第7話 聖女さま、トイレにポン的なのをする。(1)
「…………っ」
息を呑み、食い入るようにテレビを見つめる。テレビの中のテレビからは今まさに日本ホラー映画界の絶対的センター、圧倒的ヒロインが這い出ようとしているところだった。
もう少し、あと少し、たぶん、きっと、そろそろ――。
「……っ」
『しきい値を超える瘴気を確認しました! しきい値を超える瘴気を確認しました! 浄化を行ってください! 浄化を行ってください!』
「ぶっひゃぁぁぁあああーーーーー!!!」
突然、ビービーと大音量で鳴り出したアラート音に腹の底から悲鳴をあげた。
聖女候補だった頃には相部屋、聖女になってからは個室をもらったけど並びには女性神官たちの部屋があった。前世では社会人になってから一人暮らしをしたけど壁薄めのアパートだった。
あの部屋どの部屋その部屋に暮らしていたときにこんな悲鳴をあげていたら同室どころか周辺の部屋の子たちからも舌打ちされ、女性神官からはお小言をもらい、隣人からは壁ドンを食らっていたことだろう。
「そ、それにしても……最悪のタイミングで……!」
『しきい値を超える瘴気を確認しました! しきい値を超える瘴気を確認しました! 浄化を行ってください! 浄化を行ってください!』
「あぁーもーーー! ホラー映画の一番の山場で邪魔してくるなんて最悪!」
『しきい値を超える瘴気を確認しました! しきい値を超える瘴気を確認しました! 浄化を行ってください! 浄化を行ってください!』
「はーいはいはいはーーーい! あぁーもう! あぁーもーーー!」
人の目がないのをいいことにソファの上で大人げなくジタバタしてからため息を一つ。いきおいよく立ち上がるとシンプル・イズ・ベストな部屋を出た。
以前は洞窟の入り口からわずかに射し込んでいた陽の光も結界を張ったことによりまったく入らない。それでも歩くのに困らないのは発光する苔やキノコが暗闇の中で緑や白の淡い光を放っているからだ。
幻想的で美しいその景色が今は瘴気のせいで灰色にかすんでいた。
まあ――。
「ばんざーい」
やる気なくバンザイするだけで浄化できてしまうのだからたいした労力ではないのだけれど。三日に一度程度、浄化するだけなのだからたいした労力ではないのだけれど。瘴気が溜まったらアラートが鳴るようにしてあるから気をつけておく労力すら必要ないのだけれど。
でも、それはさておき――。
「ホラー映画の一番の山場で邪魔されたくなーい。映画の途中で邪魔されたくなーーい。なにかやってるときに邪魔されたくなーーーい。……ていうか、働きたくない!!!」
なのである。
〝仕事、行きたくない〟〝働きたくない〟の理由の五割か七割か九割か九割九分九厘くらいは〝人間に会いたくない〟〝人間と話したくない〟〝人間と関わりたくない〟だと思っていたけれども。誰もいないし誰も見てないし誰とも話す必要のない今の環境でもやっぱり〝働きたくない〟と思っているんだから、ただひたすらに〝働きたくない〟だけなのかもしれない。
「前世で仕事、辞めたりしなくてよかったわー。半年もごろごろ無職やったら働かなきゃって気持ちになるよって言われたけど絶対に無理だ。二度と社会人として復帰できる気がしない。人間社会に復帰できる気がしなーい」
まばゆい光があたりを包んだかと思うと瘴気は一瞬で浄化され、視界はクリアに、幻想的で美しい景色はますます幻想的で美しく見えるようになった。
やることをやった私は腕組みをして瘴気の発生源となっている穴をのぞきこんだ。日本ホラー映画界の絶対的センター、圧倒的ヒロインがよじ登ってきそうな穴からは、ヒロインの代わりに灰色の瘴気がよじ登ってきている。
「オートモードでこの場の瘴気の量をチェックして自動的にアラートを鳴らすようにはできた」
某ファルコンさん似のホワイトドラゴンの赤ちゃんにもみくちゃにされたいという私利私欲のためにゾーンに突入した私は今までに一度として使ったこともなければ、この世界では聞いたこともない〝オートモード〟を使っていた。
癒しの魔法と死者蘇生の魔法のオートモードに成功した私はそれを応用してこの場の瘴気の量を定期的にチェックしてアラートを鳴らす魔法を自動的に発動するようにした。
でも――。
「常時発動する魔法で瘴気を浄化し続けてくれないものだろうか。今以上に手を抜けないものだろうか。……抜けないものだろうか」
今以上、これ以上、働きたくない。
腕組みをして、目を閉じ、考え込む。私のことを〝お姉さま〟と呼んで慕う聖女候補たちや浄化の神子であるチヒロがこの場にいたらなんと言っただろうか。。
――レティーシャお姉さま、また何かを考え込んでる。
――何を考え込んでるんだろう。
――瘴気のせいで苦しんでいる、この世界に生きとし生けるすべてのもののことを思って心を痛めてらっしゃるのよ。
――いいえ、お姉さまはただ憂うだけの方ではないわ!
――この世界を瘴気の危機から救う方法を考えてらっしゃるのよ!
とかなんとか言っていたかもしれない。
だけど、違う。あのときの私が考えてたことだって〝聖女らしく振る舞うのメンドーくさいなー〟〝真っ当な人間のフリしてるの疲れたなー〟〝人間と関わるの疲れたなー〟ってなもんである。
そして、今の私が考えていることも瘴気のせいで苦しんでいるうんたらかんたらでも、世界の危機うんにゃらほんにゃらでもない。
今の私が考えていることは、ただ一つ。
「働きたくない! 働きたく! なぁぁぁーーーいっっっ! ピュリファイ、パッシブモード、オぉぉぉーーーン!!!」
必要は発明の母。必要、それすなわち面倒くさいと同じ意味。
ろくでもないけど心の底からの願いをこめて力いっぱい叫び、両腕を振り上げる。雑な感じで浄化魔法を発動するとあたりはまばゆい光に包まれ、一瞬後にはまたちょっとたまり始めていた洞窟内の瘴気はきれいさっぱり浄化されて消えていた。
それだけではない。
瘴気の発生源である穴の横にトイレに置いとく芳香剤っぽいものが出現していた。ぎゅんぎゅん瘴気を吸っている。ぎゅんぎゅんぎゅんぎゅん吸っている。
さらに――。
「念には念をーーー!」
自分の手のひらに現れた五百円玉大の錠剤をトイレにポン的ノリで穴の中に叩き込んだ。穴から吐き出される瘴気の量がたき火の煙から線香の煙くらいになった。そのほっそい煙を芳香剤っぽいのがぎゅんぎゅん吸っていく。ぎゅんぎゅんぎゅんぎゅん吸っていく。
しかもこれ、前世で販売されてた芳香剤や錠剤のように交換や定期的な投入が必要ない。なぜならパッシブモードで魔法を発動してるから。未来永劫、効果がある。さすがは〝万能〟の称号を得た聖女の能力。
つまり、これで――。
「ホラー映画の一番の山場で邪魔されなーい! 映画の途中で邪魔されなーーい! なにかやってるときに邪魔されなーーーい! ていうか、働かないですむっっっ!」
聖女さまのお役御免、私の役目は終わったぁぁぁーーー! なのである。
「この展開、〝アオクラ〟になかったはずなのによくぞひねり出した、私! さすがは〝万能〟の称号を得た万能聖女さま! 自画自賛しちゃう! すごい! よくやった! 誰の目も気にしないおひとりさまやりたい放題わがまま生活を盤石なものにした立て役者! 英雄! ぶひゃ、ぶひゃひゃひゃひゃーーー!」
あまりのうれしさに小おどり、盆おどり、阿波おどりによさこいおどりをおどりながら聖女にあるまじきぶひゃぶひゃ笑いをする。
「……でも、なんかいやな予感が」
鳴子代わりに手のひらをふにゃんふにゃんさせていた私は眉間にしわを寄せて首をかしげた。いやな予感はするんだけどその理由がつかめなくて――。
「んーーー?」
私は眉間のしわを深くして考え込んだのだった。




