第18話 懐柔? してないわよ別に
あの兄弟との同盟関係が成立してから、あの子たちは毎日私の部屋に来るようになった。
最初の日こそ隠れて監視しようとしていたものの、「目の前で監視した方が、取り溢しがないんじゃない?」と言いながら勧めれば、しぶしぶにでも同じテーブルを囲むあたり、まだ幼くて可愛らしい。
それが二週間も経てば、そういう生活も段々と日常に近くなっていく。
私が紅茶を用意して、給仕が持ってきたお菓子を食べて。
読書をしたり、編み物や刺しゅうをして過ごす私を最初こそ二人ともジッと観察していたものの、先に飽きたニーケが遊び始め、それに付き合う形でリドリトも遊ぶ。
「あっ、このお茶。イガーッてしない」
ポツリと聞こえてきた呟き声に視線を向けると、遊びの合間に喉を潤しにやってきたニーケが、私の淹れた紅茶に口を付け、不思議そうな顔をしていた。
「『イガーッ』って、渋みの話をしているのかしら。一応繊細な子ども舌に合わせて、渋みの少ない紅茶を少し薄めに淹れてみたのだけど」
「おいしい!」
「そう。それはよかった」
言いながら、互いに笑い合う。
兄の後ろに隠れて怯えていた時とは大違いだ。
「おい、お前! もしかしてニーケを、何か悪い方法で懐柔したんじゃないだろうな?!」
一部始終を見ていたリドリトが、ピッとこちらに指を指しながら言ってくる。
「してないわよ、何も。むしろ私の方が聞きたいわ」
私だって、別に彼らを邪険にしたい訳ではない。
そもそも「しない」とリドリトと約束したし、実際に、笑いかけて来てくれる子ども相手に理由もなく険しい顔をする方が難しい。
そもそも慕っているのは、ニーケの方だ。
そうやって疑いの眼差しを向けられても、私に仕掛けたつもりが本当にないのだから、どうしようもない。
「兄さま、飲んだ! あそぼ!」
兄の心知らずな弟に言われ、彼は笑顔で「あぁ」と応じる。
弟に手を引かれるままに再び目の前の庭園に出て行くリドリトは、しかし途中でこちらを振り向き「ニーケを誘惑したら許さないからな!」と一方的に嚙みついて庭に出た。
目の前では、子どもたちの遊ぶ楽しげな声が聞こえている。
それを聞きながらの時間は少し新鮮で、時折聞こえてくる二人の会話の可愛らしさに思わず笑ってしまったりもして。
「楽しそうですね、ゼリア様」
「まぁ、面白い事には違いないわね」
「素直じゃないですね」
微笑を含んだその声を、私は聞かなかった事にして止めていた手元の刺繍を再開する。
たとえばこういう日々の事を書いた日記を誰かに見られたなら、人によっては『成すべき事』の事なんて忘れてしまったのかと思うかもしれない。
しかし、実際にはそんな事はなく。
「それで、お願いした手紙は渡したかしら」
「はい。ご指定の通り、私の手ずからお渡ししました」
「そう。なら、とりあえずは返事待ちね」
言いながら、出来上がった刺繍糸を裏で玉止めし、挟みでパチンと針についていた糸と切り離す。
すると、ミリアンが「それにしても」と聞いてきた。
「よかったのですか? 私が言い出した事とはいえ、あんな如何にも金にがめつそうな男で」
「いいのよ。その分仕事能力は確かだという話だし。そこに自信はあるのでしょう?」
「まぁそれはそうですけど、私が調べたのはあくまでも情報調査能力についてのみです」
「私がそうするように指示をしたものね」
私としては、ミリアンの人選は間違っていなかったと思っている。
その証拠に、何人かの情報屋を対象に本依頼の前にテスト依頼をしたけれど、依頼を決めたその男の調査能力はかなり秀でていた。
それを示唆したにも関わらず、ミリアンの表情に不満げな苦さが混じったのが分かった。
「今回の依頼でゼリア様が重視したのが、隠密的な調査能力だという事は勿論理解しています。しかしそれにしても、最低限の礼儀はあって然るべき。どれだけ調査能力に長けていても、ゼリア様付きのメイドとしてあの男を重用するのはどうにも許容しがたいです」
「ミリアンって、結構私の事、好きよね」
「私はいつだってゼリア様への好意を隠していませんが」
「そういう事を真顔で即答できるところは、ミリアンの可愛くないところよ」
「何を言うんですか。世界一可愛い貴女のメイドですよ?」
「機嫌が直ったようで何よりだわ」
こうして真面目な顔で冗談が言える時は、大体機嫌がいい時だ。
もしくはこれをすると、機嫌がよくなる。
主人がメイドの機嫌を調整しなければならないなんて、普通なら逆でしょうに。
本当に世話の焼ける子ね。
でもまぁミリアンは、たった一人ここまで私に付いてきてくれたメイドだ。
そして叔父夫婦と共に住んでいたあの屋敷では、唯一本音を曝け出す事ができる存在だった。
それは、元々好き勝手にやっていたせいで社交界にそういう相手がいなかったからではあるので、半ば自業自得ではあるのだけど。
「私にとっての無二である事は、間違いないわね」
「何です?」
「何も」
呟いた言葉は、彼女に伝えるためのものではない。
自分で分かっていれば十分で、今のは言わなくてもいい事だ。
私に言う気がないと悟ったのか、ミリアンが「まったく、ゼリア様はいつも気分屋だから」などと言って軽いため息を吐いただけで特に追及もなく流した。
その評価は少し心外だけど、ミリアンだから許してあげる。
「まぁ、あの男については大丈夫よ。渡したお金も、私がこれまで密かに溜めてきたものだもの。あれを渡したからって、私の計画が旦那様にバレるような事はない」
近すぎて、行動すればバレるのは必至。
だから制裁に向けて表向きに動き出す事こそできなかった今までも、水面下では密かに動いていた。
その大半が、金策だ。
お陰でお金は、それなりにある。
同時に副産物として、幾つかの商店や飲食店との繋がりも得たけど、どれも私の名を大々的に出しての事ではない。
金策もそちらの縁についても、叔父夫婦には知られていない私の財産だ。
「顔すら見せないような夫です。腹いせに少しくらい贅沢をしてもいいと私は思いますが」