第23話 取り合い勃発
「それで、私を迎え入れる準備ってどういう事?」
子どもたちはノイマンと一緒に退場してもらい、私は彼にそう問いかける。
私と彼とは、婚約破棄をした。
その手続きは滞りなく終えている。
そういう旨の手紙が来ている。
だから本来なら、私と彼とはもう一緒になる道などない……筈なのに、何がどうなって私を迎え入れるという話になるのか。
まさか、と考える。
一つだけ可能性に行き当たったけど、まさかそんな馬鹿な事。
そう内心で肩をすくめたのだけど。
「勝手に婚約破棄した事を父上に直接抗議したが、全く意に介していなかった」
「まぁそうでしょうね」
「だから臣籍降下を申し出た」
「……それで?」
「やると言ったからには、やる」
「つまり、一方的に宣言しただけなのね。まぁそうでしょうけれど」
あの陛下が、らしくはないとはいえ血統上は立派な王族である彼の事を、早々簡単に手放すとは思えない。
一見すると大人しく、物腰柔らかく、優しすぎる性格が大体災いしている事が多いけど、これでいて彼は優秀なのだ。
主に鉱物資源に関する研究に熱心で、それこそ外に婿に出すにはあまりにも惜しいと十人中九人が思うくらいには、彼の頭脳は稀有である。
因みにこの場合の『思わない側』の一人とは、彼の評価が正しくできない阿呆の事だ。
普通、これだけの研究成果の論文発表と実際に新技術の利用があれば彼の価値に気付きそうなものだけど、ごくたまにその辺の知識がまったくない阿呆が何処からか生まれるのだ。
そんな相手には、優しすぎる彼が無能とさげすまれても言い返さないので、見つけ次第私が処してきた。
私の『悪女』評価の一端は、実は少なからずここにもあったりする。
「一番近くで管理しておきたいから、陛下は貴方が王族籍を抜く事には簡単に了承しないと思うけど、まぁそれ自体は置いておいて」
小さくため息を吐きながら、そんな事を言って、私は彼にジト目を向ける。
「一応ここ、王都からじゃあどんなに急いでも、馬車で片道一月弱はかかると思うのだけど、何をしにこんなところまで来たの?」
「ゼリアに会いに来た」
「他に目的は?」
「他に??」
キョトンとしたディートリヒ様に思わず天を仰ぐ。
私がこの屋敷に来たのは、約一月前。
私の新たな結婚話を聞いてすぐにあちらを出発しなければ、こんなに早くここには付いていない。
「もしかして、本当にただ会いに来たの?」
「それ以外に何が必要なんだ」
「元々王族らしくないとは思っていたけど、こんなところで妙に王族らしい我儘を発揮して護衛の騎士たちやメイドを連れてくるなんて」
「まぁ、その点は少なからず無理をさせた自覚はある」
「あとで皆にお礼と謝罪をしておかないとダメよ?」
「分かってる」
呆れながら、せめてと思って忠言すると、彼は素直に頷いた。
こっちは呆れてちょっと怒ってもいるのに、何故か彼はヘヘヘッと嬉しそうに笑っている。
「何?」
「いや、ゼリアだなぁって思って」
肩肘を立てて頬杖を突き、彼は私に《《はにかんで》》みせた。
そんなに友人に会いたかったのかしら。
まぁディートリヒ様って、普段は研究ばかりだし、たまに夜会に出たところで社交が上手いわけでもないから、あまり友人って呼べる人間がいないものね。
……なんて思っていると、彼の向こう、部屋の扉の所に、ピョコッと小さな人影が二つ程こちらを覗いているのを見つけた。
あらあの子たち、「あっちで待っていて」って言ったのに。
もしかして『悪者』同士が密談でもしていると思われているのかしら。
何だかものすごく不安そうな顔のニーケは未だしも、リドリトがものすごい訝しみの視線を向けてきているわ。
「いいなぁ、やっぱりゼリアの傍は。まるで世界が彩りを取り戻したかのように見える」
「え、研究のし過ぎで視力が悪化したのではない? 大丈夫?」
彼が聞いた事もないような症状について話し始めるので、ギョッとしてディートリヒ様に視線を戻した。
すると彼は何故かまた擽ったそうに笑って、「ねぇゼリア」と言いながら私の手を握ってくる。
「やっぱり俺と一緒に行こう。この婚姻は俺がどうにかするから――」
「だっ、駄目だ!」
「ん? おや、君はさっきの」
「リドリト」
驚いた。
ニーケならまだ分からなくもないけど、まさかリドリトがすごい剣幕で食ってかかってくるとは。
そんな私の驚きに気が付いたのか、彼は「あっ……」と小さく声を上げる。
表情が、明らかに「しまった!」と言っている。
どうやら反射的な言動だったらしい。
「何で君が反対するんだい? 君からすれば、ゼリアは『悪者』なんだろう? なら悪者がいなくなって喜ぶところなんじゃあないかな」
「そっ、それは……そう! ニーケがこの女を気に入ってるんだ! この女がいなくなったら、ニーケが悲しむ!」
「ニーケというのは、後ろにいる君の弟の事かな」
「そうだ!」
「そう。弟思いなのはいい事だけど、俺はゼリアの事を『あの女』呼ばわりするような人間のところに置いておきたくないよ」
ディートリヒ様の言葉に、リドリトがグッと押し黙る。
私としては、まさかのリドリトが私を引き留めてくれて、少しだけ認められたような気がして嬉しいのと、頑張って何か言おうとしているけど言い返せない様子が微笑ましいのと。
ディートリヒ様が誰かに対してここまで優位に立っているところも、ここまで子ども相手に譲らないのも珍しいのとで、見ている分には面白――。
ドッ。
何かが、座っている私の膝辺りに当たった。
見下ろしてみれば、そこにはいつの間にか小さな人影がひしと抱き着いてきていて。
「ゼリアさん、いなくなっちゃ、やだぁ……」
大きな瞳に目一杯の涙を溜めて、イヤイヤと首を横に振るニーケ。
――あらぁー、可愛い。
特段子供好きという訳でもない私でさえ、思わず心を動かされた。
という事で、軍配は。
「まぁ、今のところここを動くつもりは全然ないしね」
四歳の子どもに出し抜かれた大人のディートリヒ様と、兄のリドリト。
傍から見たら、そう見えても何らおかしくはなかったかもしれない。




