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第10話 聖女さま、モーニングを食べる。(2)

 あの日、どうにかこうにか心にダメージを負いながらも注文を終えた私の目の前で店員は数字が書かれた札をトレーに置き、そのトレーを横にずらした。トレーの動きに合わせてとっさに一歩横にずれたところでかたまった。

 このまま席について店員がドリンクと料理を運んできてくれるのを待つ店がある。でも、ドリンクを受け取ってから席につき、店員が料理を運んできてくれるのを待つ店もある。ドリンクも料理も受け取ってから席につく店も、席で待っていて番号を呼ばれたらカウンターに取りに行くパターンも、なーんて悩んでいるうちに――。


 ――あ、席でお待ちください。


 店員にそう言われた。あわててトレーを手に取り席についたあと、あのときの私は澄ました顔でスマホを操作し始めたけれども――。


「知らないよーーー! 初めて入ったんだもん! そんなルール知らないよぉぉぉーーー!」


 トレーを手に取り、席についた今日の私はテーブルに突っ伏すとひぃんひぃん泣きながら足をジタバタさせた。店員の、気のせいかもしれないけれど、なんかちょっと冷ややかな気がする声とか。私のあとに並んでいたお客さんの、気のせいかもしれないけれど、なんかちょっと冷ややかな気がする視線とか。そういうのを思い出してジッタバッタさせた。あの日の羞恥心がよみがえる。あの日のトラウマがよみがる。


「セルフレジを思い付いてくれた人、マジ……神! ……マジ、神っっっ!」


 テーブルにゴンゴンと拳を打ちつけて羞恥心とトラウマにもだえ、耐え忍んでいるとお皿がすっと差し出された。


『お待たせしましたにゃー』


 びっくりして顔をあげるとそこには前世のファミレスなんかで見かけたネコ型配膳ロボットらしきものがいた。らしきもの、というのは顔部分はネコ型配膳ロボットのそれだけど、体は人間だからだ。全身白タイツな人間の体だからだ。


「……」


『ごゆっくりですにゃー』


 白タイツ姿のネコ型配膳ロボットがモデル歩きでカウンターに戻っていくのを見送ったあと――。


「うん、食べよう!」


 あの日の羞恥心もトラウマも、白タイツ姿のネコ型配膳ロボットも、パン! と手を叩いてすべてを忘れることにした。

 そして――。


「いただきまっす!」


 そう言うと早速、白いプレート皿に乗ったトーストにバターを塗って一口。


「ふんにゃーーー!」


 頬を押さえてにんまりと笑った。薄切りのトーストはこんがりと焼けている。人によっては焼きすぎと言う人もいるかもしれない。でも、ホテルの朝食ビュッフェなんかでたまに見かける丸いプラスチックの器に入ってる柔らかめのホイップバター。これがカリカリ香ばしいトーストにさっとなじんでおいしいのだ。


「うんま、うんま、うんまぁーーー」


 こんがりトーストは一枚を半分に切ってある状態。その半分にホイップバターをたっぷりと塗ってカリカリカリカリカリカリと食べ進める。最後の一口を放り込み、ほーっと息をついた私は続いてアイスカフェオレのグラスに手を伸ばした。

 上の方はコーヒー色、下の方はミルク色。大きめの氷が浮かんでいて、真ん中よりやや上あたりでグラデーションになっている。

 これを――。


「まずは下の方にストローぶっさして、ちゅーーーっ」


 ひんやりミルクの甘さが口に広がる。

 続いて――。


「上の方にストローぶっさして、ちゅーーーっ」


 コーヒーの苦みが口の中に広がる。


「うひっ、うひひっ」


 聖女にあるまじき、うひひ笑いがもれたのは前世では人の目が気になってできなかった飲み方だからだ。下の方だけ吸う、上の方だけ吸う……というのがお行儀が悪い気がして、お行儀が悪いと思われるんじゃないかと不安で、できなかった飲み方だったからだ。

 うひうひ笑いながらもう一回、ミルクだけ、コーヒーだけを味わったあと、ストローでそっとかき混ぜてもう一口。


「うひーーーっ」


 大満足でグラスを置いた。


「次は……っと」


 白いプレート皿に乗ったミニサラダに手を伸ばす。透明な丸いお皿にはレタスがしきつめられている。その上にはポテトサラダ、彩りに細かく切った赤ピーマン、たまねぎたっぷりのあめ色ドレッシングがかかっている。

 フォークでポテトサラダを一口。マヨネーズ少なめ、黒コショウ入り、しかもたまねぎドレッシングも混ざり合って――。


塩味えんみうっまぁー」


 うっとりとつぶやく。


 塩味うっまぁーの次は甘味あまみうっまぁーをやりたくなるのが人情というもの。白いプレート皿に残された半分に切られたこんがりトーストに手を伸ばす。上が丸い山型の食パンでななめに切られているのがおしゃれで、それだけでちょっとテンションがあがる。

 小さなスプーンですくったのは季節のジャム。今日はりんごのジャムのようだ。無色透明の丸いお皿に薄黄色の透明なジャムがキラキラしていてこれまたテンションがあがる。

 テンションがあがる理由は宝石のような見た目だけじゃない。


 スプーンですくったりんごのジャムをトーストのかどっこに乗せて一口。


「カリ、シャク、甘味うっまぁーーー」


 こんがりカリカリトーストとざく切りりんごの食感、ジャムの甘味に再び、うっとりとつぶやいた。

 甘味うっまぁーの次は塩味うっまぁーをやりたくなるのが、以下略。カラ付きのゆでたまごを手に取る。人の目があるときにはできるかぎりお行儀よく、大きな音がしないようにと気を付けて、コーヒーなんかについてくる小さなスプーンの腹でゆでたまごの胴回りをコツコツと叩いてヒビを入れていたけれど――。


「しゃらくせぇわぁーーー!」


 今、この店にいるのは私だけ。一切の迷いなく、ちゅうちょなく、テーブルにコン、ココーーーン! とやってヒビを入れた。あとは簡単。


「むっふー♪」


 ごっそり、つるりんとむけたゆでたまごのカラを手に満足げに笑って塩が入っているビンに手を伸ばす。このビンの傾け方が難しいのだ。ちょっと傾けただけだと出てこないし傾け過ぎるとドバッと出てきてしまう。

 でも――。


「今の私に塩分の摂りすぎも! 高血圧も! 健康診断の結果も! 関係ない!」


 スパーン! と塩のビンを一振りしてゆでたまごをかじり、またスパーン! と一振りしてゆでたまごをかじり――。


「白身のあっさり味、つるりん食感にも、黄身の濃厚、もそもそ食感にもなじむ塩! 最っ強ぉーーー!」


 あっという間にゆでたまご一個を完食した。

 塩味うっまぁーの次は甘味うっまぁーをやりたく、以下略。リンゴのジャムをたっぷり塗ったトーストを一口、二口と食べ進め、一口、二口分を残して手を止めた。

 そして――。


「楽しみは最後の方に取っておく派の私がとっておいた〝これ〟に、ついに手をつけるときが来たか……!」


 手についたパンくずをさっとはらうと季節の野菜スープが入っている小さめのスープカップを手に取った。スープはアツアツのうちに、出されて早々に食べなよと言う人もいるかもしれない。でも、猫舌の私的にはこれがベスト。

 スプーンでぐるりとひとまぜ。


「季節の野菜スープなのに今日はクラムチャウダーですーってどういうことって思ったけど……」


 白くてとろりとしたスープの中から次々と姿を現わす具材に納得した。

 クラムチャウダーなだけにあさりがたっぷり入っている。でも、さいの目に切られた玉ねぎ、にんじん、じゃがいも、しめじといった野菜があさりに負けないくらいの存在感を放っているのだ。

 スプーンですくって一口食べた感想も見た目通り。あさりの味がしっかりする。でも、負けないくらい野菜の甘味や食感を感じる。おいしい。

 これは――。


「最後の一口、悩むなぁ」


 残るはトーストとりんごのジャム、クラムチャウダー。口の中をどちらの味にしてモーニングを終わらせようか。


「んー、んーーー、んーーーーー」


 席が空くのを待っているお客さんがいないのをいいことにアイスカフェオレをずずずーーーっと飲み干しながら思う存分に考え込む。

 そして――。


「……よし!」


 残っているりんごのジャムをトーストに乗っけてぱくり。一口分のトーストを残したまま、続いて、クラムチャウダーを飲み干す。

 そして、そして――。


「とってもお行儀が悪いけどーーー♪」


 スープカップの中をトーストでぐるりとぬぐって口の中に放り込む。カリカリ香ばしいトーストとクラムチャウダーを最後にしっかり、じっくり味わって――。


「はぁーーー、おいしかったぁーーー!」


 両腕両足をうーーーんと伸ばしてソファに深々と座り込んだ。ゆっくりと息を吐き出してあたりを見まわす。店内にはあいかわらずだーれもいない。

 本当においしかった。前世で一度だけ食べたときには早く食べ終えて、早くここから逃げ出したくて、わけのわからないまま食べ進めた。なんの味もしなかった。おいしかったかどうかも覚えていなかった。


「……こんなにおいしいものを食べたのに覚えてなかったなんて」


 もったいない――。


 雰囲気のよい店内をぼんやりと眺めながら思う。


 誰かのおかげでこんなにおいしいものが食べられる。誰かのおかげでこんなに雰囲気のよい店内で過ごせる。それはよくわかってる。

 料理を作ってくれた人。野菜や小麦といった材料を作ってくれた人。電気やガス、水道に物流なんかのインフラを支える人……。

 人間は一人では生きていけない。そのとおりだ。そのとおりなのだけれども、でも、だけど――。


「誰の目も気にしないおひとりさまやりたい放題わがまま生活はやっぱりやめられない! 止まらない! 死守したぁぁぁーーーい!」


 足をジッタンバッタンさせて本音を叫んだ私はパン! と手を打ち合わせた。やっぱり人に会いたくはないけれど誰かのおかげでこんなにもおいしいものを食べることができた。

 その〝誰か〟に感謝して――。


「あと、セルフレジを思いついてくれた人にも感謝して!」


 目を閉じると念よ、届けの気持ちで叫んだ。


「ごちそうさまでした!!!」


 まばたきを一つ。目を開けるとそこはもうシンプル・イズ・ベストな引きこもり部屋で――。


「さぁーーーって、お腹も満たされたことだし次の映画を見るぞ! 一気見しちゃうぞぉー! ぶひゃ、ぶひゃひゃ……!」


  私は盛大にソファに背中からダイブした。


「三作目あたりでこれまでの内容が思い出せません、キャラも多すぎて覚えてられませんってな具合に挫折しちゃった某世界一有名な魔法学校映画を一気見しちゃうぞぉー! ぶひゃ、ぶひゃーひゃーーー!」


 ふわふわもこもこ着心地抜群の部屋着でソファの上をごろごろ転がり、ジッタンバッタンしたあとでシュバッ! とテレビにリモコンを向ける。


「次の日のことなんて考えなくていい! だから! いざ! 一気見! ぶひゃ、ぶひゃーひゃーひゃーひゃーひゃーーー!」


 聖女にあるまじき笑い声をあげながら私は始まった映画にぶひゃひゃひゃしたのだった。

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