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第7話 ゴールドラッシュの残響(原点という名のキャンバス)


 染屋がアパレル会社を辞めて直ぐに、彼は1人アメリカに渡っていた。

 そこはカルフォルニア。かつてあのゴールドラッシュで多くの労働者が一攫千金を夢見て汗を流した場所。

 そんな思いを馳せながら染屋はデットストックや古着を探していた。


 ある一軒の古着屋。

 外にはHarley-Davidsonが置いてある。

 私は機械的にそこに入っていった。

 埃っぽい店内の奥で、初老のオーナーとデニムの歴史について語り合っていた時のことだ。オーナーは染屋の眼差しに何かを感じ取ったのか、「面白いものを見せてやる」と、奥から年季の入った木箱を抱えてきた。

 

 蓋を開けた瞬間、漂ってきたのは古い土と、乾いた風の匂いだった。

 そこには、茶色くくすんだ一本のパンツ。


「……これは?」


 問いかける染屋に、オーナーは敬虔な面持ちで、短く一言だけ告げた。


「ゴールドラッシュの遺産だ」


 まさか?! そう思いもう一度それを見る。

 これがあの501の元になった労働着。

 目の前にあるのは、1850年代。リーバイスの原型、いや、ジーンズという名の概念が産声を上げたその瞬間に立ち会っていた「ワークパンツ」そのものだった。


 「触れても良いですか?」


 染屋の声は微かに震えていた。オーナーは「もちろんだ」と、聖遺物を託すような手つきでそれを差し出した。


「……これが、すべての始まりなんだな」


 染屋がその厚く、ゴワついた生地に指先を沈めた瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。

 冷房の効いた店内の空気は消え、代わりに喉を焼くような砂塵と、男たちの獣じみた咆哮が耳を打つ。


「オラ! ちんたらやってんじゃねえぞ!」


 現場監督の怒声が響く。1850年代、カリフォルニアの鉱山。

 そこには、一人の男がいた。

 男は、売れ残った重いテント用のキャンバス生地を前に、途方に暮れるどころか、労働者たちの動きを鋭い眼光で観察している。彼こそが、リーバイ・ストラウスその人だと染屋は直感した。

 リーバイは、泥にまみれた鉱夫たちの「膝から破れないズボンが欲しい」という切実な悲鳴を、その耳で、その心で受け止めていたのだ。

 染屋の意識は、そのズボンを履き、氷のような川底に膝をついて金を探す名もなき労働者の鼓動と同期する。

(……ああ、厚いな。この生地は)

 肌を刺すようなキャンバスの硬さ。それは不快感ではなく、過酷な大地から身を守る「絶対に破れない」という全幅の信頼として脚を包み込む。

 額から滴り落ちる汗が、まだリベットすら打たれていない無垢な生地に吸い込まれていく。一攫千金を夢見て、暗い坑道でツルハシを振るう孤独な音。そして一日の終わり、粗末なランプの下で、泥に汚れた仲間と安酒を煽る匂い。

 明日、金を見つけられる保証などどこにもない。それでも、この頑丈な「鎧」を履いている間だけは、自分たちがこの大地を征服しているのだという誇りが、彼らの胸には確かにあった。


「……これだ。形は今とほとんど変わらない。動きを邪魔しないシルエット。ここですべてが完成していたんだ」


 染屋は、ハッと我に返った。

 指先には、170年分の時間を吸い込んだ乾いたキャンバスの感触だけが残っている。

 後にインディゴの青が出会い、リベットという名の宝石が打たれ、ジーンズという伝説は完成を見る。後に「501」の原型となる「XXダブルエックス」へと繋がる長い旅路。

 ジーンズに魅了された者は多い。染屋もその一人だ。中には全人生を賭け、当時の風合いを復元しようとした狂気的な職人たちもいた。

 彼らが命を懸けて追いかけたものの正体は、このネバダの砂埃の中にいた男たちの、不器用で、しかし真っ直ぐな「生」のエネルギーだったのだと、染屋は確信する。

 染屋は、桐箱を静かに閉じ、自嘲気味に口角を上げた。

(……結局、黄金を掴んだのは、泥にまみれて土を掘った男たちじゃなかった。その男たちに、スコップや安酒や、この『頑丈なズボン』を売った奴らだったんだ)

 歴史の教科書には、莫大な富を築いた商人の名前が残る。だが、その商人を富ませたのは、明日を夢見て、破れたズボンを買い替えた数え切れないほどの「名もなき敗者たち」の汗だった。

(でもな、倉敷……)

 染屋は空を仰ぐように目を閉じる。

(俺は、その『富を得られなかった男たち』が、仕事終わりに安酒を煽りながら、この新しいズボンの硬さを自慢し合っていた瞬間の方が、よっぽど愛おしいと思うんだ。彼らがこの布を『履いた』からこそ、歴史は動き、今、俺の手元にこの一本がある。ジーンズは、いつだって報われない人間の、ささやかな希望の証だったんだ)


 後に彼が打ち出すブランド『Pure Blue』。それは単なるヴィンテージの模倣ではない。

 170年前、ネバダの空の下で安酒を煽りながら笑っていた男たちが、もし現代にいたら「こいつは最高だ」と親指を立てるような、そんな「血の通った鎧」でありたい。

 染屋の眼差しは、かつてないほど鋭く、そして未来を見据えるように優しく澄み渡っていた。

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