第2話 聖女さま、もつ鍋を食べる。(1)
――私のいた世界ではね、食事って家族や友達、クラスメイト……みんなでテレビを見たり、おしゃべりしたりしながら楽しく食べるものだったの。
――おしゃべりして、いっしょに食べて……そうしてお互いのことを知ったら、きっと、もっと仲良くなれる。
黙食がルールのしん……と静まり返った神殿の食堂で、異世界からやってきた伝説の少女にして浄化の神子であるチヒロは数名の神官と数十名の聖女候補たちを前にまぶしい笑顔で両腕を広げた。
――私、みんなともっとおしゃべりして、もっと仲良くなりたい! お友達になりたい!
――もちろん、レティーシャとも!
キラキラとした笑顔のまま、チヒロは私に真っ直ぐで澄んだ瞳を向けた。
――それにね、みんなでいっしょに、にぎやかに食べる食事はとってもおいしいよ!
チヒロの笑顔と聖女候補たちの期待に満ちた目と、神官たちのしかめっ面をぐるりと見まわして私は口元をナプキンでぬぐうと凛として微笑んで言ったのだった。
「楽しいとおいしいは別物だ! 楽しいとおいしいを混同するな! あと私の安寧の時間を奪うなぁーーーー!」
――伝説の少女、浄化の神子が現れたのは神のご意思。
――新しい風を取り入れて変わっていくこともまた、神のご意思……なのかもしれませんね。
「……って、ぴゃあぁぁぁーーーっっっ! 本音と建前が逆だ! 逆だったぁぁぁあああーーー! ……んあぁ?」
あの日、呑み込んだ言葉を全力絶叫して飛び起きた私はあたりを見回し、首をかしげ、ここがしん……と静まり返った神殿の食堂ではなく、シンプル・イズ・ベストなマイ引きこもり部屋であることに気がつき、夢オチなことにも気がつき――。
「ぶわっはぁぁぁーーー! 夢オチでよかったー! 誰の目もなくてよかったー! 人前で本音ぶちまけてなくてよかったー! 誰の目も気にしないおひとりさまやりたい放題わがまま生活続行中でよかったぁぁぁーーー!」
ソファに大の字でひっくり返ったのだった。
ついさっきの夢というか悪夢というかはほんの一年ほど前にあった出来事。チヒロがこの世界に現れて一か月ほどが経った頃の出来事だ。
――伝説の少女、浄化の神子が現れたのは神のご意思。
――新しい風を取り入れて変わっていくこともまた、神のご意思……なのかもしれませんね。
という私の、そのときはちゃーーーんと聖女スマイルを浮かべて口にすることができた建前を聞いてチヒロは手を叩いて喜び、早速、近くの聖女候補たちに話しかけ始めた。
それを見ていた他の聖女候補たちは戸惑った表情やうかがうような表情で神官たちをチラチラと見るし、期待に満ちた表情で聖女である私のこともチラチラと見るのだ。
聖女候補たちは十代前半から二十代前半の少女たち。チヒロがやってきた世界で言うところの小学校高学年から大学生くらいの少女たちだ。んでもって、チヒロがやってきた世界の同年代の少女たちがそうであるようにおしゃべりが大好きな子がほとんどなのだ。
だから、彼女たちは聖女である私がチヒロと同じように近くの聖女候補たちに話しかけるのを見て目を輝かせ、おしゃべりを始めた。あっという間に食堂はにぎやかになる。
結局、あの日から神殿の食堂はおしゃべりオーケーな場所になったのだ。
多くの人にとってはなんてことないのかもしれない。たいしたことないのかもしれない。なんなら楽しいこと、うれしいことだったのかもしれない。
でも、こちとら――。
「こちとら今日の天気の話をするだけでも気力削られるんだよ! コミュニケーション得意じゃないし、好きじゃないし、やらずにすむならやりたくないんだよ! 人間に擬態するの大変なんだよ! 人語しゃべれる精神状態を維持するの大変なんだよ! 悩みがあったら人に話すより寝て回復したい派なんだよ、こんちくしょーーー!!!」
なのである。
誰の目も気にしないおひとりさまやりたい放題わがまま生活を全力で希望し、死守したい系の聖女さまなのである
「人好き、おしゃべり好きにとっては仕事関係の話をするのは生命維持活動に必要な日常の食事で、雑談したり友達や恋人と話したりするのはごほうびデザートみたいなもんかもしれないけれども! 別腹かもしれないけれども! 私からしたらどっちもバランス栄養食をむりくり口の中に突っ込んでる感じなんだよ! 気分転換に雑談しよう、じゃない! 気分転換にならない! どっちもバランス栄養食もっそもそのぱっさぱさの水分おくれ状態なんだよぉぉぉーーー!」
食事中にガンガンに話しかけてくるようになったチヒロや聖女候補たちににこやかに対応しながら、あの頃の私は奇声をあげて発狂しないようにと必死になって自制心を働かせていた。そりゃあもう、馬車馬のように働かせていた。よく過労死しなかったな、自制心よ! ってなくらいに働かせていた。
なにせ聖女という立場上、仕事中だってちょくちょく話しかけられるのである。神官たちからも聖女候補たちからも街の人たちからもちょくちょくちょこちょこ話しかけられるのである。仕事の話も雑談も、あれやこれやな話もふられるのである。街を歩いていても、神殿内を歩いていても、執務室にいても、なんなら私室にいたってノックされて――。
――聖女さま。今、よろしいでしょうか。
とか言われるのである。
なんていうか――。
「いいわけあるかぁぁぁーーーいっ! 私室だぞ! 私室にいるんだぞ! せめて私室にいるときくらいは勘弁してくれよ! 閉店ガラガラだ! 時間外労働だ! うわぁぁぁーーーーん!」
てなわけで、黙食ルールのおかげで話しかけられる心配のない食堂は数少ない安寧の場所、安寧の時間だったのである。ぶっちゃけ黙食バンザイだったのである。黙食推奨なだけでこの神、推せる! だったのである。
でも、あのときの私はレティーシャルートを維持するためにチヒロとの親密度を下げるわけにはいかなかった。チヒロの言うことを慈愛に満ちた微笑みで、両腕広げて全肯定するしかなかったのだ。
結果――。
――ね、みんなでいっしょに、にぎやかに食べた方がおいしいでしょ!
――はい、浄化の神子さま……いいえ、チヒロ!
キラッキラの笑顔で言うチヒロとキラッキラの笑顔でうなずく聖女候補たちをにこやかに見守りながら――。
「楽しいとおいしいは別物だから! 楽しいとおいしいを混同するな! おいしいものは一人で食べたっておいしいからぁぁぁあああーーーー!」
心の中で全力絶叫する日々が続くことになったわけである。
「……そう言えば」
ふと腕組みをしてシンプル・イズ・ベストな部屋の天井を見あげた。
「今世でも心の中で叫んだけど前世でも心の中で叫んだことがあったなー」
――楽しいとおいしいは別物だから!
――楽しいとおいしいを混同するな!
――おいしいものは一人で食べたっておいしいからぁぁぁあああーーーー!
心の底からの叫びとともに口の中が何かを求め始める。口の中は何を求めているのだろう。前世の、あのとき、あの場所はどこで、どんな会話をしていたんだったか。
「たしか……あれは……」
そうつぶやいて目を閉じる。まぶたの裏に浮かんだのは前世の、社会人何年目だったかの光景だった。




