第十章 〜美味い料理と酒瓶と〜 2
「さて、と……。寝起きの嬢ちゃんたちには、何か温かいもんでも作るかね」
そう言うと、バルドは酒瓶を置き、荷物の中から小さな鍋を取り出した。洞窟の隅に積んでいた雪を鍋に入れ、焚き火の上にかける。
「お前さんたち、まともな飯食ってなさそうだしな」
ミレイは驚いたようにバルドの手元を見つめた。旅慣れた男なら保存食を持っているのは当然だが、鍋を取り出して料理を始めるとは思わなかった。
「まさか……料理できるの?」
「まさかも何も、俺の自慢のひとつだぜ?」
バルドは得意げに笑い、干し肉を細かく裂き、乾燥野菜とともに鍋に入れる。次に、腰袋からスパイスの小瓶を取り出し、指先でつまんでぱらぱらと振りかけた。
焚き火の上で、雪解け水がぐつぐつと音を立てる。やがて、肉と野菜の香ばしい香りが洞窟内に広がった。
「ほらよ、胃に優しいスープってやつだ。疲れた体にはちょうどいい」
バルドは木製の器にスープを注ぎ、ミレイに差し出した。
「……ありがとう」
ミレイは少し戸惑いながらも、器を受け取る。湯気が立ち上るそのスープを見つめ、慎重に一口すする。
体の芯まで温まるような、優しい味だった。
その時、隣でリヴィアが微かに動いた。
ミレイが器を置き、彼女の方へと身を乗り出す。
「リヴィア?」
瞼が震え、ゆっくりと開かれる。蒼い瞳がぼんやりと揺れ、焦点を定めるまで数秒の間があった。
「……ここは?」
かすれた声で問うリヴィアの額には、まだ僅かに冷たい汗が滲んでいる。
「洞窟の中。助けてくれた人がいる」
ミレイが静かに言うと、リヴィアの視線がゆっくりと焚き火の向こうへ移る。
「よう、お目覚めか」
バルドは酒瓶を軽く振りながら、穏やかな笑みを浮かべた。
「……っ」
リヴィアは上体を起こそうとするが、まだ身体が重いのか、軽く顔をしかめる。
「おっと、無理すんな。寝起きはのんびりしとけ」
そう言いながら、バルドは手近な器を取り、スープを注ぐ。
「飲めるか? 熱いが、いい塩梅だぜ」
リヴィアは警戒の目を向けながらも、器を受け取る。
「……何のつもり?」
バルドは肩をすくめる。
「つもりも何も、ただのスープだぜ? 疑うのはいいが、さすがに飯くらい素直に食ったほうがいい」
リヴィアはしばらくバルドを見つめた後、慎重にスープを口に運ぶ。
温かい。だが、それだけじゃない。
ほどよい塩気が舌に染み込み、干し肉の旨みと野菜の甘さが広がる。身体の芯までじんわりと温もりが広がり、疲れが少しずつ和らいでいくようだった。
(……悪くないわね)
◇◇◇
焚き火の淡い光がゆらめく中、リヴィアは静かにスープを飲み続けていた。ゆっくりと、しかし確実に体が温まり、意識もはっきりとしていく。それでも、彼女の蒼い瞳はじっと焚き火の向こうにいる男を見据えていた。
「……あなたは?」
スープの器を置きながら、リヴィアは低く問いかけた。バルドは軽く片眉を上げ、酒瓶を傾ける。
「バルド・フォルティス。ただの酔っ払い……ってことにしといてくれ」
軽い口調ではあったが、その言葉にはわずかな重みが感じられた。冗談めかしてはいるが、核心に触れさせない意図がある。リヴィアは視線をそらさずに続ける。
「それにしては……妙に場馴れしてるわね」
リヴィアはわざとらしく辺りを見渡した。
「洞窟を選ぶのも手際がいいし、火の管理も慣れてる。保存食やスパイスまで用意して、料理までできるなんて……ただの放浪者にしては、ずいぶんと用意がいいと思わない?」
バルドは肩をすくめ、にやりと笑う。
「気ままに旅してりゃ、自然と覚えるもんさ。雪山の寒さも、焚き火の起こし方も、うまい飯の作り方もな。転がるように生きてりゃ、学ぶことも多いってこった」
「……ふぅん」
リヴィアは半信半疑のまま、スープの器を手の中で転がすように持ち直した。彼の言葉に矛盾はない。旅慣れた者ならば、それなりに生存術は心得ているだろう。だが、それでも何かが引っかかる。
そんな彼女の様子を見ながら、ミレイはぼんやりとバルドを観察していた。彼の仕草、姿勢、手の動き——どれもが妙に洗練されている。
(……この人、本当にただの旅人?)
バルドの指は節くれ立ち、皮膚は固く鍛えられている。まるで長年武器を扱ってきた者の手だ。しかも、一見気楽そうに座っているが、重心の置き方が微妙に違う。
(動ける……いつでも戦える構えをしてる)
ミレイは無意識に毛布の下で手を握った。戦士同士ならば、言葉にせずとも分かる。彼はただの旅人ではない。少なくとも、戦いを知る者だ。
だが、バルドは何も言わない。
「それで? お前さんたちは何でこんな場所にいたんだ?」
バルドはスープを飲み終えたリヴィアをちらりと見て、ゆるく笑った。
ミレイとリヴィアは一瞬視線を交わす。どこまで話すべきか。
「……まあ、いろいろあってね」
ミレイが曖昧に答えると、バルドはそれ以上追及せず、肩をすくめた。
「ま、無理に話せとは言わねぇよ。旅人には旅人の事情があるもんだ」
そう言うと、バルドは再び酒瓶を手に取り、ゆっくりと口に運んだ。焚き火がはぜる音が、しばし洞窟の中に響く。
リヴィアはバルドを見つめたまま、スープの余韻を味わうように唇をなぞる。やはり、まだこの男を信用するには早い。
そして、もう一つ——ミレイに対する違和感を思い出していた。
けれど、それは言葉にできるようなものではない。ただ、どこかしっくりこない。




