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第2章:悪魔嫌いの神父と、軋む廃教会

錆びついた鉄格子の門をくぐり、僕は廃教会の敷地内に足を踏み入れた。


背後からは、まだ二体の悪魔の悔しさに満ちたうめき声が聞こえる。彼らは、教会の敷地境界線から一歩も踏み出すことができない。その様子を見て、僕は初めて、体内のベリアルとは異なる、神聖な力というものの絶対的な境界線を理解した。


だが、安堵は一瞬でかき消された。


僕の体が、教会の冷たい空気に触れた途端、激しく軋み始めた。まるで、聖なる冷気と、僕の中にいるベリアルの禍々しい熱が、体内で凄まじい内戦を起こしているかのようだった。胃の腑のあたりが強く締め付けられ、頭痛とは違う、意識を貫かれるような鋭い痛みが僕を襲う。


「ちっ……」


脳内で、ベリアルの苛立ちが響いた。


「この忌々しい汚物どもめ。この教会は、私がかつて封じられた時に最も多くの祈りを捧げられた場所の一つだ。その不純な残滓が、未だに私の器を拒絶している」


ベリアルは僕を器と呼ぶ。僕は、彼の嫌悪感を、僕自身の痛みとして感じ取っていた。


教会の敷地内は、荒れ放題ではあったが、どこか厳粛な空気を保っていた。夜の闇にそびえる石造りの建物は、巨大な影となって僕を見下ろしている。壁には蔦が絡まり、窓のいくつかは割れて、闇を吸い込んだような虚ろな瞳に見えた。その中央に立つ高い塔の先端に掲げられた黒ずんだ十字架が、僕の救いの象徴であると同時に、僕の存在を許さない判決のように思えた。


「ベリアル。どうしたら、いいんだろう。ここに入ったら、僕、燃えたりしないかな……?」


「心配するな、宿主。お前の闇が、この程度の残滓に焼かれるほど浅いものか。お前は私を呼び寄せたほどの良質な器だ。それに、この教会の管理者が強力な神父であるならば、結界はもっと深く強固なものになっているはず。この表面的な冷気しか感じないということは、奴の信仰心は過去のもの、あるいはブランクがあるのだろう」


「ブランク」という言葉に、僕は一縷の希望を見出した。もし神父が完璧な力を持っていたら、そしてベリアルは出会った瞬間に排除されていただろう。


僕は意を決し、正面の巨大な木製の扉に近づいた。風雨に晒され続けた扉は黒く変色し、分厚い鉄の金具が錆びついている。叩いても、びくともしない。


「開かない……」


「フン。『歓迎』を期待していたのか? 愚鈍。だが、待て」


ベリアルの意識が、僕の体内のある一点に集中した。


「左側の壁に、秘密の入口がある。ここは、緊急時の避難路か、あるいは懺悔室の裏口か。私を封印した勢力が、儀式のために作った抜け道だ。そこから入れ」


僕はベリアルの存在に心底怯えていたが、この時ばかりは、その狡猾な知性に、感謝に似た感情を抱いた。


教会の分厚い石壁を伝って左側へ回り込むと、確かに蔦に隠された小さな木製の扉があった。施錠はされておらず、湿気で膨張した木材を押し開けると、ギィィィと長く、耳障りな軋む音を立てた。


その音は、まるで古い教会自身が、僕という異物の侵入を嘆いているかのように響いた。


扉の向こうは、完全な闇だった。微かに古い革の匂いと、石の冷気、そしてカビの臭いが鼻を突く。僕はスマホのライトをつけようとしたが、ここで光を灯せば、管理者がいる場合、すぐに居場所がバレてしまう。


僕は息を殺し、臆病な一歩を踏み出した。


そこは、狭い通路だった。壁は漆喰で、足元には埃と砂利が積もっている。通路を数メートル進むと、大きな空間に繋がっているのが分かった。おそらく、教会の本堂だ。


僕は壁に背中を押し当て、体温を下げて(ベリアルから教わった、悪魔の匂いを抑える方法だ)、ゆっくりと角を曲がった。


本堂は、想像を絶する広さだった。


中央に並ぶのは、年季の入った木製の椅子。天井は高く、割れたステンドグラスの隙間から差し込む月明かりが、床に虹色の欠片のように散らばっている。その光景は、荘厳でありながら、時間の流れに置き去りにされた虚無感が漂っていた。


僕は、目を凝らして周囲を見渡す。人影はない。静寂。ただ、古い教会の石造りの骨格が、僕の恐怖の鼓動に合わせて、低く軋んでいるように感じられた。


(誰もいない。大丈夫だ。このままどこかに隠れて、朝を待とう)


そう思った、次の瞬間だった。


本堂の奥、高い祭壇の前に、人影があった。


いや、ただの人影ではない。その人物は、祭壇の中央、本来は聖書や聖杯が置かれるはずの場所で、跪いていた。


男だ。背筋は真っ直ぐに伸び、姿勢は完璧で、一点の隙もない。その頭上には、月明かりが、あたかもスポットライトのように降り注いでいた。


僕は、息をすることさえ忘れた。


彼は、全身を黒いカソック(修道服)に包まれていたが、その立ち姿だけで、圧倒的な威圧感と洗練された美しさを感じさせた。彼の髪は艶のある黒で、首筋は長くしなやか。祈りのために垂れた顔は、影になっていて見えない。


僕の中にいるベリアルが、初めて明確な警戒を露わにした。


「……宿主。最悪だ。生きた結界が、ここにいるぞ」


ベリアルは、嘲笑を完全に消し去った、冷たい声で警告した。


その言葉を聞いた直後、男はゆっくりと顔を上げた。


月光を浴びたその顔は、冷たく整った彫刻のように美しかった。細い鼻筋、薄い唇。そして何より、鋭く、すべてを見通すような眼差しを持っていた。


彼の視線は、僕の存在、いや、僕の体内にあるベリアルを、一瞬で捉えた。


男の顔には、表情がなかった。しかし、その透き通るような瞳の奥底に、激しい嫌悪と、過去のトラウマからくる底知れない憎悪が、静かに燃えているのを、僕は確信した。


男は、静かに立ち上がった。その動作一つ一つに、淀みのない厳格さが感じられる。彼は、聖域に土足で踏み込んだ僕という異物に対し、非常に丁寧な口調で、しかし氷のように冷たい声を放った。


「こんばんは。こんな夜更けに、汚れた者が、何の御用でしょうか?」


男のその声は、僕の存在ではなく、僕の体内にいる悪魔に向けて発せられていた。


彼は、その美しく、しかし憎悪に満ちた視線を、僕の胸のあたり、ベリアルが宿る場所へと固定したまま、一切の感情を排した丁寧さで、僕に問いを突きつけたのだった。


「その不純な気配と共に、この主の家に、貴方は何を求めに来たのか、明確にお答えください」


僕は恐怖で全身を硬直させ、声さえ出せなかった。

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