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第3章:最強のチャラ男と、父性の眼差し

ルカは、僕が書物のページに恐る恐る目を落とすのを待って、静かに語り始めた。教会の埃っぽい空気と、ルカの放つかすかな石鹸の香りが混じり合い、この場が現実から切り離された空間であることを示していた。


「悪魔の真の名前、それを知ることは、『存在の法則』を知ることなんだ。ベリアルはね、七大罪の悪魔よりも遥か以前から存在した**『古の智の天使』だよ。彼の本当の名は、『神の右翼に侍った光の知性』に由来する。彼は、『世界の真実』と『知識の本質』**を司る、最も高位の存在だった」


ルカの声は、いつものチャラついたトーンではなく、まるで歴史の深淵を覗き込んでいるような、重厚な響きを持っていた。彼の金色の瞳が、知識の重さに耐えているかのように、微かに揺らめく。


「堕天した今も、その『智』の力は健在だ。だからこそ彼は、『光を恐れ、闇に引きこもる』君を選んだ。彼は、君の無知を餌にするつもりだ。智は力だとベリアルは言ったね。そして、彼はその智を支配の道具にする。彼が最初に君の『孤独』と『絶望』に語りかけたのは、君の魂を知識の毒で腐敗させるためなんだ」


僕が書物に描かれた紋様に集中しようとした瞬間、ベリアルの意識が、僕の脳内で激しい拒絶の波長を上げた。


「やめろ、宿主。その腐った教えを頭に入れるな!私の威厳を、人間風情の記号で縛るなど、断じて許さん!」


ベリアルの抵抗は、さっき獅堂に短剣を突きつけられた時よりも激しかった。喉の奥が張り裂けそうで、僕は思わず古びた床に手を突いた。教会の冷たい石床が、僕の手にじっとりとした湿気を含ませる。


「ヴォーレ・コシ(そうこなくっちゃ)、ベリアル!」


ルカは、僕の苦しみを意に介さず、勝利を確信したように笑った。


「君の激しい拒絶は、憂くんが正しい道を進んでいる証拠だ。ベリアル、君の智が、今や君自身の弱点になっている。残念だったね」


ルカは、僕に優しく水を飲ませた後、「今日の『智の訓練』はここまで。残りは休憩だ。リポジオーネ(休みなさい)、憂くん」と言って、書物を閉じた。


僕は、ルカが用意してくれた、事務室の簡易ベッドに身を横たえた。疲労と、魂を揺さぶられるような感覚で、すぐにでも眠ってしまいそうだった。教会の窓から差し込む夕焼けの光が、埃っぽい空気の中でオレンジ色に輝いていた。


閉ざされた扉の向こうの慟哭

夕食は、ルカが簡単に作ってくれたトマトとチーズのパスタだった。酸味と塩気が効いた温かい料理が、僕の張り詰めた神経をわずかに緩めてくれる。食後、ルカは「シドーと少し話しがあるから、先に休んでて」と、僕に言い残した。


午後九時。教会の外は完全に闇に包まれ、古びた教会の木材が、風に軋む音だけが響いている。僕はベッドの上で、さっきの獅堂の冷たい眼差しと、ルカの暖かい笑顔を交互に思い浮かべていた。


喉が渇き、水を飲みに部屋を出た僕は、廊下の奥、礼拝堂へと続く閉ざされた扉の前で、立ち止まった。扉の隙間から、ルカと獅堂の声が漏れ聞こえてきたのだ。


「シドー、トローッポ・デュロ(厳しすぎる)。君の気持ちは痛いほど分かるけど、憂くんはあの子とは違う存在だよ。彼の恐怖を煽るのは、もうやめてあげてくれないか」


ルカのイタリア語混じりの声は、いつものチャラついた調子ではなく、深く、心の底からの優しさを帯びていた。


「分かってます。ですが、悪魔を宿した人間を、温情で扱うことは、彼の破滅を招きます。私は、彼を過去の犠牲者と同じ運命に晒すわけにはいかないのです」


獅堂の声は、やはり丁寧だったが、その奥に制御しきれない苛立ちと、深い疲労の色が混ざっているのが分かった。廊下の空気まで、彼の感情の重さに押し潰されそうに感じる。


「だからこそ、君自身の闇をぶつけるのはよしてくれ。君の憎悪は、悪魔を祓う力になる。それは事実だ。でも、その力は、憂くんを救うためだけに使ってくれないか?君が自分を追い詰める姿を見るのは、僕にとってもドゥーロ(辛い)んだ」


ルカの声には、懇願に近い響きがあった。それは、親友の苦しみを目の当たりにした者の、どうしようもない切実さだった。


次の瞬間、ルカの声が途切れ、扉の向こうから息を呑むような音が聞こえた。それは、獅堂が何かを抑え込もうとしているような、苦しげな吐息だった。


「ッ……う……!くそ……なぜ、私だけが……」


僕は、思わず息を殺した。獅堂が、声にならない慟哭を漏らしている。その微かな呻きは、彼が過去の悪夢に今まさに押し潰されていることを示していた。いつもの冷徹で完璧な彼はどこにもなく、まるで、鋼の鎧の下の生身の傷が露呈したかのようだった。彼の冷たい厳しさが、すべて過去の苦しみを覆い隠すための防護壁だったのだと、僕は震えながら理解した。


ルカは、きっと彼の傍に寄り添っているのだろう。扉の向こうからは、二人の神父が深く息をする音以外、何も聞こえなくなった。僕は、これ以上見てはいけない気がして、静かにその場を離れた。足音を立てないように、まるで教会の古い亡霊のように、事務室へと戻った。


水を飲んでベッドに戻って間もなく、静かに事務室の扉が開いた。ルカだった。彼の顔には、微かな疲労と、深い憂いが浮かんでいた。その瞳には、夜の闇とは違う、人間の心の闇を見た後のような、静かな影が落ちていた。


「憂くん、起きてたの?ごめんね、起こしちゃったかな」


「いえ、大丈夫です。あの……獅堂神父と、何かあったんですか?」


僕は、知っていることを知らぬふりをして尋ねた。


ルカは、僕の正直な目を見て、深い息を吐いた後、静かに僕のベッドの傍に腰を下ろした。


「ヴェーロ(本当)は、君には話すべきじゃないかもしれない。でも、君は彼と一緒に戦うんだ。知っておいてほしいことがある」


ルカは、目を閉じて、言葉を選んだ。


「シドーはね、悪魔を、誰よりも深く、憎んでいる。それは、彼が神父になるずっと前の、彼の心臓を抉った出来事が原因なんだ」


ルカは、静かに語り出した。廊下で聞いた獅堂の呻きが、僕の脳裏に生々しく蘇る。


「シドーには、最愛の妹がいたんだ。彼女は、ある悪魔に取り憑かれた。シドーは、彼女を救うために、必死に悪魔祓いの知識を学び、全てを捧げた。でも、間に合わなかった。悪魔は、妹の魂を完全に喰らい尽くし、彼女の肉体だけを残していった」


ルカの声は、震えていた。教会の闇の中で聞くその話は、僕の全身を冷たい戦慄で包んだ。


「彼は、その時、力も、知識も、そして彼の愛も、全てが無力だったことを知った。だから彼は、悪魔を宿した君に、厳しく接することで、同じ過ちを繰り返すまいとしているんだ。彼の憎悪は、悪魔に向けられている。でも、その憎悪の裏側は、**『もう誰も、悪魔に奪わせない』**という、鋼のような強い決意なんだ」


ルカは、僕の頭にそっと手を置いた。その手つきは、まるで壊れやすいガラス細工を扱うようで、僕が抱えるベリアルの核そのものに対する、彼の慈悲深さを感じた。


「シドーの指導は、冷たい。でもね、それは彼なりの『愛』なんだ。彼は、君を救えなかった妹の姿と重ねている。だから、君を悪魔の餌食にさせないために、必死なんだよ」


ルカは、僕の目を見て、静かに微笑んだ。その優しさは、僕をチャラい言葉でからかう時とは全く違う、静かで深い水面のような安堵感を与えてくれた。


「彼は、君を守るべき存在として見ている。その不器用な厳しさこそが、シドーなりのやさしさなんだ。君は、その憎悪と愛を受け止めて、立ち向かっていかなければならない」

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