伸べていた。
少女はクリスの足元をじっと見ていた。 歳は、クリスと同じか、少ししたくらいに思えた。
なかなか見上げようとしないので、クリスは少女の顔を覗き込むようにした。
「君……目が?」
クリスは衝撃を受けた。
周りが薄暗い中で、真っ白な瞳が異様に輝いていた。
少女はビクッとして顔をそむけた。
クリスは何も言わず、少女の腕をグッとつかむと、ゆっくりと抱き起こした。
驚いたように離れようとする少女に、クリスは優しく言った。
「大丈夫だよ」
少女は抗うのをやめた。 彼女の答えを待たずに、クリスは自分の家へと連れていった。
家族達は、クリスの横に立つずぶぬれの痩せ細った少女を見るなり、怪訝な表情を隠さなかった。
だが、クリスは意に介さないようにタオルを取り出し、少女の濡れた体をふいてやった。
その様子を見ながら、父が眉をひそめて言った。
「まさかその子を泊めてくれ、とか言うんじゃあないだろうな?」
「ダメですか?」
クリスが負けん気の強い目で言うと、父はなおも眉をひそめた。
「どこの誰とも分からん、しかもそんな不健康そうなのを家のどこに寝かせるというんだ? その性で家族が病気になったりしたら、どうするつもりだ?」
その声に反応するように、上の兄が言った。
「俺は病気にはなりたくないな。 知ってるか? この頃、流行り病が広がっているらしいぞ。 どんな薬も効かないんだと」
その時、髪の毛を拭いていた少女の瞳に気づいた妹が悲鳴を上げた。
「キャアァ! その子、目が真っ白よ! 化け物よ! 気持ち悪い!」
「ナキア! やめろよ、そんな言い方!」
クリスが叫ぶと、奥から母が飛んできた。
「何の騒ぎ? クリス! あなたは勉強さえしていればいいのよ。 そんな子は追い出して! 早く部屋に戻りなさい!」
「そんな! この子は、こんな雨の中を1人で彷徨ってたんだよ! 何か温かいものを食べさせてあげるだけでも……」
クリスは言葉を途中で失ってしまった。
家族の目が、氷のように冷たい事に気づいたからだ。
クリスの腕に、冷たい感触がした。
「?」
少女が、すっかり濡れてしまったタオルを押し付けたのだ。
クリスがタオルを受け取ると、少女は手探りでドアを開けた。
「ま、待って! まだ雨が降ってるし、止むまで居ればいいから」
少女はクルッと顔だけ振り向くと、口元をニッとさせた。 そして小さく
「ありがとう」
と呟くと一礼をして、雨の中へと消えてしまった。
「!」
クリスが家の外に出ると、少女は暗闇と雨の中に紛れて見えなくなっていた。
追いかけようとしたが、何故か体が動かなかった。
後ろから兄の声がした。
「早く閉めろよ! 雨が入ってくるだろ!」
「!」
キッと振り返ると、にやけた家族の顔が迎えた。 それが腹立たしくなって、クリスは一気にまくしたてた。
「どうして追い出したんだよ! あの子の事が可哀想だと思わないのか? もし自分があの子だったら、どう思うって言うんだ! たった一晩、雨が止むまででも、泊めてやったって良いじゃないか!」
そんな勢いを無視して、妹は迷惑そうに答えた。
「私はイヤ! あんな目、気持ち悪いわ!」
母も彼女の肩を抱いてクリスに言った。
「変な病気をばら撒かれても困るでしょう? 私はね、家族を守らなくちゃならないの。 分かるでしょう? 頭の良いあなたなら。」
「そうだぜ。 頭の良いお前なら、なぁ」
からかうように言う兄。
「逆に言ったら、頭が良過ぎておかしくなったのかなー?」
するとすでにリビングに居る父が声を掛けた。
「賢けりゃぁいいってもんじゃないんだぞ。 ったく、どうしてこう育っちまったのか……」
ぶつぶつ呟くように言う父の元に、兄弟と母が寄り添った。
ひとり玄関に残ったクリスは、その様子を見ながら、はらわたが煮えくり返っているのを感じた。
学校に入る前に行われた試験で、クリスは人並み外れた知能指数があることが分かった。 その途端、クリスの周りは興味本位で集まる大人たちで埋め尽くされた。
そして、その頭角が現れる頃には、寄って来ていた大人たちは逆に敬遠するようになった。
大人たちの知識がクリスに追いつかなくなったからだ。
そして、次第に家族の方が彼を見下すようになった。
やはり、多人数という、それなりの安心感が宿るのだろう。
ひとりだけの天才は、血の繋がった4人の並の人たちにさえ寄り添えない存在になっていた。
そこそこしっかりとして政治力を持っていたクリスの町では、知識があればどこまでも上り詰めることができた。
そこにつけ込んで、クリスは勉強漬けの日々を強いられていた。 それこそが正しい道だと教えられた。
目の前の家族達を見て、強い孤独感に苛まれたクリスは決心した。
ー 家を出よう ー
このままでは、人に押しつぶされる。
自分が例え権力者になったところで、血縁関係のある家族はきっと、その欲を増幅させるに違いない。
それよりは、どこか自分を知らない人たちが居る場所でもう一度やり直そう。
無言で部屋に戻ったクリスは、数十分で荷物をまとめ、家族が寝静まったのを確認すると、家を出た。
書置き一つ残さなかった。
外はまだ、雨が降りしきっていた。
どこか、雨風をしのげる場所を探して、もう一度やり直そう。 まだ時間はたっぷりある。
どこか強い信念が宿り、クリスは歩を進めた。 背負ったひとつの荷物と共に。