1.ボディのある世界
「いらっしゃいませ。本日はどうされましたか?」
「日ごろからお酒を飲んでてね、ちょっと肝臓が悪くなっちゃったからメンテナンスをしてくれないかしら」
「肝臓ですか…、状態確認は既に実施済みですか?」
「実施済みよ。確認の結果で修理が必要って表示されたから来たのよ」
「今までに肝臓の修理は行ったことありますか?」
「ずっと同じ肝臓を使っているわ」
「なるほど、それではまず受診票の入力をお願いします」
僕が手のひらに乗るサイズの携帯端末を取り出しボタンを押すと、女性の目の前の空間に受診票の画面が表示される。表示された画面に対し女性は必要事項を入力していく。
「入力終わったわ」
「それでは今回は肝臓の交換でよろしいでしょうか」
「うん、もう思い切って交換しちゃおうと思って」
「そうですか、それでは肝臓を取り出しますのでメンテナンス室に移動しましょうか」
先ほどまでいた相談室から出て女性をメンテナンス室へ連れていく。
メンテナンス室のベッドに女性を寝かせ、肝臓の交換作業へと移る。
「それでは痛覚をオフにさせていただきます」
遠隔操作により女性の痛覚をオフにし、ボディの肝臓あたりを切り開き肝臓を取り出す。取り出した肝臓の色は黒ずんでいた。先ほど確認した受診票では女性の年齢は五十二歳と書かれていたため、お酒を日ごろから飲んでいるのであれば年齢的に交換する時期としてはちょうどいいだろう…
女性に合うタイプの新しい肝臓を取り出しボディへ入れる。
「肝臓の交換が終わりました。交換した肝臓はこちらで処分させていただきます」
そう声をかけると女性はベッドから起き上がった後、こちらにお礼を言い部屋から出て行った。
仕事道具の片付けのために僕も部屋を一旦出ることにした。
「今日の仕事はこれで終わりか? 確かお前はこの後彼女と食事に行く予定があったよな。名前はなんだっけな…」
先に仕事を終えていた父から声をかけられる。
時計を見ると時刻は十八時になっていた。
「きいだよ、舞浜きい。そうか、もうこんな時間か…、じゃあ食事に行ってくるよ」
「わかった。行ってらっしゃい」
「行ってきます」
仕事が終わったので、僕が交際している彼女、”舞浜きい”とお寿司屋さんで待ち合わせているので、向かうことにした。
お寿司屋さんへ向かうため、空中移動用の翼を背中に装着する。
外へ出て助走をつけた後、空を飛ぶ。
五分ほど飛行を続けると、目的のお店へ到着した。
僕が到着した後、1分も経たないうちに彼女も空から降りてきた。
「仕事お疲れ様、ありがとう。仕事終わった後来てくれて」
「仕事で特にイレギュラーなことも起きなかったから全然大丈夫だよ。とりあえず店の中入ろうか」
店内に入り事前に予約していた席へ座る。
「今日はお酒飲む?」
「少しだけ飲もうかな」
「今日終わり頃に来たお客さんが肝臓の交換に来たんだけど、ずっとお酒飲んでたらしんだ。僕は全然お酒飲まないからなんでそんなに飲むのかよくわかんないんだよね」
「私はお酒好きだよ」
「多分、僕の脳はお酒を美味しいと思えないんだろうね。僕はお酒を飲まないから肝臓の交換をすることはないだろうな。旧時代ではお酒好きの人はボディじゃないから、交換できない肝臓で飲んでたって考えるとかなりリスクがあるよなぁ」
「お酒は美味しいけど、私は飲みすぎて気持ち悪くなるほど飲みたいとは思わないな。昔の人は替えが利かない身体でたくさんお酒を飲むなんてすごい無茶な楽しみ方をしていたものよね」
「もう百年以上前のことだから今の僕たちとは感覚が全然違うんだろうね」
僕たちは過去の歴史をチップで学んでいる。
チップの情報は、ある一定以上昔のことに関しては文字だけで保存されており、映像としてチップに保存ができるようになってからは映像を脳に取り込むことで学習している。
今では考えられないが、過去の人類は身体を生まれたままの状態でずっと使用し続けていたというのだ。
“ボディ”と呼ばれる人工的な身体が生み出され、多くの人が生身の身体からボディへと移っていった。
現代ではボディがまだ存在していなかった時代を”旧時代”と呼んでいる。
「お寿司来たね」
僕たちの席へ提供用のロボットがやってきた。
事前に注文していたお寿司のおまかせセットをロボットが運んできたので受け取るとロボットはまた調理室へと帰っていった。
運ばれてきたセットは以下のようになっている。
前菜:ほうれん草のおひたし
握り寿司:マグロ(赤身)・中トロ・ハマチ・サーモン・エビ・イカ・アジ・ホタテ・ウニ・いくら
汁物:味噌汁
デザート:フルーツの盛り合わせ(メロン・桃・オレンジ)
「私、やっぱりマグロが一番好き。何回食べてもまた食べたくなるのよね」
「僕はサーモンが好きだな。油の乗ったサーモンはやっぱり美味しいと感じるよ。まぁお寿司はどれも美味しいけどね」
「うん、お寿司おいしいよね」
ボディを使用している僕たちは基本的に”生命ドリンク”と呼ばれる飲料を一日に一リットル飲めば問題なく活動ができる。
“生命ドリンク”だけで済ませる人間もいるが、栄養とは別に味覚での満足度を上げるために様々な料理を口にしたい者も少なからずいる。
過去から引き継いできた遺伝子が食に快楽を求めているからなのだろうか。
または”生命ドリンク”だけでは刺激として満足できず、味覚に変化を付けて単調さを無くしたいからなのかもしれない。
僕は握り寿司を食べ終わり、デザートに手をかけ始めた。
「このメロンも甘くて美味しい」
「食べるの早いね。私はまだお寿司が四貫残ってる」
「食べるペースは人それぞれだからね。自分のペースで食べなよ」
食事はあくまで一緒に楽しむためのものだ。変に気を使ってほしくはない。
「─そういえばきいは今日何してたの?」
「ん? 私は家でサッカー見てたよ」
「そうなんだ。それじゃあ明日ちょうどお互い休みだし、サッカーの試合見に行かない?」
「チケットは取れるの?」
「ちょっと待って、今確認してみる」
電脳世界に入るためにグローブとゴーグルを装着する。電脳世界と呼ばれる空間ではエリアが細かく設定されており、第二の世界として多くの人々が生活をしている。
現実世界より電脳世界に滞在する時間の方が長い人も少なくはない。
中にはグローブとゴーグルを必要とせずに電脳世界に入れるボディも開発されている。しかし、コストの観点からあまり普及はしていない。そのため、グローブとゴーグルは必須アイテムとなっている。毎回装着する手間を省いて付けたままの人も多い。
ただ現実世界と電脳世界の区別をつけるため、僕はグローブとゴーグルを必要な時以外は外すようにしている。
ゴーグルを装着して見える世界は一面が青い世界だ。これは僕が自分のエリアを青い背景に設定しているためだ。
電脳世界では一人一人にエリアという住所のようなものが割り振られている。
電脳世界はワールドと呼ばれる区画ごとに分けられている。自分のエリアはあらかじめ自動で割り振られるが、エリア移動を希望すれば条件が合い次第移動することができる。また、基本的に他のワールドへの移動は自由にできるようになっている。
右手の人差し指を下に振るとメニュー画面が目の前に表示される。メニュー画面から”検索”の項目を選択しボタンを押していく。
きいから見に行きたい試合を確認し、目的のチケットが入手できるかを検索して調べる。
「どうやらチケットはまだ売り切れてないようだ。じゃあ購入するね」
「ありがとう」
「せっかく”優先ポイント”稼いでるんだから使っていかないとね」
現在、この国で仕事をしている人間は三割ほどだ。
人工知能を搭載したシステムで整備されたこの世界では人間が全員働く必要はない。
そのため、主にエンターテイメントに関わっている者や僕のような”国家指定職業”と呼ばれる職業についている者くらいしか仕事をしていない。
仕事をしていることで受けられる恩恵は旧時代と違い金銭ではない。仕事の対価は”優先ポイント”(単にポイントと呼ばれることが多い)の付与となっている。
“優先ポイント”の利用方法としては今回のサッカーの試合チケットの購入など用途は様々である。
ただ、優先ポイントを保有していない者も基本的な生活は保障されているため、無理に仕事をする必要がないと考えるものも多い。電脳世界の利用は基本的にポイントを必要としないため、電脳世界に常にいるような人はポイントに興味がないのかもしれない。
中には短期の仕事をして優先ポイントを得る人もいるが。
「サッカーの試合は夜からだから、昼は”人体博覧会”に行こうと思うんだけど一緒に行かない?」
「人体博覧会って仕事関係?」
「そう、生身の身体をいろいろ見てボディの改良に役立てようと思ってね。まぁ定期的に行ったりしてるんだけど。きいも一緒にどうかな?」
「私は一回も行ったことないからちょっと気になるかも」
「じゃあ、博覧会に行った後サッカーの試合を見に行こう」
「わかった」
食事を終えしばらく世間話をした後、店を出てきいと別れた。
飛行して帰宅をすると、リビングでは両親がゴーグルを装着しながら談笑をしていた。
「ただいま」
「おかえり。お寿司屋さんはどうだった?」
母はこちらに気づき、僕に返事をする。
「美味しかったよ。母さんたちもたまにはお寿司とか行ったらどう?」
「そうね、今度お父さんと一緒にお寿司食べようかな」
「その時は今日行った店の情報を教えるよ」
「ありがと。そういえば、きいさんとは付き合ってどれくらいになるんだっけ?」
「もう五年になるかな」
「結婚とかは考えてるの?」
「三十歳になってまだ交際が続いてたら結婚しようと思ってるよ」
僕の年齢は二十五歳だ。
結婚をする平均的な年齢は二十六歳らしい。結婚する理由としては子供が欲しいというものが一番多い。
僕は今すぐに子供が欲しいとは考えていないため、急いで結婚をする必要はないと思っている。
「明日はきいと外に出かけてくるよ」
「わかったわ。お母さんはお父さんと北海道に旅行に行ってくるわ」
「ああ…、帰りにお土産買ってきてやる」
「楽しみにしてる」
両親はまたゴーグルを装着し直し電脳世界へ戻っていったので、僕は自分の部屋へ行き明日に備えて早めに寝ることにした。