第30話 聖女さま、死守する。(4)
その日、世界はまばゆい光に包まれた。
天使が純白の羽を広げるように。女神が両腕を広げるように。
真っ白い光は世界を包み込んで抱きしめた。そして、この世界に生きるすべてのものを何十年も苦しめてきた瘴気をきれいさっぱり消し去った。
空をおおっていた灰色の瘴気が消え、美しい青空が顔をのぞかせた。
それが数か月前のこと。
その青空に人影らしきものの姿が浮かび上がるのを見つけた街の人たちも、騒ぎに気が付いて王城の窓から顔を出したチヒロやサミュエルたち浄化の神子一行も、最初は困惑や警戒の表情を浮かべていた。
でも――。
「ねえ、あれって……」
その人影が紫がかった銀髪に紫水晶色の瞳に白い肌――雪魄氷姿と評される様から〝雪花〟の二つ名を冠した聖女の姿になるのを見て――。
「レティーシャ!?」
「レティーシャお姉さま……!」
「聖女さまだ……聖女さまだよ!」
〝万能〟の二つ名を冠した聖女の姿になるのを見て、歓声をあげた。
でも――。
「……いや、でも、あれ……本当に聖女さまか?」
「なんか、すさまじい寝ぐせだけど……本当にレティーシャさまなの?」
街の人たちがざわざわし始めると青空に浮かび上がった聖女らしき人影は無言ですーーーっと色も存在感も薄くなり、消えていき、次に浮かび上がったのは黒サングラスに黒スーツ姿のネコ型ロボットで――。
『はい、ここを見てくださいにゃー』
ペカーッ!
『記憶の消去が完了しました』
「ありがとぅぉおあぁーげろげろぱぁーーーーー」
世界はあっという間に日常を取り戻し、シンプル・イズ・ベストな部屋は絶望感に満たされる。
そのあとも――。
「目ヤニ、めっちゃついてるけど……本当にレティーシャさまなの?」
『はい、ここを見てくださいにゃー』
ペカーッ!
『記憶の消去が完了しました』
「げろげろぱぁーーーーー」
とか――。
「歯についてるのって……もしかして、青のり?」
『はい、ここを見てくださいにゃー』
ペカーッ!
『記憶の消去が完了しました』
「げろげろぱぁーーーーー」
とか――。
「あれ、どう見てもあぐらかいて座ってるよな」
『はい、ここを見てくださいにゃー』
ペカーッ!
『記憶の消去が完了しました』
「げろげろぱぁーーーーー」
とか――。
「〝みんなぁーひさっしぶりーーー〟って軽くない?」
『はい、ここを見てくださいにゃー』
ペカーッ!
『記憶の消去が完了しました』
「げろげろぱぁーーーーー」
とか――。
「〝ぶひゃ、ぶひゃひゃ……!〟って……何、あの聖女さまにあるまじきブタみたいな笑い方……!」
『はい、ここを見てくださいにゃー』
ペカーッ!
『記憶の消去が完了しました』
「げろげろぱぁーーーーー」
とか――。
「〝今、うぉっとー本音と建前が逆だったぁー!〟とか言わなかった? ……え、それが本音であれが建前ってこと? ……え?」
『はい、ここを見てくださいにゃー』
ペカーッ!
『記憶の消去が完了しました』
「げろげろぱぁーーーーー」
とかとかとかとか――!
「何回やっても何回やっても本題にすら入ることができない! 時候のあいさつ的なのすら言い終えることができなぁーーーいっ!」
何度となく全世界の人々の記憶を消去し、やり直してもなお目的を達することができないエセ万能聖女さま認定待ったなし状態の私はシンプル・イズ・ベストな部屋で頭を抱え込んだ。
「誰の目も気にしないおひとりさまやりたい放題わがまま生活を始めて数か月……こんなにも忘れてるなんて! こんなにも思い出せないなんて! 万能聖女さまの面の皮が厚過ぎて全っっっ然、再現できないなんて! あまりにも人間の擬態が高度過ぎて腕がなまってるどころか朽ち果ててる私にはとてもじゃないけど再現できないなんてぇぇぇーーー!」
なんて叫んでるあいだにも――。
『誰の目も気にしないおひとりさまやりたい放題わがまま生活をおびやかす可能性を検知しました! 王都の状況を確認してください! 浄化の神子の状況を確認してください!』
アラート音がビービーと大音量で鳴り響き――。
『はい、ここを見てくださいにゃー』
ペカーッ!
『浄化の神子の記憶の消去が完了しました』
ハッ! としたチヒロは二匹の某メンでインでブラックなネコ型ロボットに記憶を消されている。
「ダメだ……こんなことをいつまでも、何度も続けてたら……ほんの数分、ほんの数秒の記憶とは言え、こんな風に消しまくってたらどんなことになるか……ちりつもでどんなことになるか……全世界の人々も……サミュエルとアラン、ティムとジャイルズも……なによりチヒロの精神がおかしくなっちゃうかも……」
シンプル・イズ・ベストな部屋で頭を抱え込んでいた私は唇を噛み――。
「誰の目も気にしないおひとりさまやりたい放題わがまま生活を死守するため……殺し以外ならなんでもやる。……なんでも、だ!」
覚悟を決めるとガバッ! と顔をあげた。
そして――。
「〝万能〟にして〝雪花〟の二つ名を冠したかつての聖女の姿を取り戻すため! ちょっくら修業をお願いしまっっっす!」
拳をにぎりしめて叫んだのだった。
んでもって――。
『かしこまりました。〝万能〟にして〝雪花〟の二つ名を冠したかつての聖女さまの姿を取り戻すための修業を開始します』
『ビシバシ行くにゃー』
「……あ、お手柔らかに……お、お手……お手柔らかに……」
竹刀を手にしたジャージ姿の昭和体育教師風ネコ型ロボットに始まる前から両腕をあげて降参のポーズを取ったのだった。
***
〝万能〟にして〝雪花〟の二つ名を冠したかつての聖女の姿を取り戻すための修業は苛烈にして熾烈を極めた。
『服にしわがあるにゃー! 〝万能〟にして〝雪花〟の聖女にあるまじきしわにゃー!』
「はいー!」
『背筋が曲がってるにゃー! うっきうきステップで移動とか〝万能〟にして〝雪花〟の聖女にあるまじき行為にゃー!』
「はいーーー!」
『ごはん代わりにポップコーンを食べるんじゃないにゃー! 水分補給に炭酸飲料を飲むんじゃないにゃー! 聖女はもっと自然でていねいであれでそれな生活をするし、食べるし飲むにゃー!』
「はいー! ……あれでそれな?」
『ツッコミを入れたくなっても凛として楚々とした聖女さまスマイルで受け流すにゃー!』
「はいーーー!」
『ていうか、軽々しく万能魔法を使わないにゃ! ピッカーーーン! ってしないにゃ!』
「えぇーーー、メンドーくさ……」
『メンドーくさいとか言わないにゃ! 面倒くさいどころかメンドーくさいとか〝万能〟にして〝雪花〟の聖女にあるまじきセリフにゃー!』
「……はーい」
『顔に〝でも……だって……〟が出てるにゃー! 本音と建て前を完璧に使いこなせないようでは〝万能〟にして〝雪花〟の聖女として人前に立つことはできないにゃー!』
「ほんね……たてまえ……」
『初めて聞く単語です、みたいな顔をしないにゃ! はい! バスケがしたいです、って言ってみるにゃ!』
「バスケ……? ヒッ! バ、バスケ……! 団体競技のバスケ……! 体育の授業でもちょくちょくやらされて、パスを取れなかったらにらまれて、どこにどう立っていたらいいか邪魔にならないかすらわからなくて、居心地悪いことこの上なしなバスケ……! こ、怖い……したくない……思い出したくすらない……バ、バババババスケぇぇぇーーー!」
『〝万能〟にして〝雪花〟の聖女さまの姿を取り戻す以前の問題にゃ! 人間に擬態すらできてないにゃ! 人型をたもつことすらできてないにゃ!』
「バ、バババババスケ……おも、おもおも思い出したくない……顔面……鼻血……ヒッ! ヒィィィーーーッ!」
ジャージ姿の昭和体育教師風ネコ型ロボットはバシーン! と竹刀で床をひと叩き。盛大にため息をつくと頭を抱えて亀のように這いつくばっている私を見下ろして言った。
『なら、誰の目も気にしないおひとりさまやりたい放題わがまま生活を死守したいです、と言って……』
「誰の目も気にしないおひとりさまやりたい放題わがまま生活を死守したいです! 誰の目も気にしないおひとりさまやりたい放題わがまま生活を死守したいですっっっ! 誰の目も気にしないおひとりさまやりたい放題わがまま生活を死守したいでーーーっす!」
『相手の話をさえぎってしゃべるなんて聖女にあるまじき行為にゃーーー!』
「はいーーー!」
『誰の目も気にしないおひとりさまやりたい放題わがまま生活を死守したいなら本音と建て前を完璧に使いこなすにゃ! 建て前の言葉に本音の感情を乗せるにゃ!』
「建て前の言葉に……本音の感情を……」
『バスケがしたいです、と感情をこめて言えたなら、誰の目も気にしないおひとりさまやりたい放題わがまま生活死守が一歩、近付くにゃ』
「誰の目も気にしないおひとりさまやりたい放題わがまま生活が……近付く……」
『お前ならできるにゃ……誰の目も気にしないおひとりさまやりたい放題わがまま生活を死守したいですの気持ちをこめてバスケがしたいですと言うにゃ……!』
「バスケが……したい、です……」
『ワンモアにゃ』
「バスケが、したいです……」
『ワンモアにゃ!』
「バスケがしたいです!」
『ワンモアにゃー!』
「ネコ型ロボット先生……! バスケがしたいです……!」
『よくできたにゃ!』
「はい! ……ネコなのに……ワンモア……ぶふっ、ネコなのに……ワン……ぶひゅ、ぶひゅひゅひゅひゅ……!」
『くっだらないことで笑いたくなっても凛として楚々とした聖女さまスマイルで受け流すにゃ! ぶひゅぶひゅ笑わないにゃーーーっっっ!』
〝万能〟にして〝雪花〟の二つ名を冠したかつての聖女の姿を取り戻すための修業は苛烈にして熾烈を極めた。
そして――。
『もう教えることは何もないにゃ。〝万能〟にして〝雪花〟の聖女として世界中の人々に伝えるべきことを伝えてくるにゃ!』
二週間にもおよぶ苛烈にして熾烈な修行のあと、ジャージ姿の昭和体育教師風ネコ型ロボットはそう言った。目に涙を浮かべながら竹刀で床をバシーン! と景気づけに叩くネコ型ロボット先生に私は凛として楚々とした聖女さまスマイルでうなずき、こう答えたのだった。
「はい、ネコ型ロボット先生。〝万能〟にして〝雪花〟の聖女として精一杯、務めを果たしてまいります」
と――。




