31.残された手記
エスカリーナの混乱が収まり、数か月後。
ラーゼはリンゼットの皇帝に即位し、クロエと結婚した。
エスカリーナを属国にしたことで、ラーゼとクロエの功績を疑うものはなく――盛大な結婚式が行われた。結婚式の夜、祝宴でクロエはラーゼの腕を取って問うた。
「エスカリーナのほうは大丈夫なようですね」
「情報部の話ではよく押さえ込んでいるようだ。反対派も今は潜伏しており、安定している」
「問題は情勢が落ち着いてからでしょうか。苛烈な処置をしないよう、念を押さないと」
そこでクロエはラーゼの顔を見上げて、囁いた。
「シャンテの婚約者探しは進んでいるのですか?」
「うむ……まぁ、やってはいる……」
ラーゼにしては珍しく歯切れの悪い答えだった。
シャンテは十七歳になる。結婚は先だとしても、婚約者がいておかしくない年齢だ。
政略結婚には良い思い出のないクロエではある。だからこそ、良さそうな婚約者を早めに見つけてあげたかった。
「あなたの弟で良さそうな方はおられないのですか?」
クロエがダンスホールに目を向ける。
そこではラーゼの弟の何人かが踊っていた。
彼らはラーゼの懐刀で、信頼の置ける弟たちのはずだ。
「いや、あいつらにはな……あの姫の相手が出来るだろうか」
「……どういう意味でしょうか?」
「シャンテ姫の豪胆さと役者振りは相当なものだぞ。手強い。俺の弟でシャンテ姫と渡り合えるのだろうか」
「そ、そこを心配しておられたのですか」
なんとラーゼに身内の結婚相手を案じる心があったとは。
クロエはふーっと息を吐く。
「とりあえず良さそうな人を探し出してください。あとはシャンテ姫と直接会わせて反応を見ましょう」
「俺の弟のひとりでないとダメか?」
「ダメです! まずあなたの血に連なる方を提示しなければ」
うーむと唸るラーゼ。
結局、紆余曲折あってシャンテの婚約者はラーゼの弟のひとりに決まった。
頭は良いがのんびりした青年で、意外に思ったが……お互いに好意は抱いているようで、クロエも安心した。
◆
それからリンゼット帝国は大いに栄え、皇帝ラーゼは中興の祖と称えられた。
しかしレイデフォンもやられてばかりではなく、一連の謀略から十五年後、反撃に移った。
いくつもの小さな戦争が起き、大陸は騒然とした――大きく歴史が動いたのはラーゼとクロエの結婚後、七十年後のことである。
その頃にはラーゼとクロエの両名はもう世を去っていた。
ふたりの死後、ついにレイデフォンとリンゼットの間で、大陸中を巻き込む大戦争が勃発したのだ。戦争はこれまでにない規模で広がり、多くの人命が失われていくつもの国が荒廃した。
機関銃と爆薬、戦艦の戦争の時代が訪れたのである。
結局、この戦いは両国とも何も得るものがなく終わりを告げた。
疲弊したレイデフォンでは革命が起きて王は追放され、共和国に移行する。
一方、リンゼット帝国も大打撃を受けて改革を余儀なくされた。帝国は立憲君主制に移行し、国政を国民に委ねることになった。
皇族は名目上の存在になり、権威のみを有する存在になった。
これらの激動の中、エスカリーナは戦争に巻き込まれず、平穏を保った。
皮肉にも石炭を失い、山しかないエスカリーナを他の国が欲しなかったからである。
やがてエスカリーナには他国から避難してきた人間があふれ、工業国として確固たる地位を築くようになった。
ラーゼとクロエの結婚後、百二十年が経過してエスカリーナの地から様々なレアアースが発見される。
エスカリーナは活気づいて、工業先進国の仲間入りを果たした。
ふたりの結婚後、百七十年後。リンゼット帝国は解体され、連合国へと移行した。エスカリーナは再び主権国家として独立する。
そして現在、独立後三十年が経過して――私はエスカリーナでこの本を書いている。
「あら、書き終わりましたの?」
花のように可憐な銀髪の少女が私の前に立つ。
その眼差しはエスカリーナに立つ、クロエの彫像にそっくりであった。
彼女こそエスカリーナの次期女王シャンテ三世である。
「はい、もう少しで。ようやく肩の荷が降ります」
私ははーっと長く息を吐いた。
私の家は学者の家系で、諸々の記録をつけていた。
その中にまさか二百年前のエスカリーナについての記録があったとは。
しかも驚くべきことに、それらの記録は中興の祖であるシャンテ姫が残したものであった。
そして数年かけて三十歳にしてやっと、ご先祖様からの宿題を終えることができたのだ。
「それにしても二百年前の謎の王位交代とリンゼット入りに、こんな裏側があったなんてね」
「断片的にしかわからなかった真実が明らかになります」
「私のご先祖様は何を思って、書庫の奥底に記録を残したのかしら?」
元々、これらの記録は当時のシャンテ姫から私のご先祖――財務大臣になったシズの家系へ伝えられたものだ。
「話によれば『手前から整理しろ』と言われたらしいですが」
「二百年もかかるのに?」
「そうです、きっとそれくらいの時に見つけて欲しかったんでしょう」
「本当に気の長い話ね」
シャンテ様が私の机の上にある手記を掲げる。
古ぼけた手記はクロエとシャンテ様の共同執筆だった。
題名は特になし。
あの時、二百年前に起きた出来事について包み隠さず簡潔に書かれている。
「クロエ様とシャンテ様のされたことは、正しかったのよね」
「そうですね、当時はやはり時間が経つと賛否両論あったようですが」
学者である私は様々な記録、歴史家の見解を知っている。
国を献上するなど、普通ではありえないことだ。
でも結論から言えば、それは英断だった。
当時のエスカリーナに単独で波乱の時代を生き抜く力はなかったのだから。
あれからエスカリーナの山々は戦争らしい戦争に晒されることもなく、悠久にそびえ立っている。川の水も清いままであった。
今、季節は春。
古い都の庭園ではイチゴの白い花が咲き乱れていた。
「このイチゴの花はおふたりが愛した花ですよね」
「ええ、昔ながらの品種のままよ」
彼女が髪をかき上げる。
ふっと風が吹き、イチゴの花びらが舞った。
この光景をあのふたりも愛したのだろう。今の私も同じだ。
エスカリーナの山と花、人は変わらない。
それこそがあのふたりが残したかったもので、それらはしっかりとエスカリーナに息づいていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
これにて完結となります!
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