第十章 〜美味い料理と酒瓶と〜 4
足場は予想以上に悪かった。雪は深く、踏み込むたびに足が取られる。乾いた雪が舞い上がり、靴の中へと忍び込んでくる。
「雪が深くて、足を取られるわね」
リヴィアが周囲を見渡しながら呟く。彼女の足取りは慎重だが、既に疲労の色が見え隠れしている。
「慎重に進もう。無駄な体力を使うのも避けたいし」
ミレイは槍を片手にしながら、歩幅を調整して雪に慣れるようにしていた。身体はもう温まっているが、この環境では油断すればすぐに消耗しそうだ。
「おー、寒い寒い……ん、酒飲むか?」
バルドがすでに飲んでいる酒瓶を軽く掲げながら、飄々とした口調で言った。
「……今、移動中なんだけど」
リヴィアが呆れたように言うが、バルドは気にした様子もない。
「大丈夫大丈夫、酔ってた方が寒さは気にならねぇ」
「それ、本当に大丈夫なの……?」
ミレイが疑問を口にするが、バルドはただニヤリと笑い、酒を喉に流し込んだ。
その時だった。
ふいに、強い風が吹き抜けた。
乾いた雪が宙を舞い、視界が一瞬白く閉ざされる。
そして——
「……止まって」
ミレイの声が低く響く。
リヴィアもすぐに気づいた。
「分かってる……何かいるわね」
吹雪の向こう、木々の影の間に、冷たい光が見えた。
──ガルルルル……
低いうなり声が、静寂を切り裂くように響く。
やがて、雪の中から姿を現したのは、全身が白い毛に覆われた巨大な狼のような魔獣だった。その目は獰猛に光り、鋭い牙がむき出しになっている。
だが、それだけではない。
その背後には、さらに「複数の影」が揺らめいていた。
「群れ……厄介ね」
リヴィアが静かに剣の柄に手をかける。
ミレイは槍を構えながら、敵の数を素早く把握する。
「どうする? 数が多いと面倒だよ」
「むやみに突っ込むのは得策じゃないわ」
リヴィアが低く答え、地形と敵の配置を確認する。吹雪が激しいこの状況では、無闇に動けば足を取られ、囲まれる危険が高い。
「ま、様子見ながらでいいんじゃねぇか?」
バルドが気楽な声で言いながら、酒を一口含む。
「ちょっと! 戦闘中に飲むな!」
ミレイが思わずツッコミを入れると、バルドは肩をすくめて言った。
「まぁまぁ、そんなにカリカリすんなって。お前ら、もう動き読めてきただろ?」
ミレイとリヴィアはバルドの言葉に一瞬眉をひそめたが、それを考える間もなく、獣たちが動いた。
「来る!」
リーダー格の獣が吠え、群れが一斉に襲いかかる。
ミレイは素早く前へ踏み込み、槍を振るって一体を牽制する。刃先がかすめた獣は素早く回避し、別の方向から攻めてこようとするが、ミレイはそれを読んで再び槍を突き出す。
リヴィアは横から回り込もうとする獣に対し、確実な一撃を入れる。剣の軌跡が閃き、狙い澄ました斬撃が獣の動きを封じる。
その間にも、バルドは微動だにせず酒を飲んでいた。
「ちょっと! 何もしないつもり!?」
リヴィアが苛立ち混じりに叫ぶが、バルドは肩をすくめる。
「いいじゃねぇか。それに、楽しんでるんじゃねぇの?」
彼の言葉に、ミレイは一瞬表情を曇らせるが、それを意識する暇もなく、次の攻撃が迫る。
ミレイは素早く槍を突き出し、獣の喉元を狙った。だが相手も素早い。ギリギリで身を翻し、白い毛をなびかせながら後方へ跳ぶ。その一瞬の隙を見逃さず、ミレイは足を踏み込み、横へ流れるように槍を回した。
「逃がさない」
鋭い風切り音と共に、槍の一撃が獣の横腹をかすめた。獣が短く唸り、態勢を崩す。その隙にリヴィアが動いた。
「そこ!」
リヴィアの剣が鋭く閃き、獣の足を狙って斬りつける。雪を舞い上げながら相手が転倒し、隙を見せた瞬間、ミレイは容赦なく突きを繰り出した。
槍の刃が獣の喉元に深く突き刺さる。小さく痙攣した後、獣は静かに息絶えた。
「ふぅ……一体」
ミレイが息を整える間にも、残る獣たちはすぐさま動きを変え、円を描くように包囲を狭めてきた。足場の悪い雪原での戦いは、持久戦になるほど不利になる。体力を消耗しすぎる前に決着をつける必要があった。
「……手早く片付けないと、こっちが消耗するわ」
リヴィアが短く息を吐きながら、剣を構え直す。
「そうだね。囲まれる前に削るよ」
ミレイも再び槍を構えた。二人の間で自然と戦闘方針が決まる。
その時——
「おー、随分張り切るじゃねぇか」
バルドがのんびりとした口調で言いながら、雪を踏みしめた。まるで観客のように戦いを眺めているが、彼の目は確かに敵の動きを追っている。
「いいのか? ぼーっとしてると、足元すくわれるぞ?」
彼の声と同時に、ミレイの後方から別の獣が突進してくる。
「……っ!」
ミレイは振り返る間もなく、槍の柄を後方へ払う。しかし、獣はその攻撃を避け、間合いを詰めてくる。
その瞬間——
バルドが何気なく足元の雪を蹴り上げた。
舞い上がった雪が獣の視界を奪い、その足がもつれる。
「今!」
ミレイはすかさず槍を振り下ろし、相手の頭部を貫いた。
「……今の、わざと?」
リヴィアがバルドをちらりと見るが、彼は肩をすくめるだけだった。
「さぁなぁ。雪山は足元が悪いもんだ」
バルドは笑いながら、酒を口に運ぶ。
「あなたね……」
リヴィアがため息交じりに呟くが、戦闘はまだ終わっていなかった。
残る獣たちが、互いに間合いを詰めながら隙を窺っている。
「あと三体……」
ミレイが槍を構え直す。
「仕留めるなら、次の動きで決めるわよ」
リヴィアが低く言いながら、剣を振るう準備をする。
バルドはそれを見ながら、再び飄々とした口調で言った。
「ほれ、嬢ちゃんたち。決めちまえよ」
そう言って、雪の上に腰を下ろし、のんびりと酒を飲み始めた。
「……本当に何もしないつもり?」
リヴィアが苛立ち交じりに睨むが、バルドは肩をすくめる。
「お前らが頑張ってるのを見てるのも、悪くねぇからな」
その言葉に、ミレイは小さく笑う。
「じゃあ、見ててよ——すぐに終わらせるから」
槍の切っ先が静かに獣たちへと向けられた。
ミレイは槍を低く構え、わずかに重心を落とした。獣たちは警戒しながら距離を測っている。焦りはない。だが、このまま持久戦に持ち込まれるのは避けたい。
「リヴィア、一気に動くよ」
「ええ、正面を頼むわ」
ミレイが前へ踏み込み、一番近い獣へ槍を突き出した。それを回避しようとする瞬間、槍の軌道を変え、横薙ぎに払う。獣の前脚を狙った一撃が決まり、相手がバランスを崩す。
リヴィアはすかさずその隙を突くように動いた。短く息を吸い、剣を振り抜く。一直線に放たれた斬撃が獣の喉元を裂いた。
「あと二体!」




