エピローグ:刻まれる青
『Pure Blue』が産声を上げてから、二年の月日が流れた。
独立して自分の城を構えた染屋が、最初に行ったのは「自分自身が最初の実験台になる」ことだった。
完成したばかりの第一号を、染屋は毎日欠かさず履き続けた。工房で屈み込み、ミシンを踏み、重い反物を運ぶ。一年間、文字通り寝食を共にしたその14オンスの生地は、染屋の体の動きを克明に記憶し、驚くほどしなやかな「第二の皮膚」へと変貌を遂げていた。
さらに染屋は、古くからの知り合いであるデニムショップのオーナーにも一本を託した。
「理屈抜きで、一年間履き潰してみてほしい」
そう言って手渡したジーンズは、ショップの店頭で、そしてオーナーの日常の中で、染屋のものとはまた違う「生きた表情」を刻んで戻ってきた。
その二本が、あるアメカジ系のファッション誌に特集された。
誌面を飾ったのは、モデルの華やかな写真ではなく、徹底的な「比較」だった。
「Before:0ヶ月」
糊が効き、深い闇のようなインクブルーを湛えた、可能性だけの無垢な姿。
「After:12ヶ月」
染屋とオーナーがそれぞれ履き込み、無数の皺と、砂浜のように淡い青へと変化した、戦友のような姿。
「一年という時間が、布に魂を宿らせる」
その明快な証明は、流行に疲れた男たちの心を激しく揺さぶった。
記事が出て以来、工房には静かな変化が訪れた。
派手な広告など一度も出していない。だが、あの一枚の写真を見た男たちが、一人、また一人と「自分だけの記憶を刻む一本」を求めて、口コミで染屋の門を叩くようになったのだ。
現在。染屋の工房の壁には、かつての自分が見てきた「他人の古い記憶」ではなく、自分が作り出し、誰かが育て上げた『Pure Blue』の成長記録が写真となって並んでいる。
染屋は今日も、新しく届いた注文書に目を通す。
かつては他人の過去を読み取るだけだった彼の指先は、今、新しい主の「未来」を縫い合わせるために動いている。
完成したばかりのジーンズを畳みながら、染屋はふと窓の外を見た。
この青は、これからどんな人生の色に染まっていくのだろうか。
記憶を縫う男の物語は、彼が作ったジーンズと共に、これからも世界中の路上で書き足されていく。
(完)




