表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
91/107

第十章 〜美味い料理と酒瓶と〜 1

 冷たく凍えた風が音もなく吹き抜ける。深い霧が辺りを覆い尽くし、雪山は静かに朝を迎えていた。厚く積もった雪が音を吸い込み、どこまでも続く静寂だけが存在している。


 そんな中、吹きさらしの山肌にぽっかりと口を開けた洞窟。その奥で、小さな焚き火が静かに揺らめいていた。炎の淡い光がごつごつとした石壁を照らし、揺れる影を作っている。


 火のそばには、酒瓶を片手にした男がいた。


 肩まで伸びたダークブラウンの髪。琥珀色の瞳が焚き火の光を映し、どこか退屈そうに酒を口へ運んでいる。彼の足元には、歴戦を感じさせる巨大な鎚が無造作に置かれていたが、今のところはただの荷物のように放置されていた。


 男は、火を見つめながらぼそりと呟く。


 「……いい酒だ」


 ごくり、と琥珀色の液体が喉を滑る。その表情は飄々としていて、戦場の喧騒とは無縁に見えた。


 しかし、次の瞬間——。


 遠くで 鈍く重い音 が響いた。


 ——ドゥウウウン……!


 低く長くこだまする音。空気が震えるほどの衝撃が大地に伝わる。


 男は酒瓶を軽く揺らしながら、ちらりと音の方向へ目を向ける。


 「……雪崩、か」


 独りごとのように言いながら、しばし考え込む。単なる自然現象ならば放っておいてもいい。だが、この音は何かを巻き込んだ音でもあった。


 彼はわずかにため息をつき、静かに立ち上がる。酒瓶を地面に置き、鎚を背負う。


 「まぁ……死人を埋める趣味はねぇしな」


 そう呟くと、男は重い足取りで雪の中へと歩き出した。



◇◇◇



 降り積もる雪を掻き分け、男は静かに辺りを見渡した。雪崩の痕跡は大きく、地形が崩れた場所には不自然な凹みができていた。


 「……あったな」


 雪の中に、微かに見える 人影 。


 慎重に近づき、手を伸ばす。


 「よっと……っと、こりゃひでぇな」


 まずは銀色の髪が覗いた。体はほぼ完全に雪に埋まっているが、呼吸は…… まだある。


 「生きてるか。お嬢さん、運はいいな」


 もう一人——すぐ近くに、同じように雪に埋もれた少女がいた。こちらは金髪。雪の中に薄く沈んだ横顔は、かすかに苦しげに歪んでいた。


 「二人か……ったく、まとめて助けるのは骨が折れるぜ」


 呆れながらも、男は迷いなく二人を抱え上げた。冷え切った体がまだ硬直しておらず、命を取り留めるにはギリギリの状態だった。


 「……ま、起きたら礼くらい言ってもらおうか」


 軽く肩をすくめ、男は二人を担いで洞窟へと戻った。



◇◇◇

 小さな焚き火がぱちり、と音を立てた。


 ミレイは、重い瞼をゆっくりと開く。視界に映ったのは、ごつごつとした岩の天井。焚き火の明かりが影を揺らしている。


 「……ここは?」


 かすれた声で呟いた瞬間、全身を痛みが襲った。身体の芯まで凍えていたせいで、関節が強張り、動くたびに軋むような感覚がする。


 「目ぇ覚めたか」


 低く、落ち着いた声が響く。


 焚き火の向こう、男が酒瓶を傾けていた。気だるげに炎を見つめながら、ゆっくりと酒を口に運んでいる。


 「……誰?」


 ミレイは慎重に男を見つめた。相手は特に気にする風でもなく、軽く酒瓶を振る。


 「バルド・フォルティス。しがない流れ者だよ」


 「……助けてくれたの?」


 「ああ。たまたまな」


 バルドは肩をすくめる。焚き火の光に照らされた琥珀色の瞳は、どこか軽薄そうに見えるが、どこか底が知れない。


 「雪山で飲む酒も悪くねぇが、死人と飲む趣味はねぇ」


 そう言うと、バルドはもう一口酒を飲んだ。


 ミレイは静かに辺りを見回す。隣には、リヴィアが毛布に包まれて眠っていた。顔色は悪くないが、まだ目を覚ます様子はない。


 「……とりあえず、ありがとう」


 ミレイは短く言った。


 バルドは目を細め、酒瓶を軽く傾ける。


 「ま、礼はいらねぇよ。ただ……」


 ミレイが顔を上げる。バルドは微かに笑いながら言った。


 「お前さんたち、何でこんな場所で死にかけてたんだ?」


 ミレイは一瞬、答えに詰まった。


 何を話せばいい? この男は、どこまで知っている?


 しかし、バルドはすぐに「ま、無理に言えとは言わねぇけどな」と肩をすくめた。


 バルドは焚き火を見つめながら、ぼそりと呟いた。


 「……お前さん、戦いすぎてねぇか?」


 ミレイは眉をひそめる。


 「どういう意味?」


 バルドは酒瓶を軽く振りながら、肩をすくめる。


 「いやな、さっき起こすときに少し手を握ったが……お前の手、力が入りすぎてるんだよ。眠ってるはずなのに、指が無意識に固まってる。まるで武器を握ったまま寝てるみたいにな」


 ミレイは、反射的に自分の手を見た。毛布の下で、指が少しこわばっている。無意識のうちに、何かを握るように手を丸めていた。


 「戦場に長くいるとな、手から抜けなくなるんだよ。戦い方ってやつがよ」


 バルドは軽く笑った。


 「まぁ、余計なお世話かもしれねぇが——『このままじゃ、戦いに飲まれるぞ?』」


 ミレイの胸がざわついた。


 この男、何を言ってる? なぜそんなことを?


 「……何が言いたいの?」


 バルドは焚き火の炎を見つめながら、ぼそっと言った。


 「戦い続けることが、生きることになっちまう奴を何人か見てきた。気づいたら、戦ってないと落ち着かなくなるってな。……そうなると、もう"自分の戦い"じゃなくなる」


 「……」


 「ま、難しい話はあとだ。お前さんが今、何を考えてるのかなんて知らねぇが……」


 バルドは酒を口に運び、穏やかに笑う。


 「しばらくは、温かいもんでも飲んどけ。槍は、握らなくても消えたりはしねぇよ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ