第九章 〜逃亡の末に〜 15
夜の静寂がゆっくりと薄れ、朝の冷たい空気が肌を撫でる。微かに聞こえる鳥のさえずりと、遠くから響く風の音が、眠りの余韻をかき消していく。
リヴィアはゆっくりと目を開けた。
視界に最初に映ったのは、朝の陽光に照らされるミレイの姿だった。
彼女は既に目を覚ましていたようで、静かに遠くを見つめていた。廃墟の瓦礫の上に佇み、風に揺れる銀色の髪が光を受けて輝いている。銀の瞳は淡い金に染まり、まだ冷えた朝の空気の中でも、どこか柔らかい温かさを宿しているようだった。
リヴィアは思わず息をのむ。
——美しい。
戦場で見せる彼女とはまるで別人のようだった。
血煙の中で舞うように槍を振るい、敵を次々となぎ倒す獣のような気迫——そんな戦いの記憶が、今目の前にいる少女と結びつかない。
陽光を浴びるミレイは、どこか儚げで、静謐な美しさを持っていた。
「……起きた?」
ミレイが振り返る。その声は穏やかで、どこかまだ朝の空気に馴染んでいた。
「ん……まだ少し眠いけどね」
リヴィアはそう言いながら起き上がる。昨夜の疲れがまだ体に残っているが、ミレイの姿を目にして、ふと考えた。
戦場での彼女の姿と、この静かな朝の姿。
「……ギャップがすごいわね」
リヴィアがぽつりと呟くと、ミレイは不思議そうに首を傾げた。
「なにが?」
「別に」
リヴィアは肩をすくめながら微笑む。
「そろそろ私は周りを見てくるよ」
ミレイは立ち上がり、軽く伸びをする。その動作の中にも、戦士としての研ぎ澄まされた動きが滲んでいる。
「……私も行くわ」
リヴィアも立ち上がり、槍を手にしたミレイを横目で見ながら歩き出す。
陽光の下、二人の影が伸びる。
◇◇◇
王宮跡へと続く道は、崩れた建物の影を縫うように続いていた。
かつて整備されていたであろう石畳の道はひび割れ、草が生い茂り、かろうじて道の名残を留めているだけだった。
「……ここが、王宮への道だったのね」
リヴィアは足を止め、静かに呟いた。
ミレイはそんな彼女の横顔を見つめた。どこか遠い記憶を手繰り寄せるような、静かな眼差し。
「王宮……どんなところだったの?」
問いかけると、リヴィアはわずかに口元を引き結んだ。
「……意味のないことよ。どんなに話しても、もう国はないのだから」
そう言って、ゆっくりと歩みを再開する。
進むごとに、廃墟の様相はより悲惨なものへと変わっていった。
崩れた塔、倒壊した門、瓦礫の山。
そして——焼け焦げた大広間の入り口が、目の前に広がっていた。
「ここが……」
リヴィアは立ち止まる。
足元には、剥がれ落ちた石の床が広がり、かつての豪奢な装飾の名残すら見えない。ただ、壁に刻まれた微かな紋章が、この場所がかつて王宮の中心であったことを示していた。
崩れた天井から差し込む光が、埃を帯びた空間を鈍く照らしている。柱の残骸が無造作に転がり、踏みしめるたびに瓦礫が不吉な音を立てた。かつて栄華を誇ったこの場所は、今や死んだような静寂に包まれていた。
「……行くわよ。」
リヴィアの声が、その沈黙を破った。
足を踏み出すたび、瓦礫の上で小さな音が弾ける。廃墟の王宮を吹き抜ける冷たい風が、舞い上がる埃をゆるやかに散らしていく。その中に、遠い記憶の残響が紛れ込んでいた。
王宮の長い廊下を歩いていた、あの日。
光を受けて輝く大理石の床、窓から差し込む夕陽が黄金の影を落とす。
かつて幼いころに駆け回った廊下を、今は静かに踏みしめる。
『リヴィア、次の政務会議には必ず出席しなさい。そろそろ、お前も国の行く末を考える時期だ』
『ええ、わかっています』
リヴィアは穏やかに頷いた。父の言葉には慣れていた。
小国であるこの国が存続するには、決して強大な力を持つことはできない。外交と内政、その両輪を巧みに操り、大国の間で生き延びるしかなかった。
『この国は、私が守る』
それが、彼女の生まれた意味だった。
だが、その誓いも長くは続かなかった。
唐突に、過去の光景は色を失う。
熱気に歪む空気。崩れ落ちる天井。燃え上がる炎。
目の前で倒れる兵士、甲冑を焦がす火の粉。
血と灰が入り混じる空気が、喉を焼いた。
『リヴィア様、こちらへ!』
必死に手を引く侍女の声が、焼け落ちる柱の音にかき消される。
『お父様……!』
絶叫する少女の手を、誰かが強引に引き離した。
そこに立ち尽くす自分。
呆然と、何もできないまま全てが崩れ去るのを見ていた。
リヴィアの視線が、廃墟と化した王宮の亡骸の中で過去の自分を見出す。
「……ここが、私の帰る場所だったのに。」
呟いた声は、まるで亡霊のように儚く、空気の中に溶けた。
崩れた柱の隙間を抜けた風が、彼女の髪をそっと揺らした。
ミレイは無言でその隣に立つ。
問いかけもせず、慰めもせず、ただ静かに並んで立っていた。




