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始まりの章:憑かれし者

図書館での調べ物をして以来、悠真の日常は、鉛色の空の下にいるかのように、じわりと色を失っていった。以前は気にも留めなかった些細な影や、風で揺れる木々のざわめきすらも、今は得体のしれない「不気味さ」を帯びて感じられる。特に、夜になるとその感覚は一層強まった。


「おい、凡人。相変わらずだぞ。お前の周囲を嗅ぎ回る悪魔の気配は」


ベッドに横たわる悠真の脳内に、ベリアルの声が響く。


「分かってるよ、ベリアル。なんだか、ずっと見られてる気がして…」


悠真は布団を頭まで引き上げ、身を縮めた。昼間は何もなくても、夜になると、まるで部屋の隅や窓の外から、冷たい視線が突き刺さるような錯覚に陥る。


「フン。それはお前の感受性が下等だからだ。その怯える顔も面白いがな。私のように高位の存在になれば、これしきの気配など塵芥同然。だが…今の私には感知できぬほど、その悪魔は注意深く動いているようだな。せいぜい用心することだな。凡人。」


ベリアルの言葉は、悠真の恐怖を煽るばかりだった。眠ろうとしても、まぶたの裏には、あの闇の中で蠢く「影」がちらつく。やがて、悪夢を見るようになった。


最初はただ漠然とした「追いかけられる夢」だった。しかし、次第に夢は鮮明になり、日常の風景が悪夢に侵食されていく。通学路の道が歪み、クラスメイトの顔が悪魔のように変形する。家の中にまで不気味な気配が忍び込み、眠りながらも呼吸が浅くなる。


「う、うぅ…」


悠真は、汗だくになって目を覚ます日が続いた。寝不足は深刻で、朝、鏡に映る自分の顔は、目の下に濃い隈を作り、怯えの表情が貼り付いていた。授業中も、ふとした瞬間にうとうとしてしまい、集中力が続かない。一樹と環も、そんな悠真の様子を心配そうに見つめていた。


「悠真くん、最近、なんか体調が悪いように見えるんだけど…大丈夫?」


ある日の昼休み、環がそう声をかけた。彼女の優しい声に、悠真はびくりと肩を震わせた。


「あ、ああ、うん…。ちょっと、寝つきが悪くて。大丈夫だよ」


悠真は曖昧に答える。彼らに心配をかけたくないという気持ちと、話しても信じてもらえないだろうという諦めが混じり合っていた。ベリアルが脳内で「フン、その顔は滑稽だな、凡人。下等な人間どもに同情されるなど、私も迷惑だ」と嘲笑する。


「本当に大丈夫か?なんか、目が泳いでるぞ。無理すんなよ。何かあったらいつでも言えよな」


一樹がそう言って、悠真の肩をポンと叩いた。その温かい手に、悠真は少しだけ救われる思いがした。この日常を守りたい。だからこそ、僕は動かなければならない。


だが、どうすればいいのか。図書館で調べた悪魔払いの伝承や、退魔の呪文は、現実離れしていて、今の悠真には全く実感が湧かない。頭では「何か行動しなければ」と思いつつも、何をどうすればこの不気味な状況を振り払えるのか、全く見当がつかなかった。


「フン、相変わらず無能だな、凡人。その醜い怯え方では、いずれ精神が崩壊するだろう。そうなれば、この私もただでは済まぬ。貴様が滅べば、私も共に消滅するのだぞ。ゆえに、この私が仕方なく貴様を導いてやるのだ。全く、我慢ならんがな」


ベリアルが苛立たしげに言う。彼の声には、いつもの高慢さに加え、わずかな焦燥感が混じっているように思えた。悠真の体調が悪化すれば、彼の「器」である自分も危険に晒される。ベリアルにとって、これは愉快な見世物では済まない事態になってきていた。


「うるさいよ、ベリアル。どうしたらいいか、僕には分からないんだ」


悠真は反論する。自分の命がかかっているのに、相変わらずの態度を取るベリアルに、わずかな苛立ちを覚えた。


「愚か者め。まずはお前を狙う悪魔の正体を掴むことだ。そして、その下等な輩を追い払う方法を考える。それが、今のお前にできる最善だろう。私の指示通りに動けば、無駄な苦痛は減るぞ」


ベリアルは、高慢な口調は変わらないものの、明確な指示を出した。それは彼自身の保身のためだが、悠真にとっては、まさに「藁にもすがる思い」だった。


その日の夕方。空は、燃えるようなオレンジ色から、深い紫へと変わっていく、まさに逢魔が時だった。校舎の影が長く伸び、街全体が曖昧な境界線に包まれるような、薄暮の時間。悠真は部活を終えた生徒たちのまばらな声を聞きながら、昇降口を出た。


その瞬間、肌を刺すような冷たい視線が、背後から突きつけられた。悪夢の中で何度も感じた、あの不気味な気配。悠真の全身の毛が逆立つ。


「そろそろ正念場だぞ。凡人」


ベリアルの声が、張り詰めた緊張感を含んで脳裏に響いた。


路地の奥から、影が揺らめいた。それは、黒い布を何重にも巻きつけたような、人とも動物ともつかない、歪な形をしていた。身長は悠真より少し低いくらいだが、その存在感は圧倒的で、周囲の光を吸い込むかのように闇を濃くしている。悪夢に見ていたあの顔が、そこにいた。爛々と輝く赤い目が、悠真を捕らえた。


悠真の心臓は激しく波打ち、体は震えが止まらない。足がすくみ、一歩も動けない。


「まさか、本当にこんなのがいるなんて…」


震える声で呟くと、ベリアルが苛立たしげに言った。


「愚かな!そうやって震えているがいい。貴様が食い殺されようと、私にとっては最高の見世物だ。…だが、それで終わりではつまらぬ。それに、今のままでは貴様が朽ちれば、この私まで道連れになるだろう。ゆえに、この私が仕方なく導いてやる。この醜い現実から目を背けるな、凡人!」


悪魔は、ゆっくりと、しかし確実に悠真へと歩み寄ってくる。そのたびに、足元から不気味な水音が聞こえるような錯覚に陥った。黒い塊のような悪魔の口元が、わずかに歪む。そこに、鋭い牙が覗いているように見えた。


「おい、凡人!私がお前に教えてやる。その愚かな恐怖を一時的にでも凌駕するための、唯一の方法を!」


ベリアルの声が脳内で鋭く響いた。

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