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第3話 聖女さま、もつ鍋を食べる。(2)

 私には――レティーシャ・スーザン・オベットには前世の記憶がある。

 横山美姫(みき)として生まれて、生きて、死んだ記憶が。


 共働きの両親のあいだに生まれた一人っ子で一人娘。

 保育園、幼稚園と通ったあとは小学校、中学校、高校と地元の公立校に通い、私立の四年制文系大学に通い、しがない会社員として働いて、三十二才かそこいらの頃に突然の高熱と腹痛で死んだ女の記憶が。

 ありきたりで普通な人生を望み、結婚も出産もしなかったことと、三十二才で突然、病気で死んでしまったことをのぞけばおおむねありきたりで普通の人生を送った女の記憶が、この世界に生まれ落ちたときからレティーシャ(わたし)にはあった。


 んで――。


「口の中が何かを……何か味の濃いものを求めている……」


 そうつぶやきながら今まさに思い出そうとしているのも前世の横山美姫わたしの記憶。前世の私が社会人だった頃の記憶だ。


「えっと、あれは……そう!」


 社会人何年目だったかのこと。二十代半ばの後輩くんが出張先で食べたもつ鍋があまりにもおいしくてお取り寄せして週末に食べたんだと話していた。これを聞いた二十代後半の同僚が言ったのだ。


 ――一人で鍋作って、一人で食べたの?

 ――みじめー! さぁーみしぃーーー!

 ――鍋はみんなで食べてなんぼでしょ!

 ――みんなで食べるからおいしいんでしょ!


「はい! 楽しいとおいしいを混同しない! 混同しっなぁぁぁーーーい!」


 拳をがしりとにぎりしめて思い出し大絶叫をした私はそのまま。にぎりしめた拳の甲で口元をぐいっとぬぐった。


「おいしいものは一人で食べてもおいしい! なんだったら味に集中できる分、一人で食べた方がおいしい! もつ鍋も、おいしいもつ鍋なら一人で食べてもおいしい! おいっしぃぃぃーーー!」


 私の口の中が求めているのはもつ鍋だ。もつ鍋。もつ鍋が食べたい。


「もつ鍋が食べたぁぁぁーーーい! 独り占めしたい! 独り占め! しったぁぁぁーーーい!」


 ピッカーーーン!


 バンザイして雑に魔法を発動すれば食い散らかしたポップコーンやら炭酸飲料のペットボトルはきれいさっぱり消えて、広いテーブルにはガスコンロに鎮座した完成済みでぐつぐついってるもつ鍋が現れた。


 万能魔法が使える万能聖女さまだけど心の中にはいつだって人の目は気にするけれど本当は面倒くさがりでぐーたらな前世のしがない会社員がいる。人前で人型をたもち、人語を話すのがやっとな人間社会に向いてない感じの人間がいる。料理をしたい、鍋を育てたい欲はミリもない。完成形でご提供いただければそれが何より。


「んー、はぁぁぁーーー、ふぅぅぅーーーん!」


 食欲をそそるにおい付きの湯気にくんくんと鼻を鳴らし、うきうきで左右に体を揺らす。十分に胃を刺激されたところではしを構える。醤油ベースのスープにニラとキャベツ、もやしと豆腐、そして主役のもつ。

 そして、そして――。


「食欲をそそる紅白……!」


 スライスされたニンニクとタカノツメを前にじゅるりとよだれが垂れそうになる。ニンニクは魅惑の食べ物だけど禁断の食べ物でもある。ニンニクが入っているだけで危険なおいしさになるけど体臭口臭も危険なことになる。

 でも――。


「いっただっきまぁーーーっす!」


 誰もいない、誰にも会う予定のないこのシンプル・イズ・ベストな引きこもり部屋での生活においてニンニクのにおいなんて気にする必要はない。ミジンコほども気にする必要はない。

 最初は当然、主役のもつ。


「うっま! うっま!」


 しっかり大きめのもつをハフハフ言いながら噛みしめる。ちょっと脂っこいと言う人もいるかもしれないけど、私的にはこのねっとり口の中に名残りを残していく感じがたまらなく好き。

 んでもって――。


「温州みかんの果実スカーーーーッシュ! ……っ、くぅぅぅーーー! はい、次! もつ!」


 柑橘類の酸味と強めの炭酸を一気に流し込めば口の中は一瞬でリセット。再び、ねっとりもつと醤油スープのしょっぱさを求め始める口の中。


「ニラ、キャベツといっしょにもつ! からの、豆腐、からの、もやしといっしょにもつ! ときて……っ、くぅぅぅーーー! 温州みかんの果実スカーーーーッシュ!」


 お酒が好きな人、飲める人はお酒を選ぶのかもしれない。でも、前世はあぶら汗かいてぶっ倒れるタイプの下戸だったし、今世は聖女という立場上、飲んだことがない。だから積極的に飲みたいという気持ちにはならない。

 それに何より――。


「え? 飲み会なのにお酒飲まないの? って言われないのらっくちーん! いちいち、あぶら汗かいてぶっ倒れるタイプの下戸だって説明しないでいいの、らっくちーーーん!」


 なのである。もつ鍋とか鍋とか言うとついつい前世の仕事飲み、忘年会等の宴会の記憶も芋づる式に思い出してしまうのである。お酒にまつわる嫌な記憶エトセトラを思い出してしまうのである。


「だがしかーーーし! 今の私は一人きり! 酔っぱらいが相撲やプロレスを始めて背後から吹っ飛んでくる心配をする必要も、もつと野菜をバランスよく取り分けたり、火加減を気にしたりする必要もない! そして……!」


 取り皿にシュパパパパッ! と、もつを山盛りに取ってにんまりと笑う。


「もつを食べすぎてはいけないと遠慮する必要もなぁーーーい! いざ!」


 もつ、もつもつ、もつ、キャベツ、ニラといっしょにもつ、からの、もつもつもつ、豆腐、からの、もやしといっしょにもつ、もつもつときて――。


「……っ、くぅぅぅーーー! 温州みかんの果実スカーーーーッシュ! ……うひ、うひゃひゃっ」


 戦隊ヒーローものの技名みたいに毎度のごとく、お約束のように、飲むたびに温州みかんの果実スカッシュと叫んでうひうひと笑う。口の中は一瞬でリセット。再び、ねっとりもつと醤油スープのしょっぱさを求める私の口。


「もぐもぐ……うひ、うひひっ……むしゃむしゃ……温州みかんの果実スカーーーーッシュ! もきゅもきゅ……うひょ、うひょひょひょっ……むふふ、むふむふ……むっふふーーー!」


 リセットとねっとり、しょっぱいの無限ループをくり返し、もつ鍋はあっという間になくなってしまった。一人前しか用意しなかったとはいえ本当に一瞬だ。

 誰かといっしょなら他の人たちはお腹いっぱいかもしれないとか、他に食べたいものがあるんじゃないかとか、お財布事情とか、いろいろと考えて、まわりの様子を見ながら注文するかどうかを決めないといけない。

 気をつかうし面倒くさいし目立ちたくないしで前世の私なら絶対に言い出さない。どれだけ食べたくても言い出さない。

 でも――。


「追加! もう一人前追加ーーー!」


 ここにいるのは私だけで食べるのも私だけ。お腹の状況も口が何を求めているかもお財布事情も気にするべきは自分の分だけ。というわけで全力でバンザイ、からの、ピッカーーーン!

 雑に魔法を発動すれば鍋に一人前の具材が――ニラとキャベツ、もやしと豆腐、そして主役のもつがどどーんと追加される。新しいもつ鍋が出てくるのではなく具材が追加されるというのが――。


「個人的にむふむふポイントーーー♪」


 なのである。

 だって、ここまで食べたもつやら野菜やらのうま味やらなんやらがスープに染み出ているのだから。煮詰まって濃ゆい感じになっているのだから。それをリセットしちゃうなんてもったいない。

 それともう一つ、もったいないことが。


「あの超絶うまうまなシメのちゃんぽん麺をシメにしか食べないなんてもったいなさ過ぎぃーーーるっ!」


 バンザーイ、からの、ピッカーーーン!

 もつも野菜も追加したばかりでてんこ盛りな鍋にちゃんぽん麺が加わってさらにてんこ盛りになる。鍋奉行がいたらブチギレられそうだけど追加したばかりのもつや野菜を差し置いて――。


「シメのちゃんぽん麺を一口、二口、三口……うっまぁぁぁーーーい!」


 シメと言いながらシメる気ゼロでちゃんぽん麺をずるずるといく。もつや野菜を食べ進めているあいだに煮込まれて、麺がスープを吸って、さらにうんまいことになることは想像にたやすい。

 にまにまと笑いながらバンザイ、からの、ピッカーーーン!

 まばゆい光に包まれてテーブルに二杯目の温州みかんの果実スカッシュのグラスが現れる。柑橘類の酸味と強めの炭酸を一気に流し込んで口の中をリセットしたら再び、もつ、キャベツ、ニラといっしょにもつ、からの、豆腐、からの、もやしといっしょにもつときて、ちゃんぽん麺、である。


「はぁ……なんて言うか……なんて言うか……!」


 ねっとり、しょっぱいを口いっぱい満喫しながら私はうっとりとつぶやいた。

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