第9話 聖女さま、モーニングを食べる。(1)
「さすがにほぼほぼ三食ポップコーン、炭酸飲料生活には飽きてきたな。口の中が別のものを求めている!」
そう言って私がソファからむくりと起き上がったのは結界が完成して二か月ほどが経った頃。洞窟に引きこもり始めて二か月ほどが経った頃だった。
二か月近く、ほぼほぼ三食ポップコーンに炭酸飲料を食べてたらそりゃあ、飽きるだろうよ。ていうか、もっと早くに飽きるだろ、ふつー。
「なぁーんてツッコミ入れるのが脳内の自分だけなのがストレスフリー……ぐふっ、ぐふ、ぐふふふっ」
なんて、ぐふふふ笑いながらソファに腰掛けて考える。ポップコーンと炭酸飲料生活に飽きたのは間違いないとして、だったら何を食べたいだろうか。
今、食べたいもの。私が求めているもの。
「……カフェの、モーニング」
ぽつりとつぶやく。
「落ち着いた雰囲気のカフェで。焼きたてのトーストと、ミルクたっぷりのカフェラテとかカフェオレとかがついたモーニング。カフェのモーニングが食べたい! 食べ! たい!」
でも、と心の中でつぶやく。
「カフェのモーニング……っていうか、飲食店で注文するときって絶対に店員としゃべるしぃー。しゃべりたくないしぃー。選択肢も多くて注文メンドーくさいしぃー……」
ソファにしおしおと倒れ込んでポップコーンをひとつかみ。口に放り込んでサクッと噛んだ瞬間、ハッと目を見開いた。
「いやいやいやいや、私ってばバカなの!? 万能聖女さまな私には万能魔法があるでしょ! 店員はいないけどモーニングは提供してくれるカフェを出現させることもできちゃうでしょ! 人としゃべりたくない私とみんなの味方、開発したお前もきっと仲間だろ、後楽園でキミとあくしゅ! なセルフレジを店員の代わりにカフェに導入することもできちゃうでしょ! 可能性無限大でしょ!」
口に出した途端、なんだか気持ちが高ぶってきてソファから飛び降りた。
「どこ! どこのモーニングにしちゃうの、私! ぐふっ! なじみのチェーン店!? 職場の近くにあったあのカフェ!? ぶひっ、ぶひゃひゃ! それとも、それとも、それともーーー!」
テレビとソファとポップコーンを置くためのちょっと広めのテーブルが置かれているだけの部屋の中をぐるぐると歩きまわっていた私はふと足を止めた。
「もしかして、あのカフェにもセルフレジ、導入できちゃう……?」
つぶやいた瞬間、クワッ! と目を見開いた。
「も、もももももしかして、セルフレジ導入できちゃう? できちゃう!? きちゃうよね、きっと! だって……ぐふっ、私ってば……ぐふ、ぐふふふっ……私ってば万能聖女さまで万能魔法使えちゃうんだもん! あの、注文の仕方がわけわかんなくて二度と行けなかったあの店に行けちゃうし、ゆっくり、しっかり、思う存分、モーニングも堪能できちゃう! でき! ちゃうっっっ!」
ピッカーーーン!
雑な感じにバンザイすると魔法発動。まばゆい光があたりを包み、一瞬後にはシンプル・イズ・ベストなひきこもり部屋ではなく見覚えのある駅の改札の中に変わっていた。
前世の私が暮らしていた日本のとある街にある、とある駅の改札の中に。
ふわふわもこもこ着心地抜群の部屋着で駅構内に立っていることにそわそわと背中を丸める。でも、ぐるりとあたりを見まわして、だぁーれもいないのを確認して――。
「……っ」
カメが甲羅から顔を出し、首を伸ばすように私はすーっと背筋を伸ばした。ここには私一人しかいない。私以外、誰もいない。
つまり――。
「部屋着でふらふらうろうろしてても誰にも、なぁーんにも思われないし、言われない……ぐふっ、ぐふふふふっ!」
ということなのである。
ぐふぐふ笑いながら目的のカフェに目を向ける。ホームにあがるための階段横には落ち着いた雰囲気のカフェがあった。駅を利用する人たちをターゲットに平日は朝の六時半から夜の二十一時、土日祝日は朝の八時から夜の二十一時まで営業しているカフェ。
店の中をのぞきこんでみる。
テーブル席が三十席ほど置かれている店内の奥にカウンターがある。そこで注文にお会計、調理もやっていて実際には店員が二人ほど立っているのだけど――。
「……いない」
代わりに置いてあるのは落ち着いた店の雰囲気に合うタブレット端末。恐らく、セルフレジ替わりのタブレット端末。
「いない……人っ子ひとりいない……いにゃい……にゃーいにゃーーーい! ぐふっふふーーーん!」
タコかイカかクラゲのごとく、腕をふにょんふにょんさせながら店内へ。小躍り、ツーステップからのターンをかましつつタブレット端末にタッチ。
――ご注文をどうぞ。
「はーい、ご注文しまーす」
タブレット画面に表示された文字に向かって元気いっぱい返事をして私はポチポチとタッチパネルを操作し始めた。
このカフェは改札の中にあるだけあって平日休日祝日関係なく混み合っていた。特に平日のモーニングは会社員の常連客ばかりが来るのだろう。
その日はたまたま出勤時間が遅めの日だった。いつもは職場の近くで朝ごはんを食べるのだけど、その日は職場までの途中駅にあるこのカフェに初めて入ってみようと思い立ったのだ。
ゆっくり、優雅に、モーニングを食べようと思い立ったのだ。
でも――。
――ご注文は?
――えっと、Eのトーストブレックファーストで。
――……。
――……?
――セットドリンクとかは?
――あ! それじゃあ、えっと……カフェオレのホットで!
――ゆでたまごとヨーグルトも選べるんですね!
――……。
――そ、それじゃあ、ヨーグルトで!
――……。
――……?
――…………?
――…………?
――あとバターとかは?
てな、会話というのもおこがましいくらいぎこちない会話を店員とのあいだで交わしてしまったのである。このカフェの、この店員とのファーストコンタクトで、交わしてしまったのである。
「とかはってなんだよ、とかはって! バターとあと何があるんだよ! 店出てから店の外のメニューを目ン玉かっぴらいて読んだけどバターとかについては書いてなかったぞ! セットドリンクについてとゆでたまご・オア・ヨーグルトについてはちっちゃく書いてあるのをギリギリ見つけたけど、バターとかについてはどこにも書いてなかったぞーーー!」
地団駄を踏みながらスターーーン! とタッチパネルをタッチしてEのトーストブレックファーストを選択。
たぶん、聞くまでもなく呪文のように注文してくれる常連客ばかりなのだろう。ヤサイニンニクアブラカラメマシマシなのだろう。そんでもって私も私でどこにでもいるしがない会社員な格好をしているもんだから常連客とまちがえられたのだろう。
「だけど! こっちは! 初めましてなんだよぉーーー!」
タッチパネルに選択肢が表示される。ゆでたまご・オア・ヨーグルト。ゆでたまごをスターーーン!
そんなこんなで――。
「店員との気まずいやり取りがトラウマ過ぎて二度と入れなかったけれど、味は美味しかったような気がしなくもなくもないこの店のモーニングにリベンジしてやるんだから! うひっ、うひひひっ! 次から次にやってくる出勤前のせわしないお客さんたちのこともぜーんぜん気にしないで、のんびり、たっぷり、ねっとり迷って、考え込んで、選びに選び抜いて注文してやるんだからーーー!」
タッチパネルに選択肢が表示される。コーヒー・オア・カフェオレ・オア・紅茶・オア・季節の野菜スープ。悩む。カフェオレ・オア・季節の野菜スープで悩む。
と――。
「ふんむっ!?」
とある文字を見つけて私はくわっと目を見開いた。
「プラス220円でドリンク二杯、注文できちゃう!? つまりカフェオレ・オア・季節の野菜スープじゃなくてカフェオレ・アンド・季節の野菜スープにできちゃうってこと!? もーーー! そういうことは早く言ってよー!」
絶叫しながらタッチパネルをスターーーン! スタターーーン!
「そーしたらプラス220円からの! アイスカフェオレからの! 季節の野菜スープ、注文しちゃうに決まってるじゃん! どっちにしようかなーなぁーんて悩まないで両方頼んじゃうに決まってるじゃーーーん!」
うひゃっひゃーと笑っていた私は次に表示された画面を見つめて真顔になった。すーーーんとした顔になった。
「バター・オア・イチゴのジャム・オア・ブルーベリーのジャム・オア・季節のジャム……って」
あの日、店員はこう言った。
――あとバターとかは?
なんていうか――。
「メニューにも書いてないのにバターとかでまとめんなよ! わかんないよ! こんなに選択肢あるなんて聞いてないよ! プラス50円で二種類選べるなんてもっと知らないよ! メニューにも書いてないのにバターとかでまとめんなよ! こちとら初心者だよ、常連客じゃないんだよ、わかんないよぉぉぉーーー!」
あとバターとかは? と聞かれてわけもわからないまま、唯一、単語が出ていたバターをあ、それじゃあ……バターで……と言って注文したあの日の美姫を思ってひぃんひぃん泣きながらタッチパネルをスターーーン! スタターーーン! と叩いてプラス50円・アンド・バター・アンド・季節のジャムを注文した。
バターと、あと何があるんですか? と、とっさに聞けるレベルのコミュニケーション能力やら瞬発力やらがあったら誰の目も気にしないおひとりさまやりたい放題わがまま生活でこんなにもうっきうきのわっくわくの心の羽を広げてぶわっさぁ……! な感じになっていない。
「今! 最高! 今の生活! 最の! 高!」
なんて言ってるあいだにもタッチパネルの表示が切り替わる。
「あば……うばばば……」
表示された〝お席でお待ちください〟の文字を見て口をうにゃうにゃさせる。あの日のトラウマをもう一つ、思い出してしまったのだ。




