第4話 聖女さま、もつ鍋を食べる。(3)
この世界に転生して最初に思ったことは、こう。
――今世は人とあんまり関わらないで生きていけたらいいなぁ。
――人の目を気にしないで生きていきたいなぁ。
だけど、レティーシャはこの世界でも人間で。この世界でも人間は人間同士のつながりの中で生きていて。人間社会の中で生きていて。
人間社会の中で生きていくからには人と関わらないで生きていくことも、人の目を気にしないで生きていくこともできなくて。
だから、私は次にこう思ったのだ。
――なら、まあ、せめて、いつかポップコーンを食べられたらいいなぁ。
――前世で大好きだったポップコーンを思い切り。
さてさて。
人間社会の中でうまーーく生きていくと決めたからには家族との関係、周囲との関係は大切だ。
レティーシャの生家であるオベット家は神殿とのつながりが深く、これまでに何人もの聖女を輩出してきた名家だ。生まれた女児は全員、聖女候補として神殿に預けられてきたし、レティーシャも御多分にもれず十才の春に神殿に預けられた。
神殿に預けられる前日、夕食の席でレティーシャの両親は娘を抱きしめてこう言った。
――オベット家の名に恥じない立派な聖女になるんだぞ。
――立派な聖女さまになれるように一生懸命にがんばりなさい。
家族には立派な聖女になる人生を望まれている。それなら、人間社会の中でうまーく生きていき、家族ともうまーーーく関係を築いていくために立派な聖女を目指さなければ。
幸い、レティーシャ・スーザン・オベットという少女はスペック高めの少女だった。物覚えも良ければ運動神経もいい。努力できるだけの気力と、努力できるだけの時間を確保するための体力もある。
さらに異世界転生者であるという点。
前世の記憶があるということ以外に異世界転生者として特別なところはなかったけれど、前世の記憶があって、人生二周目というのは十分過ぎるくらいの授かり物だ。
同い年の子供たちや同年代の聖女候補たちより、勉強にしろ魔法にしろなんにしろ頭一つ二つ抜きんでることはたやすかった。元来、一人で黙々と何かをやるのが好きで、愛想もいい方じゃない今世のレティーシャだったけど、人生二周目な前世の横山美姫の記憶がある。前世の経験やら失敗やらの記憶がある。
人間に擬態して、人間の形をたもって、必死こいて人語をしゃべって、神官たちからも聖女候補たちからも街の人たちからも好かれ、評価され――次期聖女第一候補となり、この国の第一王子であるサミュエルの婚約者となり、正式に聖女に任じられた。
聖女候補のときも聖女になってからもさまざまな魔法を覚え、とっくの昔に前世で大好きだったポップコーンを出せるくらいにはなっていた。歴代聖女と比べても破格の種類の魔法が使えちゃう私だけど、でも、欠点もあった。
魔法を使うと神々しい光を放っちゃうのだ。
そりゃあ、もう、まばゆいほどの光だ。
歴代の聖女も聖女候補たちも神官も、魔法を使うときに光を放ったりしない。私と浄化の神子であるチヒロだけが魔法を使うとピッカーーーン! と光を放つ。
そんなん見たら人がわらわらと集まってきてしまう。
――レティーシャ、今の光はなんだ!
――レティーシャお姉さま、どんな魔法をお使いになったのですか!?
――聖女さま、今度は一体、どんな奇跡を起こしたんだい!?
神殿の中なら神官たちや私のことを〝お姉さま〟と慕う聖女候補たち。街中なら信心深いおじいちゃまおばあちゃまや純真無垢な目をした子供たち。キラッキラの瞳で私を見つめる彼ら彼女らに言えるわけがない。
――魔法を使って前世の好物を出しただけですよ!
――万能聖女さまの万能魔法を使ってうすしお味にキャラメル味にバターしょうゆ味、しおとごま油味にのりしお味のポップコーンを出しただけですよ!
――私の! 私による! 私のための魔法! 私のための奇跡ですよーーーん!
だなんて聖女である私が言えるわけがない。私利私欲食欲煩悩のためにピッカンピッカンやれるわけがない。
でも、今は、なんて言うか――。
「瘴気を浄化するっていう大義名分を得て、大手を振って送れちゃう人と関わらない、人の目を気にしない生活、最っ高ぉぉぉーーー!」
なのである。
「もつ鍋食べてたらポップコーンを食べたくなってきちゃったなー! ぶひゃ、ぶひゃひゃっ! しお味のポップコーン、召喚ーーー!」
誰の目も気にしないおひとりさまやりたい放題わがまま生活絶賛満喫中の今ならポップコーンも食べたい放題、食べたいものも食べたい放題、やりたい放題、わがまま放題、ピッカンピッカンし放題なのである。
「しょっぱいのばっかり食べてたら甘いのも食べたくなってきちゃったなー! ぶひゃっ、ぶひゃひゃひゃっ! キャラメル味のポップコーン、召喚ーーー!」
ピッカーーーン!
ピッカンピッカンやりまくって雑に魔法を発動し、まばゆい光を乱発した私はテーブルの上に広がった幸せな光景ににんまりと笑ってふわふわもこもこ着心地抜群の部屋着姿で思い切り伸びをした。
「おいしいもつ鍋、ひとり占め、最高! ポップコーン、最高! 炭酸飲料、最高! 部屋着でごろごろ、最っっっ高ぉーーーー!」
洞窟の中で〝誰の目も気にしないおひとりさまやりたい放題わがまま生活〟を始めて一週間が経とうとしていた。
なんて言うか、こう、今世の中でも前世の中でも――。
「今が最高! 今が! 最!! 高ぉぉぉーーー!!! ……っ、くぅぅぅぅーーーっ! 温州みかんの果実スカーーーーッシュ! ぶひゃ、ぶひゃひゃひゃっ!」
なんて、戦隊ヒーローものの技名みたいに毎度のごとく、お約束のように叫んでぶひゃぶひゃと笑い――。
「さてさて、ちょっとお腹と口の中が落ち着いてきたところで……この最高の状況をちびちび楽しみつつ、映画も楽しんじゃいましょうか……ぶひっ、ぶひひひっ……」
リモコンを手に取るとにんまりと笑った。
「もつ鍋を食べながら見る映画といえば、やっぱり……ぶひっ、ぶひひひっ……これでしょ……っ!」
誰の目もない、誰にも見られる心配がないのをいいことに聖女にあるまじき極悪な笑みを浮かべてリモコンの再生ボタンをぽちっと押す。
始まった映画は――。
「サイコホラー映画の金字塔、あれでそれでどれな食の好みをお持ちのあの美食家な博士が出てくる某羊たちがだんまりする映画……ぶひっ、ぶひひひ……」
である。
一作目、二作目までは見ているけど改めて見たうえで、未視聴の三作目、四作目も見たいのである。
「もつ鍋のにおいに包まれながら……ぶひっ……某羊たちがだんまりする映画を……ぶひっ、ぶひひひ……ぶひひひひひひ……っ」
神殿の神官や私のことを慕ってくれている聖女候補たち、チヒロやサミュエルが見たら青ざめて、うろたえて、正気を疑われて、本人であるかも疑われることまちがいなしな聖女にあるまじき不気味な笑い声をあげながら私はちびちびもつ鍋を楽しみつつ、某羊たちがだんまりする世界に没入していったのだった。




