表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/22

第3章:最強のチャラ男と、父性の眼差し

「座っていてはいけません、憂くん。ルカ神父の理論は重要ですが、実地訓練は即座に開始します。ついてきてください」


獅堂は、僕の返事を待たずに、本堂の奥、祭壇の横にある暗い扉へと向かった。


僕は急いで彼の後を追った。扉の先は、石造りの細い廊下で、湿った空気が漂っている。突き当たりの部屋は、倉庫のようだった。古びた聖具や、カビの生えた布が積まれている。


「ここで何を…?」


僕が戸惑っていると、獅堂は倉庫の壁に描かれた、消えかかった巨大な十字架を指さした。


「あなたの訓練は、まず『波長の感受』から始めます。悪魔は、常に憎悪と恐怖の波長を放っています。それは、悪意として、我々悪魔祓い師には痛みとして伝わるものです」


獅堂は、そう言うと、持っていた小さな金属製の短剣(それが、彼が磨いていた聖具だと気づいた)を、何の躊躇もなく僕の左腕に突きつけた。


「っ!」


皮膚を裂くほどの深さではないが、その鋭い痛みに、僕は思わず声を上げ、腕を押さえた。


「何をするんですか!」


「悪魔の憎悪を、感じなさい」


獅堂の目は、冷徹そのものだった。


「その痛みは、肉体の痛みではありません。私が今、短剣に込めた『聖なる波長』と、貴方の中のベリアルの『波長』が、衝突した痛みです。悪魔の存在を肉体ではなく、魂で認識することを覚える必要があります」


その時、僕の頭の中で、ベリアルが絶叫に近い声を上げた。


「馬鹿な神父め!この程度の挑発で、私に意識を集中させようとするとは!宿主、屈するな!」


ベリアルの怒りが、僕の精神を支配しそうになったが、僕はルカに教えられた通り、自分の心臓の音に集中しようと試みた。しかし、恐怖と痛みで、心臓は激しく波打っている。


「どうなさいましたか、憂くん。悪魔の波長に、あなたの意志が負けています」


獅堂は、表情一つ変えずに、さらに短剣の切っ先を深く押し込んだ。


「貴様…!この小僧を肉体的な苦痛で追い詰めるつもりか!」ベリアルが怒鳴る。


「肉体的な苦痛ではありません。これは『警告』です。憂くん、悪魔の波長を感じた時、それを『悪』として認識し、拒絶する意志を示すのです。それが、あなたと悪魔を分かつ、唯一の境界線になります」


獅堂の指導は、まさに氷のような厳しさだった。しかし、その厳しさの奥には、僕が悪魔に屈することを何よりも恐れているという、強い使命感が見え隠れしていた。彼は、僕の逃げの道を、全て断ち切ろうとしているのだ。



「ストップ」


獅堂は、五分ほど僕をその状態に置き続けた後、唐突に短剣を引いた。僕の腕には、赤い線が残り、そこからじんじんと熱が発せられている。


「今日の『感受』訓練は終了です。貴方は、悪魔に意識を乗っ取られることなく、痛みに耐えることができました。その事実は評価します」


獅堂は、そう言い残すと、僕の返事を待たず、倉庫の奥で何かの聖具の整理を始めた。まるで、僕の苦痛など、彼の職務の一部に過ぎないと言わんばかりだ。


僕は、痛む腕を抑え、ふらつきながら倉庫から出た。冷たい廊下で、ルカが心配そうに立っているのを見つけた。


「シドーは、やっぱり手加減を知らないな。大丈夫かい、憂くん?」


ルカは、駆け寄って僕の腕を覗き込むと、イタリア語で何かを短く呟き、ポケットから出した小さな銀のロザリオで、僕の傷口を軽く撫でた。すると、皮膚の熱さが嘘のように引き、痛みが引いていった。


「ありがとう、ルカさん…」


「ノン・チンクエッターレ(気にしないで)。僕は癒し担当だからさ。さて、ミオ・フィオーレ(僕の小さな花)、シドーのスパルタが終わったなら、次は僕の楽しいレッスンの時間だよ」


ルカは、僕の腕からそっと手を離し、僕のリュックを背負ってくれた。彼の体からは、古い香木の匂いとは違う、清潔で柔らかな石鹸のような香りがした。


「シドーの言うことは正しいんだ。恐怖を克服するには心構えが必要。でもね、心構えは、知識に裏打ちされていないとただの虚勢になる。わかるだろ?」


ルカは、僕を本堂の隅に連れて行き、改めて床に座らせた。彼は、持っていた分厚い書物を膝に置いた。羊皮紙の古びた匂いが、近くで見ると一層強く鼻をついた。


「ベリアルが言った言葉、覚えている?『智は力だ。智を重んじぬものに未来などない』って。あの古き悪魔の言葉は、全くもって真実だよ」


ルカの表情は、いつになく真剣だった。金色の髪に当たる午後の光が、彼の横顔を鋭く照らしている。チャラチャラした調子は影を潜め、一人の知的な学者の顔になっている。


「悪魔ってのはね、君が理解できないものを一番恐れるんじゃないんだ。悪魔が一番恐れるのは、自分たちを縛る『法則』と『名前』を、人間が正確に把握することなんだよ。彼らにとって、知識は彼らの力の源であると同時に、彼らを封印する呪文でもある。この本に書かれた法則を知ることは、君にとって最強の鎧になる。覚えといて」


ルカは、顔に笑みを戻すと親しみを込めた瞳で言った。


「さあ、憂くん。インパラ(学ぼう)。この最強の鎧を、僕と一緒に着こなしてみよう。まずは、この『ベリアル』という悪魔の、真の名前と、彼が司る法則から教えてあげるよ」


僕は、ルカが指さした書物のページに、恐る恐る目を落とした。複雑な図形が刻まれた文字は、ただの記号ではなく、僕の命運と悪魔の存在を支配する、世界の根源的な法則そのもののように感じられた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ