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第20話 聖女さま、酔っ払う。(3)

 アルコールという名の燃料の補給が終わったらしい。画面の中の酔っぱらいな私は空のグラスをカウンターに置くと凛として楚々とした聖女さまスマイルを浮かべたまま、無言で、パンパン! と手を叩いた。


 ピッカーーーン!


 魔法が発動する。まばゆい光があたりを包み込み、小汚いパブから――。


「うぐ……っ!」


 見た瞬間に前世の横山美姫わたしが特大のダメージを受ける空間、駅のホームに変わっていた。

 それも――。


「朝、職場に向かうときに使ってた駅のホーム……!」


 なのである。

 心臓を押さえてゼェゼェハァハァと虫の息になりながらテレビ画面に映し出される映像を見つめる。


「な、なぜ……なぜ、こんな不愉快で精神にも胃にも心臓にもその他もろもろにも負荷のかかる場所なんかに……!」


 しかし、映像の中の酔っぱらいな今世のレティーシャ・スーザン・オ(わたし)ベットは平然とした顔でホームにすべりこんできた通勤電車を見つめている。ドアが開くと私の前に並んでいたネコ型ロボットたちがが電車に乗り込んでいく。一体と言うべきか、一人と言うべきか、一匹と言うべきか。


「ここは便宜上、一匹とさせていただきます!」


 誰にともなく、そう宣言して画面を見つめる。

 一匹、二匹、三匹……次々とネコ型ロボットたちが乗り込んで行く。この駅でそこそこの人数が乗り込み、次か、次の駅あたりで席が完全に埋まる感じだ。

 んで、酔っぱらいな私が乗り込んだのはボックス席がある車両。ボックス席とは言わずもがな、二人ずつ向き合って座る四人席のこと。酔っぱらいな私が向かったボックス席には白タイツ姿のネコ型ロボットが一匹、すでに窓側に座っていた。

 んで――。


『……』


 私の前の前を歩いていた黒タイツ姿のネコ型ロボットがそのボックス席の通路側に座った。


 白タイツ姿のネコ型ロボットが座っている窓側の席の、対角線上の、通路側の席に、だ。


「あー……」


 テレビ画面を見つめて私は苦い笑みを浮かべた。そのあいだにも酔っぱらいな私の前を歩いていた肌色タイツ姿のネコ型ロボットがそのボックス席の通路側に座った。


 白タイツ姿のネコ型ロボットが座っている席の隣の、通路側の席に。

 黒タイツ姿のネコ型ロボットが座っている席の正面の、通路側の席に、だ。


「あーーー……」


 テレビ画面を見つめて私はますます苦い笑みになる。

 二人ずつ向き合って座る四人席なボックス席で今、空いているのは窓側の席のみ。これが結構、イラッとするのだ。


 別に混まない時間帯、混まない路線なら構わない。だけど、朝の通勤時間のこの路線は混むことがわかり切っている。一つ、二つ先の駅で空いてる席はなくなるし、三つ、四つ先の駅でつり革もほぼ埋まる。それがわかっているのに席を詰めずに座る通路側の二匹というか二人にイラッとしてしまうのだ。

 すみません、とか言いながら通路側に座っている黒タイツ姿のネコ型ロボットと肌色タイツ姿のネコ型ロボットのあいだをすり抜け、なんなら足の上をまたいで窓側の席にたどり着かないといけない。


「うっかり通路側の人の足を蹴っちゃったり、太ももを靴で擦っちゃったりすると焦って思わず大きめの〝すみません!〟が出ちゃってまわりの人にチラ見されるのがまたへこむというかなんというか……。通りやすいようにって足を避けてくれる人ならまだいいんだけど……」


 こういうときに足を避けようとする気もないやつは高確率で舌打ちしてきたりにらんできたりするのだ。


「気まずい…逃げ出したい……でも、今さら席を移動することもできない……気まずい…逃げ出したい……」


 通勤時間の鬱々としたうーーーつを思い出してテーブルに突っ伏していた私だったけど――。


「まあ、でも、ほら……途中でおりるから通路側に座ってる可能性もあるし。すぐにおりられるようにって通路側に座ってる可能性もあるし!」


 同じような状況に遭遇してイラッとしたときに何度となく心の中でつぶやいてきたセリフをつぶやいて、うんうんとうなずく。

 と――。


『そこの黒タイツ姿と肌色タイツ姿のネコ型ロボットさんたちにお聞きしたいのですが……どちらの駅でおりる予定ですか?』


 酔っぱらいな私が凛として楚々とした聖女さまスマイルで尋ねた。イラッとする気持ちをなだめるため、かつて心の中で何度となくつぶやいたセリフを思いっきり質問として投げつけた。

 そんな酔っぱらいを見つめて私は青い顔でゆるゆると首を横に振る。


「それは聞いてはいけない。聞いては……いけない……!」


 なぜなら――。


『終点にゃー』


『終点駅に決まってるにゃー』


 朝の通勤時間にこの路線に乗る人の九割九分九厘が終点駅でおりるからである。終点駅でおりて、別の鉄道会社に乗り換えて、目的地に向かうからである。それを薄々、わかった上で、それでも自分の心の安寧のために言い聞かせてきたのである。

 

 ――途中でおりるから通路側に座ってる可能性もあるし。

 ――すぐにおりられるようにって通路側に座ってる可能性もあるし。


 と――。


「だけど、実際には終点までいるんだよ! 私も終点でおりるんだもの、知ってるさ! あ、あなたも終点でおりるのねー、結局、終点まで乗ってるのねーって思ってたさ! とっくの昔にわかっていたさーーー!」


 そう叫んで頭をかきむしったのは窓側の席がまだ空いているのにつめずに通路側の席に座る人に腹を立てているからというだけじゃない。


『だったら、つめて座ってくださーい。あ、今さらつめなくて結構です。ちっちゃくなってーーーパン、パパーン』


『ぶにゃ!?』


『ぶにゃにゃ!?』


「めっちゃいい笑顔で、万能聖女さまの万能魔法を軽々しく行使して、ネコ型ロボット二匹をぺらぺらうすっぺらな一反木綿にするんじゃなーーーい!」


 酔っぱらいな私が何かやらかすんだろうなと思っていたからだし、案の定、やらかしたのを見てさらに頭をかきむしった。

 酔っぱらいがパン、パパーンと手を打ち合わせるとネコ型ロボット二匹は見えない壁に押しつぶされたようにつぶれて平べったくなってしまった。通路側の席が空いたもんだから酔っぱらいは悠々楽々と窓側の席に腰かける。んで、もってぺらぺらうすっぺらな一反木綿になってしまって、通路側の席のひじかけにだらんとぶら下がっているネコ型ロボット二匹の足をがしりとふんづかまえると――。


『ポーーーイッ』


「窓から捨てない! 走ってる電車の窓から捨てなぁーーーいっ!」


 窓のすきまからポイッと捨ててしまった。


『風の吹くまま気の向くまま、好きなところへ旅してんのよ』


「まあ、銭になんねえのは玉にきずだけどな……じゃねえよ! ネコ型ロボットはつらいよ、ってか! つらい目にあわせてんのは誰だよ! あんただよ! ……酔っぱらった私だよぉぉぉーーー!」


 うすっぺらな一反木綿姿のネコ型ロボットは風に流されてあっという間に姿を消す。酔っぱらいな私はそれを満足げな微笑みで見送ったあと、車内をぐるりと見まわした。


『つめずに通路側に座っちゃうやつはーちっちゃくなってーーーパン、パパーン』


『ぶにゃ!?』


『ぶにゃにゃ!?』


「ひえぇぇぇーーー! ぺらぺらうすっぺらな一反木綿が量産されていくーーー!」


 ボックス席のあちこちから悲鳴があがるのを聞いている私の方も頭を抱えて悲鳴をあげる。素面しらふの自分が青ざめていることなんて少しも想像してないだろう画面の中の酔っぱらいな私は凛として楚々とした聖女さまスマイルのまま、窓の外に視線を向け――。


『横並びに歩いて道をふさいじゃう集団も、ちっちゃくなってーーーパン、パパーン』


『ぶにゃ!?』


『ぶにゃにゃ!?』


「ひえぇぇぇーーー! 電車の窓から一瞬、見えただけの男子高校生くんたちまでぺらぺらうすっぺらな一反木綿にーーー!」


『パン、パパーン』


『ぶにゃ!?』


『ぶにゃにゃ!?』


「ひえぇぇぇーーー! 女子大生ちゃんたーーーち!」


『パン、パパーン』


『ぶにゃ!?』


『ぶにゃにゃ!?』


「ひえぇぇぇーーー! 山登りかハイキングに向かう風のおじいちゃんたーーーち!」


『パン、パパーン』


『ぶにゃ!?』


『ぶにゃにゃ!?』


「ひえぇぇぇーーー! 朝マックからの通院に連れ立って向かう予定のおばあちゃんたーーーち!」


 はしゃぎ、じゃれ合い、あるいはおしゃべりに夢中になりながら横並びになってちんたらと道をふさいで歩いている集団を――正確には集団役の各色タイツ姿のネコ型ロボットたちを電車が通り過ぎる、ほんの一瞬のうちに見つけてはパン、パパーンとぺらぺらうすっぺらな一反木綿に変えていく。

 なんて言うか――。


「目ざといなぁ、おい! 動体視力やばいなぁ、おい!」


 である。見上げれば夏らしい入道雲が浮かんだ青い空。

 その青い空に――。


「わ、わぁ……たくさんのぉー、一反木綿がぁー、お空を飛んでるぅーーー」


 のである。

 やけっぱち気味にというかなんというか。夏空を横切っていく一反木綿たちを目を細めて見送る。

 んでもって――。


『まあ、たくさんの一反木綿がお空を飛んでるぅー。ふふふふぅーーー』


 哀れなネコ型ロボットたちを哀れな感じにパン、パパーンして一反木綿にした張本人も目を細めて見送る。


「ふふふふぅーじゃない! ふふふふぅーーーじゃなぁーーーいっ!」


 なんて言いながらバシンバシンとテーブルを叩いているあいだに酔っぱらいの眉間にしわが寄った。

 それに気が付いた私はと言えば――。


「何……今度は何するつもりなの……やめて……もうやめて……!」


 震える声で訴えてみたけれど映像の中の酔っぱらいな私に届くわけがない。


 んで、酔っ払いの私は何を見つめているのか。

 通路側に座っていたネコ型ロボット二匹が一反木綿にされたことで四人掛けのボックス席には窓側に座る白タイツ姿のネコ型ロボットと酔っぱらいな私の二人だけというか一人と一匹だけになった。

 でも、朝の通勤時間のこの路線は混むのだ。席はすぐさま埋まった。んでもって、酔っぱらいの視線はとなりに座った黒タイツ姿のネコ型ロボットに向けられていた。正確には黒タイツ姿のネコ型ロボットの組んでいる足に。


「あー、うわぁーーー……」


 車内がガラ空きならお好きにどうぞなのだけれども、何度も言うようにこの電車は混みあっている。席も埋まっているしボックス席とボックス席のあいだの通路にも人が立っている。そんな状態でババーーーンと足を開いて座る人や足を組んでいる人を見るとイラッとする。

 イラッとはするのだけれど。するのだけれども――。


『うんち踏んでるかもしれない靴の裏をこっちに向けないでぁー。お犬さま、お猫さま、お鳥さまのうんちなら構わないけど、あなたが踏んでる可能性が高いのは人間用トイレで踏んづけた人間の大、あるいは小ぉー。それはとっても構うからぁーーー混んでる車内で足を組んでる人はーーー、はい、スッパーーーン』


『ぶにゃ!?』


「それにつけても一切のためらいなく組んでる足を太ももから切り落とすそら恐ろしさよ!」


 万能聖女さまの万能魔法を軽々しく行使して黒タイツに包まれたネコ型ロボットのおみ足をバッサリと切り落として、ポイッとどこかに放り捨てておきながら、あいもかわらず凛として楚々とした聖女さまスマイルを浮かべている酔っぱらいに私は頭を抱えて絶叫する。


『混んでる車内でうんち踏んでるかもしれない靴の裏を赤の他人に見せびらかしちゃうお行儀の悪い足はーーーはい、ポーーーイッ』


「それにつけても! 一切のためらいなく! 切り落とした足を! 万能聖女さまの万能魔法によって空中に開いた謎の穴に! 軽々しく投げ入れちゃうそら恐ろしさよ!」


 ……絶叫、する。

 そのあいだにも――。


『車内は混み合っておりますー、はい、スッパーーーン。はい、ポーーーイッ』


『ぶにゃ!?』


「ひえぇぇぇーーー! おとなりのボックス席で足組んでた革靴のキミーーー!」


『こんなに混んでるのに足を組んでるあなたのところだけぽっかり空いてるでしょー、はい、スッパーーーン。はい、ポーーーイッ』


『ぶにゃにゃ!?』


「ひえぇぇぇーーー! 進行方向の席で足組んでたスニーカーのキミーーー!」


『あなたの足が邪魔だから、つり革につかまりたくてもつかまれないのよー、はい、スッパーーーン。はい、ポーーーイッ』


『ぶにゃにゃにゃにゃ!?』


「ひえぇぇぇーーー! 進行方向とは反対の席で足組んでた厚底ブーツのキミーーー!」


 混み合う車内で足を組んでいた人が――正確には足を組んでいた人役の各色タイツ姿のネコ型ロボットたちの足が次々とスッパーーーン、からの、ポーーーイッされていく。

 なんて言うか――。


「怖い……自制心があるからやらなかったけど自制心がなかったらやってたかもしれないことをためらいなくやってるところが怖い……なんだ、あの酔っ払いと言えないところが怖い……記憶はなくてもまちがいなく私なところが怖い……深淵をのぞいちゃった気分でものすごーーーく怖い……!」


 なのである。

 そうこうしているあいだにも電車は終点駅のホームにすべり込む。


『まもなくぅー終点ー、終点にゃー。お出口は左側が先、両側開きますにゃー』


 という車内アナウンスのあとに車両のドアが開いて乗客というか乗客役の各色ネコ型ロボットたちが次々とおりていく。酔っぱらいな私も当然のようにおりていく。


「まだ、どっか行くの? ねえ、どこ行くの!? 元職場? 元職場!? やめてよー、爆発させちゃうじゃん! 爆発してしばらく仕事休みになればいいのにとは日曜の夜に何度となく思ったけれども! 今さら爆発させたところで仕事に行く必要もないんだから、もういいじゃーーーん!」


 なんて半泣きで訴えるけれど、もちろんテレビ画面の中の酔っぱらいな私が聞く耳を持って足を止めるわけもなく。凛として楚々とした聖女さまスマイルを浮かべたまま、すたすたと歩いて行く酔っぱらいを私は涙目で、これ以上はご勘弁くださいの気持ちで見つめたのだった。

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