第9話 狩り
言いながら、ガンガンと手に持つ両者を打ち付け大きな音を立て歩き始める。
目覚まし代わりとしては、強烈な筈だ。
予想だにしていない物なのだから、その効果は一層高いだろう。
最初に廊下に顔を出したのは、使用人のうちの誰かだった。
「ゼリア様、これは一体――」
「『邪魔しないで』。ノイマンには昨夜、そう言ったのだけど」
聞いていないの?
そんな言葉と共に、その者を見据える。
その話を聞いて知っていたのか、いないのか。
そんなふうに牽制された彼は、私の行く手を阻むべきか否か、すぐには判断ができなかったのだろう。
ピタリと動きが止まったところで、その脇をすり抜け歩き出す。
「リトリドー? ニーケー?」
「これの、一体どこが『狩り』なんですか」
「あら、狩りも、追いかけて仕留めるだけがすべてではないのよ? 他にもエサでおびき寄せたり、臭いや痕跡を追ったり」
すぐ後ろをついてくるミリアンの呆れ声に、私はサラリと言葉を返した。
両親が亡くなる前、父から「色々な事を知っているに越した事はない」と、ほぼ間違いなく始まるだろう王族教育では習わない、ちょっと変わった事も教えてもらっていた。
その内の一つに、『狩り』がある。
実際にお父様に森へと連れて行ってもらい、山狩りの様子を近くで見せてもらったのだ。
その時の知識と経験が、まさかこんなところで役に立つとは思わなかったけど。
「相手は人間ですよ?」
「そうね。獣より、余程知能のある人間。でも、防衛本能というものは、獣だろうが人だろうが変わらない。そして、防衛本能とは必ずしも、自分に対してのみ働くとは限らない」
言いながら、ガンガンとフライパンを鳴らしていると――来た。
私の場所を特定した使用人たちが、続々とやってきては道を阻む。
「お止めください!」
「お戻りください!!」
「探しているだけなのに、一体何がいけないの」
治安を守る責務を負った騎士ならともかく、使用人たちは言葉では私を止めていても余程の事がない限り、貴人を強制的に排除する事はできない。
それこそ主からの指示でもあれば本気で止めにも来るのだろうけど、彼らの主人である旦那様はこの屋敷には不在である。
今すぐ判断を下せる者がいない状況にある。
実際に彼らの私を止める力はやんわりとしていてかなり弱く、非力な女の私でも問題なく押し通る事のできるレベルだった。
だからだろうか、仕方がなく涙目で私の事をやんわりと静止する事しかできないのだが……。
彼らは自分こそがあの二人への道しるべになっている事に、まったく気が付いていないんでしょうね。
彼らがつぶさに気にしている方角、私を行かせまいとしている方角。
そちらに守るべきモノがあるのだという事は、馬鹿でもなければ自ずと分かる。
彼らの静止に逆らって進めば、ある扉の前に行き着いた。
「おはようございます、ゼリア様」
「おはよう、ノイマン。最終の目印、ご苦労様」
そこは、屋敷の離れ。
中でも最奥の一室だと、最後の砦足ろうとするノイマンの立ち位置から理解した。
離れといえば、この屋敷に始めて来た日に、ノイマンから言われた一言を思い出す。
――屋敷の離れには立ち入らないでください。
私どもがただ一つ奥様にお願い申し上げるのは、これだけです。
そろそろ見に行ってみようかと思っていたところだったけど、あの時何故あんな事を言ったのか。
これで調べるまでもなく判明したという事になる。
「お二人とも、突然朝から大きな物音で目を覚まし、大きな声で名を呼ばれて、大変取り乱しておいでです。後ほど時間は設けますから、どうか一旦お引き取りいただけませんか」
「これまでの私に対する行いについて、あの二人が最初に謝罪すると約束するなら引いてもいいわ」
「……少々お待ちください」
彼はそう言うと、一度部屋の中に下がる。
ノイマンには、おそらく「なるべく対面の時を引き延ばしたい」という思惑があるのだろう。
理由はよく分からないけど、彼の要望通りの展開には十中八九ならないと思――。
「絶っっっ対、嫌だ!」
ほぉら、やっぱり。
そもそもここで「謝る」というくらいなら、昨日謝っていた筈だものね。
アレは相当な意地っ張りの頑固よ?
それこそ、私に負けないくらいの。
扉の向こうから聞こえてくる、おそらく言い含めようとしているのだろう、何やらボソボソとノイマンの声。
そして、それを悉く「嫌」とか「無理」と突っぱねる、子どもの大きな声。
思った通りの状況推移に、私は振り返りニッと笑う。
私が笑顔を向けた先には、先程からずっと後ろをついてきていたミリアンがいた。
彼女は「ハァ」と、呆れ交じりのため息を吐く。
見るからに「こんな事をして楽しんでいるだなんて、大人げないですよ」と言いたげだ。
「……坊ちゃま方がお会いになるそうです」
ガチャッと扉の開いた音に視線を戻せば、自らの敗北を悟ったような顔のノイマンがいた。
朝だというのに疲れた声だ。
お気の毒、と思いながら、開かれた扉の向こう側に――躊躇なく一歩踏み込んだ。