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第23話 聖女さま、ソロウェディングする。(1)

「……うむ。そんな気がしてはいたけれども、やっぱりそうな気がする」


 映画のエンドロールを見つめて私は深々とうなずいた。やっぱりそうな気がする。まちがいない気がする。


「私、恋愛映画見るの、向いてない気がする……!」


 大真面目な顔でそんなことをつぶやいて私は腕組みをした。


「某プリティなウーマンのやつも某ノッティングヒルの本屋の恋人なやつもハマらなかったし。某沈没する豪華客船映画は最後まで演奏を続けた音楽隊とか聖書を読み上げてた神父とか船と運命を共にした設計者とか夜会服に着替えてブランデーゆーらゆらさせてた紳士とか。そういうのにはボロ泣きしたけどメインストーリーはいまいちハマらなかったし」


 ポップコーンをつかんで口に放り込んでむっしゃむっしゃしながら、これまでに見た恋愛映画をさらに思い浮かべる。


「某偶然の飛行機事故で夫を亡くした未亡人との恋人な話はどうしてこれでサスペンスな展開に突入しないのかとか思っちゃったし! 某真知子巻きじゃない方のそちの名は的映画は見終えたあとに、そしてここから始まる某ファイナルなデスティネーションとか思っちゃったし! ダメだ! やっぱり全然、まったく、少しも、向いてない!」


 むしろ私なんかが恋愛映画を見ようとすること自体が失礼なんじゃないかと思うレベルだ。あんなに美麗なアニメーション映画を見てそのまま某ファイナルなデスティネーションに思考が突入しちゃう私に恋愛映画を見る資格はない。絶対にだ。


「恋愛に憧れもなければ縁があるようでない人生だったからなぁ。前世も、今世も」


 前世の恋人たちや今世の婚約者の顔を思い浮かべて苦笑いする。


 今世のレティーシャ・スーザン・オ(わたし)ベットにはサミュエルという婚約者がいた。片や、この国の第一王子。片や、歴代で最も優秀と言われる聖女。誰の目から見ても政略的な婚約だけど、貴族の令嬢子息やある程度の地位にある者なら婚約・結婚なんてそんなもの。

 聖女業務の一環と考えてしまえば一周まわって気楽とすら言える。


 前世の横山美姫わたしにも恋人はいた。高校に通っていた二年間、大学に通っていた三年間、社会人になってから四年間。それぞれの同級生や先輩、同僚と付き合っていた。友達から始まり、それらしい雰囲気になり、告白されて、付き合う。恋愛と言えば恋愛だ。

 だけど――。


「これくらいの年令なら恋人がいるのが当たり前。週末は恋人とデートをするか、ときどき、友達と会って過ごすもの。……っていう理由で付き合ってた感じだったからなー」


 というわけなのである。

 そんな理由で付き合ってはいたけれど。そんでもって私のさして広くはない人脈の中ではあるけれど。それでも、この人以上に気が合う人はいないだろうと思う相手と付き合ってきた。


「にもかかわらず、ですよー」


 ――幸せそうな二人を見てさ、想像してみたんだ。

 ――玄関を開けたら美姫がいて、〝ただいま〟って言ったら〝おかえり〟って返してくれる。

 ――玄関の開く音に〝おかえり〟って言ったら〝ただいま〟って美姫の声が返ってくる。

 ――それってすごく幸せだなって。そうなれたらいいなって……そう思ったんだ。


 共通の友人の結婚式の帰り道。当時、付き合っていた恋人がはにかんで言った。会社の同僚だった人だ。

 んで、その恋人が続けて言ったのだ。


 ――いきなり結婚しよう、なんて言わない。

 ――結婚を前提に……同棲しないか。


 そう言ったのだ。

 瞬間――。


「きぃやえあぁぁぁーーーっっっ!!!」


 あの日、あのときの横山美姫わたしも、今、ただ思い出しただけの私も頭をかきむしって奇声をあげた。


「む、むむむむ、むりむりむりむりーーー! 仕事終えてやっとこさ家に帰ったと思ったらまだ人がいるとか無理! 仕事終えてやっとこさ家に帰ってのんびりしてたら人が入ってくるとか無理の無理無理ぃぃぃーーー!」


 誰の目もないシンプル・イズ・ベストな引きこもり部屋なのをいいことにソファの上でジッタンバッタンし、合間合間にポップコーンをむっしゃむっしゃし、つばをばんばんと飛ばして絶叫する。

 想像するだけで怖ろしい。人間社会の中に紛れ込むために朝も早よから必死こいて人間の皮をかぶって、通勤電車で人間にもみくちゃにされ、職場で人間関係を乱さないように必死こいて人間らしい振る舞いをし、人語をしゃべり、通勤電車で人間にもみくちゃにされ、明日も人間の形を維持できるようにと夕飯やら日用品やらを買い、ようやく家にたどり着いたと思ったら――。


 ――ただいまー。

 ――おかえりー。


「いっっっやぁぁぁあああーーーっっっ! 人語! 人語ぉぉぉおおおーーーっっっ! 無理! 無理の無理の無理! 家に帰ってまで人語なんてしゃべれない! しゃべれなぁぁぁあああーーーいっっっ!!!」


 あの日、あのときは必死にのみこんだ言葉……と、言いたいところだけれども。

 大っっっ変残念ながら、あの日、あのときの横山美姫わたしも当時、付き合っていた恋人の前で同じように奇声をあげていた。某進撃する巨人の奇行種みたいな走り方で奇声をあげながら全力逃走してしまったのである。


「あのあとも、別れたあとも、まわりの人たちに私の奇声と奇行を言わないでくれたんだよなー。なんで別れたのかって聞かれたときも〝人生設計の違い〟って大人な丸め方してくれてたみたいだし」


 ギリギリ人間に擬態して、ギリギリ人語をしゃべって、ギリギリ人間社会で人間のふりして生活しているような私にはもったいない相手だった。結婚できるだけの精神も持ち合わせていないくせに二十代の貴重な時間を四年間も無駄にさせてしまって本当にもうしわけなかった。


「ごめんなさい……本当にごめんなさい、ごめんなさい……」


 ハエのように手をすりすりすりすりとすり合わせてうなだれる。


 ――いつでも特別、いい子でいて、ようやく人は普通、常識的とみなすもの。

 ――目立たないためには、多くの人たちにとっての〝透明人間〟でいるためには、いつでも特別、いい子でいなくてはいけないの。

 ――だから、美姫。目立たないように、大人しく、人の目を気にして、いい子でいるのよ。


 小さい頃から私にそう言い聞かせてきた母は当然のように二十代後半で結婚することを望んでいた。目立たずに生きていきたい私としても同年代の大多数がそうであるように二十代後半で結婚する人生を歩みたい、歩むべきと思っていた――のだけれども。


「耐えきれなかったー。想像だけでも耐えきれなかったわぁー。一人暮らししたのがまずかったかなー。一人暮らししない方がまだいけたかもしれないなーーー」


 実家を出るまでは父と母――家族と暮らすのが当たり前で、その生活、その感覚しか知らなかった。でも、社会人になって、一人暮らしをしてみて、知ってしまったのだ。誰かに邪魔をされることのない空間の、時間の、開放感を。


 実家で暮らしていた頃も一人っ子な私には自室が与えられていた。だけど、その部屋にカギはないし、私が部屋にいればノックをしてくれるけど、学校に行っているあいだに勝手に入ってそうじをしたり、洗濯物を置いていったり、あれが出しっぱなしだ、あそこを片付けなさいと言われたりする。

 休日に家にいれば遊びに行くような友達はいないのか、恋人はいないのかと心配されるし、母親が掃除やら料理やら洗い物やら洗濯やらを始めた気配がしたら手伝わないと不機嫌になるし、嫌味を言われるしで何かをやっていても手を止めないといけないし、ぐーーーったりとベッドに深く沈みこんで体力気力精神力の回復につとめていても起き上がらないといけない。


 ――料理も掃除も洗濯も、お母さんが言わないと何にもしないんだから。

 ――家を出て、一人暮らしでもしてみて、少しは生活能力を身につけないと。

 ――結婚したときに家事が何もできないなんて恥ずかしいもの。


 母にそう言われて一人暮らしを始めたのが社会人三年目の頃。常駐することになったお客さまのビルが実家からだとちょっと遠かったことがきっかけだった。

 結果――。


「自分の気力と体力と機嫌だけを気にして、自分の気力と体力と機嫌だけと相談しながら料理の手を抜いたり、掃除も洗濯も週末にまとめてやったり……どっかで帳尻があえばオーケーのテキトー生活、楽だった。……ほんっと楽だった」


 と、なってしまったのである。

 これが家に帰っても誰もいないのがさみしいとか、明かりがついていないのが悲しいとか、自分のためだけに料理を作るのがむなしいとか。そんなことを思う人だったら一人暮らしをしても結婚できるのかもしれない。

 でも、残念ながら――。


「家に帰っても誰もいないの最っっっ高ーーー! だったし。明かりがついてない部屋、私だけの部屋、バンザーーーイ! だったし。食べるのは自分だから何がどうなっても構わないぜ、冒険しちゃうぞ! 冒険しちゃうぞーーー! だったし」


 という感じだった当時の自分を思い浮かべ、私は腕組みをしてうんうんとうなずいた。結婚できないどころか二度と実家に戻れる気も、誰かと暮らせる気もしなかった。

 同年代の大多数がそうであるように二十代後半で結婚して、出産して、子育てして――という人生設計は〝そうあるべきこと〟であって、最後まで〝私のやりたいこと〟にも〝憧れ〟にもならなかったのだ。


 でも――。


「ウェディングドレスは着てみたかったかなー」


 テレビ画面に表示されているチャプターメニューを眺めてほほを緩める。背景画像はウェディングドレス姿のヒロイン。顔をくしゃくしゃにして幸せそうに笑っているけれど、それより何より目を惹くのはかわいらしいウェディングドレスにウェディングベールにウェディングブーケだ。


「前世にはソロウェディングなんてのもあったけど……」


 そうつぶやいて遠い目をする。

 一人で結婚式を挙げて、写真を撮影するんだからソロウェディングだ。まちがいなくソロだ。

 ただ――。


「プランナーと相談して、ヘアメイクさんにあれこれやってもらって、カメラマンさんに撮ってもらってって……結局、人と関わらないといけない。無理。面倒くさい。ウェディングドレスを着てみたい気持ちを軽々と面倒くさいという気持ちが越えていく。人と会いたくない、話したくない気持ちが越えていく。天秤がずどーーーん! と、迷いなくかたむく」


 なのである。

 だがしかーーーし!


「今の私は万能聖女さま! 万能聖女さまの万能魔法の前では真のソロウェディングを実現することなど朝飯前! おちゃのこさいさい! へのへのかっぱ、へのかっぱーーー!」


 ソファの上で仁王立ちになるとバンザイ、からの、ピッカーーーン!

 まばゆい光があたりを包んで、次に目を開けるとシンプル・イズ・ベストな引きこもり部屋から――ドレスショップと言うのだろうか、ウェディングドレスがずらりと飾られたエレガントぉーな感じのスペースに変わっていたのだった。

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