カリンの過去
シーノはコディを抱き抱えたまま森のなかを走っていた。 兵士たちはとっくの昔に引き離した。 突然、木の根につまづいて勢い良く転んだ。 シーノの腕から放り出されたコディはフワンと着地したが、シーノの体はそのまま地面を滑った。
《シーノ!》
不安そうに近づくコディの前で、シーノは肩口を押さえてうめいている。 傷口もふさぎ切っていない状態で全力疾走をしたので、結ばれている布が真っ赤に染まっているばかりか、シーノの頭もフラフラと揺らぎだしている。 それでもシーノは、コディの力も借りながら力の出ない体を引きずって近くの幹にもたれ、大きく息を吐いた。
「つっ……!」
コディは肩を押さえて唸るシーノに駆け寄り、膝をついた。
《シーノ!》
彼は近くの幹にもたれると、フゥッと大きく息を吐いた。
「城に行かせた俺が悪かった。 すまない」
汗のにじむ顔で少し笑ってみせたシーノに、コディは言った。
《また捕獲命令が出たって……》
不安そうに言うコディに、シーノは真顔で呟いた。
「あいつら、城へ行ったんだな……またジュニアの悪いくせが出た……」
悔しそうに唇を噛むと、力なく木にもたれた。
《これからどうするんだ?》
心配そうに言うコディに微笑んでみせたが、
「なんとか、しなきゃな」
と腑甲斐ない返事しか出来なかった。
とりあえず、この傷をなんとかしないといけない。 このままではコディを守るどころかシーノ自身が野たれ死んでしまいかねない。
「コディ、とりあえずどこかに隠れてろ! 安全だと分かるまで、姿を現わしちゃダメだぞ。 俺は、兵士たちを裏切って逃げてきた。 だからあいつら、俺を追ってくるはずだ!」
言い聞かせるように言ったシーノだったが、コディは首を横に振った。
《やだ! シーノと一緒にいる!》
だだっ子のようにペタンと座り込んだコディは、また泣き出した。 大粒の涙が水晶と変わり、ポロポロと落ちる。
「コディ……」
シーノは困り果ててしまった。
その時、ガサガサッと草を分け入る音がしたかと思うと、二人の目の前にカリンが飛び出してきた。
「こんなところにいたのね? すごい血! 急いで手当てしないと!」
シーノの前に膝をつくその手には、大量の薬草が握られていた。
「こんなに出血して……頭ふらついてるでしょ?」
言葉にならないシーノの答えを待たずに、カリンはシーノの血で染まった真っ赤な布を外し、傷の周りを清潔にし始めた。
「コディ、近くにきれいな湧き水の出る泉ないかしら?」
シーノの周りで動揺していたコディは、しばらく考えると言った。
《少し行った所にある》
「案内して!」
カリンは自分の肩にシーノの怪我をしていない方の腕を担ぐと、フラフラと立ち上がった。
「カリン……」
シーノは何か言いたかったが、意識が薄れて頭の中が真っ白だった。 今自分が立っているのか座っているのかもはっきりしない。
「すまない……」
「謝るくらいなら暴れないで!」
半ば怒り口調で言うと、コディが向かう場所に歩き始めた。 体型は小柄なシーノだが、女のカリンには少し荷が重い。 すぐにカリンの息があがってきた。
そこに、
「シーノ!」
大きな影が現れた。 カリンは微笑みながら怒った。
「ロックス! 遅い!」
「お前が速いんだ! 俺に任せろ!」
と息を荒げて言うと、シーノをひょいっと持ち上げた。
「どこへ向かってる?」
すぐにコディが声をかけた。
《こっち!》
深い森の中、獣道を三人が駆け抜けた。 しばらくすると、岩の間から湧き水が溢れる泉の前に出た。 誰も入ったことはないのだろうか。
人の痕跡がない。 静かな木の合間に、せせらぎだけが小さく響いている。 ロキが泉の脇にシーノを横たえるとナキは傍らに付き、布を泉で湿らせると傷口にそっと触れた。
「うっ!」
ビクンッとシーノの体が跳ねた。
「無茶しすぎよ。 我慢しなさい」
呆れ口調でいいながら、手元は無駄のない手際の良さで手当てをしている。 それを見ながら、ロックスは感嘆した。
「たいしたもんだな。あんた、一体何もんだ?」
カリンは手を止めることなく話し始めた。
「小さなときから、お婆ちゃんにコダマの事を聞いてた。 お婆ちゃんはいつも森やコダマの事を気に掛けていたわ。 本当なら森の中で迷い死んでた所を助けてくれたんだもの。 だけど、自分ではどうしたらいいのか分からなかった。 ただ森の平和を祈るしかないと、お婆ちゃんは悲しげに言ってた。」
シーノも目を閉じたまま黙って聞いている。
「あたしは、コダマを見たことはなかったけど、お婆ちゃんと同じ気持ちだったわ。 偶然にも、あたしの生まれ住んでた街は兵士の育成に力を入れてた。 優秀な兵士を育てれば街は潤うから。 だからあたしも、兵士になってこの国に仕えれば、何かできるかもしれないって考えたわけ。 でも……」
カリンの手が止まり、シーノは目を開けた。 視線の先で、カリンが少し淋しい顔をしていた。
「女は兵士には不都合だって。 むしろ、周りの士気が乱れる原因になるって」
コディもその心境を察して、淋しい顔をした。
「だから考えたの。 兵士じゃなく、医者として訓練を受ければ、潜り込めるんじゃないかって」
カリンは微笑んだ。 さっきまでの悲痛さは消えている。
「みんな、コディのためか?」
シーノが口を開いた。 カリンはコディを見た。
「コディに会うまでは、お婆ちゃんの為だったわ。 あたし、お婆ちゃんが大好きなの。 だから、例えコダマの話が嘘だったとしても、……嘘つくような人じゃないけどね、でも……お婆ちゃんが喜んだり、安心する顔を見たかったから。」
カリンはまた手当てを続けた。
「だが、どちらにしろ、兵士について戦地に向かわなくてはならないだろう? その婆さんだって、親だって、心配するだろうが?」
言いながら、ロックスは草を抜いてもてあそんでいる。
「両親はいないわ。 父は戦死した。 母は、そのショックで精神的におかしくなって、去年、眠るように」
「「……」」
重苦しい空気が流れた。
「父も母も反対してたわ。 でも、何故だか止まることが出来なかった。 二人とも大好きだったのに、これだけは何故か譲れなかった。 二人が死んでも、気持ちは何故か変わらなかった」
手当てを終え、フウッと息を吐くと、コディを見た。
「コディに会って、何か分かった気がする。 あたし、コディがすごく愛おしいもの」
カリンは笑顔を見せた。
「あたしは、多分、森に呼ばれたのね」
すると二人も見つめ合って微笑んだ。
「俺たちも、きっとな」
そして三人が笑い合うと、コディはきょとんとしてその様子を眺めていた。 ささやかに訪れた、静かな平穏の時間だった。