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第31話 その日、王都では……。

 その日、世界はまばゆい光に包まれた。


 天使が純白の羽を広げるように。女神が両腕を広げるように。

 真っ白い光は世界を包み込んで抱きしめた。そして、この世界に生きるすべてのものを何十年も苦しめてきた瘴気をきれいさっぱり消し去った。

 空をおおっていた灰色の瘴気が消え、美しい青空が顔をのぞかせた。


 それが数か月前のこと。


 その青空に人影らしきものの姿が浮かび上がるのを見つけた街の人たちも、騒ぎに気が付いて王城の窓から顔を出したチヒロやサミュエルたち浄化の神子一行も、最初は困惑や警戒の表情を浮かべていた。

 でも――。


「ねえ、あれって……」


 その人影が紫がかった銀髪に紫水晶アメジスト色の瞳に白い肌――雪魄氷姿せっぱくひょうしと評されるさまから〝雪花せっか〟の二つ名を冠した聖女の姿になるのを見て――。


「レティーシャ!?」


「レティーシャお姉さま……!」


「聖女さまだ……聖女さまだよ!」


『お久しぶりですね、みなさん』


 〝万能〟の二つ名を冠した聖女の姿になるのを見て、歓声をあげた。


「レティーシャお姉さま…………レティーシャお姉さまぁ~~~っ!」


『……もう。そんな風に子供みたいに泣いて。見ての通り、私は元気よ。だから、大丈夫だって言ったじゃない』


 涙と鼻水でぐしゃぐしゃなチヒロの顔を見て困り顔で微笑んだあと――。


『私のことは心配しなくていい。それよりも瘴気の傷がまだ癒えないこの世界と、この世界に生きるすべてのもののために力を尽くしてほしい。そう、言ったのに……』


 〝万能〟にして〝雪花〟の聖女は表情を曇らせ、すーっと目を細めた。


『今も瘴気による病で苦しんでいる人たちがいるなんて……それも王都にほど近い街にすらいるなんて……これはどういうことなのかしら。チヒロもサミュエルも他の方たちも、この数か月、何をやっていたのかしら』


「レティーシャお姉さまを助け出したくて、それで方法を……!」


『それを私が、いつ、望みましたか?』


 ピシャリと言われてチヒロは首をすくめた。そんな彼女をアランとジャイルズは背にかばい、ティムは肩を抱きしめ――。


「チヒロは君を助けたい一心で、助け出す方法を見つけようとがんばっていたんだ」


 一歩前に出たサミュエルは青空に浮かぶ聖女を必死な表情で見つめた。


「暗闇の中、孤独に耐えながら一人、瘴気を浄化し続けている君を助け出したい。再び、青空の下で暮らせるようにしたい。その一心で……!」


『だから、そんなことを、私が、いつ、望みましたか?』


 第一王子にして次期国王にして婚約者でもあるサミュエルの言葉をピシャリとさえぎる聖女の凛とした声に街の人たちもさすがに表情を曇らせ、戸惑い、ざわつき始めた。

 それでも、青空に浮かぶ聖女は淡々とした口調で話を続ける。


『私の望みはこの世界に生きるすべてのものの幸福と安寧です。瘴気のせいで今も苦しんでいる人たちがいるのに、その人たちをあとまわしにして助け出してほしいだなんて思いません。それに……』


 そこで言葉を切った聖女はますます冷ややかな目でサミュエルを見つめた。


『どうして、まだ婚約破棄合意書にサインしていないのですか。第一王子で次期国王であるあなたの婚約者の席が宙に浮いているということがこの国に与える影響はわかっているはずです』


 瘴気のせいで荒れ、内政が不安定になんているこの国に与える影響は――という言葉は言わなくても伝わったようだ。サミュエルは唇を噛んでうつむいた。


「だが、しかし……そんなに簡単に割り切れることでは……」


 青空に浮かぶのは〝万能〟にして〝雪花〟の聖女の姿だけ。でも、聖女と話すサミュエルやチヒロの声は世界中の人々に聞こえている。聞こえるようにしている。

 だから、苦悩がにじむサミュエルの声に街の人たちは不安げな表情や同情的な表情を浮かべた。

 そんな中――。


「ねえ、聖女さま。この先ずっと一人きりでも聖女さまなら大丈夫? さみしくなぁい?」


 不意にぬいぐるみを抱きしめた五才くらいの女の子が尋ねた。ただただ疑問を口にしただけなのだろう。何の含みもない丸い目が真っ直ぐに青空に浮かぶ聖女を見つめる。


「こ、こら……!」


「なあに、ママ」


 母親があわてて止めても少女はきょとんとした表情で首をかしげるだけだ。そんな女の子の無邪気さにくすりと笑って聖女は答えた。


『さみしくないわ。だって、私は一人きりではないんですもの』


「そうなの……?」


 目を丸くする女の子ににこりと微笑んでうなずく。


『ええ。だって、私は〝万能〟にして〝雪花〟の聖女。……ほら、こんな風に』


 そうささやくと瞬間、あたりはまばゆい光に包まれ――。


『ね?』


 数千、数万の〝聖女〟が世界中の人々の目の前に現れた。

 母親に抱きかかえられた赤ん坊に祝福のキスを落とし、ベッドから起き上がることのできない病人の額を布でぬぐい、腰の曲がった老婆の手を取ってそっとなで、そして――。


『さみしくなったらいつだってこんな風に会いに来れるんですもの』


 女の子の前にひざをつくとそっと髪をなでた。


『春になったら今年生まれの子羊のようすを見に行くし、秋になったら金色の小麦畑を見に行くわ。みんなの笑顔を見に行くついでに、ね』


「それじゃあ、私たち、春と秋は笑ってなきゃ! 聖女さまが心配しちゃうもの!」


『あら、夏には涼し気な水の音を聞きに川や海の近くの街に行くつもりだし、冬には新年を祝う飾り付けを見に行くつもりよ』


「それじゃあ、私たち、ずっと笑ってなきゃ! 聖女さまが心配しちゃうもの!」


 小さな両の手をにぎりしめ、真剣な表情で言う女の子の髪を愛おし気になでながら聖女は微笑む。


『無理をして笑うことはないのよ。ふとしたときに笑みがこぼれている。きっと、それが幸福で、幸福だということに気付けないほど幸福な日々があたりまえになることが安寧だと思うから』


「……?」


 ちょっと難しかったわね、とささやいて首をかしげる女の子の髪をなでているのと同じ頃――。


『率直に尋ねるわね、サミュエル。……チヒロのことが好きなのでしょう?』


 サミュエルの目の前に現れた〝聖女〟はサミュエルにだけ聞こえる声でそんな話をしていた。驚きに目を見開き、耳まで赤くして目を泳がせるサミュエルにくすりと笑う。


『この国のためにも早く私との婚約を破棄してほしい。その言葉は本心よ。でも、あなたに……あなたとチヒロに幸せになってもらいたいとも思ってる。……心から』


「……レティーシャ」


『あなたに対して恋愛感情を抱くことは最後までなかったけれど、共にこの国と国民のために戦い、瘴気を浄化するために力を尽くした戦友だと……私はそう思ってる。だからこそ、心から愛する人を見つけたあなたを祝福したい。……祝福させてくれるかしら?』


 いたずらめいた微笑みを浮かべる〝万能〟にして〝雪花〟の聖女であり元婚約者にサミュエルは目を見開いたあと、困り顔で微笑んだ。


「今すぐに……というわけにはいかないけれど、いつか、もし……彼女が受け入れてくれたなら」


 目の前の〝聖女〟に抱きついて子供のように泣きじゃくっているチヒロの背中をちらりと見て、サミュエルは照れくさそうに笑った。その笑顔に微笑み返してうなずく。


『それじゃあ、あなたの恋が上手くいくように祈って……』


 ゆっくりとまばたきを一つ。


「聖女さま、消えちゃった……!」


 誰かに祝福のキスをし、誰かの看病をし、誰かの手の甲や背中をさすり、久々の再会に泣いて喜ぶ誰かを抱きしめていた〝聖女〟は姿を消し、青空に浮かぶ姿だけになった。

 そして――。


『この世界と、この世界に生きるすべてのものと、私の大好きで大切な人たちに祝福を』


 世界はまばゆい光に包まれ、青空から色とりどりの花びらと光のつぶが降り注ぎ、美しい光景に歓声をあげる人々の前からも、青空からも、〝万能〟にして〝雪花〟の聖女は姿を消した。


『さみしくなったら会いに行きます。そのときはどうか、あたたかく迎え入れてくださいね』


 そんな言葉を残して。


 ***


『……全世界生中継、終了しました』


「ありがとう。……王都の現在のようすを確認したいわ。映してもらえるかしら」


 そう指示してソファに背筋を伸ばして腰かける。聖女がまとう純白の聖衣がしわにならないように気を付けて、浅く。


『かしこまりました』


 万能魔法の声に反応してこの二週間、一度もつけていなかったテレビがパッとつく。画面に映し出されたのは王都のようす。


『ほら、ぼさっとしてないでさっさと仕事に行くんだよ、アンタ!』


『春には子羊を見に、夏には川や海に、秋には小麦畑に、冬には飾り付けた街に聖女さまがやってくるんだからな』


『いいえ、さみしくなったら会いに来ると聖女さまは仰ってました』


『そうだ! レティーシャさまがいつ来て、俺たちを見ても安心できるようにしておかねえと!』


『街も家の中も、いつでもきれいにしておかないとだねぇ』


 街の人たちの会話に私は目を細めて微笑んだ。私が暗闇の中で一人、さみしく、孤独に耐えながら瘴気を浄化し続けていると思っている人たちはもういないだろう。


「チヒロやサミュエルたちのようすも確認したいわ。映してもらえるかしら」


『かしこまりました。映像を切り替えます』


 テレビ画面の映像が切り替わる。サミュエルにアラン、ティムにジャイルズ、それにチヒロは王城の一室に集まって何事か相談しているようだ。


『瘴気による病は軽いものなら聖女候補たちでも癒しの魔法(ヒール)で治すことができるはずだ』


『ティムが癒しの魔法(ヒール)をこめた魔法石と――』


『ジャイルズが開発した魔法道具でも、ね』


 アラン、ティム、ジャイルズの言葉を聞いてサミュエルは深くうなずいた。


『竜騎士団所属のホワイトドラゴン隊を聖女候補たちに同行させよう。重病人はホワイトドラゴンで王都まで運ぶんだ。治療はチヒロにお願いするよ。……たぶん、相当な人数を治療することになると思う』


『任せて……!』


 胸の前で両手を組んだチヒロは背筋を伸ばした。


『レティーシャお姉さまの望みはこの世界に生きるすべてのものの幸せ。瘴気のせいで今も苦しんでいる人たちを救うこと。叶えてみせるよ、レティーシャお姉さまの望みを。私が、絶対に!』


 凛とした表情で言うチヒロをサミュエルもアランも、ティムもジャイルズも、まぶしげに目を細めて見つめた。

 そして――。


『私もレティーシャとの約束を果たさないといけないな』


 そうつぶやいてサミュエルは部屋のドアを開けた。


『レティーシャお姉さまとの……約束?』


 首をかしげるチヒロにはにかんだ笑みを返してサミュエルは一歩、部屋を出る。


『いつか祝福をしてもらう約束なんだ。でも、まずは陛下に会いに……婚約破棄合意書にサインしに行ってくるよ』


 部屋を出て行くサミュエルと、それを不思議そうな表情で見送るチヒロに私は目を細めて微笑んだ。私を助けなければ、助けるための方法を考えなくてはと思っている人たちはもういないだろう。


『世界中に降らせた花びらと光のつぶの効果も二、三日中に出てくるかと思います』


 青空から降り注いだ色とりどりの花びらと光のつぶには記憶を薄れさせる魔法がかけてあった。思い出すことはじょじょになくなり、いずれ私は過去の人になる。


「いずれ……私を、思い出す人は……一人も……」


 つぶやいた瞬間、思わずうつむき、両手で顔をおおう。


「……っ」


 今まで必死に堪えてきたものがこみ上げてきた。


「……っ、ふ……っ」


 〝万能〟にして〝雪花〟の聖女として世界中の人々に伝えるべきことを伝えた。聖女としての務めを果たした。

 それを実感した瞬間に堪えてきた感情が、見せまいと思ってきた表情が――。


「う、……ふ……っ、ひとり……ひとり、きり……っ」


 あふれ出す。


「うふ、うふふふ……だ、だれも……うふ、ぶふふっ……ぶふっ、ぶひゃ……だ、だだだ誰も来っなぁぁぁーーーいっっっ!!!」


 爆発する。


「誰も来ない! し、ししゅ……死守した! 誰の目も気にしないおひとりさまやりたい放題わがまま生活を死守しちゃったもんねぇーーー! ぶひっ、ぶひゃひゃひゃひゃーーー!!!」


 〝万能〟にして〝雪花〟の聖女にあるまじき笑い声をあげながら私は思い切りバンザイ、からの、ピッカーーーン!

 雑な魔法発動ポーズに合わせてまばゆい光があたりを包み、一瞬後にはテーブルに山盛りポップコーンが現れる。


「うひ、うひひひっ……ポップコーンを……ポップコーンをゴハン代わりに食べちゃうんだから! うすしお味、キャラメル味、バターしょうゆ味! さらには期間限定、今は亡き、しおとごま油味にのりしお味まで……出し……ぶひゅっ……出しちゃうもんね! 食べちゃうもんねぇーーー! ぶひゃーーーひゃっひゃっひゃっ!!!」


 ピッカーーーン!


「んでもって、炭酸飲料! 甘くてシュワシュワ、炭酸飲料! 体に悪そうな炭酸飲料! ぶひゃ、ぶひゃひゃーーー!」


 ピッカーーーン!


「ポップコーンに炭酸飲料と言えば映画! ソファに寝転がって見る映画! コメディ……パニックモノ……いいや、今の気分はアクション! 筋肉がすべてを解決するアクション映画!」


 ピッカーーーン!


「そして、そして! 部屋着! だるだるするのに最適な部屋着!」


 聖女がまとう純白の聖衣から一瞬でふわふわもこもこ着心地抜群の部屋着に変身。

 ソファにダイブすると――。


「ジェラルド・バトラー……ジェイソン・ステイサム……ドウェイン・ジョンソン……! そして、待ってろ、まだまだあるとウワサの筋肉がすべてを解決するアクション映画! ぶひゃ、ぶひゃひゃ……いま、会いにゆきます! いま! 会いに! ゆきまっっっす! ぶひゃーひゃひゃひゃ!」


 テレビに向けてリモコンをぽちっとするとグビッ! と炭酸飲料を飲み干し、ガシッ! とポップコーンをつかんで口の中に放り込んだ。


 〝万能〟にして〝雪花〟の二つ名を冠したかつての聖女の姿を取り戻すための、二週間にもおよぶ苛烈にして熾烈な修行のあいだ、ずっとずっとこうしたかったのだ。聖女らしく振る舞う必要も、それどころか人型をたもつ必要も、人語をしゃべる必要も、必死こいて人間に擬態する必要もない、自分の好きなことを好きなときに好きなだけする生活。

 そう――。


「そして、ここから再び大満喫する誰の目も気にしないおひとりさまやりたい放題わがまま生かぁぁぁーーーつっっっ! ぶひゃーひゃひゃひゃっはーーーい!!!」


 神殿の神官たちや私のことを慕ってくれている聖女候補たち、チヒロやサミュエルが見たら青ざめて、うろたえて、正気を疑われて、本人であるかも疑われることまちがいなしな聖女にあるまじき笑い声をあげながら思い切りソファの上でころころころころ転がり、始まった映画とやりたい放題わがまま生活にぶひゃひゃひゃしている私は知らなかったのだ。


「ねえ、この洞窟……何かな?」


「さあ……行ってみるか!」


 洞窟の外で映画あるある、続編におわせエンド的な会話を繰り広げている少年少女がいることを。



≪Fin……?≫

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