あたしと初邂逅
「ここが今日からあたしの家……」
ごろごろとアスファルトの歩道の上を転がして一緒に来たスーツケースを止めて、あたしはそれを見上げた。
太陽に黒光りする瓦屋根、漆喰の白い壁、木の塀の向こうには立派な松なんかが植わっているのが見えた。木でできた門構えも重厚な日本家屋。築二年とは思えないくらいにどっしりとした何かがあった。
重そうだった門は不思議と軽く開いて、中に入る。
門の向こうは石畳になっていて、スーツケースが時折引っかかるのを持ち上げることでやり過ごしながら。あたしはため息をついた。
「まさか本当に追い出されるとは」
いや、家も用意してもらってお金も高校生では使い切れないくらいの額を生活費として振り込んでもらうわけだけれど。
ただ、今まで住んでいた家を追い出されただけなのだが、納得いかないのは確かだった。仕方はないし、許せはする。あたしの存在ってこんなもんだったんだ、とも思うけど。
これがあたしが悪いことをして、とかだったら納得もいく。むしろここまでしてくれている両親に感謝の念は絶えなかっただろう。だけど違う。実際はあたしは何にもしていない。
なのにせっかく一ヶ月通った高校を転校までさせられて。縁もゆかりもないこの錦絵町に足を踏み入れることとあいなったのだ。
「長男が、そんなに偉いわけ?」
先日生まれたばかりの弟を思い出して不満が口を出る。「長男以外の子どもは十六歳で家を出る」古い、もうほとんど寂れかけたしきたり。今までは無視していたくせに、長男が生まれた途端騒ぎだして。
どこか高圧的に言い放った分家筋の男に、本家である両親はあたしに申し訳なさそうにしながらも従った。その理由はわかっているけど、腹が立つのは仕方ないことだと思う。
そうしてあたしは、スーツケース一つで生家を追い出されたのだった。
「それにしても、大きな家……」
一人で住みきれるかな、と玄関の引き戸を開けて中に踏み込んだ先。目に入ってきたのは予想外の光景だった。
玄関は良い。なにも飾られていないが真新しい感じがして普通だ。問題は框。アイボリーの玄関マットの上に座している人物だった。
白い髪、白い肌、白い着物、そう。なぜか三つ指ついて出迎えてくれた青年。
これがあたしと座敷童さんの出会いだった。
ふとその青年は頭を上げると、その美麗な顔があらわになる。細めた桃色の瞳は愉快そうというより、好奇心に輝いていた。
「ど、どなたでしょう?」
「あんたがこの家に新しく住むものかい? 俺は座敷童だ」
「は?」
「いや、だから座敷童なんだ。この家に住むのなら君か。よろしく頼む」
「いえいえいえいえ。何言ってるんですか? 本当にどなたでしょうか!?」
間抜けにも口を開けっぱなしにしていたあたしだったが、もう一度「よろしく」と頭を下げられて意味が分からなくてあわてた。
あわてているあたしを顔を上げた自称座敷童さんは優しい笑みで見つめるだけで、答えはまったく返してくれそうにない。
答えが返ってこないなら仕方ないので、肩にかけていたバッグから端末を取り出して、座敷童さん(仮)に背を向けアドレス帳を開く。かける先は決まっている。
この家を建て、あたしを送り込んだ父だ。数度のコールで父が出た。
「どうした」
「すみません、お父さま。座敷童と名乗る方が……」
「ああ、その家にとり憑いているんだ。仲良くしてくれ」
「え……彼、ここに住んでいるんですか?」
「ああそうだが。まぁ我が一族の繁栄のためと思ってくれ」
「それってどういう」
「それ「あらさっきぶりね! どう、座敷童君、イケメンでしょ!?」
「お母さま」
「それにあなた、いい加減男嫌い治さなきゃだめよ。そういうわけで、よろしくねー」
「どう」
いうことなんですか、言い終えることもできず音がして、つーつーと鳴る端末は無残にも父との通話が切れたことを示していた。どういうことだ。
おそるおそる座敷童さんを振り向けば、まだ楽しそうに笑みを浮かべていた。だが視線は興味深そうに端末に向かっている。端末を少し持ち上げると一緒に上がる目線がちょっと小動物みたい……いや、我に返れあたし。さっとバッグにしまえば残念そうに眉を垂らした。
あたしは男嫌いだ。正直言ってバスの座席が隣になるのも嫌なくらいである。そんなあたしでも許容出来てしまうくらい男というものを感じさせない彼に、軽く愛想笑いを返す。と、まるで餌をもらった子犬のように顔を輝かせた。…可愛いかもしれない。
「ざ、座敷童さん?」
「! なんだい、君!」
「えっと、あたし、今日からここに住み始めます。不束者ですがよろしくお願いいたします。先輩」
「せ、先輩!?」
「あなたの方があたしより早くここに住んでいるでしょう?」
「なるほど。こちらこそよろしく頼むぞ、後輩!」
男の人と握手するなんて小学校のフォークダンス以来で。こわごわゆっくりと手を差し出せば温かい、筋張った男の手でぎゅっと握られる。
一瞬叫び声を上げそうになったが、労わるように、繊細なものを握るように手を扱われて、なんだか申し訳なくなる。
だから意を決してぎゅむっと力を籠めれば、座敷童さんは嬉しそうに破顔した。その顔で、先程まで座敷童さんが浮かべていた「柔らかい笑顔」が固いものだと知った。座敷童さんも緊張してたんだ。そう思ったら肩から力が抜けた。
「君みたいな良い子でよかった」
「そう……ですか?」
「あぁ。前来た不心得者は早々に追い出しちまったぜ」
「あらまあ」
あたし以外にもここに住もうとした人がいたのかと目を丸くすれば、座敷童さんがまぁなと言って快活に笑った。
「ま、こんなところで話もなんだ。君の部屋に案内しよう」
「あ、スーツケース」
「はは、これは俺が預かったぜ」
お茶目にもウインク(をしようとして両目をつぶってしまっている)をして、スーツケースを横に向け軽く持ち上げながら、座敷童さんは階段を昇って行ってしまった。
あたしの部屋は二階らしい。あわてて靴を脱いでそれを追いかける。と、座敷童さんは階段を昇ってすぐの扉のところで待っていた。
「ここが君の部屋だ」
「ありがとうございます」
がちゃりと扉を開けると、十畳はありそうなそこはフローリングで、中にはパイプベッドとアルミの本棚とシステムデスクがあるだけだった。
部屋の中に入りながら、なるほどとあたしは頷いた。あの大きい額のお金は家具も自分で揃えなさいということかと納得したからだ。そんなあたしの横から部屋の中を見た座敷童さんが、嫌そうに顔をしかめ呟いた。
「これが女子の部屋か。まるで鳥かごみたいだぜ」
確かに殆どがパイプと銀色だけれども。今からあたしはその鳥かごみたいな部屋に住むんですけどね。思わず口をつきそうになった言葉は何とか口の中で噛み砕いたものの顔に出ていたらしい。
あたしの横を通り部屋の中央にスーツケースを置いた座敷童さんがあわてた様に胸の前で手を振る。俺はやってないのポーズだ。やってはなくても言ったでしょうが、生ぬるい笑みがあたしの顔に浮かぶのがわかる。
「う……あ……その」
「いいんですよ、気にしてませんし」
「で、でも」
「それに」
パイプベッドにシステムデスク。殺風景なパイプと銀で構成されたあたしの部屋。
これが鳥かごに似ているというのなら。
「あなたはあたしの鳥かごを飾ってくれる、可愛い小鳥さんといったところでしょうか」
ねぇ? 若干の意趣返しも込めてにっこりと笑みで言葉を放てば、座敷童さんは言葉の意味を理解出来なかったのか数度瞬きしたかと思うと首から一気に耳まで真っ赤になり。
意地の悪い笑みが浮かぶ口を隠して、それを見守っていれば、真っ赤になった顔を隠そうと着物の袖で顔を覆う座敷童さん。
「あ……う」
「座敷童さん?」
「うううううう!」
ものすごい勢いで荷物は置いて開いたままの扉に突進して、にげるように階段を降りていく音がした。
「からかいすぎちゃったかな?」
あたしの言葉は無機質な部屋に溶けていった。
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