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第3話 夫の噂と、屋敷の執事



 『悲劇の狂騎士』。

 今この国の社交界で、その呼び名を知らない者はいないだろう。


 好戦的な隣国ヴェルフェリオからの進軍を、辺境の地で五年もの間阻止し続けた鉄壁の防御。

 それを成したのが、シディアン・ルー。

 『悲劇の狂騎士』と呼ばれている男だ。



 勇猛果敢。

 それでいて、指揮以外では滅多に話さない愛想のない男。


 それでも鍛え抜かれたしなやかな体と整った容姿のお陰で、社交界では『孤高の騎士』などと呼ばれていた。



 その呼ばれ方が変わったのは、隣国との七年戦争が終結した先日の事。

 戻ってきた彼に待ち受けていたのは、妻は間男と不貞を働き、二人も子どもを作ったという事実だった。


 家の金に手を付けて、足りなかった分は家の中の物を勝手に売っていたそうだ。

 その美貌と悲劇のヒロインになる演技力でたちまち使用人たちを味方にし、当主である彼の居場所は、そこにはなかった。



 死線をくぐり、国に仕えた五年間。

 それを終えて戻ってきたら、陛下の命で結んだ政略結婚の相手によって屋敷内を変革せしめられていたのだ。


 屋敷の主たる彼は、勿論その事に激怒した。

 そして――妻と間男を八つ裂きにし、門の前に並べて吊るした……と、されている。



 どこまでが本当なのかは分からない。

 しかし、そういう噂が立っているが故に、彼は『悲劇の狂戦士』と呼ばれている。


 彼は狂ったのだ、愛に。

 誠心誠意尽くした国から決められた相手によって、屋敷やそこに仕える者たち、妻から自己を否定されて。


 巷ではそんなふうに言われ、周囲は彼に同情した。

 中には嘲笑する者もいたが、同じ呼び名で彼を呼んだ。




 妻が悪い、とは思う。


 たとえ政略で愛のない結婚だったとしても、旦那様が五年もの間自分をほったらかしにしていたとしても、物には限度というものがある。


 彼女の行いは、不誠実だった。

 使用人も、たとえ彼女が事実としてほったらかしにされていたとしても、圧政を敷いた訳でもない主より彼女を選ぶのは、不誠実である。



 それでも八つ裂きにして、門の前に吊るして見せしめにするなんて。


 屈強な騎士だ。

 そのくらい、朝飯前なのかもしれない。


 散々血を見てきたせいで、残虐なやり方に心が鈍感になっていたのかもしれない。

 大切な物をどうにかされたとか、譲れない領分を犯された結果なのかもしれない。



 しかし、それにしたってあまりにも残虐だ。

 それでも噂に聞くくらいなら、私に実害は一つもない。



 それが、まさかそんな相手の嫁になるなんて。


 

 叔母は私に「貴女との結婚に、多額の結納金を支払ってくれるのですって!」と言った。


 たしかに嫁が欲しい状況なら多額の金を払うのは、噂が横行し相手が見つからず、しかし陛下からの報奨金が手に入った彼にとっての最善手だろう。

 しかし、それ程までに嫁が欲しい理由はなんなのか。

 そうして成立した婚姻に、向かう嫁ぎ先に、幸せはあるのか。


 ――いや、幸せでなくてもいい。

 せめて今以上の劣悪さに身を置かず済みさえすれば、両親の事故の原因を調べる時間を与えてさえくれれば、私に干渉しないでくれれば、それだけでいい。

 しかしそれさえ、あるかどうか。


「高望みかしら、こんなの」


 金で売られたも同然の元公爵令嬢――今はもう子爵令嬢になりドレスも相応の物になった今の私に、後ろ盾はもう存在しない。


 侯爵家にと告げる事自体、破格なのだ。

 これ以上を望むなんて、おこがましい。

 そんなふうに言われるかもしれないけど。



 侯爵領へと向かう馬車の中、私は頬杖をつき窓の外をボーッと眺める。


 どこにいたって真に願う事、生きる目的は変わらない。


 両親の死の真相を明らかにし、関係者には然るべき制裁を加える。

 どこにいたって、何をしていたって、その目的だけは見失わない。


 それでも。


 憂鬱には変わりない。

 だって、ものすごく面倒臭そうだもの。



 § § §



 侯爵家の領地は、二代前の当主の「人付き合いが得意ではない」という都合によって、王都から遠く離れた南の地にされたと言われている。


 その話を裏付けるように、目的地である侯爵家の屋敷は領都を見下ろすように、高台にポツリと建っていた。



 侯爵家の屋敷なのだ。

 私の元実家・公爵家の屋敷程の豪奢さはないけど、十分に立派な佇まいだった。


 カラカラと私が乗る馬車が敷地内に滑り込めば、気が付いた初老の執事が玄関に出てきた。


 止まった馬車から降りてきた私に、その執事が厭にやうやしい――下手をすれば演技がかっているとも言えそうな一礼をする。


「ゼリア・ヴァンフィーリン子爵令嬢ですね。ようこそ、ルー侯爵家の屋敷へ」


 その物言いに、思わず片眉がピクリと上がる。



 子爵令嬢。

 この男が今何気なく言った言葉から、色々な意味が感じ取れる。


 たとえば私の家が、公爵家から子爵家に落ちたと知っていると牽制してきている事。

 たとえば私を『令嬢』と呼ぶ事で、暗にこの家の夫人としては認めていない事。


 それらに私が気が付くと思って敢えてしているのか、それとも気付かない様子の私を見て「馬鹿な奴だ」と嘲笑いたいのか。



 ……いや、何だっていいわ。

 何であろうと、私がこの人に歓迎されていないのは変わらない。

 そしてそれを、暗に突きつけてきたこの男の存在も。


「貴方が今私に言ったのは、貴方個人の意思? この屋敷の使用人の総意? それと妻が初めて屋敷を訪れたっていうのに、顔を見せない旦那様の意向かしら」


 旦那様とは、既に籍が入っている。

 それも、侯爵家側の都合で早急に入れる事が条件に入っていたと聞いている。


 普通なら結婚には事前に婚約期間として、最低でも二、三か月は設けるが、私たちは違うのだ。

 私は既に婚姻届けに直筆のサインを終ており、教会に提出されたという書状を貰っている。


 その件を含めた謝礼金が、既に叔父夫婦の手元にも入っている。

 金にがめつい叔父夫婦は、しっかりとそれを確認してから私を厄介払いしたのだ。



 つまり何が言いたいのかというと、私は既に肩書だけは、れっきとしたこの家の夫人である。



 そんな相手に『子爵令嬢』?

 相手が使用人だろうが、旦那様だろうが、誰だろうが彼だろうが関係ない。


 喧嘩を売っているも同然だわ。

 上等よ。



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