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ヴェスペラ・リリス

鋼鉄の森が黄昏を飲み込み、ネオンが永夜を引き裂く。

秩序が崩れ、欲望が渦巻く廃墟の上で、人は皆仮面をつけて生き延び、生きるために争い、利益のために裏切る。


彼女は深淵から舞い戻り、一身に冷たい炎をまとい、瞳の奥に誰も触れさせない過去を秘めている。

彼は光の中に生まれながら、彼女のために進んで闇に足を踏み入れ、一身の勇気をもって、世界全体の悪意に立ち向かう。


童話など存在しない。ただ骨まで刺すような現実の生存があるだけ。

救済などない。ただ互いに握りしめた手だけが、唯一の彼岸となる。


冷たい機械と熱い鼓動が衝突するとき、

孤独な魂が末世で互いを照らすとき、

二人は必ず廃墟の上で、互いという名の、パンク・ビヨンドに辿り着く——

-2030年

日本・東京南東沿岸。

都心から三キロの場所に、皇華陸軍士官学院が佇んでいた。今、学院の二年A組の教室で——


「朔、聞いた?今日、うちの学校にヨーロッパからの留学生が来るんだって。イギリスからで、しかも日英ハーフらしい、すごく特別だよ」


「へえ、それはすごいね」

桐生朔きりゅう・さくは頬杖をつき、穏やかに笑う。声は軽く、優しい。

「うちの学校にはもともと外国人の生徒がたくさんいるじゃない。C組のブラジルからの子、知ってただろ?」


「バカな朔、本当に鈍い!だってイギリスからなのよ!イギリスだけでいくらでも学校あるのに、なんでわざわざこっちに来るの?もしかして……スパイ?何か特殊な任務を実行しに来たの?」


桐生朔は思わず笑い、彼女の頭をそっと叩いた。

「君、ミステリー映画見すぎだよ。でも、本当にすごい子なら、みんなで仲良くすればいいじゃない。もしかしたら親戚訪ねで、ついでに学校に来たのかもよ」


二年A組の教室で、男女二人が机に突っ伏し、たった十分の休み時間を利用して、イギリスから遠くやって来た留学生の話をぽつぽつと交わしていた。


少年はスラッと背が高く、耳にはさりげないピアスを光らせ、笑顔は清らかで爽やか。通りを歩けば、いつも女の子の視線を集める存在だ。

彼は東京の地元者——桐生朔。


少女の方は北海道から来た望月結衣。赤みがかったロングヘアに、同年代より大人びたキリッとした雰囲気を持っている。

二人は小さい頃から一緒に勉強し、隣人同士でもあった。


「ねえ朔、もしかしてうちのクラスに来るかな?」


「それは分からないけど、どこのクラスになっても同じだよ。みんなクラスメイトだし。もしうちのクラスに来たら、みんなでよく面倒を見てあげよう」


その言葉が落ちると同時に、教室のドアがそっと開いた。

入って来たのは二年A組の担任——鈴木菜緒。


細い丸眼鏡をかけ、レンズ越しの目は丸く、いつも眠たげな柔らかい抜けた雰囲気がある。教師なのに、厳しいオーラは一切ない。

優しい笑顔を浮かべ、そっと手を叩いた。


「みんな、ちょっと静かに。今日、新しい生徒さんが来てくれたよ~」


教室は一瞬で静まり返り、全員の視線が一斉にドアに集まった。


細いけれど冷たいオーラを纏った影が、ゆっくりと扉から教壇へと上がってくる。

少女は小柄で、肌は硝子のように透き通るほどの白さ。

ライトの下で淡い金色に光るロングヘア——それは日英ハーフ特有の美しい質感だ。

サファイアのような瞳に、細工された磁器のように整った顔立ち。

桃色の小さな唇は固く結ばれ、どこにも温度はない。

視線は深く底の見えない冷たい潭のようで、近づけないほどの孤独感を纏っていた。


彼女は一身にパンクメイド姿を着ていた。


上は体にフィットした黒レザーのコルセットで、キリッと冷たいウエストラインを強調。

優しいはずの白いエプロンはギザギザに切られ、縁は毛羽立ち、冷たい銀色のリベットが何個か打たれている。


スカートは短く奔放で、片側は斜めに切り開かれ、綺麗な脚のラインを見せ、破れた黒ストッキングを履いている。

足元はおとなしい靴ではなく、厚底のマーチンブーツ。靴ひもには細いチェーンが下がり、動くたびに軽く音を立てる。冷たく、はっきりとした音だ。


頭のメイドカチューシャは尖った小さな帽子に改造され、淡い髪に斜めに載せられ、数本の前髪が頬に落ちている。


首には細いチョーカーを巻き、短いチェーンが下がる。

袖口は磨り切れた広いデザインで、手首にはレザーのブレスレットが何重に巻かれ、瞳の中の気取らない冷たさと、見事に一致していた。


従順さも、可愛らしさもない。

ここにあるのは、反逆に満ちた気まぐれで繊細な存在感だけだ。


「外国人?」

「磁器の人形?」

「わあ、昨日取った人形みたい」

「可愛い……」

「パンクロリ?」


ざわめく声は、彼女の心には一切波立たせなかった。

彼女はただ教壇の中央に立ち、脇に垂らした指をそっと丸めた。

チェーンとレザーブレスレットが軽く触れ、極めて小さく、冷たい音が一瞬鳴った。


サファイアの瞳がゆっくりと下を眺め、視線が向けられた場所は、騒がしかった教室が不思議と静かになっていた。


その視線はあまりにも淡く、冷たく。好奇心も、緊張も、新入生らしく戸惑う気持ちすら、どこにもない。

まるで彼女は、どうでもいい場所を通り過ぎただけで、知らない人々の前に立っているのではないかのように。


教壇の名札をそっと直し、指先が冷たいプラスチックに触れた瞬間、彼女は少し目を伏せた。

長いまつ毛が蒼白な肌に薄い影を落とす。


誰もが心の中で驚いていた。

これは学校に来た生徒ではない。

暗路と古城から放り出された人形そのものだ。

触れたら壊れそうに繊細で、冷たくて触れることさえできない。


従順なメイド服が、彼女にとって反逆の鎧になり、可愛らしい輪郭の奥に、人を寄せ付けない冷たさを隠している。


鈴木菜緒は軽く咳払いし、騒ぎを抑え、優しい笑顔のまま言った。

「みんな、静かに。この子はイギリスから遠くから来た転校生です。これから二年A組でみんなと一緒に勉強します。よろしくね」


「自己紹介をしてごらん」


少女はゆっくりと頭を下げ、長いまつ毛を垂らし、蒼白な肌に影を落とす。

照れているようにも、意図的に視線を外して誰とも関わりたくないようにも見えた。


数秒の沈黙の後、かろうじて聞こえる程度の、それでいて異常に冷たい声がゆっくりと漏れた。


「ヴェスペラ・リリス」


名前を告げると、彼女は再び目を伏せ、透明に近い静けさの様子に戻った。


桐生朔は彼女を見て、目が柔らかくなり、小さくつぶやいた。

「ヴェスペラ……よそよそしい名前だな」


鈴木菜緒は一瞬戸惑った。これほど短い自己紹介とは思わなかったが、深くは問わず、優しくフォローした。

「ヴェスペラさんですね、素敵な名前です。これから、頑張ってください」


鈴木先生は教室の中をざっと眺め、桐生朔と結衣の間の空席に視線を落とした。

その席には以前、生徒がいた。だが父親が機密漏洩で一家が投獄され、席が空いたままになっていた。


「ヴェスペラさん、あそこの女の子の隣に座ってください」


「うん……」


ヴェスペラは特に何も言わず、静かに頷き、席へと歩み寄った。

足音は小さいのに、厚底のマーチンブーツが床に着くたびに、落ち着いた細かい音が響く。

靴のチェーンが金属同士で軽くぶつかり、澄んで規則的な音が、急に静まった教室の中で際立っていた。


桐生朔の横を通り過ぎる時、ほのかにパッションフルーツの香りがふわりと広がった。


彼女は空席に座り、動作は不慣れではないものの、どこかぎこちなさが残る。

肩にかけた、リベットとレザー留めで覆われた重めのショルダーバッグをそっと机の上に置き、ただ一冊の本を取り出した。

『Yの悲劇』——そして静かにページをめくった。


鈴木先生の授業が始まったが、教室の中にはまだ多くの視線が、その隅に注がれていた。

ヴェスペラは気にも留めず、時々軽く横を向いて窓の外を眺めるだけだ。


東京の早春の空は、薄い水色に曇り、雲の筋はほとんど見えない。


この時間は銃器の講義だ。桐生朔は片手で頬杖をつき、時々そっと隣の新入生を眺める。

視線には疑いはなく、柔らかい気遣いだけが宿っていた。


ヴェスペラ・リリスは、授業のベルが鳴ってから今まで、一度も動いていない。


彼女は相変わらずパンクメイド姿のまま、指先を開いた本に置き、視線を窓の外の水色の空にやり、まるで教室全体が自分に関係ないかのようだ。

肩のレザー留めの冷たい光、手首のチェーンだけが、蛍光灯の下で一瞬輝いて消える。


望月結衣の視線は、授業が始まってからずっと彼女から離れなかった。

そっと肘で桐生朔をつつき、頬を少し赤らませ、声を潜めて目を輝かせた。


「朔……見て、本当に可愛い。人形みたい。LINE交換したい」


桐生朔は優しく頷き、声を小さくした。

「うん、確かに可愛い。でも、人見知りなのかな」


「だって、あまりに綺麗すぎるよ!」結衣は少し熱くなった頬を手で覆い、小さく呟く。

「肌は光るように白いし、目はサファイアみたい……俺が男の子だったら、即落ちだよ」


「はは、声小さくしなよ。聞こえたら恥ずかしい」朔は優しく注意し、目元に笑みをたたえる。

「転校したばっかりだから、まだ慣れてないんだよ。じっと見ちゃだめ」


「悪いこと言ってないんだから……ただ、静かに座ってる姿が、絵から出てきたみたいだって」

結衣は夢見がちにヴェスペラの横顔を見つめ、心からの好意を込めて言った。

「友達になれたらいいのに」


「ねえ朔」結衣は我に返り、遅れて違和感に気づき、教科書で顔を隠して声を潜めた。

「変だと思わない?あの子、座ってから一度も姿勢変えてないよ」


桐生朔は相変わらず穏やかだが、少し注意深くなっていた。

「ただ静かなだけかも。でも……本はずっと同じページのままだよ。多分、ぼーっとしてるか、何か考え事をしてるんだ」


「え、つまり本なんて読んでないの?」


その瞬間——

教室の裏口が勢いよく開いた。


教頭先生が真っ黒な顔で突入し、怒りを込めた声を上げる。

「鈴木先生、授業を中断!二年生の器材室から盗難があった。制式拳銃三丁、空包弾五発が見当たらない!」


クラス中が一気に騒然となった。


皇華陸軍士官学院は士官学院と名乗る以上、銃器庫、器材室は何重にも施錠され、監視カメラも隙間なく設置されている。

物の盗難など、あり得ない話だ。


「ありえない!朝、器材室に行ったけど、ちゃんと鍵がかかってた!」

「カメラは?カメラを調べろよ!」

「よくも士官学院で銃を盗むなんて!」


教頭先生は教壇に立ち、大きな声で言った。

「取った者は今すぐ出てきなさい。さもなくば、見つかり次第、警察に引き渡し、即刻退学だ!」


教室は一瞬で静まり返り、誰も立ち上がらない。


「認めないのか。もし、このクラスの生徒がやったと分かれば、クラス全員が連帯責任を負う」


空気が凍りついた。


誰もが無意識に体を固くし、視線を互いの顔に泳がせる。

唯一、窓際の席だけは、一枚の絵のように静かなままだ。


ヴェスペラ・リリス。

彼女は一度も振り返りさえしない。


まるで「拳銃盗難」の四文字すら、窓から吹き抜ける風に過ぎないかのように。


桐生朔の胸がそっと締めつけられた。疑いではなく、不思議と心配が込み上げてきた。

彼は振り返らないが、余光で少女の微かな動きすべてを捉えていた。


彼女の指先は、相変わず『Yの悲劇』の同じ行に置かれたまま。

視線は、相変わず窓の外の水色の空に。


だが手首のレザーブレスレットは、いつの間にか彼女によってそっと半回転させられていた。

極めて微かな、金属同士の摩擦音だけが、桐生朔の耳に届いた。


彼は少し眉を寄せたが、悪意のある推測はなく、ただこの事があまりにも不自然だと感じていた。


教頭先生は既に教壇から降り、鷹のような視線で一列ごとに眺め回っていた。


「今、全員席から動くな!生徒会、風紀委員、すぐに前後の扉を封鎖!誰も外出を許さない。これから一人ずつ身体検査、机の検査を行う!」


「カメラは既に調査中だが、言っておく——」


彼は一瞬言葉を切り、声が銃口を引くように冷たくなった。


「今朝、器材室周辺の監視カメラ、すべて黒になっていた」


クラス中が息を飲んだ。


監視カメラがすべて黒——故障ではなく、人為的に遮断された。

皇華陸軍士官学院の中で、音もなくカメラを遮断し、幾重もの警備をすり抜け、的確に拳銃三丁と空包弾を奪う……


これは普通の生徒にできることではない。


誰かがそっとヴェスペラに視線を向けた。

少女は相変わらず同じ姿勢のまま、横顔は硝子のように蒼白。

サファイアの瞳には、一切波動がない。


周りの騒動と疑惑が、自分には関係ないかのように。


望月結衣は服の裾を強く握りしめ、声が少し震えた。

「朔……もしかして、本当にうちのクラスの誰か……」


桐生朔はすぐにそっと腕を叩き、落ち着いた優しい声で言った。

「怖がらないで、大丈夫だよ。やってもいないことなら、どんなに調べられても平気だ」


彼の視線は敵意ではなく、静かに少女の机の下の手に落ちた。

その手は、リベットのついたバッグにそっと置かれていた。


バッグの留め具の形——

彼が見たことがある。

器材室の扉の鍵穴の構造と、不思議と似ていた。


その時――

ヴェスペラがついに動いた。


ゆっくりと窓の外への視線を戻し、机の下に垂らしていた手を引き寄せる。

そして、極めてゆっくりと、横を向いた。


サファイアの瞳が、まっすぐに桐生朔の視線とぶつかった。

表情もなく、温度もない。

ただ深く底の見えない冷たさが広がっている。


桐生朔は怯えることなく、優しい笑顔で応える。悪意も、探りを入れるような気持ちもない。


彼女は口を開き、声がため息のように小さく、しかしはっきりと、彼一人に届くように言った。


「あなたは、私を疑っているの?」


桐生朔はすぐに優しく頭を振り、誠実で柔らかい声で言った。

「違うよ。疑ってなんかいない。ただ……この事、ちょっと変だと思っただけ」


言葉が終わると同時に、教頭先生が彼らの列まで来ていた。


「ここから、捜査開始!」


生徒会の副幹事・森川悠真がこの列を担当する。

金属探知機のブーンという低い音が、少しずつ近づいてくる。


誰もが緊張で息を詰まらせていた。


ヴェスペラの番になり、桐生朔はそっと彼女を心配した。

中に何か隠しているのが怖いのではなく、彼女が怯えるのが可哀想だった。


「君、すみません……」


森川悠真がヴェスペラの前に立ち、言葉が途中で途切れた。

学校でこれほど綺麗な女の子を見たことがなかった。


鼓動が勝手に乱れ、視線が彼女の顔から離れず、一瞬動作を忘れてしまった。


ヴェスペラはただ冷たく見返すだけ。穏やかな視線だが、近づけないような距離感がある。


「おい、ぼーっとしてるな!早く捜査しろ!」


後ろからの催促で森川悠真は我に返った。

「あ、ああ……」


彼は頬を少し赤らませ、無意識に声を柔らかくし、気づかないほどの照れを混ぜて言った。


「す、すみません。バッグを見せてもらえますか」


ヴェスペラは黙ってバッグを持ち上げ、ゆっくりと目を閉じた。

その姿は、捜査されているというより、既に決まっている裁きを静かに待っているようだった。


森川悠真は指先が震え、バッグを開けた。

すぐに閉じ、慌てて手渡し、声をさらに小さく、緊張気味に言った。


「は、大丈夫です。返します」


ヴェスペラは目を開け、静かにバッグを受け取り、指先を留め具に置いた。


桐生朔は一気に安心し、安堵の笑顔を浮かべ、心の中でそっと思った。


よかった、やっぱり気にしすぎだった。


彼は小さく自分に言い聞かせ、軽く開けた声で言った。

「気にしすぎだったみたい。びっくりした」


視線の緊張が解け、柔らかい申し訳なさを込めて、そっとヴェスペラから視線を外し、窓の外の水色の空を眺めた。


気にしすぎだった。

転校したばかりの留学生が、どんなに雰囲気が特別でも、初日にこんなことをするはずがない。


彼女はただ、知らない環境に慣れていない女の子なだけだ。


ヴェスペラは既にまた目を閉じ、長いまつ毛が蒼白な肌に薄い影を落としていた。

まるで、彼女を渦に巻き込もうとしたあの捜査が、最初からなかったかのように。


教頭の怒りが教室の中に広がり続ける。


「すべて調べ終わったのか!一人一人、机ごと、箪笥ごと!」


「報告します、主任……すべてチェック済みです。制式拳銃も空包弾も、発見されませんでした」


「ありえない!」教頭は拳を教壇に叩きつけ、メガネさえ歪んだ。

「拳銃三丁に空包弾五発だ。あんな大きな物が、まるで空から消えたようになるわけないだろ!」


「監視カメラはすべて黒、現場にこじ開けた痕跡なし。内部の鍵穴は無傷……技術的に解錠された。皇華陸軍士官学院全体で、このレベルの技術を持つ者は五人以下だ!」


彼の視線は刃物のように、クラス全員の顔をなぞった。


「この件は、このままにはしない。军部に報告し、専門の調査チームを結成する。

盗難にあった銃器が見つかるまで、二年生全員の外出行事を停止、実弾訓練への接触を禁止する!」


「え!じゃあ、今夜はどこで寝るの?」

「そうだよ、夜、家に帰れないと親が心配する!」


クラス中がどよめいたが、反論する者は一人もいない。


鈴木先生は隣で心配そうに立っていたが、柔らかく慰めるしかなかった。

「慌てないで。みんながやっていない限り、調査は必ず真相に辿り着くから……今夜は宿舎で過ごしてください」


騒ぎ、不満、不安が、波のように教室を満たしていた。


昼休みのチャイムが鳴り、教室の中の抑え込まれた空気がやっと崩れた。

生徒たちは三人四人で連れ立って立ち去り、食堂へ向かい、器材室盗難の話で議論が続いていた。


桐生朔と望月結衣は、食堂へ続く廊下を並んで歩いていた。周りはざわめく人の声だ。


「最悪だよ」結衣はため息をつき、肩を落とした。

「午後に射撃場で新しい銃のモデルに触ろうと思ったのに、全部水泡に帰した。いつ解除されるか分からない」


「残念だろうけど」朔は笑って慰め、声がとても優しい。

「でも、なくなったのは銃だから、学校も慎重になるよ。調査が終われば、全部元通りになるさ」


「ねえ朔」結衣は少し近寄り、声を潜めた。

「本当にうちのクラスの誰かがやったのかな?朝、教頭先生があんなこと言った時、手のひらに汗かいちゃった。特に……」彼女は一瞬言葉を切り、さらに声を小さくした。

「特にヴェスペラさんの検査の時、心臓が飛び出そうだった。あの子のバッグ……あの形、物がたくさん入りそうじゃない?」


朔は優しく笑った。

「俺も気づいたけど、検査の結果、何もなかったじゃない。だから考えすぎだよ。転校したばっかりなんだから、変な目で見ちゃだめ」


「うん!」結衣は力強く頷き、そして自信なさそうに付け加えた。

「でも、森川先輩が検査したんだもの。何もなかったよ。考えすぎだよ。

だってあんなに可愛い子が、泥棒なんてするわけないもの。

そういえば、まだ友達の作り方も分からない。どうやって話しかければいいのか……」


「可愛いから悪いことをしない、とは言い切れないけど、俺もあの子はそんな子じゃないと思う」桐生朔はとても明るく笑い、誠実で温かい声で言った。

「ただ、内気で人と接するのが苦手なだけだよ。友達になりたいなら、タイミングを見て、一緒に声をかけよう。俺がついていくから」


結衣はためらいがちに校舎の方を見た。

「でも……すごく近寄りがたい感じがする」


「大丈夫だよ。ゆっくりでいいから」朔はそっと肩を叩き、笑顔が太陽のようだ。

「まずお腹いっぱい食べよう。食べないと、友達の作り方を考える元気も出ないよ」


食堂は人でにぎわっていた。

ステンレスの皿のぶつかる音、生徒たちのおしゃべり、食器運びのゴロリという音が入り混じり、午前中の教室の張り詰めた空気を和らげていた。

空気にはカレーとトンカツの香りが混ざっていた。


「ねえ、今日の看板メニューのトンカツ食べたい!朔は?」結衣はトレーを持って並びながら、振り返って朔に聞いた。


「俺はカレーにしよ」桐生朔は何気なく答え、優しい視線をにぎわう人混みに泳がせた。

少しも陰鬱な様子はない。

食堂の大きな窓ガラス越しに、鉄条網で囲まれた訓練場と、木々の道の一部が見える。


列はゆっくり進む。結衣はまだ、どうやって自然に綺麗な女の子に話しかければ変に思われないか、と小さく悩んでいる。朔はずっと優しく聞いていた。


結衣がトンカツ定食を持って席を探しに振り返った時、桐生朔の足が止まった。


彼の視線はガラスを突き抜け、並木道の脇にある空いたベンチに定まった。

少し辺鄙な場所で、塀に近く、周りには人が少ない。

そこに、パンク風のメイド服を着た小柄な影が、一人座っていた。


ヴェスペラ・リリスだ。


彼女は食堂に行かず、誰とも連れ立たず。

ただ静かに座り、スマホをいじっている。隣にはリベットのバッグが置かれていた。

昼下がりの日差しがまばらな木々の隙間から差し、彼女の体に斑模様の影を落とし、まるで隅に忘れられた繊細な人形のようだ。

制服を着て急ぐ生徒たちとは、どこまでも浮いていた。


「……変ね。ご飯食べに行かないの?」結衣も気づき、朔の視線の先を見て、心配そうな顔になった。

「学校のルールで昼休みは自由だけど、初日から一人でいるなんて……しかも、お弁当も持ってきてないみたいだし」


桐生朔はそっと皿を結衣の隣の空席に置き、笑顔で言った。

「先に食べてて。俺、ちょっと行ってくる」


「う、うん」


桐生朔は食堂の自動販売機で、まだ熱いカレートンカツ定食を一本買い、常温のパッションフルーツドリンクをもう一本持って、並木道の方へ歩いて行った。


ヴェスペラの指先はスマホの画面の上に浮かび、本気で見ているわけではなかった。

足音が隣に止まるまで、ゆっくりと目を上げた。


サファイアの瞳には驚きなどなく、ただ穏やかな冷たさが広がっていた。


桐生朔はベンチの右側に座り、柔らかく聞いた。

「あの……ご飯は食べないの?」


ヴェスペラは彼を一瞥し、すぐに視線をスマホの画面に戻した。

まるでそこに極めて重要なものでもあるかのように。

すぐには答えず、静寂が数秒続き、風が木の葉を揺らす音だけが聞こえた。


桐生朔はしばらく待ったが返事がなく、少し頬を赤らませ、余計なことをしたと思い、謝って立ち去ろうとした。


「空腹ではない」


ヴェスペラはしばらくして、淡く口を開いた。

声は、すぐに消えそうな風のように小さかった。


ぐぅ、ぐぅ~

彼女の言葉と同時に、はっきりとした、だが小さな腹の音が、彼女の方から不時に響き、短い静寂を破った。


ヴェスペラのスマホの縁に置かれた指先が、かすかに一瞬硬直した。

すぐにまつ毛を伏せ、濃いまつ毛が蒼白な頬に薄い影を落とし、一瞬の窘迫を隠そうとした。

だが白い耳先は、制御できずに極淡いピンクに染まっていた。


桐生朔は一瞬愣えた後、思わず低く笑った。

その笑い声は小さく、清らかで温かく、少しもからかう意味はなく、むしろ「やっぱりそうだ」という納得が込められていた。

彼は手元のまだほのかに熱い弁当と、淡黄色のドリンクを二人の間の空席にそっと置いた。


「空腹じゃないなら、学校の看板カレーを味見するつもりで食べてみて?トンカツ、カリカリに揚がってるって。それから……」彼はドリンクを指さした。

「パッションフルーツ味。好きかどうか分からないけど」


ヴェスペラは数秒黙って、まつ毛を震わせ、考えているようだった。

最終的に、彼女は手を伸ばし、冷たい指先が温かい弁当の縁に触れた。


「……ありがとう」


声は相変わらず小さく、羽根のようだ。だが、人を寄せ付けない冷たさが、この小さな温かさによって、少しだけ割れ込まれた。


桐生朔の笑顔はさらに柔らかくなり、声もさらに柔らかくなった。まるで何かを驚かせるかのように。

「転校したばっかりで、慣れないことが多いだろ?今日は食堂がすごく混んでて、並ぶのに時間がかかるよ。

もしかして、混んでるから席が見つからなかったの?

今度、席が見つからなかったり、一人になっちゃったりしたら、一緒にいいよ」


ヴェスペラの視線は、手元のパッションフルーツドリンクに落ちた。

透明なボトルに、表情のない自分の顔が映っている。

まつ毛がまた軽く震え、すぐに伏せ、瞳の奥に一瞬過ぎ去る、はっきりしない感情を隠した。


「お金がない」彼女は淡く口を開き、声に起伏はなく、まるで自分に関係ない事実を述べているかのように言った。


「え?」桐生朔は思いがけない答えに、明らかに困惑した顔になった。

イギリスからの留学生が、なぜ……?


ヴェスペラは詳しく説明する気はなさそうで、さらに淡く付け加えた。

「財布をなくした」


「え?」桐生朔はさらに驚いた。「ご家族には言ったの?」


「言った」ヴェスペラはパッションフルーツドリンクを持ち、指先で冷たいボトルをなぞった。

「新しいカードを送ってくれるけど、届くのは数日後」


桐生朔の視線は、彼女のボトルをなぞる指先に落ちた。

そこには浅い古い傷があり、レザーブレスレットの影に隠れていた。

彼は問いたださず、ただ頷き、相変わらず優しい声で言った。


「じゃあ、この数日……よかったら、俺たちと一緒に昼ご飯食べていいよ」


ヴェスペラはついに目を上げ、サファイアの瞳でまっすぐに彼を見つめた。

冷たさが残ったままだ。


「どうして?」


桐生朔は一瞬愣えた。「どうしてって?」


「私たち、全然知らないのに」彼女の声は小さいが、一語一語はっきりしており、警戒に近いほどストレートだ。

「なんで私に助けてくれるの?」


この言葉に桐生朔は困った。

親切だから、と言うには稚拙すぎると思った。

彼はぱっと考えた。


「朝、私が君を疑っちゃったから……その埋め合わせだと思って」


ヴェスペラは目を上げ、サファイアの瞳に木の葉の隙間から差す光が映り、一瞬きらめいた。

彼女は黙ったまま、弁当を膝の上に移動させた。

金属留めが、軽くカチャリと音を立てた。

弁当の蓋が開き、カレーの温かい香りがパッションフルーツの甘さと混ざって、ふわりと広がった。


ヴェスペラは黙って弁当の蓋を開けた。

黄金色にカリッと揚がったトンカツが濃厚なカレーに浸かり、熱気が香りと共にゆっくり立ち上り、すでからっぽだった彼女の胃を再び軽く鳴らした。


彼女は目を伏せ、余計な動作はせず、ただプラスチックのフォークでトンカツをそっと切り取り、小さく口に運んだ。


桐生朔は隣に座ったまま、黙って見守っていた。

視線を遠くの訓練場にやり、彼女の食事を邪魔せず、十分な一人の時間を与えていた。


だが数秒後、予期せぬことが起きた——

急いで食べたためか、カレーの香りが喉に刺みたためか、ヴェスペラは急に眉を顰め、肩を軽く震わせ、制御できずに軽く咳き込んだ。

細かい咳払いは小さいが、蒼白だった頬が一瞬、淡く赤く染まり、サファイアの瞳にも薄い涙が浮かんだ。

冷たさが少し消え、希少な脆さが現れた。


桐生朔はすぐ我に返り、慌てて隣のパッションフルーツドリンクを持ち、指先で素早くプルトップを開けた。

冷たく甘い香りが一気に広がった。

彼は動作を穏やかに彼女の前に差し出し、声にはちょうどいい心配が込められ、少しもからかうような様子はなかった。


「むせただろ」


ヴェスペラは目が赤くなり、指先が少し震えながらも、手を伸ばして受け取った。

冷たいボトルが温かい手のひらに張りつき、彼女は少し上を向いてゆっくり飲んだ。

甘いパッションフルーツの味が喉を伝い、むせた感じがすぐに消えた。


ヴェスペラは冷たいドリンクのボトルを握りしめ、喉の違和感が消えていくのを感じた。

サファイアの瞳はボトルのパッションフルーツの絵に落ち、突然一瞬愣えた。


彼女は少し横を向き、瞳にはまだ消えない涙が残り、声は咳き込んだ後の少し掠れた声だが、それでも清らかに言った。


「あなた……たまたま買ったの?」


桐生朔は瞬きし、清らかで飾らない笑顔を浮かべ、指先でそっと彼女の方を指さし、自然で優しい声で言った。


「違うよ。教室に入って来た時、ほのかにパッションフルーツの香りがしたから、きっと好きだろうと思って、これにしたんだ」


言葉が落ちた瞬間、ヴェスペラは全身が一瞬止まった。


風が並木道を通り抜け、若い緑の葉を巻き上げ、そっとベンチの縁を擦った。

彼女の脇に垂らした指先がそっと丸まり、手首のレザーブレスレットが軽く触れ、かすかな音が一瞬鳴った。

いつまでも氷に覆われていたサファイアの瞳に、初めてはっきりとした波紋が広がった。

蒼白な頬にも、そっと淡いピンクが広がった。


次の瞬間——

ほとんど見えないくらいの薄い曲線が、彼女の唇をそっと引き上げた。


誤魔化しでも、冷たさでもない。

本当の意味で、極めて浅く、柔らかい笑み。

氷結した湖面が細く割れ、下の優しい光が漏れ出すように。


彼女は目を下げ、手元のパッションフルーツドリンクを見つめ、指先でそっとボトルをなぞり、声が花に風が吹くように小さく、これまでにない温度を込めて言った。


「……あなた、結構細かいところまで気がつくね」


ヴェスペラは少しずつパッションフルーツドリンクを飲み、瞳の涙が消え、再び澄んだ水色に戻った。

彼女は静かに残りのカレートンカツを食べ終え、動作は相変わらず柔らかいが、最初の距離感と緊張が少し解け、自然なリラックスが加わった。


空いた弁当をそ

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