6.指輪
王宮の廊下を歩いている途中、立ちくらみに襲われながらもベルモンドはバネッサの寝室に向かう。
寝室では、寝間着姿のバネッサがベルモンドを待ち構えていた。
顔を合わせるなり、バネッサは不機嫌さを隠さずに口を開く。
「陛下、あの財政官のことですけれど」
「……言っただろう。もう王室の財政に余裕はない。支出を抑えなければ」
髪に触れながら、ベルモンドはぶっきらぼうに言い放った。
この場にはふたりきり。だからこそ隠しようのない真実を言える。
「この三年間、どれだけの金を社交に費やした? エスカリーナ王国は大きな国じゃないんだ。この規模の支出を続けるのは無理だろう」
「でも! 我々のような国が生き残るには、外交は大切でしょう?」
「限度があると言っている」
「……貴族同士の対立を和らげるためにも、社交は必要だと思いますわ」
そこでベルモンドはふと気が付く。バネッサの手にはベルモンドが贈ったものではない、美しいサファイアの指輪が光っていた。
「その指輪は……?」
「ガノーラ辺境伯からです。素晴らしいでしょう? とても気に入ったわ!」
バネッサが悪びれることなく、手をかざしてご満悦の表情を浮かべる。
ガノーラ辺境伯は抜け目のない男だ。見返りもなしにこんな贈り物をするとは信じがたい。
「バネッサ、ガノーラから何か言われたのか?」
「南部の地方長官にひとり、推薦したい人がいるんですって。よく知らない人だけど。でもあなたの負担も減っていいことでしょう?」
クロエと彼女の派閥が抜けた穴はいまだに埋めきらない。
事実ではあるがベルモンドはぎりと歯を鳴らした。
「安請け合いはするなと何度も言っただろう……!」
「別に、その人にするって約束はしてないわよ! 陛下に言伝するだけでいいって……」
こんな贈り物を受け取ってしまって、それだけで済むと本気で思っているのだろうか。
(しかも南部はさっき議題に出ていたところだ)
水が少なくなって問題が発生している地域の人事。
何らかの意図があると見て、ほぼ間違いない。
残念ながらベルモンドにはその意図までは即座にわからなかったが。
クロエなら――指輪を受け取ることもなかったし、ガノーラ辺境伯の考えも即座に見抜いていただろうに。
ベルモンドは嘆息した。バネッサは貴族外交について本当に疎い。
「いずれにしても南部は今、デリケートな状況だ。その指輪は返却しろ」
「嫌よ! これはもう私のものなんだから!」
バネッサは目を剝いて指を隠した。
それにベルモンドは感情を爆発させる。
「駄目だ! それはガノーラ辺境伯に返すんだ!」
ベルモンドはバネッサに歩み寄ると強引に腕を取り、指輪を取り上げようとする。
だがバネッサは抵抗して容易に指輪を渡そうとしない。
「離して……!」
バネッサが軽くベルモンドの胸を押す。
それは平素なら何ということはない衝撃だったが、今のベルモンドには充分すぎた。
「……うっ!」
ふらっとベルモンドは体勢を崩し、テーブルに手をつく。
さすがのバネッサもそこまでするつもりはなく、とっさに一歩下がった。
「あなた! ご、ごめんなさい」
荒い息を吐くベルモンドは答えることもできないまま、呼吸を整える。
そこでバネッサはふと、気が付いた。
今のやり取りで何かが――ベルモンドの胸から床に落ちたのだ。
「――!!」
「これは……」
ふらついたベルモンドの代わりに、バネッサが屈んで落とし物を拾う。
落ちたのはクロエの手記であった。まずい、とベルモンドは手記へと腕を伸ばそうとする。
バネッサは何の気もなしに手記をパラパラっと開いて、閉じた。
「古そうな手記ですわね」
「返せ」
立ちくらみから回復しつつあるベルモンドがバネッサから手記を奪い取る。
ベルモンドはそのまま手記を、大事そうにまた懐へ戻した。
中身を見られたかもしれないが仕方ない。面倒さえ起きなければいい。
「……とにかく、指輪はガノーラ辺境伯へ返すんだ。異存はないな?」
「はい……」
ベルモンドがふらついたせいか、さすがのバネッサももう歯向かいはしなかった。
「財政官も議論の余地はない。支出の相談には乗るが、基本的にもう余裕はないんだ」
「じゃあ、もう贅沢はできないということ?」
何を悠長なことを。今の現実を何も理解していないバネッサにベルモンドは薄く笑うと、彼はそのまま寝室を後にした。
これにて第1章終了です!
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