第8話 聖女さま、トイレにポン的なのをする。(2)
レティーシャ・スーザン・オベットには前世の記憶があった。横山美姫として生まれて、生きて、死んだ記憶が。
んで、この前世の記憶の中に乙女ゲー〝キミと二人、青空の下、あるいは暗闇の中〟――通称〝アオクラ〟をプレイしたときの記憶もあった。社会人になって一人暮らしを始めて、二十代後半で恋人と別れて、週末はほとんど家でごろごろ過ごすようになってから始めたスマホゲームの一つだ。
生まれたときから前世の記憶はあったけどこの世界が〝アオクラ〟の世界だと気が付いたのはチヒロが現れたあとのこと。
突然、異世界に迷い込んでしまった女子高生が〝伝説の少女〟だとか〝浄化の神子〟だとか言われて祀り上げられて、第一王子だとか、騎士団団長の息子だとか、幼くして天才的な才能を発揮してるけど性格に難ありの魔法使いだとか、優秀だけど変人な錬金術師だとかと仲良くなって、協力して異世界を救うって、そういう乙女ゲーありそうだよなー、なんて考えていてハッとしたのだ。
ありました! やりました!
ヒロインの初期設定の名前がチヒロで、メイン攻略キャラがサミュエルという名前の第一王子で、ライバルであり親友的立ち位置のキャラがレティーシャという名前の聖女な乙女ゲーが!
この通称〝アオクラ〟――〝キミと二人、青空の下、あるいは暗闇の中〟というタイトル通り、各攻略キャラごとに〝青空エンド〟と〝暗闇エンド〟が用意されている。
〝青空エンド〟は無事にすべての瘴気を浄化し、この世界に青空を取り戻し、攻略キャラと末永く幸せに暮らしましたとさ――というありきたりで当たり障りのないハッピーエンド。
そして、〝暗闇エンド〟。
無事にすべての瘴気を浄化した……と思っていたけれど、再び瘴気が発生し、青空は灰色の雲におおわれてしまう。
瘴気の発生源がとある洞窟にあることを突き止めたチヒロは瘴気が洞窟から漏れ出ないように入り口に結界を張ることにする。そして、洞窟の中に――結界の中に残って発生し続ける瘴気を未来永劫、肉体が滅んでも浄化し続けることを決める。
そこで一番、親密度の高い攻略キャラが言うのだ。
――キミを一人になんてしないよ。
――決して。
世界を守るためにその身を犠牲にする少女と、愛する少女のためにその身を犠牲にするイケメン攻略キャラ。薄暗い洞窟の中で、暗闇の中で。死ぬまで――いや、魂だけになっても未来永劫、二人きり。
メリーバッドエンドとも言えるこの〝暗闇エンド〟こそが〝アオクラ〟の売り。ルートに入りたい攻略キャラとの親密度を最大にし、なおかつヒロインであるチヒロのあらゆる能力の数値を最大にして〝万能〟の称号を得ないと見られない難易度の高いエンディングだ。
さて、ここまで説明して気が付いただろう。
そう、ここがその〝暗闇エンド〟の舞台となる洞窟なのだ。
〝アオクラ〟には通称・親友エンド、あるいは百合エンドと呼ばれるレティーシャルートがあるのだけど、今の状況はそれに近いと言える。
違いは洞窟の中に残ったのがヒロインのチヒロではなくレティーシャだという点。それと〝暗闇エンド〟に入るための条件である〝万能〟の称号を得たのもチヒロではなくレティーシャだという点。
「この世界が〝アオクラ〟の世界だって気が付いてから必死こいて、あらゆる能力の数値を最大にするべくレベルあげまくったんだよねー」
チヒロが現れてからの一年のバタバタ具合を思い出して洞窟の天井を仰ぎ見た。
聖女候補として、聖女として、これまでに培ってきた人脈と能力をフル動員し、チヒロやサミュエルたちに隠れてレベル上げのためのバトルを繰り返し、前世でのプレイ知識とお助けアイテムも駆使して〝万能〟の称号を得るべく暗躍してきたのだ。
それもこれも〝暗闇エンド〟のレティーシャルートに入るため。世界を守るためにその身を犠牲にし、薄暗い洞窟の中、死ぬまで――いや、魂だけになっても未来永劫、暗闇の中で瘴気を浄化し続ける――。
「……という大義名分を得てこの洞窟に引きこもり! 誰の目も気にしないおひとりさまやりたい放題わがまま生活を手に入れるため! だから、手放さない! 手放せない! この生活!」
パッシブモードで浄化魔法を発動しているからこの洞窟にとどまる必要はミジンコほどもないのだけれども。瘴気の発生源に叩きこんだトイレにポン的錠剤により発生量がぎゅんと減り、わずかに発生している瘴気も発生源の横に鎮座するトイレに置く芳香剤っぽいのがぎゅんぎゅんと吸っているからお役御免状態なのだけれども。
そうなのだけれども――!
「決して、この生活は手放さない! 手放すことはできない! だって、もう人間社会に復帰できる気なんて微塵もしないから! 私は! 一生を! この洞窟に引きこもって! ひとり自由気ままに! 働かずに! やりたい放題なこのわがままライフを死守したい! してみせるっっっ!」
ガシッ! と拳をにぎりしめてろくでもないけど人の目がないのをいいことに心の底からの本音をダダ洩れさせた私はふと目を見開いた。
「あ……!」
いやな予感の理由がつかめた気がしたからだ。
レティーシャルートの〝暗闇エンド〟でレティーシャは今まさに閉じようとしている結界越しにチヒロにこう語りかける。
――人が好きで、人といっしょにいるのが大好きなあなたですもの。
――この洞窟に一人きりというのは耐えがたいほどにつらいことでしょう。
――でも、私を信じて待っていて。必ずあなたを自由にしてみせるから。
――歴代で最も優秀な聖女である私が、必ず。
結界越しに凛とした表情で、しかし、目には涙を浮かべてそう言うレティーシャのスチルがきれいで、印象的で、だから記憶に残っている。
そう、チヒロは人が好きで人といっしょにいるのが大好きな性格だ。レティーシャルートの〝暗闇エンド〟に入るため、チヒロとの親密度を高く維持するためにできるかぎり行動をともにするようにしていたけれど、抜群の人なつっこさだった。
そんなチヒロが今の私の状況を憂いて何かしらの行動に移す可能性はゼロとは言えない。
「憂わなくていいんだけどね! 全っっっ然、憂わなくていいんだけどね!」
憂わなくていいんだけど、〝暗闇エンド〟のレティーシャのように私をこの洞窟から自由にしようとがんばっちゃって何かしら思い付いちゃったりするかもしれない。
たぶん、きっと、ないだろうと思いつつ――。
「まー、念のため。念のために、ね」
私はバンザイして雑に魔法を発動した。誰の目も気にしないおひとりさまやりたい放題わがまま生活を死守するため。その方法はお任せ。万能聖女さまな私が雑に発動した万能魔法にお任せしてしまっている。
だから、洞窟の外を飛びまわっていた小鳥たちがぴちちっと鳴いて伝言ゲームを始めたことなんて知らず――。
「さぁーて、今度こそ日本ホラー映画界の絶対的センター、圧倒的ヒロインの見せ場を誰にも邪魔されずにじーっくり最後まで見るぞー。うひっ、うひひひっ……!」
シンプル・イズ・ベストな引きこもり部屋にうひうひ笑いながら戻っていった。
小鳥たちの伝言ゲームが王都の空を飛びまわる小鳥たちに伝わるのはわずか数時間後のことである。




