第4章:闇の制御と、転校生の不気味な微笑
翌日、教会での訓練とハニーとの遭遇による疲労と恐怖を抱えながら、僕は学校に登校した。
二時間目の授業が始まる直前、教室の雰囲気が張り詰めた。担任教師が、一人の男子生徒を伴って入ってきた。
「みんな、今日から転校してきた氷室 怜央君だ」
教壇に立ったその転校生は、現実感が薄れるほど整った美貌を持っていた。白い肌に、静謐な夜を閉じ込めたような深い色の瞳。彼の姿は、まるで精巧すぎる彫刻のようであり、人間的な熱を感じさせなかった。制服は完璧に着こなされ、その立ち姿には、生来の貴さと、周囲とは明確に一線を画す異質さが滲み出ている。
彼の冷たい眼差しが、教室全体を値踏みするようにゆっくりと巡る。その視線が僕に触れた瞬間、僕は思わず息を詰めた。
(な、なんだ、この人……?)
その美しさは、僕の臆病な心に不気味な違和感となって、強く訴えかけてきた。僕の体が、悪魔の気配とは違う、しかし極めて危険な波長を感じ取っていた。
僕の意識の中で、ベリアルが激しく警戒した。
「ッ……この冷たく、尊大な波長はなんだ。この人間、何かを知っている。不愉快だ。気分が悪い」
(ベリアル、この人も悪魔の眷属なのか?)
「違う。断言できる。奴は淫魔のように腐敗した悪意ではないし、下位悪魔のような衝動もない。だが、奴の魂の根源は、この世界のものとは異なる。何だ、この底知れぬ嫌悪感は……。私にも正体が掴めん。ただ、奴は私と同じく、非常に古く、高位の存在である可能性が高い」
ベリアルは、元序列一位の智を持ってしても、氷室怜央の正体を見抜けないことに、強い苛立ちを覚えているようだった。
氷室怜央は、優雅な仕草で一礼した後、教室の最も静かな席へと向かう。その途中で、彼は再び僕を見た。
僕の恐怖を、まるで楽しんでいるかのような、嘲りとも優越感とも取れる、薄い微笑を浮かべた。その微笑は、作り物のように美しく、そして底知れぬ不気味さを伴っていた。
氷室怜央が席に着いた瞬間、僕の周囲の空気の濃度が変わった。
それまでは、教会の聖なる結界とルカさんの指導のおかげで、学校では悪魔の気配はほとんど感じられなかったはずだ。しかし、今、教室全体に薄いベールのように、悪意と不信感が充満しているのを感じた。
(急に、悪魔の気配が濃くなった…気のせいか?まさか、転校生のせいなのか?)
僕は、不安に駆られ、獅堂神父に教わった通り、意識を心臓の奥に集中させた。心臓の鼓動だけを聞き、悪魔の波長を拒絶しようとする。
「フン。貴様の脆弱な感受性が、ノイズを拾っているだけだ。この不快な波長は、奴の策略がこの世界に浸透した証だろう。奴の力は、おそらく我ら堕天使のそれと同じく、支配のために使われている」
ベリアルは、氷室怜央に対する強い警戒心を露わにしていた。この元堕天使が、敵対する存在であることは、僕の臆病な直感が正確に捉えていた。
休み時間になっても、氷室怜央の周囲には誰も近づかない。彼から放たれる冷たい威圧感が、周囲の生徒を本能的に遠ざけているようだった。
泉田 陸だけが、空気の読めない実直さで、彼に話しかけようとした。
「よお!氷室、俺、泉田陸っていうんだ!よろしくな!」
陸は、屈託のない笑顔を向けるが、氷室怜央は一瞥しただけで、口を開くことなく、持っていた本に視線を戻した。その態度は、陸の光を、明確に拒絶するものだった。
陸は、一瞬戸惑ったが、すぐに「悪かった、またな!」と笑顔で戻ってきた。僕の心の拠り所である陸の光が、氷室怜央の影に傷つけられるのを、僕は怯えながら見ているしかなかった。
その日の放課後、教会に戻った僕は、獅堂神父に氷室怜央との遭遇を報告した。
「氷室 怜央……。ルカ神父の言う通り、智を追求する悪魔は、その根源が光に近いからこそ、より深い闇を持ちます。その転校生は、ハニーのような衝動的な存在よりも、遥かに危険かもしれませんね」
獅堂神父は、僕の言葉を真剣に聞き、警戒心を強めた。彼の悪魔嫌いの感情は、この美しき転校生の出現によって、最高潮に達しているようだった。
夕食後、訓練を終えたルカさんが、僕に言った。
「憂くん、ブラーヴォ(上手)。君は、氷室怜央というノイズの中でも、自分の波長を乱さなかった。グラツィエ(ありがとう)」
ルカさんは、僕の努力を認め、優しく微笑んだ。
「シドーは、転校生の正体を『高位の堕天使』だと決めつけている。だけど僕もそう思う。なぜ元堕天使が、君の学校に現れたのか。その目的が、ベリアルを解放することなのか、ベリアルを封印することなのか、それとも別の何かなのか……」
ルカさんは、いつになく真剣な表情で、古い地図のようなものを広げた。
「アヴェリータ(正直)、僕たちの知識だけでは、彼の策謀に対抗できないかもしれない。憂くん、明日は特別訓練だ。僕と一緒に、闇の知識を持つ第三者に会いに行くよ。その人物こそが、ベリアルの過去、そして転校生の狙いを解き明かす、鍵になるかもしれない」
ルカさんの言葉は、僕の臆病な心に、新たな試練を予感させた。闇の知識を持つ第三者。それは、神父ではない悪魔側の人間だということだろうか。
僕の戦いは、氷室怜央という策略家の登場により、新たな局面へと転調したのだ。




